殺人バッファロー3分クッキング

雪車町地蔵

曇天の死闘

 殺下ころした正義まさよしには三分以内にやらなければならないことがあった。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを殺戮することだ。


 四十年前に品川動物園から逃げ出したバッファローは、現在600000000匹にまで増殖しており、〝東京都超えたらお前絶対殺す防衛ライン〟へいままさに到達しようとしている。

 その日のバッファロー警戒率を伝える猛牛轢殺予報によれば、猶予は残り一時間もない。


 正義はごく一般的な家庭に生まれた。

 一家相伝のワイヤー真拳を伝授されたのは、だから乳児の頃だ。

 初めて単分子ワイヤーを用いたときの感想は「あれ、なんかこれ、思ったより切れなくね? ばぶー」だったことをいまでもよく覚えている。


 物心ついたときには突っ込んでくるバッファローを縛り付け、搾乳してチーズを作るのが趣味になっていた。

 とはいえ、まだこの頃は一人対一頭の戦いが限界。

 殺し殺されをする因縁など皆無であった。


 そう、祖父である殺下MAX斎がバッファローに殺されるまでは。


 急報を聞いて、病院へ駆け付けた正義が目にしたものは、見るも無惨な蹄タトゥーを全身に入れられて完全敗北した祖父の姿だった。


「じいちゃん、一体どうしてこんなことに……!」


 憤り、縋り付いて泣きじゃくる彼の頭を優しく撫でて。

 MAX斎は一言、


「最強になり損ねたわい」


 そう告げて、事切れた。

 男に生まれたからには誰もが憧れる、生物最強という夢。

 小説家ならばクマを殺し。

 格闘家ならば虎を屠る。

 では、ワイヤー使いは?


 そう、バッファローの群を殲滅しなければならない。


 理由は明確だ。

 ワイヤーに代表される糸使いは、指先を酷使する。

 どうあっても糸は相手と自分に繋がっているのだから、圧倒的暴力で引きずられれば指先がちぎれることなど確定的に明らか。

 ゆえに、突進力と極大質量を有するバッファローの群は、糸使いにとって天敵であった。


 MAX斎は、ただこれに打ち克ちたかったのだ。

 俺もそうだと、正義は強く拳を握る。

 祖父の敵討ちなどではない。

 ただ、この地球上にワイヤー使いとして生を受けた以上、なんとしてもバッファローの群を皆殺しにしなければならなかった。


 だから正義は腕を磨き、研鑽に研鑽を重ね、度重なる敗北を経て。

 いま、ここにいる。


 曇天の下、土煙を巻き上げて迫る600000000匹の暴走超特急。

 遮るものはスカイツリーであろうが国会議事堂であろうが粉みじん。通貫し、粉砕し、踏み散らし、蹴散らす。

 それが地上最強の生物群、バッファロー。


 このままでは3分ののちに、東京は踏み潰され地ならしされて、壊滅の憂き目に遭うだろう。

 その前に立ちはだかるのは、殺下正義ただひとり。

 だが、見よ。

 彼の鍛え上げられたその指を。


 異常に長い両腕の先に、五つの筒が連なっている。

 トマトやパインの缶詰と錯覚しそうなほど極太なそれは、彼の五指だった。

 祖父が死んだ日から鍛え直された正義の肉体はまさに鋼。

 しかし、その真価はワイヤーを用いてこそ発揮される。


「ふん!」


 彼が右手を振り抜く。

 先頭を走っていた100匹のバッファローが一瞬で血煙と化した。

 目を瞠る猛進水牛。


 なんということだ。

 加速度だけでも分厚い鉄板をぶち破れるバッファローの突進を、正義は受け流しながら切り裂いたのだ。

 しかし……彼の指先もまた無事ではなかった。

 鍛え上げられた五指をしても、今の一撃で傷を負い、数本は折れ曲がっている。


 一方で、バッファローは勢いづく。

 赤い血液が、興奮を招いたのだ。


 舌なめずりをして、加速するバッファロー。

 その血走った眼が、正義を捉える。


 障害物程度としてしか認識されていないなと、彼は苦笑した。

 ここまでで1分。


 もちろん、この間にも正義は両手を振り続け、ワイヤーを飛ばし、バッファローを次々に血祭りに上げている。

 だが、その程度。


 方や、痛くもかゆくもない猛獣。

 方や、両手の指が紫に変色してしまった正義。

 これが愚かな戦いであることを、彼自身が一番よく解っていた。


 ワイヤーを使うのならば。

 そしてバッファローが直進しかしない猛進生物なら。

 進行方向に置きワイヤーすればいいだろうと誰しもが思う。


 けれど、血の通っていないワイヤーなど、最強生物群バッファローの前では無意味。

 実際、正義以外の糸使いが設置したワイヤーは、すべて強靱な角と外皮で引きちぎられていた。


 やはり、己の手で決着を付けるしかない。

 可能だろうか?

