エクストラ「ご当地アイスは冷凍庫の中に」
雪見だいふくシェア問題、というものをご存知だろうか。
これは数年前ネットで話題になった問題だ。二個入りの雪見だいふくの内のひとつを、誰かに「ひとつちょうだい」と言われたらどうするか、というものである。
もちろん俺の答えは「あげる」だと決まっている。そこに議論を挟む余地はない。確かにひとつしか食べられなくなるが、誰かとシェアすれば幸せは倍以上になるからだ。
まぁ、自分の嫌いなヤツに「ひとつちょうだい」と言われたらどうするかという悩みもあるが、そんなことも霞むような極めて重大な問題が別にある。
それは今まさに目の前で繰り広げられている光景。
三年振りに会えた憧れの女性から、雪見だいふくをシェアしましょうと誘われて。一本しか備え付けられていないフォークで刺された、片方の雪見だいふくを笑顔で差し出された場合。
その雪見だいふくを自分の手で外して取るか。
それとも覚悟を決めてそのまま口で頂くか、という深淵なる問題だ。
❄︎ ❄︎ ❄︎
雪見だいふくを備え付けのプラスチックフォークで刺し、それを俺の方へと向けた
俺も首を傾げたい。俺はどうするのが正解ですかと直接問いたい。だけど江崎さんの表情は満面の笑みそのもので、そこに水を差すような行為は憚られた。
久しぶりに、奇跡としか言いようがない再会を経て、たぶん俺の心も少しおかしくなっているのだろう。
もう会えないかも知れないと思っていた人が目の前にいる。しかも俺のことを憶えてくれていて、ひとつしかない雪見だいふくをシェアしようとしてくれている。
いくら女性の機微に疎い俺でも、彼女が俺に対して少なからずの好意を持ってくれていることくらいはわかる。本気で嬉しいと思う反面、江崎さんの気持ちを少しでも損ねたくなかった。
つまり目の前のこの問題──、雪見だいふくシェア問題は、絶対に正解を導き出さなねばならないということだ。
「どうしたんです?
「いやずっと続けてます。俺のライフワークですから。こっちに戻って来てからは、江崎さんにまた会えるんじゃあないかってコンビニ通いが加速してましたし」
俺の答えに、少しだけ目を丸くした江崎さん。でもその後で漏れるような笑いが出ていた。よし、よし。少なくともこの返しは不正解ではなさそうだ。時間もしっかり稼げている。だが差し出された雪見だいふくをどうするかは、早急に対応しなければならない事案だ。とりあえず会話を続けて、江崎さんの反応を見るしかない。
「それよりも江崎さん、すみませんでした。憶えてます? あの定食屋。一緒に食事した後、俺すぐに異動になってしまって。仕事の関係で東京に行くことになってしまって」
「店長さんから聞きました。ずいぶん急で驚いたけれど、お仕事なら仕方ありませんよね。それで赤城さんは、いつこの街に?」
「あぁ、実は少し前なんですよ。二週間くらいかな、こっちに戻って来て。江崎さんは?」
「今日です。今日、長い旅から戻って来て。そしてあなたに会えました。きっと運命ですね? 私たち」
にしし、と擬音が出そうな笑い方。江崎さんなりの冗談なのだろう。しかし三年で人は変わるものだな、と改めて思う。俺の中でのイメージでは、江崎さんはそういうのを恥ずかしがるタイプに見えたから。
それに目下のこれである。ついつい、と微妙に上下される雪見だいふくは、俺に手で取られるのかそれとも口で直接齧られるのか、早く態度を決めてくれと言わんばかりだ。
もちろん手で取るのがベターなのはわかりきっている。ありがとうございますと言葉を添えて、もちろん簡素な備え付けフォークは江崎さんに残したままで。衛生的には良くないだろうが、だからと言って三年振りの江崎さんに「あーん」してもらうのはどう考えてもハードルが高すぎるだろう。
ただもし雪見だいふくを手で取った時、江崎さんが悲しそうな顔をしたらどうだろう。彼女のそんな顔は見たくない。俺が急に姿をくらませるみたいになって三年だ。申し訳なさが大きくて、彼女を悲しませるような真似はしたくなかった。
ただ勘違いしてはならないのは、俺と江崎さんはあくまで同盟員という関係であるということだ。彼女は俺がいなくなって、少しでも悲しんだのだろうか。寂しいくらいには思ってもらえている気がしないでもないが、連絡先すら交換しなかった関係だ。彼女を悲しませたくないとか、烏滸がましい考えなのかも知れない。
そんな色んな考えが相まって、結局俺は何も行動できなかった。ただ、目の前に差し出された雪見だいふくを見つめるだけ。動けない俺に、江崎さんが問う。
「……赤城さん。食べないんですか?」
「いや頂きます。頂くんですけど、ええとその、」
