第29話 裏山①

「なんだか今朝は学校全体が騒がしい気がするのだけど、何かあったかしら」

 私はいつも通り始業時刻寸前で教室にたどり着いたのだが、普段よりも賑やかで浮き立っている様子であった。

「知らないの、灯ちゃん」

 さっそく薫が鼻を鳴らしながら話しかけてくる。

「もう、仕方ないなあ。この情報通で有名な薫ちゃんが教えてあげよう」

「なんだか便利な導入になってないかしら」

「何が?」

「いえ、なんでもないわ」

 私はとりあえず話を聞かせてもらおうと思ったが、そこでいつもは予鈴からだいぶ遅れてやってくる担任がチャイムとほとんど同時に入ってくる姿が見えたので、少し声を潜める。

「まあ、今日に限っていえば、私のような情報通じゃなくても知っていることだよ。ネットでも話題になっていて、地元のテレビ局の取材まで来ていたぐらいだもの。うちの学校の二年生たちがそれを見かけたんだとか。その時撮った写真もSNSにあがっていて、そうしたら似たようなものを見たという人が以前からいたみたいで、一気に広まった次第だね」

「勿体ぶった言い方はともかく、よく知っているわね」

「昨日の夜からずっとSNSに張り付いていたからね」

「それで寝不足そうな顔をしているのね」

「うちの学校の裏手にある小高い丘とその周りに森があるでしょ。近くに森林公園もあって、駅と反対側は結構自然豊かだから」

「つい最近そちらに行ったばかりだから、それは知っているわ」

「そこでツチノコが出たんだって」

 さすがに私はその単語を聞いて一瞬、動きを止めてしまう。

「ツチノコって、あのUMAの有名な」

「そう、そのゆーまの」

 薫がビシッと指を向けてくるので、その人差し指を握って下げさせる。

「UMAという俗称自体は比較的新しいものだけれど、それを指す存在については短くない歴史があるのよね。世界的に最も知られているのはおそらく英国のネッシーだと思うけど、国内に限ればツチノコが一番知名度があるかもしれない。胴が太く、蛇にも似た身体は黒褐色や茶色といった暗めの体色をしていると言われているその生き物は、本州各地の森林や山間部等で目撃情報があるけれど、いまだにそれを捕まえられた人はいない。ただ、その歴史は縄文時代にまで遡り、ツチノコに似た石器が出土されたり、土器にそれらしき姿が描かれていたり、江戸や明治期にはその存在を詳細に描いた文書がいくつもある。小型の蛇という日本の神話などでも馴染みのある姿形で、長い間いわば親しまれてきただけに人気もあって、ある地方では毎年ツチノコを捜索するイベントが毎年開催されているほどよ」

「うわっ、急に語り出すじゃん」

 したり顔をしていた薫がその顔をひきつらせる。

「映像作品の題材になることも少なくないから、前に調べてみたことがあるのよ。まだ見ぬ生物にロマンを感じる気持ちは分かるわね」

「もしかしてUMAマニアの方ですか」

「それは違うわね」

 私は首を横に振って毅然と否定する。

「確かにロマンを感じはするけれど、正直なところUMAはそのほとんどが人間や社会が作り出した架空の存在だと思っているから、あまり真面目に追いかけようとは思えないのよね」

「ふうん。意外と冷めているんだ」

「そうね、でも、信憑性のあるエビデンスがあればむしろ心踊るわ」

「ああ、エビね。エビで、エビで、んっすんっす」

 薫は身体を海老反りにしながら飛び跳ねて踊り出すという珍妙な姿を披露してくれる。

「根拠とか裏付けという意味よ。最近ではビジネスシーンで使われているみたいだけど、元々は医療分野や学術的な場面で使われる言葉ね」

 私は説明を続ける。

「例えば、そうね、ある蝶は発見されてすぐにその標本が博物館に展示されたのだけど、それから八十年以上再発見に至らず、ここ最近になって調査隊を派遣してようやく見つけられたという。発見された場所は渓谷で、そこの特殊な気候の関係で湿った空気と乾燥した空気が共存する複雑な環境が本来そこにいない種類の生き物が生育され、またそれほどまでに見つからないこともあって、原生林に生息すると思われていたが、意外にも人の手の入った森に長らく棲んでいた。調査隊が再び蝶を見つけるまでを描いたドキュメンタリー番組だったけど、何十年という長い期間で積み重なった研究によって、それまでの定説を覆して見つけたシーンには、再現VTRだったけど感動させられたわね。だからもしこういった幻の蝶を探せというのであれば、喜んで行きたいと思っているわ」

