第29話 裏山②

 そこから、薫の言った通りの場所に行くことに。

「まずは麓の穴場から。低い場所だけど、人が来にくいの。だって、ほら、草が沢山生い茂っていて足の踏み場がないように見えるでしょ」

 薫の言う通り、その先に入っていくのは厳しそうに思えた。

「でも、もうちょっと右に進んでいくとね、実は道があるんだよ」

 ぐるりと迂回していくと、茂みの間にわずかな隙間があってそこを突っ切っていくと、舗装はされていないが人一人分歩けるほどの幅はあった。

「これって獣道じゃないの」

「かもしれないけど、熊とか大きな動物はいないって聞いたよ。二年前ぐらいに紛れ込んでいた猪も無事に駆除されたのが話題になっていたって先輩が言っていた」

「その子どもがいないと良いわね」

 その獣道を薫を先頭に歩いていく。しかしまもなく「あっ」と薫から声があがる。

「どうかしたの」

「ああ」

 すると後ろにいた由美もすぐに理解した様子を見せる。

「人が来た跡がそこかしこにあるね。ほら、薫ちゃんの周囲にある低い木の枝が折られているでしょ」

「本当だ」

 最後尾の一花も目を凝らしてそれを確認する。

「まあまあまあ。まだ一箇所目だからね。ここはまだ地獄の一丁目というか、四天王のうちでも最弱というか」

「別に初めから見つかるとは思ってないわよ、こっちも」

「次だよ、次は自信あるから」

 そう言って、その後もいくつかの場所を見て回ったが、結局何も発見できず、またどこに行ってもおおよそ人が入った跡が見られた。

「こうやって歩き回って改めて分かったけど、本当に探されているのね」

「確かに、そっちの方が驚きだな。世の中には暇人がいるもんだ。もっとも、私たちもその暇人なんだが」

「ここは本当に自信があったんだけどなあ。崖の下で見落としやすいところだし」

 そこは崖と林に挟まれた空間なので、薫の言う通りであったが、ゆえに日中でも薄暗く、すぐにでも明るいところに戻りたい気持ちになる。

「そろそろ夕暮れだ。何かあったら嫌だし、いい加減帰ろう」

「そうね。さすがにそろそろ切り上げた方が良いと思うわ」

 だから一花の言葉に私も賛同する。授業が終わってから来たので、それほど長い時間ではなかったが、山の中を歩き回って疲れていたのもある。

「今日はたまたまタイミングが合わなかっただけだから。ほんとだもん、ほんとにトトロいたんだもん」

「私も一花お父さんも薫が嘘つきだなんて思っていないよ。薫はきっとこの森の主に会ったんだ」

「いや、嘘つきではあるだろ。見られてないんだから」

「最後にクスノキの大木に挨拶に行きましょう。薫がお世話になりました。これからもよろしくお願いいたします」

「お願いいたします」

「家まで競争」

「あっ、ずるい。私一番奥にいるのに」

「危ないから本当に走りだすなよ」

 薫を適当に言いくるめるために悪ふざけに興じていたのだが、一人だけそれに乗ってこなかった。

「本当にただの暇人だったのかな」

 由美がボソリとそう口にする。

「どういうこと」

 私は聞き返す。

「いや、こんなに入念に探しているのがちょっと気になってさ。ほら、向こうの草なんて膝丈近くまであるのに、全部踏み込まれているでしょ」

 由美は周囲のお辞儀している草を指差す。

「そりゃあ、ツチノコは蛇みたいに地面を這いつくばっているからね。草根に隠れているかもしれないなら、しっかり探さないといけないでしょ」

「それはそうなんだけど、それでも草を軽く払えば分かりそうじゃない。そこまで視界を広くしなくても分かるというか」

「じゃあ、何人もの人が踏んで行ったんだよ」

「実はそれについてもさっきから注意して見ていたんだけど、少なくともこの辺りの地面では私たちが来る前にあったと思われる運動靴の跡は一つしか見えなかったんだよね」

「まるで探偵みたいだな」

「それで思ったんだけど、例えばこの場所は体重がしっかりかけられていたと思うんだよね。地面が踏み固められているレベルだから。それでこの草の目の前に高い木があって、この辺り全体で落ち葉が見られるけど、たまに折れた枝もある。それも少し高いところのものが落ちてきたみたい。だから、もしかしたらここに来た人はこの木を揺らしたんじゃないかな」

