第6話「食前アイス」

【第5話】

https://kakuyomu.jp/works/16818023214000463302/episodes/16818093078111275660


「どうしました? なんか燃えつきちゃった人みたいになってますけど」


 朝出勤すると、二か月ほどまえに入職したばかりの高梨たかなしさんが寮母室(職員の詰め所)で灰になっていた。

 コロナ禍で職を失ったのがきっかけで介護の世界にはいったという四十代なかばの女性で、介護経験はまだ一年くらいだという。

 夜勤中になにかあったのだろうか。


「いえちょっと、きのうはあっちもこっちも死にたい祭りで。なんか、気が滅入っちゃって」

「ああ……」


 私たち介護士は、毎日のように利用者さんの『死にたい』を浴びている。

『はやくお迎えこないかしら〜』というような、比較的軽めのものから、老人性うつなどからくる深刻なものまで。

 なかでも『最期』について、本人の希望と家族の気持ちがくいちがっている場合は悲劇だ。


 よく、九死に一生を得た人などが『生かされた』といったりするけれど、そういうポジティブなものではない、文字どおり医療技術により『生かされている』状態の人たちがこの世界にはたくさん存在している。

 医学の発達は素晴らしいものだけど、そのせいで『命だけ』つながれている人たちがいるのも事実なのだ。


 たとえば口から栄養をとることがむずかしい人たちにおこなわれる、胃ろうや腸ろうなどの経管栄養(チューブで胃や腸に直接栄養を注入する)。


 事故などで一時的に経口摂取ができなくなっての経管栄養ならともかく、回復の見こみがない進行性の疾病の場合、本人はたいてい『お腹に穴をあけてまで生きながらえたくない』という。しかし家族は逆に、経管栄養で生きられるならそうしてほしいと願うことが多い。

 そしてその時点ではまだ本人が主張できるくらい元気なものだから現実感がとぼしいうえに、本人も家族もつらい未来に向きあいたくないという気持ちもあるのだろう。結論を先のばしにしてしまうこともめずらしくない。

 しかしそうこうしているうちに病が進行して、やがて食事をのみこむこともできなくなっていく。

 経管栄養にするかしないか。

 ふたたび選択をせまられたとき、本人はもう身体の自由はおろか言葉も失っていたりするのである。

 結局、家族が希望を押しとおし『命だけ』つながれることになる。そんな事例があとをたたない。


 自力では指一本まともに動かせない、意思の疎通もできない。栄養をチューブで注入され、痰を吸引され、便秘をすれば看護師に摘便される(指で掻き出される)日々。

 まだ自意識がある場合はそれこそ地獄だと思う。

 実際『それ(摘便)だけはイヤだ』という利用者さんは多いし、寝たきりで身体の自由はきかなくても、頭がクリアな人は『なんでこんな目にあわなくちゃならないんだ』と泣いたり怒ったりする。


 もしかしたら、これは家族からの復讐なのではないか——と思うような闇を垣間見てしまうこともたまにあるのだけど、それはそれとして。

 介護士にとってキツイのは、そういった頭がクリアな人たちや、簡単な会話や意思表示ができるレベルの人たちの『死にたい』だ。


 どんな状態になっても生きていてほしいと願う家族の気持ちをむげにできなくて延命治療を受けいれてしまった人たち、死ぬほどの苦しみを味わいながら生かされている、死にたくても死ねない人たちの切実な願い。