 600000000匹の猛牛をブチ倒すことが、脆弱な人間に?


「出来る、出来るのだ」


 正義には秘策があった。

 相手は数に頼みをかけている。

 ならば、質で勝ればいい。


 ワイヤー。

 それは鋼を糸状にしたもの。

 祖父であるMAX斎はよく言っていた。


「よいか、正義。一本一本のワイヤーは脆くちぎれやすい。だが、寄り合わさったワイヤーは決してちぎれない」


 そう言って幼い正義に祖父が見せたのは、瀬戸大橋であった。

 ワイヤーが127本集まれば、ストランドになる。この束を271本集めれば、太い束ケーブルとなる。

 その全長距離は、地球七周半にも到達する超巨大ワイヤー。


 いま、正義は糸使いの極みへと達する。


「うぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 空間を震わせる雄叫び。

 彼は振り抜いた。

 背後にずっと隠し持っていた〝クソ憎たらしいバッファロー絶対挽き肉にする超巨大ワイヤー〟を。

 屋久杉の幹径にも匹敵する、ワイヤー塊が炸裂。

 それは彼のことを「なんだこの裸猿、チクチクうるせぇな」と舐め腐っていたバッファローの群を一網打尽に薙ぎ払う。


「!?」


 驚愕したのは、群を率いていた主だ。

 戦闘状態に突入して僅か2分。

 彼が配下に従えていた600000000匹は、粉みじんの肉片と化していた。


 糸使いとは、糸で相手を拘束し、糸で相手を切る斬撃属性の使い手。

 正義も、紛れもなく斬撃属性。

 しかしいま発揮されたのは、破壊の奔流、バッファローが最も得意とする質量打撃。

 ならばこれはワイヤーではないのか?


「否、これこそワイヤー概念の極地。これを可能にするとは、恐ろしい猿がいたものだ。猿……違うな、人間だったか」


 仲間を全て薙ぎ払われた主は、ここにきてようやく正義を敵と認めた。

 主の肉体は、ほかのバッファローとは異なる。

 恵まれた巨体は全高20メートル。

 重量は50000トンを超える。


 対して正義は最早満身創痍。

 クソ憎たらしいバッファロー絶対挽き肉にする超巨大ワイヤーを使用した両手の指は負荷に耐えきれずへし折れ、もはや精緻な作業は不可能。

 ワイヤー使いとして、彼は既に死んでいた。


 だが、群の主は侮らない。

 衝撃に全力を傾ける。

 十分な助走距離を持って加速した50000トンは、鉄板どころか音速の壁をぶち抜き、爆音とともに正義へと衝突。


 哀れ脆弱な人間は原子レベルまで粉砕され。

 ――ていなかった。


「ば、バカな!?」


 絶叫をあげる主。

 彼を押しとどめているのは、片手。

 ただ一本の腕が、隕石の衝突にも等しい質量攻撃を捌ききり。


「……教えてやるよ、ワイヤー使い最後の武器を」


 ニヤリと笑った正義が。

 拳を握る。


「どんな巨大なワイヤーでも扱える、腕力だッ!!!!!!!!」


 暴力。

 放たれたのは、そうとしか表現できないワンパンチ。

 だが、それで決着だった。


「見事」


 主のつぶやきを耳にしたものはいない。

 正義が振り抜いた拳の射線上にあったもの全てが、消し飛んでいたからだ。


 あとにはただ、晴れわたる空が。

 雲一つなく消し飛ばされた蒼穹が広がっていた。


 これが、後に〝殺人バッファロー3分クッキング〟と称されることになる、伝説の1ページ。

 最強のワイヤー使いの名をほしいままにする殺下正義が、歴史の表舞台に立った最初で最後の出来事であった。

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