最終話「引っ越しアイスは幻の雪見だいふく」
【第7話】
https://kakuyomu.jp/works/16818023214000463302/episodes/16818093081203257549
ふだんの食事のほとんどがエネルギー補給のためでしかなかったから、なおさら心と身体に深くしみたのかもしれない。
しかし職員がひとり急病でダウンしてしまったためにえげつないシフトがつづき、私がかのお店を再訪できたのは四月下旬のことだった。
そしてそのとき、赤城さんが急な辞令で私より先にこの街を去ってしまったということを知らされたのだった。
それは、私と食事にきて一週間もたたないうちにきまったことなのだという。
慌ただしく赤城さんが街を出たのは四月のなかば。その直前、彼は『もし彼女が店にくることがあったら——』と店長にことづけていったらしい。
——客の顔触れはほとんどが常連なんですけど、あの店長、じつのところ一度店にきた客の顔は忘れないんですよ。だから二回行けばもう常連認定されるんです。
赤城さんはそういって笑っていた。まさかと思っていたのだけれどほんとうだった。すくなくとも私の顔はおぼえていたようで、無事ことづけを受けとることができたというわけだ。
つぎは私の行きつけに案内すると約束したのになと、心はちょっと不満を訴えてくるけれど、こればかりはしかたない。社会人の宿命だ。
だいたい連絡先も交換せず、あのコンビニだけで繋がっていたのだ。いつそうなったって不思議ではないとわかっていたはずだ。なのに、いざその時がきてみれば想像していたよりずっとさみしく思っている自分がいて、身勝手な自分の心にすこし笑ってしまった。
❅
北から攻めるか南から攻めるか。五月にはいり、日本地図とにらめっこすること数日。
さほど悩むことなくまずは北に向かうことをきめた。
あえて夏の京都に挑戦しようかとも思ったけれど、初心者にはハードルが高そうだし、この数年の夏の暑さは命の危険を感じるほどだ。そんな日本の夏に、より暑い場所をわざわざえらぶこともあるまい。
つぎにひらいたのはご当地アイスの紹介サイトである。
北海道はとうきびアイスモナカにメロンソフト、新潟のもも太郎(モモなのにイチゴ味)、大阪の551アイスキャンデー、高知は久保田のアイス、九州は本場の白くまとブラックモンブラン、そしてジャムモナカ、沖縄はきなこもちに明治赤箱ミルクバーなどなど。
すごい。定番のアイスでも地方限定フレーバーとかもありそうだし、思った以上にいろいろ出てきて素直に驚く。
今度また赤城さんに会ったときのためにもアイスネタはしっかり集めておきたい。
一年後か五年後か、それとも二十年後かわからないけれど、きっとまた会える。そんな気がする。だってまだ約束もはたしていないし、同盟だって解消していない。
私ってこんなロマンチストだったっけと苦笑がもれるけれど、いいじゃないかとひらきなおってみる。自分が信じるだけなら、誰に迷惑をかけるわけでもないのだから。
❅
ひとつだけ、この旅のコンセプトというか約束ごとをつくった。
それはどんなことも、できるできないではなく、やりたいかやりたくないかを基準にきめるということ。
できるだろうけどやりたくないことと、できないかもしれないけどやってみたいことなら後者をえらぼうと。
旅の恥はかき捨てというし。これまでなにひとつ、挑戦というものをしてこなかった自分への挑戦だ。
そうして六月のおわり。
不安と期待と、持てあました自由を胸に向かった北の国で、最初についた記念すべき仕事は酪農業だった。
それから、これはほんとうにたまたまだったのだけど、酪農をえらんだことで私は『低温殺菌された、しぼりたて生乳の手づくりアイス』などという、コンビニアイスの裏側にあるような禁断の世界に足をふみいれてしまったのである。いやコンビニの牧場しぼりも絶品だけれども! そういうことではなくて、たぶん自分でつくったアイスの味には、牛の世話やら搾乳やら、そこにいたるすべての体験がはいっていたのだと思う。
私は、そのときの感動を目に見えるカタチで残しておきたくなった。結果、はじめたのがアイスブログだ。
