第28話 成人の儀兼立太子の儀②

 結論から言うと、祭事はつつがなく終わった。

 そもそも成人の儀兼立太子の儀とは名ばかりで、馬車に乗り、城下を走ってまわるだけの行事だ。人混みをかき分けて馬車に乗り込むか、遠くから弓矢で狙うくらいしかユクスを襲う機会がない。

 遠方の警備はほかの騎士団員にまかせ、サザナミはユクスの馬車に同乗して護衛の任務を遂行していた。もちろん、民らからは見えないようにかなり端に立って。

 この髪色と瞳の色だ。異国の、それも東の男がなぜ王子の一番近くに? とさぞ注目を浴びてしまうに違いないからだ。

 自分が指をさされるのは一向に構わないが、ユクスにへんな噂が立ってしまったら彼の今後に関わる。

 馬車が城下をまわり終えるまで、サザナミはそんなことを胸中で考えていた。


 ***


「問題なく終わってよかったです」

 王城の前で馬車から先に降りて手を差し出すと、ユクスはそう呟いて微笑んだ。

 サザナミは頷く。

「サザナミ、今日はありがとうございました。おまえがいたから、余計ちゃんとしなければと思えましたよ」

「そうですか」

 騎士団として仕事をしただけなのに、なぜ自分が感謝されているのかいまいちピンと来ない。とはいえ無視はよくないので当たり障りのない返事をしておく。

 急に前を歩くユクスが振り返った。

 さも不満げに唇を噛んでいる。

「……ご立派でしたよ」

 ――褒めてほしいのだろうか。なら思ったことを伝えるまでか。

 四年の生活でアルバスの言葉にはだいぶ慣れたものの、サザナミはもともと口数が少ない男のため、自分の心を話そうとするときはとくだんゆっくり言葉を紡ぐ。

 自分の気持ちにそぐう言葉をしばらく考えてから口を開いた。

「民があなたを見る目はとても輝いていました。あなたのことを心から信頼しているのが伝わってくる。あの日、俺が汚い荷馬車のなかから見た景色は、こんなにうつくしかったのかと思いました 」

 言葉を選んで口にするサザナミをじっと見つめていたユクスは、満足そうに微笑むと前に歩みを戻した。

「なんの問題もなく、うつくしい国であるために歯車であり続けるのが私の役割ですから」

 サザナミが返事をしようとしたとき。

 ふと嫌な気配を察知する。

「御前、失礼します」

 ユクスの前に立ち、剣に手をかけて周囲に目を向ける。

 ――どこだ、どこからだ。

 集中してあたりの気配を探っていると、王城の脇に植えられた樹の下に人影を見つける。

 うしろのユクスはなにが起きているのか理解できていないようで、明らかに動揺していた。

 意識は樹の下に向けたまま、極めて穏やかな声色を努めてユクスに声をかける。

「大丈夫です。目は瞑っていてもいいですけど、どうか俺のそばを離れないでください」

 いまのところ一人しか気配を感じないが、仲間がいる可能性もある。ユクスのそばをうかつに離れることはできない。

 逡巡して、「来いよ」と挑発した。

 樹の下の陰が殺気立った。

 右腕に剣を持ち、サザナミに振りかかる。

 ――遅い。

 切っ先がサザナミを掠める前に腕を切り落とす。

 不審者は呻き声を上げてその場に倒れた。

 瞬く間に血が白い石造りの地面に広がる。

 サザナミは、ほっと息をついた。

 十六にして初めて人を斬ったサザナミの胸中は、漣のように穏やかであった。興奮や緊張とは程遠く、あんがいあっけないものだなとわずかに思った程度であった。

 異変を察知した騎士団員がすぐに駆けつける。馬車の一番近くで警護していた団員だ。

 血にまみれた剣と床に倒れている男を見て、事態をすぐに理解した。

「王太子殿下は無事か」

 騎士団員はサザナミに向かって淡々と問う。サザナミは頷く。ユクスはサザナミの背中を掴んで大人しくしていた。

「襲撃者は一人か?」

「はい、おそらく。このあたりにこれ以上の気配はありません」

「気配、ね」

 騎士団員が意味ありげに鼻で笑う。

 サザナミが人一倍気配に敏いのが己の内にある魔力のせいだと気づいたのは、ここ数年のことだった。

 ユクスがいる場所が、豪快に笑っているアキナが内心怒っていることが、足音一つ立てずに歩くエーミールの気配が、少し意識をすればサザナミには察知できるのであった。

 もともと魔力の使い方がわからないサザナミは、溢れ出る魔力を体力や筋力に補って使っていた。それ以外の使い道ができたことをサザナミは喜んだが、異国の民からしたら気味の悪い代物であることは間違いない。

 どうしようかと考えていたところ、アキナが「持って生まれた能力なのだから、胸を張って仕事に役立てなさい」と言ってくれた。

 騎士団員のなかには、顔には出さないものの異国の力をよく思わない人間がいることはいるだろう。きっと彼もその一人なのだと思うが、仕事の邪魔をするような人物ではなければ気づかないふりをすることに決めていた。

「先輩、俺はユクスさまを部屋まで送り届けるので、襲撃者のことをお願いできますか。流血が激しいのでまずは手当てをしてやってください。それから、尋問担当のエーミールさんに連絡をお願いします」

 騎士団員が顎を引いたのを確認して、サザナミはユクスに向かい合う。

「すみません、血なまぐさいところをお見せしてしまいましたね。お怪我はないですか」

「私は大丈夫です。でもおまえは……」

 ユクスの震える白い手が、頬についた血を拭おうとのばされる。血に触れる前にその腕をつかんで離した。

「ちょ、汚いですよ」

「血が、」

「ああ、これは俺の血じゃないですから、ご安心を」

 そう言っても気遣わしげに見つめられるので、手の甲で乱暴にぬぐってしまう。

「帰りましょう。お疲れだと思いますので、今日はゆっくりおやすみください」

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