終わりに

編者による事

 死んだ資産家の祖父は似人にひとであった。


 生前大きな病気もせず、老年になってもしょっちゅう何処かしらに出かけていた。祖父は幼い私に風説ふうせつを語った。異国での奇妙な話、夜に出る化物ばけものの事、不気味な妖怪の噂……不思議なものもあれば意味のわからないものもあった。恐怖に耳を塞いだ呪詛の話もあれば、その優しさに目を見開いた怪物の話もあった。ここに祖父が語った事柄の一つを記しておく。


 曰く、風説は物怪もののけである。姿は見えず声も聞こえない。人から人へと渡り歩き、恐怖と疑念を撒き散らす。しかしそれは闘うための武具なのだ。電気がなかった時代に生まれた、未知という何より恐ろしい化け物の親玉に立ち向かう武具であったのだ。理解の及ばないものを咀嚼し、受け入れるために人々が創り出した理由付け。混乱を極め秩序が壊れることを防ぐ防具であったのだ。

 現代人が古代の武器で戦いを挑んでくる相手を見たなら笑うだろう。そんな石や棒切れよりも銃や大砲を使えと馬鹿にする。同じである。現代、我々は科学という強力な武器を手に入れた。それによって多くの怪異は姿を暴かれ、妖怪たちはひっそりと姿を消した。電気という文明の光があれほど恐ろしかった闇を照らし、夜の到来さえ自転で説明がついてしまう。年寄りの語る風説などもはや陳腐以外の何物でもない。怪異に対して風説の持つ力は科学に不可逆に奪われた。

 風説はぼろぼろに傷ついた武具である。博物館に展示された傷だらけの木製の盾である。

 しかれども似人の役割はその武具をつくることにある。未知なる事象に理由と名前をつけて恐怖を弱め、対処を記し警告を発する。つまりは風説を語るのだ。奇妙な現象の仕業はあやかし猫又ねこまた狸に狐、何でもいい。兎にも角にも奴らのせいにすれば良い。そうして安心を勝ち取れ。人の暮らしを、心の安寧を守るのだ。未だ怪異は闇にうごめき、海山の奥深くでは魑魅魍魎ちみもうりょう跳梁跋扈ちょうりょうばっこする現代。消え去り得ない未知に対して盾を構えろ。いつの日か科学が世界をあまねく照らすその日まで――


 以上である。申し遅れたが私は似人である。編したものはどれも真偽不明であるが、その元を辿れば合理的な説明を付けることができるものもあるかもしれない。正解はない。慧眼けいがん鋭い読者諸賢しょけん各々の解釈にお任せすることとする。並びに、諸賢にはここまで付き合ってくれた事に感謝の意を表明したい。どうも、有難う。

 最後になるがこれを記せて良かった。似人としての役割を果たしたことになろう。本が出たなら一冊は図書館に寄贈しようと思う。それでは、さよなら。また次に会う時、新しい風説を携えて。

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怪異風説集 海中図書館 @established1753

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