「ふうん」

 薫は明らかに気のない返事をしてくれる。

「あからさまに興味を失ったわね。まあ、口で説明しても伝わりづらいとは思ったけど」

「いや、だってさ、蝶なんてただの羽虫じゃん」

「ただの羽虫ではないでしょうよ。その美しい羽模様や舞うように飛ぶ様子から、太古より蝶は幸せの象徴とされていて、見つけた人には幸運や金運を運んできてくれると言われている。実際、珍しい蝶の卵や標本は数百万の値がつくのよ」

「数百万?」

 本当に分かりやすく、薫は食いついてくる。

「蝶マニアやコレクターは多いし、学術的にも価値があるからね。蝶の研究といえば、やはりどんな蝶がどこにいるのかといった生息域を調べる分布学というのが最もメジャーらしいけど、そういうこと以外にも例えば最近では蝶の羽の発色の仕方に着想を受けて、車のボディの塗装に生かされたりもしているんだとか聞いたわ」

「ええ、そんなたくさん蝶の羽を車に貼り付けていたら、その車の値段って一体いくらになるのさ」

「そういうことじゃないわよ」

「蝶か」

 そこで一花が頬杖をついたまま呟く。

「案外、山に入ったついでに新種の蝶でも見つかったりしてな。ほら、蝶は羽ばたくさまの美しさや儚さから、幻想やら幻やらと結びつけられることも多いだろう。だからそういう幻の生き物を人々に見せていたのも実は蝶だったとか、そういう話もあるんじゃないかってさ。まあ、冗談はともかくとしても、最近は毎年異常気象だって言われるぐらい暑くなっているし、生態系も変わってきているんじゃないのか」

「全く可能性がない話でもないかもしれないわね。ここより南の暑い地域、例えば東南アジアの国々には珍しい蝶がたくさんいるけれど、そっちも気温は上がっているでしょうから、それがこちらにまで来ていることもあるかもしれない。とはいえ、海を越えないといけないと考えると、あんまり珍しいものは誰かが持ち込んで飼っていたのが逃げ出したとか、そういうことでもなければ厳しそうだけど」

「それもそうか」

 一花は納得した様子で頷く。しかし「なるほど。それはいいことを聞いたね」と薫がにやける。

「じゃあ、これはきっと陰謀なんだよ。誰かが隠していた幻の蝶が逃げ出していて、それを先に捕まえようとしている人たちがカモフラージュのためにUMAの話を広めているんだよ」

「控えめに言っても、だいぶ突飛な発想ね」

「それを私たちで捕まえれば、数百万がもらえるんだよ。そうしたら私たち、高校生活の間、毎日放課後に寄り道して好きなもの食べ放題だよ。最高じゃん」

「まず蝶が本当にいるとは誰も言ってないし、万が一いたとしてそれを捕まえてもその人に返すだけでしょう。多少のお礼ぐらいは貰えるかもしれないけど、それは期待するものではないわ」

「でも、飼い主がいないヤツだっているかもしれないんでしょ」

「だから、それは滅多にないと言っているのだけど。金額だけで反応して、話聞いてなかったでしょ」

「うん、聞いてなかった」

 薫は特に悪びれることなく頷く。

「ねえねえ、最近できたクレープ屋さんの超薄皮クレープってさ、蝶の羽とどっちの方が薄いんだろうね。食べに行こうよ」

「金欠だって話していたわよね、今」

「だって、超ウルトラジャンボなんだよ。超期間限定なんだよ。超超で蝶々って感じでしょ」

「意味が分からないわ」

 そこで本鈴が鳴ると担任が怠そうに教卓の前に立ったので話はそこで終わりとなり、これ以上特に続くこともないと思われた。しかし次の日になると、話は予想外の方向に転がっていくことになる。



