第3話「再会のパナップ」

第2話

https://kakuyomu.jp/works/16818023214070442465/episodes/16818023214070723169




「あ、」


 と、自然に自分の声が漏れ出たことを自覚したのは、彼女の姿を認めたのと同時だった。時刻は午後二時、寒さが少しだけ和らいだ二月末。例の彼女は今日も今日とて、ピンと背筋を伸ばしていた。

 姿勢の良い人間は周囲の目を引くが、彼女はそれを加味してもそれ以上に俺の目を引いた。理由はやっぱり、冬でもアイスを食べる俺と同種の人間だと知ったからだろうか。


 彼女は俺の声に気がつくと、ゆるりと方向を変えて俺を正面に捉える。途端に彼女も「あ」と感嘆の声をあげ、少し微笑んで俺に近づいてきた。

 途端に俺は失敗したと後悔する。珍しく早く上がれた非番の昼だけど、昨日の勤務は一般の人にはちょっと説明しづらい遺体を扱ったのだ。これも警察官の避けられない業務。

 さすがに制服は着替えているが、身体に残っているかも知れない。やっぱりコンビニに来る前にシャワーを浴びるべきだった。だけど彼女はそんな事情を知るはずもなく、何故か旧知の仲みたいな笑顔で俺の目の前に立つ。この前、ほんの少しだけ会話しただけなのだけど。


「こんにちは、お兄さん。また会えましたね」

「あ、こんにちは……。すみません、思わず声を出してしまって」

「私のことを憶えてくれてたってことでしょう? 私もお話の続きをしてみたかったから、嬉しいです」


 目を細める彼女は、やっぱりどこか凛々しくて。自分に自信を持っている、そんな雰囲気で。そういうプラスのエネルギーに満ちた人間を見ると、気後れすると同時に強く憧れるのは何故だろう。二律背反の不思議な感情。

 だからだろうか。この子とは、俺ももう少し話してみたいと自然に思えたのだ。


「……あの、この前はすみませんでした。不躾にあなたをじろじろと見てしまって」

「いえ、私は助かりました。逆の立場なら私も同じことをしてたと思いますから」

「同じことって?」

「お恥ずかしい話ですが、お察しのとおりベンチでアイスを食べようとしてました。極寒の二月の夜なのに」


 彼女は自嘲気味に笑うと、少し目を伏せた。一瞬だけ翳りが見えたその顔は、言い方は悪くなるが妙に板についていた。姿勢の良さや言動から純粋なプラスエネルギーの人かと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。俺はどう考えたってマイナス気質の人間だから、彼女のそういう面を感じてちょっとだけ安心する。


「あの時は私、ちょっと疲れていて。それでかな、あの冷たいベンチでアイスを食べたらどうなるのかなぁって何故か思っちゃって。きっと体調を崩すことになっただろうから、お兄さんに止めてもらって正解でした」

「……案外、悪くはなかったですよ」

「えっ? どういうことです?」

「実はあの後、試してみたんです。俺もあずきバーを買って、あのベンチで食べてみました。まぁ正直、寒さで味は感じませんでしたけど、寒い中で食べるアイスは独特の風情があるとは思いましたね。当然、オススメはしませんけど」


 正直に告げると、彼女は途端に相好を崩した。お兄さん、かなり変わってますねと付け加えながら。でも先にそれをしようとしてたのはあなたの方だとは言えない。実際に試したのは俺で、彼女は試そうとしただけ。だから俺の方が変に決まっている。たぶん。


「あの、お兄さん。もしよかったらですけど、外のベンチでお話ししませんか? アイスでも食べながら。アイス、お好きですよね? あのコンビニで何度もお見かけしてますからね」


