ちゃんとした終わり

小狸

短編

 好きだった週刊連載の漫画が終わった。


 いや、もうこの時点で好き「だった」と表現せざるを得ない状況に、私は深い悲しみを覚える。


 それはさる有名な漫画雑誌の連載作である。決して大々的に表紙を飾ったり、アニメ化に縁があったりするわけではなかった。SNSなどを見る限り、どちらかというと私のようなコアなファンが多い、という印象であった。


 その終わり方も、大団円――というには少々尻すぼみな感のある終わり方だった。


 ここ数週間は、あまり掲載順もかんばしくなかった。


 実際雑誌関係に就職したわけではないので、掲載順が人気順なのかどうかは分からないけれど――少なくとも今までのその雑誌を見る限りは、打ち切りとなる作品は、後ろの方に掲載されている傾向にある。


 私は連載1話目から、読者アンケートを出したり、作者の先生にファンレターを送ったりしていた。


 それくらい、好きだった。


 そう、好きだったのだ。


 しかし、今週号。


 いつもその雑誌を、私は電子書籍で読む。帰りの電車に揺られながら、画面をスワイプして読む。


 正直恐る恐る、その漫画を読んだ。


 先週で完全に物語を畳みに入っていたからである。


 私はそれでも「いやいや、この先生のことだ、また新章が始まる予感かもしれない」と、どこかで希望を抱いていた。


 それも、打ち砕かれた。


 ○○先生の次回作にご期待下さい。コミックス△巻は×月の発売となります!


 というあおり文と共に、主人公たちの笑顔で、作品が終わった。


 終わった。


 その事実を受け止めるまでに、相当時間が掛かった。


 いつもはそのまま次に掲載されている漫画に行ったり、読み返したりするのだが、そのページのまま、結局家まで着いてしまった。


 いや、いやいや。


 何度もエンドマークを打ちながら、だらだらと続く物語が世に散見される中、こうして「ちゃんと終えられる」というのは、良い事なのかもしれない。


 作者が描くことに飽きて、作品の発表を辞めてしまうなど序の口、言うに事欠いて作者が犯罪行為に手を染め、強制的に打ち切りになることなどざらにある時代だ。


 ちゃんと、終わる。


 物語を終わらせる。


 それは、どんな創作においても伴う、作者の責任ではないだろうか、と思う。


 未完成、などと題字されている交響曲もあると知った時は、正直目を疑った(音楽方面には詳しくないので、どうか叩かないでほしい)。


 いや、十中八九、この漫画も、人気低迷による打ち切りだろうけれど。


 それが「ちゃんと」かどうかは、意見の分かれる所である。


 それは分かっているが、前述の通り雑誌方面には明るくないし、この漫画雑誌の編集ではないので、一概に断定することはできない。


 ただ。


 今。


 この瞬間から。


 私のこの好きは全て、過去形になるのだ。


 そう思うと、何だか悲しかった。

 次刊予告のページにも、その漫画の名前は無かった。


 当たり前である。今週号で終わりなのだから。


 そして、裏表紙をめくった所の、最後の作者コメントで、その漫画の作者の「お読みいただいた皆様、ありがとうございました!」というような言葉が掲載されていた。


 ああ、ほんとに終わっちゃったんだな。


 そう思う。


 アニメ化も、オーディオドラマ化もされることなく、グッズも大して販売されなかった。


 まあ、アニメになれば良いという訳でもない。最近のアニメ作画の質の上がりようには舌を巻くけれど、それだって玉石混交である(絵の方面には詳しくないので、どうか叩かないでほしい)(なら初めから言うなという話か)。


 ただ欲を言うなら、もっと人の眼に触れて欲しかった。


 好き、を共有したかった。


 今風に言うのなら「推し」だろうか。


 どうでも良いことだが、私はこの言葉はあまり多用しないようにしている。

 同音異義語に「おし」があるからである。時間がある方は語義を調べてみるといい。


 まあ、そんなことはどうでも良い。


 好きな漫画が終わった。


 この喪失感は、何にも代えることはできない。


 家に帰って、一人暮らしなので作り置きしておいた料理を温めて、食べた。


 涙は出なかった。


 それよりも、虚無感、とでもいうのだろうか。雑誌には印刷され、もう打ち切りは決定事項で、私程度の権力ではどうやったところで変更することはできない――そんな社会の理不尽さを、感じざるを得なかった。


 まあ、だからといって出版社にクレーム、なんてしないけれど。


 これでも大人なのだ。


 自分の感情と行動は直結していない。ストップが掛かる。


 それはしかし、大人に、ともいえる。


 いつの間にか、ね。


 終わった、ということは当然、コミックスの発売も次巻、次々巻で終わるということになる。公式のキャラクターブックなどは、出るだろうか。いや、あまり期待しないでおこう。世は移り変わる。さっき敢えて読み飛ばしたけれど、次刊からは別の新連載が始まるようだ。


 諸行無常の響きあり、行く川の流れは絶えずして、と。


 いつの時代でも、流れゆく時世を憂うものだ。


 それに置いて行かれないように前を向くのも、今の社会を生きる上では、必要なことだ。


 例えば私の場合、去年元カレと別れた。


 大学時代に知り合った男である。


 付き合った当初は本気で結婚を考えていたけれど、まあ色々あって、別れた。下手に同棲などしなくて良かったと思った(不動産とかもろもろあるから)。


 当初は凹みに凹んだ。


 元々私は自己評価が高い方ではない。


 二十代後半の、漫画アニメ大好きなオタク女性に需要なんてあるはずがない。彼を逃せば、私は一生結婚できない――なんて思って、そんな思いが、より関係に溝を深めてしまったのだろうな、と今は思う。


 凹んでも、次の日は仕事がある。


 悩んでも、明日はやって来る。


 泣いても、私は生きている。


 だから――仕方ない。そういうものなのだ、と思えるようになった。最近のことである(それまで結構ずるずる引きずっていたのは内緒である)。逆に言えば、あの時別れず交際を続けていたら、この漫画の終わりに、もっとショックを受けていたかもしれない。


 ちゃんと終わることができて良かった、とは言うまい。


 この終わりから、何かを得ることができたとか、前向きになれたとか、そういう物語チックな風に、上手くまとめることは、私にはできない。


 悲しいし、つらい、しんどい。


 所詮漫画なんて娯楽だ、と、切り捨てられるほどに、私は感情を捨てていない。


 私にとっては、重要なことだ。


 だから。


 また同じように引きずって、都合の良い時に忘れよう。


 そういう風に、私は生きよう。


 私は。


 沈んだ心をそっと撫でた。


 ひんやりと、それは冷たくて。


 寂しそうにそっぽを向いていた。


 今日は温かくして寝ようと、私は思った。




(了)

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