 それは知らずしらずのうちに私たち介護士の心にも降り積もっていたりする。


「このところ立てつづけだったから、引きずられてるのかもしれませんね」


 この十日ほどのあいだに三人亡くなっている。

 利用者さん同士仲のいい人が逝ってしまうこともあるし、場合によってはお別れの時間をとることもあるけれど、基本的に利用者さんに周知するようなことはしない。

 それでもみな死の空気を敏感に感じとってしまって、いつも以上に不安定になる人が増えるのだ。


 逆に、数えきれないほどの命を見送ってきた私は、それが日常になってしまっている。

 介護士となって八年。

 命が消える瞬間にも何度となく立ちあってきたけれど、いつしか心が揺れることも湿ることもなくなっていった。


「そうだ。立てつづけといえば、江崎えざきさん! 辞めちゃうってホントですか」

「あ、もう聞いたんですね。ほんとうですよ。五月でおわりです」


 有休消化があるため正式な退職は七月末だが、出勤は五月末までだ。


 あの日——赤城あかぎさんとパピコをシェアして、コンビニアイス同盟アライアンスを結んだ翌日、私は退職の意向を上司に伝えた。

 自分にこんな行動力があったのかと、まるで他人ごとのように驚いてしまった。

 衝動的といえば衝動的だったのかもしれない。

 それでも今ここで決断しないと、ずっと、一生変われないんじゃないかという気がして、それはイヤだなと思ったのだ。


「ええぇ……田口たぐちさんも定年で四月いっぱいなんですよね。これで江崎さんまでいなくなったら、ここどうなっちゃうんですか」

「大丈夫ですよ。どうもなりませんから」


 人員不足が常態化している職場で自分が辞めたあとの心配をしていたら永遠に辞められなくなってしまう。

 なるようにしかならないし、どうするか考えるのは上の仕事だ。


「もうつぎ、きまってるんですか?」

「いえ、まだなにも」


 ウソである。つぎの仕事がきまってないのはほんとうだが、どうするかはきめている。


 きめているのだけど、それを実行するということは、せっかく知りあえた赤城さんとの同盟も解消するということだ。

 ただ一緒にアイスを食べるだけの、へんてこな同盟関係だけど。

 私に一歩を踏みだす勇気をくれた同盟が、その先に進むのをためらわせているというのがなんだかおかしい。


 仕事を辞めて旅に出る——なんていったら、赤城さんはどんな反応をするだろう。

 月曜日に会ったときには結局いいだせなかったのだけれど。

 今の私には、好きなこともやりたいこともない。そして中学時代から介護に明け暮れてきた私の視野はたぶん、自分で思っているよりもずっと狭い。

 さすがに、言葉のつうじない海外にいきなり出るほどの勇気はないから、とりあえず一年か二年、各地で働きながら日本全国見てまわろうと思っている。


 ほんとうに縁がある人とは、一度遠ざかっても必ずまたつながるなんて話もあるし、赤城さんともそうだったらいいなと都合のいいことを考えたりもしている。

 そう信じれば、まえに進めるような気がするから。


『江崎さん! 双葉ふたばさん急変です。ナースに電話つながらなくて!』


 突如、インカムから悲鳴のような同僚の声が響いた。


「すぐ行きます。高梨さん、医務室行って誰でもいいからナース呼んできてください。双葉さん急変」

「わかりました!」


 出だしからこれか。今日は金曜日。赤城さんとの約束の日なのに。こぼれそうになるため息をのみこんで、私は双葉さんの居室に急いだ。


 ❆


「ごめんなさい! ずいぶんお待たせしちゃいましたよね」


 朝の急変(救急搬送され入院になった)にはじまって、昼には転倒事故一名に発熱二名嘔吐一名とてんやわんやだったが、どうにか定時から三十分オーバーで退勤にこぎつけた。報告書やら家族連絡やらでいつもならばよくて一時間、へたしたら二時間オーバーコースである。よくがんばった。お昼は食べそこねたけれど。


「大丈夫ですよ。こうしてぼーっと人を待つというのも悪くないなと思ってたところです。携帯がない時代は、きっとこれが普通だったんでしょうね」


 そう。私たちは今日の約束をかわしながら、電話番号もメッセージアプリのIDも交換しなかった。あえてというわけではなかった、と思う。すくなくとも、私はわざとではなかった。かといってうっかりというわけでもなく、それが自然に思えたのだ。

