三泊四日の単独避難所生活(東日本大震災)
杠明
18歳高校生、単独で見ず知らずの土地にて
この記述は全て事実です。しかし僕の経験は他の被災者に比べてそこまで重いものではありません。現にこうして生きて家族友人も誰も失っていない。それでもそれなりの経験はしたので文章化しただけのことです。肩の力を抜いて読んでもらって構わない作品です。
年齢がバレますが当時受験生で前期受験で失敗した自分は後期受験のために青森から仙台、そして山形へと向かっていました。
そう豊かではない我が家において受験という一大イベントでも現地に赴くのは自分一人。東北新幹線で仙台までは苦労せずとも仙山線での乗り換えは悪戦苦闘。
とはいえ始点から終点などで間違えるということはない。
何とか定刻の仙山線に乗り込むと最後の悪あがきのために参考書を開く。車窓の外はこの時期の仙台にしては珍しいほどの大雪。
「明日もこの雪なら会場まで大変だな」
俺は会場にはたどり着けなかった。
電車に乗り込み一駅も行かないとき、急に電車が止まった。そしてしばらくの揺れ。
……強い。でも正直この時点では大して実感はなかった。
ただ断続的に揺れる車両はちょうど小高い丘陵の上を走っていて、横転すれば大惨事なのは間違いなかった。
幸い車両が脱線するようなことはなかった。車内の雰囲気も意外と落ち着いてる。中学生くらいの女の子が一人泣いていたがおそらく無関係な老夫婦が一生懸命宥めていたのを覚えている。
そのまま数十分?――ここは記憶が曖昧、すぐだったのかもしれない――経つと車掌さんが最後方の車両の扉を開きはしごを使って乗客を降ろし始めた。
アナウンスが無かったのか、あったが聞き逃したのかはわからない。ただこの電車は山形にはいかないことだけはわかった。
下ろす乗客は順番。ここは子供も老人も関係がなかった。しかし皆秩序よく順番を守っていた。
俺はこの時
俺「電車停まった、山形行けない」
母「何とかしていけないの?」
俺「地震すごかった、俺ヤバいかも」
友達「こっちもすごかった」
とメールでやり取りしていた。不謹慎だがこの時点では少しもヤバいとも思っていなかったしそれは母も同じ。俺の母が厳しいのではなくまだわかっていなかっただけなのだ。
後、実は地震からしばらくの間はメールや電話が出来た。だがこれ以降、ほとんどつながらなくなる。俺が友人や両親ならこのメールの後連絡が取れなくなるのは普通に血の気が引く出来事だと思う。
さて、自分の番が回り電車を降りたが、駅以外で下車したのは後にも先にもこの時だけ。どうすればいいのか全く分からない。
冷静に考えれば線路を伝い仙台駅まで戻るのが賢いのだろう。
だが事実をまだ客観視できていない俺は線路の上を歩く、という事実に恐怖した。まるでスタンドバイミーじゃないか。
線路から降りたからと言って何も解決していない。むしろ道しるべを失ったといえよう。外はあれからさらに雪が強くなり猛吹雪。視界不良。
当時のガラケーでは地図アプリも頼りない。
とりあえず棒立ちしても解決しない。俺は大雑把な仙台駅の方向へと歩きだした。
大通りに出たい俺は適当に道なりに進む。道が狭くなれば引き返す。若く――今お十分若いが――陸上部で鍛えられた足腰。特別な苦労はなかった。
しかし狭い道にもかかわらず通る車通る車が尋常じゃないスピードを出している。いろいろ運転手にも心配な出来事があるには想像に難くないがあれでは二次災害待ったなしだ。
ようやく大通りに出ることが出来た俺はそこから仙台駅に向けてまた歩き出した。
しばらく行くと交番が見えた。これも人生で唯一の経験。警察に道を尋ねた。
警察官は懇切丁寧に「ここから4つ目の信号を左に曲がるとすぐ見えるよ」と教えてくれた。
平時ならこれで十分すぎる。だが警察官も俺もあることを見落としていた。
しばらく案内された方向に歩いていると違和感を覚えた。
「俺は今、何個目の信号を過ぎた?」
俺が間抜けなのは否定しない。だが信号機は電気が付いていないのだ。それにこの猛吹雪。普段あれほど自己主張するあいつらはこの時はひっそりと眠っていた。
それでも仙台駅はターミナル駅。地球は丸いからではないが方向さえ合っていればたどり着くことは出来る。
いざ辿り着いてみると、そこに人、人、人。
駅の前には大量の人が屯している。
皆も、俺も稼働再開のアナウンスを今か今かと待ちわびている。
結局何時間待っても希望のアナウンスが流れることはなかった。
こうなってしまうと、行く当てもない。土地勘も無い俺は途方に暮れた。
冗談抜きで野宿は死だ。
近くの避難所に行くにも文字通りの闇。
俺は近くにいるキャリーバッグを持った人の後を付けた。現地民ではない可能性が高いと踏んだからだ。
しかし一人、また一人と目の前の人が消えていく。
当ては外れた。
絶望で疲労を感じ始めた足で駅まで戻ろうとした時一人の中年女性が急ぎ足である方向へ向かっている。
そちらへ目を向けると、気が付かなかったがそこは小学校の校舎だった。
「すいません、ここ避難所ですか?」
「そうよ、あなた一人? 親御さんは?」
言い忘れていたが俺の格好は学ランで上にパーカーを羽織っているのみ。お気に入りのマフラーは電車に忘れてきた。
「大変じゃない、一緒においで」
彼女はAさんとする。大袈裟に言えば命の恩人だ。
避難所となる体育館に入ると数台の石油ストーブがガンガンに焚かれ中央のほうは蒸し暑いくらいだった。そう中央は。
ストーブの周囲には子供や老人が固まって眠っている。大人たちは自宅から持ってきたであろう毛布や寝袋に。
石油ストーブを使っている都合上、すべての扉は全開にされている。
(これは眠れない)
体力もある若者が手持無沙汰なのだ。避難所の大人に「何か手伝えることはないか?」とは2回聞いたが「ないよ」と困惑されたのでいたずらに声をかけることはやめた。
結局12時間俺は体育館内をぐるぐる回って過ごした。
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