「そういえば、他の場所でも木のそばに折れた枝が落ちているのを見かけたな。色んな人が通って、その際にぶつかったりして落っこちて来たのだと思っていたが」

「そう。そもそもの話、薫ちゃんは人の来てなさそうな場所を見繕ってくれたんでしょ。その全部が地面から木の上まで入念に調べられているんだよ」

「でもそれは何もおかしくないことじゃないかしら。わざわざこういうところまで来る人は、薫と同じようにただならぬ情熱を燃やしていて、だからこそ木の上までしっかり調べていた」

「いるのかどうかも分からないツチノコ探しに? 言っては悪いけど、たった一日かそこらでもう話題にも上がらなくなっているような眉唾な話だよ」

「そういうマニアの方が来ていたのではないの」

「私もどちらかといえば灯の考え方に近いが」

 一花が言う。

「昨日の今日で全部回ったとなると、相当土地勘のある人だよな。低い丘のような山とはいえ、細かい地形も知らないで山の中に踏み込んでいくのは簡単ではない気がする。それも地元民というのであれば納得できるが、近所に住んでいてツチノコに特別に興味を持っていたということを考えると、そんなに多くの人に当てはまるものではない気がする」

「近所に住んでいるからこそチャンスだと思って見に来たんだよ。マネーチャンス」

「うーん、なんというかそういう感じでもなくてさ。だって、今私たちが回っている場所だけよく探しているということはないだろうから、そうなればそれって一日二日で回り切れないと思うんだよね」

「つまり、ツチノコ騒動が起こる前からすでに探していた」

「ツチノコの目撃情報については、偶然見かけられたって話だったよな」

「目撃者の証言ではね」

 そこで皆、黙り込む。

 私は周囲を見渡し、さらに葉っぱのついた枝の隙間から空を見上げる。

 すると、視界の端で太陽光を反射させたように何か煌めくものが見えた気がした。しかしそれは崖の上の方に消えてしまい、すぐに見失う。

「何か見つけたの」

 由美が目ざとく尋ねてくる。

「ええ、まあ。ちょっと目に入った気がして」

「それ、追いかけてみようよ」

「えっ、もう見失ってしまったわよ」

「どっちに行ったかは分かるんじゃないの」

「多分、山の上の方だとは思うけど」

「あっ、そうだ。上の方といえば、最初に話したやつ行ってなかったの思い出した。丁度この崖の上ぐらいにあるんだよ。ねえ、一花」

「私は覚えていたけど、言ったら登らないといけなくて面倒だから黙っていたんだ」

「ひどい」

 私たちは崖の上を目指して急ぐ。



「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ。ううっ」

「大丈夫か、灯」

 道中はかなりの急斜面になっていることもあり、私はすっかり息を切らしていた。

「ええ、平気よ。問題ないわ」

「そうは見えないけどな。まあ無理もない。崖の上だからなのか、ほとんどロッククライミングみたいだ」

 薫が秘密の場所と言っていただけのことはあるということなのだろう。

「それにしても、あいつら、ガキみたいにさっさと先に行っちまうんだもんな。薫はともかく由美までどうしたんだか。灯を守るナイトじゃなかったのか」

「それは」

 私は返事をしようとするが、呼吸が乱れて喋るのがしんどいので諦め、目の前の壁のような坂を登り切ることに専念する。

「そう、いい調子だ。あと少し、ほら」

 差し伸べてくれた腕に掴まると、一気に上まで引き上げてくれる。おかげでどうにか登り切ることができた。

「どうもありがとう。すごい力ね」

「あー、灯」

「ん、何かしら」

「いや、その」

 いつもハッキリと喋る一花が珍しく口ごもった様子を見せる。

 それから結局は話をそらすように「ほら、あっち。木漏れ日が見えるぞ」と言って先を促すので私もそれに続き、ついにひらけた場所に出た。

 そこは崖の頂上であり、辺りに光を遮るものは一切なく、西日に照らされて眩しいと思えるほどであった。

「あっ、やっと来た」

「遅いよ、二人とも。今、それっぽいのがいたんだよ」

 すると薫はすっかり興奮した様子であった。

「いたって、まさか本当に」

 一花が眉をひそめるが、そこで私は今度こそ、夕暮れの空にその姿をはっきりと捉えた。

「えっ、あれって」

「そう、蝶だよ」

 由美の言葉に一花も空を見上げる。

 黒にも近い暗めの青い羽を大きく広げ、一身に浴びている夕日をうっすら透けさせながら、オレンジ色の空を優雅に舞っていた。

「綺麗」

 皆、その蝶に目を奪われていた。

「一体どういうことなんだ」

「多分、全部この蝶のせいだったんだよ」

 一花の問いに由美が答える。

「まさかこの蝶が幻を見せていたなんて言わないよな」

「これは憶測でしかないけど、最初からツチノコなんていなかったんじゃないかな。本当に実在するかどうかという話ではなくて、それらしきものを見かけたのでもなくて、ずっとこの蝶を探していたんじゃないかな。こんなに美しくて大きい蝶を逃してしまったとなれば必死で探すでしょ」