人に見てもらいたいならSNSとかを活用したほうがよかったのかもしれないけれど、自分で見返せればいいだけだったから、赤城さんと話すような感覚で、アイスと日常のあれこれを記録するようになったのだ。
そんな個人的なブログでも、つづけていれば読者さんがついてくれたり、コメントをもらったりすることもあって、おかげで世の中には冬でもアイスを食べるという同好の士がけっこういるのだと知った。そのうちの何人かとは、オフ会で直接顔をあわせてアイス談議に花を咲かせたりもして。
しかも、ブログをとおして赤城さんとも再会——なんて都合のいい展開はさすがになかったけれど、旅とアイスブログによって、これまでの鬱屈とした生活が嘘のように世界が広がっていった。
❅
日本全国津々浦々。旅館に個人経営の食堂に喫茶店、和菓子屋さんにパン屋さん、それから農家や便利屋さんなどでも働いた。
はた迷惑すぎる痴話喧嘩に巻きこまれたり、家出少女にやたらとなつかれたりとおもしろい経験もさせてもらった。
そうして気がつけば当初の予定を大幅にオーバーし、街を出てから三年半以上の月日が流れていた。
移動することで物理的に視界が変わる。視界が変われば気分も変わる。かたくかたく、ぎゅうっとかためて閉じこめていた気持ちとか本音とか感情とかがすこしずつとけだして、私が私にもどっていくような、私から私があふれてくるような、そんな旅になったような気がする。
そしてひとつ、この旅でわかったことがある。
それは、どうも私はけっこうなくいしん坊らしい、ということだ。
それまでの栄養を身体に流しこむような生活では気がつきようもなかったけれど、じつは食べることが大好きなのだと自覚した。
食べることが好きだからこそ、食べものを口に押しこむような食事介助がつらかったのかもしれない。
短期間での移動生活はけっこう大変(おもに金銭面が)だったけれど、雇用主をはじめ行く先々で出会った人たちがみんなおもしろがってくれて、お米や野菜など食料のさしいれからはじまり、チップだカンパだ餞別だと現金そのものを包んでくれる人たちまで出てきて、おかげで予定よりもずっと長く三年半ものあいだ旅をつづけることができた。
また、旅の途中につながった縁で、場所をえらばない仕事もいくつか得られた。なかでも旅行雑誌と福祉系雑誌のコラムの執筆は定期的な収入源となっている。
旅行雑誌はおもにご当地グルメについて、福祉系のほうはヤングケアラーについて書いているのだけど、話をもらったときはどこかの組織に勤めることだけが仕事ではないのだと、目から鱗が落ちる思いだった。
余談だが、私が旅生活を満喫しているあいだに母も自身の人生を謳歌していたようで、半年ほどまえになんと再婚をはたした。六十歳を目前にして新婚さんである。
結婚、離婚、介護を経ての再婚は第四の人生といったところだろうか。
介護と仕事と子育て。母の苦労は私の比ではなかったはずだ。この先の人生、ずっとしあわせでいてほしいと思う。
北海道から沖縄まで日本全国ざっくり一周してきてひとまず目的は達成できたといっていいだろう。
まだ行けていない土地はたくさんあるけれど、それは今後の楽しみにすればいい。北海道なんて広すぎて、各地をしっかり味わおうと思ったらそれこそ一年あってもたりないかもしれない。
しかし祖父母が亡くなり、母も再婚相手の家に移ったので、私にはいわゆる『実家』というものがなくなってしまった。
ひとまずの旅をおえた沖縄で、さて私はどこに帰ればいいのだろうかとすこし悩んで、そうして私は赤城さんと出会ったあの街に帰ることにしたのである。
❅
忘れたい思い出も苦しい過去も、一度距離をとってみれば、そのすべてが今の自分を構成しているのだとわかる。
あまり好きではなかったこの街を、三年半の旅を経てすこしばかり新しくなった目で探索してみようと思う。
季節は二月。時刻は午後四時半をまわったところだ。
ずっとスーツケースひとつで旅していたため、引っ越しの片づけもトランクルームにあずけていた家具家電類をひきあげてきたくらいである。身軽って素晴らしい。
しかし今日はまたいちだんと寒い。季節的にも冬の底である。チラチラと雪まで舞いはじめた。
こんな日はやっぱり雪見だいふくかしら。『冬にもアイス』という文化をつくった、ロッテの大定番アイスである。
