13.馬鹿真面目

 ピーマンの保存期間は三週間程度だ。ただ、一人暮らしとは言え、一袋四、五個ほどのピーマンを三週間も放置するようなことはないから、特に期間を気にすることはない。自炊しているとすぐになくなってしまう。

 以前、先輩が訊いてきた。

「最近引っ越したんでしょ?自炊してんの?」

「はい、そうですね。炒飯とか味噌汁とか、ありきたりですけど」

「マジか、偉いなぁ。俺は外食ばっかだよ。料理とか出来ないし」

 一般的な一人暮らしの大学生が、どのような暮らしをしているのかを正確には知らない。だけどこんな話を色々な人とするのもあって、自分はそれなりに偉い生活をしているのだと、自炊をしていることについて、馬鹿みたいだが、プライドがある。

 冷蔵庫を開けて何が残っているのかを確認する。

 人参にジャガイモ、殻を剥いたニンニク、それから一昨日作った味噌汁が二食分。味噌汁があるから玉ねぎももやしも今は必要ない。欲しいのはお肉。ピーマンは、今日はなくていい。気分じゃない。

 エコバッグに財布を入れると夕食の食材を買いにさっさと家を出た。


 駅前のスーパーは生き生きとしていた。

 買い物かごを手に取り、生鮮野菜のコーナーを歩く。ふと、ピーマンの置き場が目に留まった。今日は肉を焼くだけでピーマンを買うつもりはない。

 四、五個のピーマンが入れられ赤いテープで口を縛られた袋が十数個置かれている。置き場全体としては隙間が出来ているが、まだまだ沢山残っているようだった。値段を見ると、量り売りで百グラムあたり九十九円。少し高めだけど、駅前のスーパーにしては頑張っている方なのかもしれないと大学生なりに考える。

 すると、奥からスーパーのエプロンを付けた店員が青いトレーをいくつも積んだ台車を押してやってきた。僕の目の前で止まると、一番上のトレーに手際よくピーマンの袋を回収し始めた。

 商品を取り換えるのだろうか。

 そう考えている間にも店員はさっさと置き場のピーマンをトレーに移していく。店員は全てのピーマンの袋を回収し終えると、置き場を軽く清掃した。その後、集めたピーマンを入れた一段目のトレーをずらし、二段目のトレーから新しい緑のテープで口を縛られたピーマンの袋を置き場に並べ出した。端から端まで、隙間を詰めて置いていく。二段目のトレーに入っていたピーマンを全て並べ終えると、店員は三段目のトレーからピーマンを取り出して並べ始めた。トレーは五段目まである。

 なんだか嫌な予感がした。一段目に置かれた赤いテープのピーマンたちが僕のことをじっと見つめているような気がする。

 商品を取り換えるだけと言えばよくあることだが、それが目の前で行われると、何故だか急に具体的な生々しい出来事のように思えてきた。

 あの赤いテープのピーマンたちは、取り換えられた後、どうなるのだろうか。

 数か月前、スーパーで働いていた友人が買われなかった食材の処分について話していた。彼はそういったフードロスの問題に立ち向かいたいと声高に語ってボランティアをしようと考えていると言っていたが、今ならその気持ちが少しわかるような気がする。

 悶々と考えていると、店員がいつの間にか五段目のピーマンも並べ終えていた。店員がトレーの位置を揃える。

 僕は店員が売れ残ったピーマンたちを店の裏へ、ゴミ箱のあるところへ連れて行ってしまうように思われて、つい声を掛けた。

「あの……」

「はい」

 店員は無垢な顔でこちらを向いた。僕の正義感は一瞬たじろいだ。普段だったらこんなことを訊いたりはしない。でも、目の前でそれが行われようとしているのは、なんだか許せなく感じた。だから、恐る恐る尋ねた。

