長い夜が明ける

極度の緊張感のせいか、12時間はさすがに長いがそこまでの疲労は感じなかった。

だが眠い。午前8時も過ぎるとストーブの周囲が空き始める。

夜間は眠って別行動をしていたAさんが俺を見つけてストーブの横を確保してくれた。老人たちも俺に喜んで場所を提供してくれた。

寝惚け眼でAさんと老人たちの話を聞いていると俺の境遇がえらく誇張されていたが面倒なので訂正はしなかった。


目が覚め時計を確認すると午前11時。2時間くらいしか眠っていなかった。

Aさんももっと眠っていいと言ってくれたが眠くないのと状況を把握したのでいったん体育館の外に出た。


外は曇ってこそいたが雪は降っていない。

車道を見るとのワッペンを付けた警官が交通規制を行っている。昨日よりはずっと駅までは向かいやすい。30分ほどの距離にある駅に行く途中どこにあったか忘れたがテレビが放送されていた、あれはラジオ局だったかな?

放送されている映像は福島原発。永延、永延、永延福島原発だった。


駅に着いたが当然期待のアナウンスはなかった。すべて「未定」。

帰り道に見えたコンビニが臨時で開店するということなので少し列に並んで入ってみるとおばさんが取れる限りにの食材をすべて籠に入れていた。

この経験の中でただ一つの不快な思い出。

俺は袋詰めの飴を数袋と雑誌を数冊。雑誌はファミ通だけ覚えている。


体育館に戻るとまた短い睡眠をとる。この間も大小多くの揺れが体育館を襲っていた。

そして日が沈むと再び長時間の散歩が始まる。

不思議と空腹は感じなかった。


実りのない2日目を終え3日目になると困ったことに直面した。

携帯電話の電池が無い。さて困った。

正直記述するのも憚るようなことをすることになる。

「犯罪」これは間違いなく「犯罪」なのだ。言い訳するつもりもない。でも訴えるのはやめて欲しい。

俺は「盗電」をした。


電気を盗むも何もどこも電気が通っていないって?

こういう状況でも電気が通っている施設を俺は2か所知っていた。

ホテルと病院。

病院はさすがに気が引けた。そうなるとホテルだ。

俺はホテルのトイレで便器ウォーマーのコンセントで犯罪を行った。

これ以上詳しくは覚えていないのか、書きたくないか。


再び夜になるともうさすがに体育館を歩き回るのも辟易してきた。あと数歩でもここを歩くと発狂しちまう。

そこで俺は深夜の外を歩くことにした。

当然とても危険な行為だと思う。しかしもう俺は身の安全か精神の安定かの二択を迫られていた。


ただいい事も2つあった。

1つは1時間くらい歩いた位置にあったドンキホーテが一袋にお茶、スポドリ、菓子パン、カロリーメイトなどを詰め込みそれを100円で売っていた。

商売人落第、人間100点満点な恩恵に与ったの1つ。

もう1つは公衆電話で実家に電話がつながったこと。とはいえその時点では生存報告のみだった。


3日目となるといろいろ好転していく。配給での食事や時間に限りがあるとはいえ電気の復旧(12~15時のみ通電のような)。

これがわかっていれば犯罪をせずに……。

避難所の方々がたこ足配線を皆に貸して携帯を充電していく。


そんな中俺は被災者とは思えない悩みを持ち始めた。

(暇だ)

そんな俺の耳に届いたのは子供たちの声。声の方向へ行くとそこは校庭。子供たちは片面の校庭でサッカーをして遊んでいた。

「なぁ、にいちゃんキーパーだけでいいから混ぜてくれない?」


子供たちに遊んでもらった俺はお礼に以前買って手を付けていなかった飴をみんなに配った。

Aさんや保護者の方は「子供たちの面倒を見てくれて偉い」と褒めてくれたが本当はもっと邪な理由だったのだ。だが自分に有利な誤解を解くほど間抜けではない。


その夜、携帯に母からメールが届いていた。

「Bくん(10個上の従兄)がそっちで親戚連中乗せて帰るからあんたも乗せてもらいな」

Bくんに会ったのはもう何年前だろうか、顔も覚えていない。だがこれでようやく帰れる。


しかし母からのメールは運よく届いただけ。その後のBくんとのやり取りに大いに苦労した。電話をかけても出ない。かかってきても履歴だけが残ってしまう。

結局電話がつながったのは翌日、4日目の夕方だった。


Aさんは心配して「怪しいと思ったらすぐ帰って来るんだよ、これ少ないけど持っていきなさい」そういって俺の手に1万円札を握らせた。

一回くらいは断る出来だったのかもしれないが俺は受け取ったほうがAさんを安心させると思い素直に受け取った。

ちなみに住所も控えてあったので後日それ相応のお礼は送りました。


こうして俺は仙台を脱し地元青森へと返ってきた。



後日談として俺の高校の担任は国公立大至上主義と現役入学に多大な信頼を持っている人、という誤解を持っていてあまり好きじゃなかった。

帰還した俺を見て泣いて喜んでくれた。もっと早く誤解が解けていれば俺も違ったかもしれないけどたぶん変わらない。

担任の離任式(卒業式は出れなかった)でも俺の話までしていた。





ちなみに大学は落ちました。

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三泊四日の単独避難所生活(東日本大震災) 杠明 @akira-yuzuriha

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