「それなら素直にそう言えば良かったのでは」

「どうしても自分の手元に戻ってきて欲しかったから、あんまり言いたくなかったのかもね。たとえば、これが日本には生息していない輸入してきた蝶だとすれば、値打ちも相当なはず。誰かの蝶だと言われていたとしても、実際にそれを手に入れたらひっそりと持ち帰ってしまったり、もしくはどこかで売り捌けば儲けられると考える人がいてもおかしくないのかなと。まあ、でも結局は多くの人が山に入ることになって、それだけ衆目に晒される可能性も高いわけだから、いっそのこと大々的に喧伝してしまって、懸賞金でも用意した方が良かった気はするから、やっぱり無関係なのかも」

 由美は言うが、その話を聞いた一花が口を開く。

「もしくは、それが出来ないだけのやましい理由があったとか。たとえば、法律とかそういうのを無視して勝手に持ち込んできてしまったブツだった。だって、あんなでかくて色鮮やかな蝶、絶対こんなところに生息していないだろ。それこそ、話していた東南アジアとかに居そうだ。だから適当な話題だけ広めておいて、そこから一部の物好きのSNSか何かで本来の目的である蝶の目撃情報の集め、それを元に自分の手で回収するつもりだったとか」

「まあ、否定はできないわね。そもそもUMAなんて話題にするにしてもちょっと変なものをあげるところからして、もしかしたらそこまで話題になるのは望んでいなかったのかもしれない。一部のオカルトマニアがやってきて、それも専門外の蝶をたまたま見かけたぐらいであれば、ちょっと話題にあがって終わる。そういう想定だったのかも」

「じゃあ、捕まえたら良くないのかな」

「抜け目ないな」

 すでに虫取り網を持ち直している薫に一花は呆れる。

「だって、すごいお高いんでしょ。今捕まえないと」

「そんな話をしている間にも行ってしまいそうだけど」

「えっ」

 薫が振り返ると、すでに蝶は遠ざかっている。

「待って、待ってよー」

「危ないからこれ以上は飛び出しちゃダメだよ」

 そう言って由美は腕を伸ばして薫を制する。

「自然界で生き抜けるのかは分からないけど、成り行きに任せておくのが一番良いかもしれないわね」

「じゃあ、せめて写真だけでも」

 そう言って、薫は慌ててスマホを取り出す。私はただ風に吹かれながらも優雅に舞い続けて眼下の森の中に消えていく青い蝶の姿を眺めていた。



「ああ、どこかにお高いお宝が転がっていたりしないかなあ」

「その辺に転がっていたらお高くはなさそうだが」

「だってだって、あの蝶、百万円するんだってよ。もう何だって買えるよ。私、秘密基地みたいな別荘が欲しい」

「さすがに家は買えないと思うけど、大金なのは間違いないわね」

「せっかく、私たちが見つけたのに何の報酬もないんだもん」

「それはまあ、捕まえたのは私たちじゃ無いから仕方ないでしょう。でも、薫だって自分の投稿がバズって喜んでいたじゃない」

「ぷぷっ、灯がバズるとか言うの、面白いね」

 薫がバカにしたように笑うので、その頬をつまむ。

「痛いよ、痛い。助けて、一花」

「いや、いいぞ。もっとやってやれ、灯」

 一花からも許可が降りたので、遠慮なく引っ張ってやる。

「お前が写真を投稿してくれたおかげで騒がしかったからな。SNSにあげておくのはやめておけと、散々言ったのに」

「ただ、蝶の写真をあげただけじゃない。しかもあんまり良い感じには撮れなかったし」

「びっくりするほど、ぶれていたわね。でもそのせいで臨場感があって、より急いで撮ったのが伝わったのも結果的には多くの人に見られた要因だった」

「まさか本当に希少な蝶だったとはな。それも、日本の野生で発見されたのは初めてとくれば、さすがに驚くが」

「しかも、その後に調査したら、数は少ないけれど、そこの裏山に複数個体が生息していることまで判明した」

「これは私の功績と言っていいと思う。実際、私が見た場所をみんなに教えてあげたからこそ見つかったようなものじゃない」

「そういう意味では、残念ながら一歩遅かったわね」

 会話の通り、薫の投稿した写真は多くの人に見られることになり、蝶を見た場所をひっきりなしに尋ねられたりしたので、すっかり気分を良くした薫はあることないこと吹聴していたが、薫の投稿よりもほんの少し後に蝶を目撃したと言っていた人がおり、その人が蝶を捕まえた。おかげでいっときは薫の投稿に注目が集まったが、蝶を捕まえる様子を撮影したその人の動画があがると、そちらに関心が移っていったのだった。