「それ、捨てちゃうんですか」

「……」

 店員は僕の顔を少し伺い、目線の先にある青いトレーの上のピーマンを振り返って見た。嫌にその動きが遅く感じられたのは、僕の気のせいなのだろうか。

「ああ」

 店員は僕の訊いたことを理解したかのように声を出し、僕の方に向き直ると、

「いえ、これから並べますよ」と何気なく平然とした顔で答えた。

「あ……そうですか……」

 僕の小さな返答を聞き終わりもしない内に、店員は自分の作業に戻り、赤いテープのピーマンを緑のテープのピーマンの上に置き始めた。

 店員は新しく入荷したピーマンを下に、元からおいてあったピーマンを上にそれぞれ配置しようとしていただけだった。

 あまりにも拍子抜けの真実に僕は呆然としてしばらくそこに突っ立っていた。しかしそれから段々自分の妄想と空ぶった正義感が恥ずかしくなってきて、店員が全てのピーマンを並べ終えるのも見届けずに精肉コーナーの方に早足で向かった。あの店員が僕の後ろ姿をちらと見たような気がしたけれど、僕は振り向くことが出来なかった。

 心臓がバクバクするのを隠すように口元に左手を当てて、お肉を眺めるフリをする。

 何勘違いしちゃってんの!と自分を怒鳴るようにして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉を見て回る。耳が熱い。

 よく考えてみれば、そう簡単にピーマンを捨てるはずがない。保存期間は冷蔵庫で三週間。お店に置ける時間は生肉なんかよりずっと長い。新たに入荷したピーマンがあっても、その上に丁寧に配置すれば、そのうちしっかり売れるだろう。考えられている経営方法なんだから、そう簡単に食べ物を無駄にするはずがないのに、何を僕は勘違いして馬鹿みたいな中途半端な正義感を出そうとしていたのだろう。

 しばらくして、今日の目的を思い出した。肉、肉。肉を買わないと。落ち着きを取り戻した僕は、今日の夕ご飯をトンテキに決めて、二パック買い物かごに入れる。

 深いため息を吐いて、肩を落とした。

 馬鹿みたいだな、何やってんだろ。

 改めて自分の勘違いを反省してレジに向かおうとするが、ふとやっぱりピーマン置き場が気になった。忍者のようにそろりそろりと先程の場所まで戻ったが、既にあの店員はいなくなっていた。

 ピーマン置き場の目の前に立つと、ピーマンの袋が隙間なく並べられていて、その上に「盛り沢山」という表現を形でするかのように赤いテープのピーマンがまばらに置かれていた。

 僕は心の中で、よかったな、と赤いテープのピーマンたちに言った。

 これで、捨てられずに買ってもらうことが出来る。

 さっきまでの馬鹿みたいな正義感はどこへやら、僕はピーマンの今後を心配したり、さらには買おうとしたりする気が全くなくなっていた。元々の気持ちに、「ピーマンは、今日はなくていい」に戻っていた。

 そうして、レジに向かおうとした時、ふと、一つのピーマンの袋が気になった。大きくて不格好なそれらは僕のことを見つめているような気がする。まるで、行っちゃうの?とでも言っているような。

 僕はまた中途半端な正義感に駆られる気がした。

 普段だったら、新鮮なもの、美味しそうなものを買う。わざわざスマホで「じゃがいも、見分け方」というような感じで検索してまで選んで買う。なのに、今は何故だか、目の前のその不格好な無駄に大きいピーマンが気に掛かった。

 僕には、先程店員にピーマンを捨てるのかと訊いた手前、ピーマンを買わずに帰ることがピーマンに対して失礼なことのように思われた。

 二、三度ほどレジの方を見たが、それでも僕は自分の馬鹿みたいな、中途半端な正義感を手放すことが出来なかった。

 僕はその不格好なピーマンの袋を手に取り、買い物かごに入れる。そうしてなんだか、少し笑顔になった。

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オオカミ短編集 川野狼 @Kawano_Okami

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