第7話「踏み出す一歩はアイスと共に」

【第6話】

https://kakuyomu.jp/works/16818023214070442465/episodes/16818093078267104537



「ほんとうに美味しかったです。私、久しぶりにあんなに食べちゃいました。良いお店を教えてもらったなぁ。ありがとうございます、赤城あかぎさん」


 食事を終えた俺たちは、結局いつものコンビニのベンチに戻ってきた。シメのアイスを食べましょう、というのは江崎えざきさんの提案だ。乗らない理由はないので、本日二個目のアイスである。美味いものはいくつ食べたって美味いに決まっている。


「あの赤城さん。さっきのお食事、ほんとうにご馳走になっていいんですか?」

「いや、むしろすみません。江崎さんこそ、本当にあの店でよかったですか?」

「完璧です。私はもう、あのお店の虜ですよ」


 にっこりと笑う江崎さん。表情からして嘘ではないのだろう。それならば嬉しいが、店選びは本当に迷ったのだ。江崎さんが所望した店はまさかの『俺の行きつけ』だったから。

 一人暮らしで自炊もしない俺にとって、あのは確かに『行きつけ』だ。美味くて安くて身体にも良い。三拍子揃った完璧な店だけど、女性と食事を共にする店としてはいかがなものかと正直思う。もちろん店が悪い訳ではないのだが。

 もう少し小洒落た、女性を誘うに相応しい店にすればよかったかとも思うけど、残念ながら俺にそういう類の行きつけはない。

 あの店を選んだのは、俺が江崎さんに嘘をつきたくなかったからだ。江崎さんがあえて俺に言ってないことはもちろんあるだろうけど、少なくとも今までの会話の中で、彼女は俺に嘘を言っていないと思う。だからこそ、正直には正直で返したかった。それが対等な関係だと思うから。


「あぁ、でも残念だな。もう少し早くあのお店を知れたら、常連になるくらい通えたのに。もっとこの街を散策しておけばよかったな」

「江崎さんの旅の出発までにはまだ少し時間があるでしょう。それまで通ってあげて下さい。きっと店長も喜ぶと思いますよ。ただ自分で言っておいてアレですけど、女性がひとりで入るにはちょっと勇気がいる佇まいですよね、あの店」

「でも、そういう雰囲気がまたいいんですよね」


 大通りから二本外れた場所に位置するその店は、いわゆる町の定食屋だ。客の顔触れはほとんどが常連で、よく言えばアットホーム、言葉を選ばすに言うと場末の小汚い食堂である。そこにソロで来る若い女性なんて見たことがないが、さすがは旅に出ることを決めた江崎さんだ。これくらいの店にひとりで通えずして、旅に出ようなんて思わないのだろう。


「──決めた。私、旅に出たらああいう地元に根ざしたお店で働こうと思います。あのお店みたいな定食屋さんもいいし、和菓子屋さんとかもいいかも。老舗の旅館とかも素敵だな。とにかくいちど、自分の根っこみたいなものを生やしたいんですよね」

「根っこ?」

「なんて言うか私って、自分で決めたことがないんですよ。自分の芯がないというか。今の仕事だって、選んだというより出来ることがそれだけだったというか。とにかく、次こそは自分で選びたいんです。自分の生き方みたいなものを。なんかちょっと、言葉にすると恥ずかしいですけど」


 そう呟き、前を向いて笑う江崎さん。彼女は強い。その眼差しに光が見えるほどに。

 ──自分の生き方、か。考えたこともなかった。俺はただ目の前にある仕事をこなして給料を貰って、それで飯を食う生活をしているだけだ。いや、それって『生き方』なのだろうか?

