不思議な体験
壱単位
不思議な体験
「もう、ほら、片付けて」
「んん、もうちょっとお」
「だめ、約束でしょ」
啓太の手からゲーム端末を取り上げて、ぐずって転がりそうになる背中をぽんぽん叩く。自分で歩かせる。散らかってるブロックのおもちゃを踏まないように誘導しながら、寝室に連れてゆく。
「あのねぇ、今日ね、ぼすのところ、いったんだよ」
「へえ、すごいじゃない」
「でもさ、すっごい強くてさ、ぜんぜん勝てなかったあ」
「そんなに強かったの」
「うん、もう、僕だってすっごい強い剣とか持ってたし、魔法だってあの虹色のすごいやつ持ってたし、なんで勝てないのかなあ」
「お母さん、知ってるよ。なんで負けちゃうのか」
「え、ほんと、教えて、なんで」
「ちゃんと約束の時間にお布団入って、ちゃんとにんじんもピーマンも食べる子しか勝てないんだと思うよ」
「そんなわけないじゃあん」
くちをへの字にした啓太のお腹をくすぐりながら、ベッドに放り込む。そばに座って、お腹に手をあてる。
「じゃあさ、お母さんなら勝てるの?」
「え」
「だってさ、お母さん、にんじんだってピーマンだって、食べるじゃん」
「あ……うん、そうだよ。勝てるよ。もちろん」
「ええええ」
「あのね、知らないと思うけど。お母さんめっちゃ強いんだからね。魔法だって、レベル九十よりすごいの持ってるもん。剣なんて炎龍のつるぎだよ」
「うそだあ」
「ほんとだって」
しゃべってるうちに啓太の瞼が下がってくる。ちいさく、ゆっくりと、お腹に触れていたけれど、寝息が聞こえてきたから、手を引っ込めた。
しばらく寝顔を眺めてから、立ち上がって寝室を出る。静かに静かに、扉を閉める。居間に戻って、ううんと伸びをする。
今日はお父さんも遅くなるって言ってた。
お弁当も、学校にもってくものも準備できてるし、洗濯もアイロンも終わってる。
久しぶりの、わたしの時間。
あくびをして、首をくるんと回して、さあて、って、息を吐いた。
きゅ、と目を瞑る。
ごう、と、風。
再び目を開いた時には、リビングの戸棚も、ソファも、テレビも消えている。
白い風景。
垂れ込めた雲は暗く、ごろごろと雷鳴が轟いている。
左右の建物は崩れかけ、空気はどこか焦げ臭い。
「……ひさしいの、リディシア」
背後から声がした。
わたしは、銀の甲冑をかららと鳴らしながら、ゆっくりと振り向いた。
「ずいぶん待たせちゃったわね、魔王シシージス」
見上げるような体躯、髑髏のような顔のなかに赫い瞳だけが浮いている。
シシージスは、なかば透けている身体を揺らしながら、ゆっくりとわたしに向かって歩いてきた。
「決着の刻だ」
「……ええ。ね、ところで、シシージス」
「なんだ、勇者リディシア」
「にんじん、食べられる?」
不思議な体験 壱単位 @ichitan
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