第29話 子どもではいられない

 その日の夜。腕のなかで健やかに眠るユクスを眺めながら、サザナミは件の襲撃者ついて考えごとをしていた。

 第一王子のユクスのまわりが不穏な空気になっていることは承知していたが、刺客が送り込まれたのは今回がはじめてだった。

 ーーでもあの刺客、たぶん素人だった。王子に手を出すなんてかなり危険なことなのに、そんなお粗末な敵を寄越すものだろうか。

 敵襲後、アキナに簡単に報告をしたときも、アキナは同じようなことを口にしていた。ユクスをねらったのは間違いないだろうが、真のねらいはわからないからくれぐれも警戒を怠らぬように、と。

 ーーいずれにしても気味が悪いのは変わりがない。ユクスさまが安全にすごせるよう気を引き締めないと。

 心の内で緊張感を強めているサザナミの気配を察知したのか、ユクスがぱちり目を開けた。

 ユクスはもぞもぞと動いてサザナミに視線を合わせると、「眠れませんか」と呟いた。

「あ、いえ。少し考えごとをしていました」

「そう」

 結局、サザナミはユクスの夜の誘いを断れずにいた。護衛だから外で警備をさせてくださいと何度言ってもユクスは頑なに首を縦に振らない。「おまえがいないと眠れない。私が病気になったらどうするの?」と詰め寄られ、サザナミは言い返すこともできずにいるのだ。

 アキナにはユクスの寝室で夜を過ごしていることを伝えるべきだろうと頭では理解しているのだが、なかなか言い出せずにいた。

 王宮の警備はサザナミだけではない。どうせ誰から共有を受けてはいるだろうが、口を挟んでこないということは黙認されているのだろうと子どものサザナミは考えていた。

「今日は久しぶりにたくさんの人の前に出ましたから、私もまだ興奮して眠れなさそうです」

「明日の朝はご予定がなかったですよね」

「ええ。おまえも予定がないはずですから、すこし夜更かししませんか」

 ユクスは身体を起こし、ベッドサイドの背もたれに背中を預けた。サザナミも倣って隣に腰をかけると、ユクスが肩にもたれかかってきた。

 ふわり。

 金の髪から漂うジャスミンのあまい香りが、サザナミの心をざわつかせる。

「懐かしいですね。私たち、こうやってひそひそ声で夜中までお話ししていましたよね」

「はい」

 なにも感じてはならない。なにも気取らせてはならない。

 サザナミは己の感情が漏れでないように、平坦な声で答える。

「おまえは朝から晩までずっと私の近くにいるのに、さいきんはなんだか遠くて。私は寂しいです。もう、昔のように接してはくれないのですか」

「……昔の俺は身分を弁えず、おそれ多くも自分があなたの友人だと思っていました」

「いまも私はおまえを大切な友人だと思っていますよ」

「違うんだよ。俺が、」

 ばっと顔を上げると、ユクスと目が合う。

 ユクスは寂しげに微笑んでいた。

 サザナミの胸は締めつけられる。

 ーー俺が、なんだ。俺はなにを言おうとしているんだ。ユクスさまの愛を、団長の好意を無碍にする気か。

 サザナミは乱暴に前髪をかきあげ、言葉を探して項垂れる。

「……俺の気持ちがおおきくなりすぎてしまったんだ」

「それのなにがいけないのですか?」

「いけないことだらけなんだよ」

「私は!」

 ユクスは衝動的にそう叫ぶと、ベッドサイドに背中を預けるサザナミに跨った。サザナミの胸板にユクスの白い手がつうと這う。

「私は、おまえと離れたくない。前も言いましたけど、おまえが隣にいない夜は眠れないんです。おまえは私のこんな気持ち知らないでしょう? 知らないから、かんたんに断れるのです。私はこんなにおまえを愛しているのに、知らないから蔑ろにできるのでしょう」

 ユクスはサザナミの胸板をたたく。

 しかしサザナミはびくともしなかった。

 それもそのはず。片や常日頃から身体を鍛えている騎士団員、片や温室育ちの王子。体格の差は歴然だ。

 そう、サザナミがむりやりユクスの身体を奪おうと思えば、いつだってできるのだ。それでもサザナミは頑なに自分からユクスに触れようとしない。握りしめた拳の感覚がなくなるくらいがちょうどいいとさえ思っていた。

「……俺はユクスさまの気持ちを知っています。あなたはいつも言葉で気持ちを教えてくれるから。でもユクスさまは俺の気持ちを知らないでしょう?」

「おまえの……?」

 ユクスが目を細めた。

「はい」

「おまえも私のことを愛しているでしょう」

 何を言っているのだと言わんばかりにユクスは首を傾げた。疑いのない純新無垢な双眸がサザナミをとらえる。

「俺たちはもう大人になってしまったんです。お願いだからもう諦めさせてくれないか。もう、」

 ーー辛いんだ。

 消え入りそうな声でそう呟くと、ユクスは瞳を揺らした。


 それから一ヶ月ほど、サザナミはユクスと仕事以外の接触を徹底的に絶った。ユクスはあの日のサザナミの発言を正しく理解していなさそうだったが、むりに声をかけるようなことはしてこない。夜は寝室の外で護衛をしている。

 ーーユクスさまの愛は、民に向けるような、家族に向けるような温かな感情。俺の汚い欲望とは違うんだ。

 サザナミは暗く沈んだ朱色の瞳で世界を見ながら、薄ぼんやりとそんなことを考えていた。


 ひと月後、ユクス・アルバスが意識不明の重体という知らせが王宮内を駆け巡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

奴隷少年と引きこもり王子 @asa__

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