 江崎さんのように何か目標を見据えて、それに一歩一歩努力していくのが『生き方』だとすると、俺はもう生きてないと言えるだろう。ただ生命活動をしているだけで、心はもう死んでいるのかも知れない。哲学的ゾンビとは微妙にニュアンスが違うとは思うけれど、生きてるようで生きてないって意味ではイコールだろう。


 烏滸がましい話だけど、今まではどこか似ていると思っていた。江崎さんと俺は、何となく向いてる方向が似てるんじゃあないかと。

 でも違った。江崎さんは前を向いて生きていて、俺は足元を見て生きている。転ばないように、怪我をしないように。だけど江崎さんのように前を向かないと、そこで足踏みしているだけに他ならない。

 彼女は前に、未来に進もうとしている。でも俺は?

 縋りたい過去もないのに、どうして足踏みしているのだろう。いや、今まで足踏みしていることにすら気づかなかったのだろう。

 それに気づかせてくれたのは、前に進もうとする彼女だ。


「……上手く言えないんですけど。俺は、そんな江崎さんを純粋に格好いいなって思います。今の仕事を辞めて旅に出るっていうのは、つまりは新たな生き方を見つけたいってことですよね。そう言うの、本当に格好いいなって思います」

「格好いい、ですか? 初めて言われました」

「あまり女性に言う言葉じゃあないかも知れないですけど。でも江崎さんみたいにありたいっていう、俺の憧れの気持ちです」

「……なんか嬉しいです。そう言ってもらえると。私、この街はあまり好きじゃあなかったんです。忘れたい思い出が多くて。でも、街を発つまえに赤城さんに出会えて、ほんとうによかったと思います」

「俺も同じ気持ちです。この同盟にはちゃんと意味があった、って思えますからね」


 ──コンビニアイス同盟。かなり不思議な名前ではあるけれど、この同盟が江崎さんの生き方を見つめ直すきっかけになっていたら嬉しいと思う。そして。いつか自分の生き方を変えるきっかけになれるようにしたい。だから俺も、江崎さんみたいに前向きに生きようと思った。もちろんすぐには無理だろうけど。でも無理だと思いながら何もしないのと、無理だと思っても何か行動するのとでは、きっと将来おおきな差になるはずだ。


「……俺もいつか、自分の生き方を変えようと思います。それがこの同盟の意味だったって、俺もそう思いたいから」


 なんとなく恥ずかしいセリフを言ってしまったと思って、ちらりと江崎さんを覗き見る。江崎さんもどことなくむず痒そうな表情を浮かべていると思ったら、出し抜けに彼女はベンチから立ち上がった。


「あ、赤城さん大変です!」

「えっ、どうしました?」

「私たち、アイスも買わずにお話を……!」

「あ、本当だ。つい話し込んでしまいましたね」

「私、すぐ買ってきます。さっきはご馳走して貰ったので、ここは私にもたせてください。ぜんぜん釣り合い、取れてないけど」

「いやそれは、」

「それに食後のアイスチョイスには自信があるんです。ぜったい、後悔はさせませんから」


 言うが早いか江崎さんは、俺の返事を待たずにコンビニへと入ってしまった。思った以上に素早い行動は、本当に小動物みたいだ。もちろん江崎さんに直接言える訳はないけれど、そういう可愛らしさが彼女にはある。

 もしも彼女と、違った出会いをしていたら。例えば俺が彼女と同じ職場だったりしたら、今とは違う関係になれたのだろうか。

 そんな意味のないことを夢想する。烏滸がましい考えだけど、きっと仲良くなれるとは思う。

 ただそれが、言葉にしづらいこの同盟関係よりもいい関係なのかは、どれだけ考えてもわからなかった。



 ❄︎ ❄︎ ❄︎

 


「お待たせしました、赤城さん」


 いそいそと戻ってくる江崎さんに「何を買って来てくれたんですか」と問うと、彼女は「これです」と嬉しそうにはにかんだ。

 彼女の手には、二つのサクレレモンがあった。フタバ食品が誇るロングセラーの氷菓。レモン味のかき氷にスライスレモンが乗っているシンプルなそれは、確かに食後にうってつけだ。


