第5話「アイスとホットの組み合わせ」
第4話
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コンビニアイス
確かに俺も、この同盟が何を目的としているのかわからない。だけど名前の付いた関係というのはそうでない関係に比べて、少しは強い繋がりである気がする。風が吹けば消えてしまいそうだった俺たちの微妙な関係は、この同盟によって「また会いましょう」という黙示の約束をするに至った、と思う。やっぱり次を期待できるのは嬉しい。それがただの勘違いだったとしても。
「おい
はっとして我に返ると、
森永部長の目の下にはクマが出来ていて、見るからに不健康だ。昨日は一睡もできてないから仕方ない。まぁ、地域警察官なら誰しもがそうである。多少の違いはあれど。
「で? どんなことがあったんだよ。教えろよ、どうせ長くなるぜコレ。二時間……いや三時間コースだなこれは」
「いや別に、何もないですよ。俺、別にニヤけたりしてないでしょう」
「そりゃそうだろ、さすがにこの状況でニヤけるヤツはやべぇよマジで。ただこういう事案に向き合う時って、心がヘタらねーように楽しいこととか思い浮かべるだろ。以前のお前はそんな素振りすらなかったけど、今日のお前はなんか違うように見えるんだよなァ」
腕組みをしながら、無表情で目の前の対象を見据える森永部長。この人は勘が鋭い。苦手と言うわけではないが、ある意味でとっつきにくい上司だった。
「で? どんないいことあったんだよ。それとも俺の勘が鈍ったか?」
「別にいいことなんてありません。現に、あと少しで交代なのにこの事案対応ですよ。言い方は悪いですけど、ちょっと気が滅入りますし」
「まぁ、そうだな。あと一時間で交代なのに変死事案対応とはよ。しかも非定型縊死だぜ。あぁ、どうして自殺なんてするかねぇ」
部長は目を閉じて手を合わせる。俺もそれに倣う。自室のドアノブに紐を掛け、座るように首を吊っていたご遺体に。
手にはくしゃくしゃになった遺書らしきもの。状況からして自殺に間違いないだろう。
通報者は、亡くなった対象者の職場の上司だった。情報によると対象者は俺と同い年の二十六歳。まだ充分に若いのに、もったいない。言葉として適切かどうかは置いといて、この手の事案に対応する時、いつも思うのがそれだった。
月曜日の朝、いつもの時間になっても対象者が出社せず、携帯電話に架電するも不通。不審に思い借り上げアパートに来たが、インターフォンを押しても反応なし。そこで警察に安否確認の通報を行った流れだ。
俺たちは臨場後、有事の際に会社が用意していた合鍵で中に入った。そして自室で首を吊っていた対象者を発見した。救急を呼んで確認してもらったが、既に硬直が始まっていたため不搬送。よって安否確認事案は変死事案に発展することになったという訳である。
「完全施錠、遺書もあり。合鍵は会社で保管してて、もちろん対象は誰かに恨みを買っていた訳でもない。業務が忙しくここんとこ元気もなかった……、まぁ十中八九自殺だなこれは。あぁそうだ赤城、刑事の臨場は?」
「さっき無線で連絡ありました。まもなく着とのことです」
「なら貴重品探して、最終生存確認でもしとくか。オレは貴重品探すから赤城、お前は最終確認な」
森永部長に言われるがまま、対象者が最後に生きていた形跡を調べる。テーブルにあったコンビニ袋の中に入っていたレシートを見ると、昨日のものが最新だった。日曜日の午後六時、とあるアイスを買ったとある。ゴミ箱を調べてみると、そのアイスの包装が出てきた。多分、これを最後に食べたのだろう。
「赤城、なんかわかったか?」
「……最終は、おそらく昨日の午後六時。コンビニのレシートがありました」
「そうか。最後に好きなもの食えたのかな。そうだといいけどな」
ぽつりと漏らした部長。俺は何も言えなかった。こう言う理由でアイスを食べる人もいる。もちろん個人の自由だ。関係のない俺にそれを咎める権利なんてない。江崎さんとの同盟の象徴を、なんて憤るのはお門違いというものだ。
ただ、少しだけ思った。この人にとって、アイスはどういう存在だったのかと。俺がアイスを食べる理由とも、江崎さんがアイスを食べる理由ともきっと違う。この同い年の彼には何かしらの理由があったのだろう。
以前の俺ならそんなこと、気にも留めなかったはずだ。乱暴な言い方になるが、これは数ある自殺事案のうちのひとつに過ぎない。数多くの遺体に触れる機会のある警察官は、人の死についてどんどんドライになっていく。