「その?」
「なんというかあの、」
「あの?」
彼女が首を傾げるたび、ショートカットの毛先が揺れた。気がつけば距離が近い。そりゃあそうだ、彼女と五十センチも離れてないクロスレンジ。手を伸ばせば容易に触れられる位置に彼女がいる。三年間、ずっと会いたかった彼女が。
江崎さんはもう一度笑顔を見せると、小さく「あ、そっか」と呟いた。何が「そっか」なんだろうと思う前に、彼女は柔らかく言葉を継ぐ。
「赤城さん、口開けて? はい、あーん」
「えっ? いやいやあの、えっ⁉︎」
「知ってるでしょう? 冬でも雪見だいふくって柔らかいんですよ。ほら溶けちゃう。ね? はい、あーん」
三十歳を目の前にして、顔から火が出てるんじゃあないかと思うほど照れてしまった。まるで思春期の中学生。いやそれよりきっと酷いだろう。
ただ、もうここまでして貰ったらやるしかない。口で直接、齧るしかない。ただフォークに触れないように細心の注意を払って、きちんと目標を見定めて。そして「頂きます」と覚悟を決めて、半ば目を閉じて雪見だいふくを──。
齧ったそこに雪見だいふくの感触はなかった。カチリとした、歯と歯のぶつかる音。半目を開けると、そこには嬉しそうな顔でその雪見だいふくを齧っている江崎さんがいた。
当然俺は、意味がわからず変な顔をするばかりで。江崎さんは相変わらず笑顔のままで。ただその笑顔があまりにも可愛かったから、自然と俺にも笑みが出た。
「……赤城さん、騙されましたね?」
「……はい、それはもう見事に」
「これはですね、赤城さんへのささやかな復讐です」
「復讐、ですか」
「お仕事とはいえ、私の前から急に去ってしまったから。だから復讐です。どうです、恥ずかしかったですか?」
江崎さんはクスリと小さく笑った。小さなイタズラが成功した子供のような笑み。初めて見る顔だけれど、それは不思議と彼女に似合っていた。
「……はい、それはもう確実に。正直、顔から火が出るかと」
「私もです。私も、顔から火が出るくらい恥ずかしかったです」
「えぇ? 江崎さんも? それって復讐になってないんじゃあ……」
「そりゃあ恥ずかしいですよ。だって普段なら絶対にしないことですから。ですから赤城さん」
「はい、なんでしょう」
「責任、取ってくださいね」
彼女はそう言うと、食べかけの雪見だいふくを俺の口に捩じ込んだ。冷たくて滑らかで、優しい甘さが口の中に広がっていく。あぁ、やっぱり美味いなぁ。
きっとこれは江崎さんの意思表示だ。同盟員を続けましょう、という意味の。もしかするとそれ以上の関係も吝かでないと彼女が考えている──、というのは高望みしすぎだろうか。
「さて赤城さん、行きましょうか」
「行くって、もしかして江崎さんの行きつけの店に?」
「憶えててくれたんですね。嬉しい。ただ私はこの街に三年振りに戻ってきたので、そのお店がまだやってるかわからないんです。だから、」
江崎さんはそこで一旦言葉を止めて。ベンチから立ち上がると、残った雪見だいふくを齧りながら続けた。
「──赤城さんにいつか会えると思って、旅した各地のご当地アイスをたくさん買って来てるんです。ほら、アイスって賞味期限がないでしょう? 私の家の冷凍庫で冷えてます。だから、宅飲みならぬ宅食べをしましょう。と言っても、まだテーブルも出せてないんですけどね。つまり手伝ってほしいなぁ、と。どうです?」
ばつが悪そうに笑う彼女に、俺はよろこんでと返す。
では行きましょう。前を歩く江崎さんの足取りは、どことなく嬉しそうで。もちろん俺も嬉しいけれど、何となく気恥ずかしくなって。ただそれを隠せそうになくて。
だからもうバレてもいいかと思って、結局彼女の隣に並んだ。江崎さんの横顔は、やっぱり嬉しそうなものだった。
道すがら、お互いの三年間を語り合う。一夜や二夜じゃあ語り尽くせないだろう。ただそれでいい。ずっと彼女と話していたい。そう思わせてくれるほど、やっぱり江崎さんは素敵な人だった。
❄︎ ❄︎ ❄︎
「さて、着きました。ここが私の新居です。前に住んでたところはもう、別の人が入居しちゃってて。このアパートならあのコンビニも近いし──」
「……あの、江崎さん」
「なんでしょう、赤城さん」
「あの、非常に言いにくいんですけど、いいですか。なんて言うか俺もこんなこと初めてで、どうしたらいいかわからないんですけど、それでも落ち着いて、まずは聞いてもらえますか」
「ええと、どう言う──」
「……隣、俺の新居なんですけど」
「──えっ?」
【完】
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