「ここでサクレですか。これはもう、ナイスチョイスとしか言いようがないですね。味の濃い食事の後にピッタリだ」

「赤城さんなら、そう言ってくれると思ってました。シンプルイズベストって、サクレにあるような言葉だと思いません?」


 間違いないですねと返すと、彼女は笑ってサクレを差し出してくれた。お礼を言ってフタを開ける。鮮やかな黄色とスライスレモン。木のスプーンで氷を崩すと、シャクシャクとした小気味の良い音が聞こえる。口に入れると氷がほどけて、途端に爽やかな酸味が広がった。あぁ、やっぱり定番のアイスって美味いなぁ。


「サクレって、食べる人を試しますよね」

「レモンをいつ食べるか問題、ですか?」

「さすが江崎さん、わかってらっしゃる。ちなみに俺は、断然最後です。ショートケーキのイチゴなんですよ、俺にとって。先に食べてしまうとショートケーキでなくなってしまう。だからサクレがサクレであるために、俺は最後まで取っておくんです」

「とってもよくわかります、それ。私も絶対に最後です。とは言うものの赤城さんみたいに深い考えじゃあなくて、単純に、溶けたサクレに漬かったレモンが美味しいからなんですけどね」


 それからしばらくサクレ談義に花が咲く。やっぱりレモンが至高だとか、パインも中々捨てがたいとか、メロンは意外と高級感に溢れているだとか。サクレをグラスに入れてサイダーを注ぐと美味しいだとか、もう売ってないサクレトマトとは何だったのか、だとか。

 そして「いつ食べても美味しいけど、サクレはやっぱり夏ですよね」と俺が言うと、江崎さんのスプーンがピタリと止まった。


「──夏、かぁ。そうですよね、サクレは夏ですよね。私、まだ何も決めてないけど、どの街で夏を過ごしているんだろうな」

「目星つけてる街はあるんですか?」

「いえ、それがぜんぜん。漠然と、古い街がいいなくらいしか」

「古い街……、ベタですけど京都とか? あと温泉街も情緒がありますよね」

「ああいうところって、観光地じゃあないですか。そこに住むってどういう気持ちなんだろう、って思って。遊びに来てくれた人をもてなして見送る。なんかそれって新鮮だな、って」

「観光地か……、ご当地アイスとかも多そうですよね」

「それですそれ! ってアイスのことばかりですね、私たち」


 くすくすと江崎さんは笑った。俺も釣られて笑う。

 そのまましばらく、シャクシャクとした氷を削る音が聞こえて。最後に残したスライスレモンを口に放り込んで。甘酸っぱい風味が喉を通り過ぎて行って、余韻がふわりと抜けていって。

 そして、楽しかった江崎さんとの食事の夜が終わった。


「ごちそうさまでした。サクレ、やっぱり美味しかったです。江崎さん、完璧なチョイスをありがとうございます」

「こちらこそ、ごちそうさまでした。今日はほんとうに楽しかったです。誰かと食事するのは楽しいって、なんだか久しぶりに思えた気がします」

「あ、そうだ江崎さん。どの街にするか決まったら、是非教えて下さい。夏休みの旅行の、候補地にしようかと」

「それなら赤城さんが楽しめるように、ご当地アイスが有名なところにしなくっちゃ」


 決まったらお伝えしますね。彼女はさらりと笑った。本気とも冗談とも取れる曖昧な笑みで。

 ここでスマホをポケットから抜いて、彼女に連絡先を聞くのは簡単だ。彼女もきっと教えてくれるだろう。でもそれはやっぱり、俺が思う同盟関係とはズレている。


 俺たちは普通ではない出会いをして、友達とも顔見知りとも違う、同盟という関係になった。それはきっと友達になるよりも難しくて、でも顔見知りよりは強固な絆で、やっぱり言葉にしにくい間柄だ。