悲しいとか可哀想だとか、そういう人として当たり前の気持ちを失っていく。そしていつしか「もったいない」なんて言葉しか思い浮かばなくなる。それくらいに、人の生き死にが近い仕事なのだ。
警察官になって八年になるが、今までどれだけの遺体を扱ってきたのかなんてもう憶えていない。人としてどうなのかと思うが仕方ない。これもきっと職業病なのだろう。
彼が手に握りしめていた遺書は短かった。ご両親への感謝と職場への謝罪。そして「生きていくのに疲れた」との短い一節だけだ。この短い文では、どうして彼がそれを選んだのかは推測するしかない。
自死は余程の覚悟が必要な行動だ。その意気さえあればなんだって出来る気がするが、その言葉が届かなかったからこその結果なのだろう。彼の選択を尊重はするが、同意だけは決してできない。俺と彼の考え方の違いはそう簡単には埋まらない。
「さて刑事が到着だ。検視の準備するか、赤城」
「……了解」
この先もきっと、俺は彼の選択の理由を理解することはないだろう。自死を選ぶ理由なんて、わかるはずがない。
ただ。わからないなりにも、一緒にアイスを食べることくらいはできたかも知れない。たとえ結果が変わらないとしても。なんとなく、そう思った。
❄︎ ❄︎ ❄︎
「赤城さん、こんにちは。いやもうこんばんは、かな?」
仕事を終えた、三月中旬の非番日。時刻は昼と夜のちょうど境目。美しい夕刻。いつものコンビニのベンチで板チョコアイスを食べていると、江崎さんが声を掛けてくれた。
俺も挨拶を返して席を少しずらす。今日は家に一度戻っているから、江崎さんが隣に座っても大丈夫だ。たぶん。
「私もアイス、買って来ますね。今日は何にしようかなぁ」
呟くように言った江崎さんが買って来たのは、明治エッセルスーパーカップのバニラ味。さらにはホットコーヒーも一緒に買って来ている。あぁやっぱりこの人、わかってるなぁ。
「江崎さん、その組み合わせ最高ですよね。俺もよくやりますよ、バニラアイスにホットコーヒー。俺も今日はホットコーヒー買ってますから」
「あ、赤城さんも? ほんとうに美味しいですよね。私、大好きなんです。冷たいバニラアイスを口に含んで、ブラックのホットコーヒーを飲む。すると口の中でアイスが融けて、あぁ生きてるなぁって実感できると言うか。ちょっと大袈裟かなぁ?」
目を細めて笑う江崎さん。木のスプーンでバニラアイスを掬い取ると、口に入れてホットコーヒーを飲む。江崎さんは幸せそうな顔で、言葉を続けた。
「あぁ、やっぱり美味しいなぁ。幸せだ、私は」
「美味しいですよね。俺も、幸せです」
「赤城さんは板チョコアイスとホットコーヒーですか。いい選択です。チョコレートとバニラアイス、そしてホットコーヒーって最強の組み合わせですよね」
「俺も、そう思います」
しばらく無言でアイスを口に運ぶ俺たち。沈黙の時間が流れるが、これを気まずいと思ったことはない。むしろ心地よく感じるくらいだ。
バニラアイスを半分ほど食べた江崎さん。板チョコアイスを食べ切って、ホットコーヒーを口にする俺。改めて考えてみれば変な関係ではある。ただ、アイスを一緒に食べる同盟。言葉にすればその異質さが際立つ気がする。
「ところで、赤城さん」
「なんでしょう、江崎さん」
「今日、赤城さんの元気が少ないように見えるのは気のせいですか?」
一瞬、コーヒーを傾ける手が止まった。彼女とこうして会話するのはまだ数える程だけど、江崎さんの洞察力は本物だ。会うたびに彼女が何者なのか気になる。だけど深入りはできない。俺たちはまだ、下の名前も知らなければ電話番号だって知らない間柄だ。ちょっとしたことからもう会えなくなってもおかしくない、ある意味で綱渡りみたいな関係。だから必然、表面的な会話になる。だけど今の彼女の発言は、それを破るきっかけになりうるものだった。
もちろんそうでない可能性もある。ただ単に、疲れた俺を慮ってのことかも知れない。俺の考えすぎなだけかも知れない。
だけど。もし彼女が、江崎さんが一歩俺に踏み込んでくれているのだとしたら。それを無碍に扱える訳がなかった。
「……さすがだなぁ、江崎さんは。確かにあまり元気じゃないというか、なんというか。実は仕事で、少し思うことがありまして。説明は難しいんですけど、ええと、なんて言ったらいいんだ……?」
実は自殺した人の遺体を扱って思うことがありまして、なんて言えるはずがない。一般の人にしていい話題じゃあないし、そもそも俺は自分の仕事を江崎さんに話してない。警察官を毛嫌いする人は多いし、利用しようとする者も少なからずいるからだ。もちろん江崎さんがそんな人でないとわかってはいるが、それでも言いづらいものは言いづらい。かと言って、たとえ話にするのも難しい。どうしたものかと思案していると、江崎さんが先に口を開く。