 彼女は手に持ったアイスを掲げて笑った。悪くないどころか、それは魅力的な提案だ。仕事以外で誰かと話すなんてどれくらい振りだろう。

 彼女の選択は定番のパナップ。グリコのベストセラーで俺も好きなアイスだ。ガキのころ、パナップを一人で食べ切った時は大人になったと錯覚したものだ。

 どうやら彼女は定番アイスが好きらしい。この前の選択はあずきバー。その前はピノだっただろうか。もちろん目新しい新商品も悪くはないが、定番には定番の良さがある。


 だから俺も彼女に倣い、アイスケースからそれを摘んで取り出した。選択は同じくグリコの定番、ジャイアントコーン。こういうのが良いんだよ、が詰まったド定番のアイス。

 俺の手のジャイアントコーンを見た彼女は、ニヤリと笑ってみせた。わかってるじゃあないの、とでも言いたげに。



  ❄︎ ❄︎ ❄︎



「お兄さん、どうしてベンチの端っこに?」


 ベンチに座った彼女は長柄の木のスプーンを掲げ、首を傾げてそう問うた。別に彼女を嫌っているわけでも、警戒しているわけでもない。単純に彼女に近づいてはならないと思っただけだ。今の自分の衛生状態はよくない。もちろん昨夜扱った遺体を軽んじているわけではない。いや、むしろ丁重に扱ったからこその配慮だと思って欲しいけれど、初対面の人にそれを説明するには少々事情が重すぎる。


「あ、いや……実は昨日夜通しの仕事でして。まだシャワーも浴びてないので、その、ご迷惑かと」

「夜勤のあるお仕事なんですか? 私も夜勤があるので、その気持ちはちょっとわかりますよ。でもお兄さんからはそんな気配は感じないですけどね。強いて言うなら、お線香の香りを微かに感じるくらいかな?」


 思わず自分の服を嗅いでみる。仄かだが、確かに感じる線香の香り。現場でなく署で行う検視には、線香を焚くのが慣わしだ。自分の服をくんくんする俺を尻目に、彼女は合点が行った表情で言葉を続ける。


「あぁそっか。だからあのコンビニで、色んな時間帯にお兄さんを見たんですね。私も勤務時間がまちまちなので、きっとくたびれたところとか見られてたんだろうなぁ」

「いや、あなたはいつ見ても背筋がピンとしてて、美しい立ち姿でした。姿勢の良くない俺からすると、カッコいいなって思ってましたよ」

「そうですか? 気にしたことなかったなぁ。私の仕事、けっこう身体を使うんです。姿勢が悪いと、力が入らないからかな」

「そうなんですか。俺もわりと身体を使うので、参考にしようかな」


 どうやら彼女と俺の仕事は似ているらしい。でも絶対に同業ではないだろう。雰囲気からして彼女は明らかに善だ。色で言うと白で、黒とか紺とかとにかく暗めな色の俺たちとは違う。悪と対峙する俺たちの多くは、それに対抗するため悪よりも目付きが悪くなる。なんて悲しい職業病。

 こんな話、彼女にしても仕方ないし、するつもりもない。黙っていると彼女が話題を変えてくれて、俺たちの会話はゆるやかに継続した。


「それじゃあお兄さん、改めて。この不思議な出会いをお祝いしましょう」

「それでは、乾杯」

「いや、乾杯はちょっと変じゃあないですか? だってアイスですよ、これ」

「まぁ同じようなものでしょう。それにほら、パナップもジャイアントコーンもシルエットはさかずきに見えなくもない」

「それはどうだろう……? それじゃあそれに倣って、乾杯?」


 パナップとジャイアントコーンが軽くぶつかった。音さえしない妙な乾杯。何となくこの出会いにピッタリなのではと思える、それは不思議な始まりだった。


「うーん、やっぱりお昼に食べるアイスは美味しいなぁ。寒いけどこれはこれでアリですね。試してみて、よかった」

「俺もです。昼間だからかな、今回はちゃんと味がします。甘くて美味い。確かにちょっと寒いけど」

「まだ二月ですもんね。来週には三月ですけど、しばらくは寒いんだろうなぁ」


 彼女はスプーンでパナップを掬い取り、嬉しそうな顔で口にせっせと運んでいる。ベンチに座っていても背筋はピンと伸びたまま。まるで姿勢のいいプレーリードッグを見ているようだ。

 でもさすがの俺でも、ほぼ初対面の女性に「小動物みたいで可愛いですね」なんて言えるワケがない。ここは黙っておくほうが吉。


「……やっぱり微妙に注目されてますね、私たち」

「まぁ昼とはいえ二月にアイス食べてますからね。奇異の目で見られても仕方ないでしょう」

「あの、迷惑でしたよね? こんなことに付き合わせて」

「俺は楽しいですよ。それに他人にどう見られようが関係ないでしょう。別に害があるわけじゃない。それに見てくる人たちだって忙しいでしょうから、きっと明日には忘れてますよ」


 俺は大口を開けてジャイアントコーンに齧り付いた。表面のチョコレートがパリリと砕け、そこに乗っていたナッツがうまい具合に合わさる。そして濃厚なバニラアイスと口の中で溶け合って、えも言われぬハーモニーを奏でた。あぁ、やっぱりうまいなぁ。定番のアイスって。