舞い散る雪の中、新しく借りたアパートの部屋を出て例のコンビニに向かう。
引っ越しがすんだらまっさきに行こうと思っていた。引っ越しそばならぬ引っ越しアイスである。
そういえば赤城さんと出会ったのも二月だったなと思いだす。あずきバーをきっかけに言葉をかわすようになったのだったっけ。
あの日もあずきバーに勝負を挑むか、雪見だいふくにやさしく癒やされるかじつはちょっと迷ったのだ。
もしもあのとき雪見だいふくをえらんでいたら、赤城さんと知りあうことはなかったのかもしれない。あずきバーだったからこそ、その場で食べようとしたのだし。
そうしたら同盟を結成することもなく、旅に出ることもなく、あのまま鬱々とした未来を生きていたのだろうか。
まあ実際にえらんだのはあずきバーだったわけで、そんなもしもを考える意味もないのだけど、ちょっとした選択がおおきく未来を変えることもあるのだろうなとは思う。
とりとめのない思考をふわふわと漂わせているあいだに目的地が見えてきた。よかった。コンビニは三年半まえと変わらずそこにあった。
❅
冬のど定番だというのに、アイス売り場の雪見だいふくはぽつんとひとつだけ。やっぱり雪のせいでみんな売れてしまったのだろうか。それともたまたま仕入れ数がすくなかっただけだろうか。まあゲットできたのだからどちらでもいいのだけど。
レジに向かうため雪見だいふくを手に振り返る。と、一メートルほど向こう、狭い通路のなかほどで眼光鋭いメガネのお兄さんがフリーズしているのが見えた。
目の錯覚かと思った。そうでなければ幻覚。
しかし目をこすってみても、パチパチと何度まばたきしてみても彼は消えなかった。
相変わらず顔色悪いなとか、目の下のクマランキングはもはや殿堂入りレベルなのではないかとか、どうでもいい思考が浮かんでは消えていく。
どれくらいそうしていたのか、先に立ち直った(口をひらいた)のはメガネのお兄さんだった。
「こんにちは、
「こんにちは、赤城さん」
「今日みたいな日はやっぱり雪見だいふくですよね」
「はい、雪見だいふく一択です。ただ赤城さん、残念なことにこれが最後のひとつなんです」
「こんな寒いのに」
「寒いからかもしれません」
「なるほど?」
「つきましては赤城さん」
「なんでしょう江崎さん」
「今日はこれシェアしましょう。そして雪見しましょう」
時代劇でおなじみの印籠のごとくバーンと雪見だいふくをつきだしてみせる。
赤城さんは一瞬あっけにとられたようにかたまって、それから軽くふきだした。私は「お会計してきますね」と彼の横を通りすぎレジに向かう。
「江崎さん」
呼びとめられて振り返る。ひたと見つめあう格好になって数秒。目をそらすこともできず、どうしたのかと口をひらこうとしたとき。
「おかえりなさい、江崎さん」
しみじみと、噛みしめるように告げられた言葉に、私はまたもや完全にフリーズしてしまった。
なんだかわからないけれど、熱いものが胸からせりあがってきて困ってしまう。
——ああ、そうか。私、うれしいんだ。すごく、心がよろこんでる。
そう自覚したはいいけれど、あふれだしそうになったものを飲みくだすのにはすこぶる苦労した。
「……不意打ちは、ズルいです」飲みこみきれなかったものがのどにつまっておかしな声になってしまう。
「あ、え、あの、えっと」
静かに、だけどとてもわかりやすく動揺している赤城さんがおもしろくて、ちょっと笑ってしまう。
「ただいま、赤城さん」
おかげで今度はすんなりと声になってくれた。
赤城さんもホッとしたように笑顔を見せる。
帰る場所があること。おかえりと迎えてくれる人がいること。それがこんなにも心をあたためてくれるなんて知らなかった。
だから、私も伝えたくなった。
「赤城さん」
「はい」
「赤城さんも、おかえりなさい」
(了)
薮坂さんの、おまけのエクストラエピソードが追加されました。激甘エピローグになってます。未読の方はぜひ!
https://kakuyomu.jp/works/16818023214000463302/episodes/16818093085728859700
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