「私の経験上、ですけれど。元気がない時は、誰かと一緒にいるのがいいですよ。ほんとうに、一緒にいるだけでいいんです。むりやり会話をする必要もなくて、ただそこに、一緒にいるだけでいいんです」
「一緒にいるだけで、ですか」
「自分とは違う誰かが隣にいるって、そう意識するだけ。一人だと思考がどんどん進んじゃうじゃあないですか。元気が少ない時、それは良くない方向に進みがちです。でも誰かと一緒だと、思考はそこまで進まない。問題を先送りにしてるとも言えますけど、現状維持にはなってるでしょう?」
「現状維持、ですか。確かにそうかも。現状維持ってあんまりいい意味で使われてない気がしますけど、でも俺がこの現状を良いと思ってるなら、少なくともマイナスじゃあないですよね」
でしょう? 彼女はその言葉の代わりみたいに、優しく俺に微笑んだ。魅力的な女性に微笑みかけられるのは随分と久しぶりな気がする。何故か俺は照れ臭くなって、コーヒーに口をつけた。自分の顔が赤くなっているのは、気のせいだと思いたい。
「……赤城さんが、ご自身のお仕事に何を思ったのか、私にはわかりません。でもきっと大変なお仕事なんだろうな、っていうのは想像できます。赤城さん、いつもお疲れに見えますから」
「俺、そんなに疲れて見えます?」
「目の下のクマランキング、今週の一位です。まだ月曜日ですけれど」
思わずクスリと笑ってしまった。そんなセリフを言う人だったとは。いい意味で裏切られて、より彼女に興味が出てしまう。本当に何者なのだろう。魅力的な人はミステリアスだというが、どうやらそれは真実らしい。
「来週は、一位にならないように努力してみますね」
「どうかな。赤城さん、先週も一位だったから」
「なら、来週は絶対に二位になってみせます。期待しててください」
「……その目標、ちょっと低くないですか?」
彼女は笑った。だから俺も笑う。いつの間にか江崎さんのバニラアイスは空になっていて、俺のホットコーヒーも空になっていた。
間も無く日が完全に沈む。夜の帳が下りてくる。そろそろお暇の合図、だろうか。
「それじゃあ俺、そろそろ行きますね。今日もありがとうございました、付き合ってもらって」
「あの、赤城さん」
「はい、なんでしょう」
「さっきの話、ですけど。来週の目の下のクマランキング二位の話。それって、来週を期待してもいいってことですか?」
やや伏し目がちに、江崎さんはそう問うた。初めてだった。未来のことを彼女が口にしたのは。
この同盟は一時的なものだと思っていた。だからお互い、次の約束を明言しない。会えたら会おうという気軽なスタンス。それが暗黙の了解だと思っていた。でも江崎さんのさっきの発言は、それを否定するに充分なものだ。
もしかして、江崎さんにも何かあったのだろうか。誰かとただ一緒にいたい、そんな状況なのだろうか。それでもし俺を選んでくれているのだとしたら。同盟員として、彼女の期待に応えたいと思う。
「俺は不規則な仕事で、来週のことはわかりません」
「……そう、ですか」
「でも今週の金曜日は、珍しく確実に休みです。江崎さんがよければ、一緒に食事でもどうですか」
随分と勇気のいる発言だった。コンビニでアイスを一緒に食べるだけの関係から、一歩どころか数歩進もうとしている。自分の勘違いの可能性だってあるけれど、その時はその時だ。
「ほんとうですか。いいんですか?」
「江崎さんさえ良ければ、ですけど」
「今週の金曜日ですね。なるべく早く仕事を終わらせて、ここに来ます。今日と同じ時間くらいに」
「それじゃあ、アイスでも食べながらゆっくり待ってますね」
「あの、赤城さん。コーヒーだけにしといてください。一緒にアイスを食べるお腹の隙間、残しておいてほしいから」
彼女は笑った。だから俺は頷いた。彼女との初めての約束は、拍子抜けするほど簡単に成されたのだった。
帰り道。仕事でささくれ立った気持ちが、不思議と凪いでいるのを感じる。現金なものだよなと自分に呆れつつ、金曜日、何を食べに誘おうかと思案する。
楽しい日になればいい。ただ、それだけでいい。俺はニヤけそうになる顔を抑えて、少しずつ春の気配を強める街を歩き出した。
【野森さんの第6話に続く】
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