 だからやっぱり、としか言いようがない。そしてこの関係を、俺はこのままにしておくべきだと改めて思う。


 彼女は前を向いて進もうとしている。それならば。

 それを後押しして、遠くから応援することが正しい『同盟関係』ではなかろうか。いつか聞けたらいいなと思っていた彼女の連絡先は、聞かないままでいよう。

 これでいいんじゃあなくて、。それが俺の思う、美しい同盟の姿だった。


「それじゃあ江崎さん、おやすみなさい。今日はありがとうございました」

「おやすみなさい、赤城さん。またこのコンビニでお会いしましょうね。今度は私が、行きつけのお店にご案内しますから」

「それは楽しみです。次に会えた時、計画しましょうか」

「はい。楽しみにしておいてくださいね」


 名残惜しいが手を振って、江崎さんにいとまを告げる。彼女も踵を返してコンビニから離れていく。


 そしてその後姿が、この街で彼女を見た最後になった。



 ❄︎ ❄︎ ❄︎



 いつの間にか春が来て、気がつけば葉桜を通り越していて。青々と茂る桜の葉を見上げる四月中旬、俺の生活は激変を迎えた。

 江崎さんのように、前を向いて自分の生き方を変えたい。ただ俺は彼女のように仕事を辞める勇気はない。だから彼女とは逆に仕事に打ち込んでみようかと決めた途端、まさかの辞令があったのだ。


 ──赤城巡査長、特殊詐欺対策課への異動を命ずる。


 寝耳に水、どころの話ではなかった。転属希望なんて出していないし、まして本部捜査第二課なんて経験もなく畑違いもいいところだ。

 新所属に転入した初日、自分の配置がまさかの東京派遣であることをその場で聞かされ、あれよあれよと言う間にマンスリーマンションを契約して慌ただしく引っ越しの準備をし、俺の活動拠点は自県から遥か東へ移ることとなった。組織が目星を付けている詐欺グループの内偵が主な任務らしいが、それにしたって急すぎる。


 まさか江崎さんよりも早く、あの街を発つことになろうとは。決まったのは三月下旬、彼女と食事をしてから五日と経たない日のことだった。

 もちろん彼女に伝えなければと思ったのだが、タイミングが悪く会うことはできなかった。引っ越しまでの空き時間、あのコンビニに通い詰めたのに。

 あのベンチで、一人で食べるアイスの数が増えていく。定番アイスをほとんど全て食べ尽くした今日が、ついにタイムリミットだ。俺は明日、この街を出ていく。


 最後に食べると決めていたのは、もちろんあずきバーだ。彼女との同盟が始まった思い出のアイスは、四月半ばになっても硬いまま。だけどあの時よりは少し柔らかくなったそれに、俺は無言で歯を立てる。シンプルだけど奥深い味わいのそれは、あの時より少しだけ。そう、ほんの少しだけ。どうしてか、塩味が強い気がした。


 食べ終わって、残った木の棒をゴミ箱に捨てて。ゆっくりとベンチから立ち上がり、コンビニの周囲を見渡すけれど。

 ……やっぱりそこに彼女はいない。当たり前と言えば当たり前だ。連絡先も聞いていない彼女に、会いたい時に会えるなんてどれほどの確率だろうか。


 急に会えなくなったとしても。江崎さんはきっと怒りはしないと思う。ただ残念に思ってくれるかも知れないし、事情を知ったらきっと応援してくれるだろうと思う。

 本当に短い付き合いだったけど、彼女のそういう性格にどれだけ助けられただろう。何も返せなかったのが心残りだが、こればかりは仕方ない。この街に残ることは出来ない。

 俺も江崎さんのように前を向いて生きようと決めたのだ。それがこの同盟の意味だったと思いたいから。

 それに、この些細な縁が偶然ではなく本物だったとしたら。きっといつか彼女とは会える気がする。その時、前を向いて生きている自分を、彼女に見せたいと思う。ふざけた名前のアイス同盟には大きな意味があったんだと、行動で示したい。


 俺はベンチを後にして、前を向いて春の夜の街を歩く。

 自分の生き方を変える未来へと、彼女より一足先に行こう。


 さようなら、江崎さん。

 あずきバーは春でも、やっぱり硬かったですよ──。




【野森さんの最終話に続く】

 





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