「……俺、いつも思うんです。他人にどう思われても、自分の人生には大して影響しないって。自分の人生を変えられるのは自分だけだって。まぁ、そう言ってる俺の人生は全然変わってないから、まだまだ努力が足りてないんですけどね」


 俺の人生はまるで変わってない。警察官になって、仕事に慣れてからというもの時が止まったように変わらない。だからメリハリのない日々を少しは変えたいと願う。彼女の誘いに乗ったのも、何かを変えたい表れだ。


「……私も自分の人生は全然変わらないです。多分、変えたいと思う気持ちもなくなったんじゃあないかな、って思います。同じ毎日の繰り返しで、きっと心が擦り減っちゃって。回復する前に日々の忙しさでまた擦り減っちゃう」


 彼女も似た悩みを抱えているようだ。変わり映えのしない日常というのは、ゆっくりと死んでいくみたいで。そのスピードは遅くて気付くのが遅れて、俺はもう半分以上そうなってしまっている。

 彼女も同じ気持ちなのだろうか。木のスプーンの端を咥えたまま、彼女は緩やかに言葉を継ぐ。


「人生を変えたいと思う前に、気持ちが萎縮しちゃって。もうこれでいいかな、仕方ないかなって。私みたいに考えてる人、多いと思うんですよね」

「俺もそうかも知れません。変えられそうな方法はわかるけど、気持ちが追いつかないというか」

「ですよね。それに私より厳しい状況にいる人だってもちろんいると思う。そう考えたら、好きな時にアイスを食べられる私は、贅沢だなって思うんです」

「贅沢、ですか」

「働いて、多くはないけれどお給料を貰って。もちろんお家賃とか食費とか、色んなもので出ていっちゃいますけど。でも、コンビニのアイスを食べることくらいは出来る。昔から私の贅沢の象徴ってアイスなんです。アイスを食べてれば、私は幸せ。人生それでいいかなって思えるほど、美味しいから困っちゃいますよね」


 アイスが幸せの象徴、か。似ているようで俺とは少し違う。俺は「まだマシだ」って思えるから食べている。もちろんアイスが好きというのもあるけれど。

 だからどう考えても彼女の考え方の方が優しい。きっと心が綺麗なのだろう。


「あの、訊いていいですか? お兄さんはどうして冬でもアイスを食べるんですか? ただ好きだから、って訳じゃあないですよね?」

「それは……」


 どう言おうか。彼女の後で「アイスを食べられる自分はまだマシだと思えるから」とは言いづらい。取り繕っても仕方ないけど、彼女のような聖人に本音を言うのは憚られる。かと言って、ここで嘘を言うのは違う気がするのも確かだ。俺は……。


 丁度その時。ポケットに差していたスマホから、無機質な着信音が鳴った。彼女に断ってディスプレイを眺めると、そこに表示されていたのは署の電話番号。

 非番の昼に珍しい。仕事の積み残しはなかったはずなのだが。


「……お仕事の電話ですか?」

「すみません、出ても構いませんか?」

「もちろんですよ。お仕事は大事ですから」


 赤城あかぎです、と電話に出ると。上司が「すぐに来てくれ」とがなり立てた。どうやら俺の担当の新人がまたやらかしたらしい。はぁ、と溜息をひとつ。そして彼女に向き直り、俺は後ろ髪を引かれる思いで暇を告げる。


「すみません。仕事のトラブルで戻らないといけなくなりました」

「それは大変。気をつけてくださいね」

「ありがとうございます。俺、赤城あかぎです。また見かけたら、声をかけてもいいですか? この話の続きはその時に」

「私、江崎えざきです。私も赤城さんを見かけたら声をお掛けしますね。お仕事、頑張ってください。いってらっしゃい」


 行ってきます、と思わず彼女にそう返す。何年振りだろうか。誰かに「行ってきます」を告げるのは。

 仕事の急な呼び出しなんて最悪に決まってる。でも彼女の「いってらっしゃい」には、嫌な気持ちを軽減させる効能があった。


 しゃーねぇな、やるか。嫌な仕事ほど前向きにやろう。いつもの自分とは違うやり方をしよう。そうすると、何かが少しは変わるかも知れない。いきなり大きくはやり方を変えられないが、小さなことなら出来る気がする。


 俺は珍しく前向きな気持ちで、署に向かった。




【野森さんの第4話に続く】







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