 あらためて言葉にしてみるとずいぶん奇妙というか、ちぐはぐな距離感である。

 連絡先を交換しなかったばかりに、私は全速力で駆けつけるしかなかったわけだし。


 とにもかくにもあがった息をととのえていると、赤城さんの目が『まさか』というようにまるくなった。


「もしかして走ってきたんですか」

「ええ。でもぜんぶじゃないです。半分、いや三分の一くらい? 自分で思ってたより体力なくてがっかりです」


 仕事がら瞬発力はそれなりにあると思うけれど、持久力はからっきしだということが今回あきらかになった。思いがけない自己発見である。

 わりと本気でがっかりしていると、赤城さんがひかえめに吹きだした。


「江崎さん、時々おもしろいですよね」

「ええ? そうかな」

「そうですよ。ちなみにほめてます」

「なら、よろこんでおきます」

「そうしてください」


 赤城さんにつられて私も笑ってしまう。

 朝からのトラブルつづきではりつめていた心がするするとほどけていくような気がした。


「ところで江崎さん、どうしますか。食事のまえにアイス、食べていきますか?」


 月曜日に約束したとおり、赤城さんはコーヒーだけで待っていてくれたらしい。私は「もちろん」とおおきくうなずいた。


 ❅


 私が食前アイスにえらんだのは『3色トリノ』である。

 一度は製造終了となったが『もう一度食べたい』というお客の声により復刻されたというロングセラーアイスだ。

 チョコ、バナナ、イチゴとその名のとおり三つの味が楽しめる。

 安っぽすぎない安っぽさというか、絶妙な駄菓子感がたまらないアイスである。


 一方、赤城さんがえらんだのは、モナカアイス界の王さま『モナ王』だ。食事まえだからといって少サイズをえらんだりしないあたりアイス同盟員としての心意気を感じる。


「はあ、生き返る……」


 チョコ味アイスがのどを通過して、ほとんど無意識に言葉がこぼれた。からっぽの胃がひんやりとつめたくなる。


「今日は江崎さんのほうがお疲れですね」

「うぅ、否定できない」


 旅になど出ず、近場で転職するだけならこのままでいられるのかもしれない。

 だけど、現在いまの私の土台は虚無感と徒労感でつくられている。そこから育つのはあきらめと罪悪感ばかり。

 私はおそらく、生まれてはじめて本気で願ったのだ。自分を、人生を、変えたい、変わりたい、と。


 ほんとうは、約束なんてするべきではなかったのかもしれないと今さら思う。

 月曜日の私はなぜ『つぎ』を期待するような発言をしてしまったのだろう。近いうちに同盟を解消することになるとわかっていたのに。

 いや、だからこそ——か。

 今後のことをいいだせなかったのも、つぎを期待してしまったのも、たぶん赤城さんと会えなくなることをさみしいと思うようになってしまったからだ。


「あのですね、赤城さん」

「はい」

「私、仕事辞めるんです」

「え」

「それで、退職したら旅に出ようと思っていて」

「は……い?」

「ごめんなさい。なんか、このまえはいいだせなかったから、今日こそいわなきゃって思ったんです」


 ほんとうは、食事のあとにしようと思っていた。先に告げてしまったら、このあとの時間が気まずくなりそうだし、なんなら退職ギリギリまで話さないでおこうかとも考えた。

 けれど、関係を進めてしまってから『もう会えなくなる』と伝えるのは裏切りにも等しいことのような気がして思いなおしたのだ。


 しばし沈黙が流れる。なんの沈黙か。アイスを食べる沈黙である。


「ええと……旅というのは、旅行という意味ですか?」

「ちがいます」

「じゃあ、なにかの比喩ですか」

「いえ、そのまんまです。一年か二年、短期の住みこみバイトとかウイークリーマンションを活用しながら日本全国見てみようと思って」

「なるほど」


 なるほどといいながら、頭のなかは疑問符だらけなのだろう。赤城さんは釈然としない顔でまたモナ王アイスをかじる。

 私もとけはじめた3色トリノにかじりついた。

 黙々とバナナ味、イチゴ味と食べきったところで赤城さんがふたたび口をひらいた。


「出発はいつです?」

「出勤が五月いっぱいなので、たぶん六月にはいってからになると思います」

「あ、まだ先なんですね。よかった。てっきり今日で同盟終了という話なのかと」


 あからさまにホッとしたようすの赤城さんを見て、やっぱり話すのをギリギリにしなくてよかったと胸をなでおろす。


「私が今の仕事についたのって家庭の事情によるところがおおきかったんですけど、一年くらいまえにその事情そのものがなくなって、急に自由になっちゃったんです」

「なっちゃった、なんですか」

「はい。なっちゃった、なんです。中学生のころから自分のために時間をつかうことなんてほとんどなかったから途方に暮れてしまって。仕事も、ほかにやりたいことも好きなこともないって理由だけでつづけてたんですけど、赤城さんと話してたらなんか力わいてきて。思いきってこの『自由』をつかってみようかと」

「……すごいなあ、江崎さんは。そんな話聞いたら応援するしかないじゃないですか」

「応援、してくれるんですか」

「そこ、驚くとこですか」


 がっかりされたり、気を悪くさせるんじゃないかと思っていたものだから、びっくりして言葉につまってしまう。

 そのとき、ぐうううぅっ……とまぬけな音が響いた。私のお腹から。なんということ。


「やだもう! 恥ずかしい! 今日、お昼抜きだったんですよ……」

「そりゃいけない。空腹のときにすこし食べるとよけいお腹すくんですよね。そろそろご飯行きましょう」


 赤城さんはからりと笑って、最後のモナ王を口にほうりこんだ。



     (薮坂さんの7話につづく)


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