「ただ、私たちが見たものとは別の個体よね。大きさも小さかったし、何より羽の色が違っていた」

「同じ種類ではあるようだが、捕らえられたのは私たちが見たやつよりもっと明るくて水色に近かったな。おそらくは光の反射のせいとかなんだろうが、私たちが見たやつの方がずっと綺麗だった」

「そうだよ、私たちの優勝だよ。だから優勝賞金を誰か頂戴よ」

「せめて捕まえられていたら、少しぐらいもらえた可能性もあったかもね」

「じゃあ今度こそ捕まえに行こうよ」

「もう良いじゃない。写真や動画では味わえない美しく舞っている様を見られただけで、私は満足よ。それにもうあんな場所、行きたくないわ。すごい疲れたもの。まだちょっと筋肉痛よ、私」

「えっ、まだ? もう二日前だよ」

 薫に驚かれる。

 しかし、そこで同時に私は崖を登った時のことを思い出した。

「そういえば、一花あの時何か言おうとしていなかったかしら。丁度、崖上まで私を引き上げてくれたとき」

「ん、ああ、そうだったかな」

 一花の反応は微妙なもので、覚えていないのであれば仕方ないと思ったが、そこで薫が首を傾げる。

「あれ、一花なんか誤魔化そうとしてない?」

「誤魔化す?」

「うん、だって、一花って嘘つく時、顎の辺りを触っていることが多いんだもん」

「本当にお前は余計なことを言うプロだよな」

 一花はしかめつらになる。

「そんなに褒めても何も出ないよ。むしろ何か出して」

「なんで、というか何を誤魔化したかったのか気になるんだけど」

「いや、それは」

 一花はまた口をごもらせていたが、そこで「それはね」と声が聞こえてくる。

「灯ちゃんが試験期間中に増量キャンペーンをしていたからだよ」

 鞄を持った由美がやってきて言う。

「増量キャンペーンって」

「そのままの意味だよ。灯ちゃんの体積が増えたの」

「どうしてそれを」

 私は自身の中でスーッと血の気が引いていくのを感じていた。

「きっと毎日のように夜食を沢山食べていたんでしょ。一応、早い段階で気付いていたつもりだけど、下手なことを言って勉強の邪魔になるのは嫌だなと思って黙っていたよ。まあ、灯ちゃんは元々かなり痩せているし、世界における灯ちゃんが占める割合が増えたということは、それは世界にとってとても良いことなりけりだからね」

「全然良くないわ」

 言われたように、結局、私は試験期間中に夜食を摂る習慣がすっかり身についてしまっていた。

「そういえば、灯の全体的な線というか輪郭がはっきりしてきたなあとは思っていたけど太ったんだ。一花が誤魔化したのも、引き上げる時に思ったよりもずっと重くてびっくりしたからってことね」

「かわいそうだから全部言ってやるなよ」

 一花は気を遣って言ってくれる。しかし、その心遣いが今は余計に辛くなる。

「それで灯ちゃんには少しでも身体を動かしてもらった方がいいと思ってさ、だから山の中を散策するのにも賛成したんだよね」

 そこで山では普段とは異なり、私の先を歩いていた由美の姿を思い出す。

「だとするとだ、これはいよいよ蝶を追いかけにもう一度レッツラゴーなんじゃないの」

 薫が期待を込めた眼差しで言う。

「いや、あそこはさすがに」

「うーん、せっかく皆で行くなら休みの日にでもちょっと遠出しない。試験も終わったし、予定が合えばで良いんだけどさ」

「はい、私は暇。暇人です。お金はないけど」

「まあ、私も今週末とかならいけるかな」

「よし、決まりだね。じゃあ、詳細なんだけど」

 私が恥ずかしさと情けなさで頭が真っ白になっている間にも、遊びに行く予定が決まっていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

隔週 木曜日 22:30 予定は変更される可能性があります

あかりとゆみ 城 龍太郎 @honnysugar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