「さあ、みんな、準備は出来てる?」

 放課後、いつも通りのんびりと帰り支度をしていると、自分の席からひときわテンションがあがっている薫がやってくる。

「準備って何のことよ」

「それはもちろんツチノコ探しの支度だよ。ほら、ちゃんと虫取り網だってあるからね」

「いつの間にそんなものを学校に持ってきていたの」

「灯たちは今朝も遅刻ギリギリだったからな」

「一花も行くの」

「面倒だけどな」

「面倒とか言わないの。ツチノコだって懸賞金が掛けられているんでしょ。というか珍しさ的には昨日話していた蝶よりもさらに上じゃん。世界で数匹しかいないヤツだったとしても、ツチノコはそもそもまだ一匹も見つけられてないわけで」

「それを自分が見つけられると本気で思っているところは評価してあげたいわね」

「世界は私を中心に回っているんだよ」

「それは違うよ、薫ちゃん。世界は灯ちゃんを中心に回っているんだよ」

「そんなところで張り合わないで良いから」

 移動教室で遅くなった由美もやってくる。

「まあ、放課後軽く見て回るぐらいならいいけど。由美は」

「私は灯ちゃんについていくだけだよ」

「よしっ、それじゃあツチノコ探検隊、しゅっぱーつ」

 そんなわけで私たち四人は、学校の裏手にある山に向かう。

「山ってことにはなっているが、ほとんど丘だよな、ここ」

 学校を出て、駅とは逆方向にほんの少し歩けば、そこはもう緩やかな坂になっており、山の麓にあたる場所といえるだろう。

「山と丘には明確な区別の仕方はないみたいね」

「ええ、そうなの。高いやつは山で低いやつが丘だと思っていた」

「その認識も間違いではないと思うけど、周囲の地形との相対的な関係で決まるのよ。標高や海抜も大事だろうけど、周りよりもどのくらい高いか、山の傾斜の角度がどれだけついているのかなどそういったことね」

「へえ」

「各方面から舗装された道路が通っていて整備されているとはいえ、相当量の緑が生い茂っているし、やっぱり山に入るということを甘くみてはいけないわ。なるべく暗くなる前に帰りましょう。それが約束できないならすぐにやめましょう」

「はい、わかりました。灯せんせー」

「先生なら、まず間違いなくツチノコ探しなんてさせないでしょうね。実際、昨日の朝のホームルームでも言われたでしょ。少し騒がしくなっているみたいだけれど、くれぐれも変なことに巻き込まれたりしないように気をつけるようにと」

 またそれから、何か問題が起これば私たちの仕事が増えるから面倒になるとも明け透けに付け加えていた。

「うん、だからちゃんと気をつけて準備してきたよ。山に入って虫に刺されたり、怪我をしないようにジャージや軍手は持ってきたし、ほら、これ、小学生の頃に使っていた防犯ブザー。熊よけの鈴もあったけど、熊が出るとは聞いてないし、ツチノコを見つけたときにこっちの存在がバレたらまずいからつけてこなかったよ。あとは、補給食として学校に来る途中でチョコとか買っておいたから、いつ遭難しても大丈夫」

「先生たちは巻き込まれないようにと言っていたけど、巻き込む側になることは想定していなかったでしょうね」

「でも、私たちも二人だけで山に入ったことはあったよね」

 そこで由美がいう。

「まあ入ったといっても本格的な登山なんかじゃなくて、渓流のそばでちょっと遊んだぐらいだったけどね」

「意外とアウトドアなこともしているんだな」

「そんな大層なものじゃないわ。ちょっとしたハプニングで川に落ちてしまったから水遊びもしたけど、元々は川べりに折りたたみの椅子を開いて、そこで読書にでも勤しもうと思っていたのよ」

「ええ、わざわざ川まで来て? ちょっと意味が分からないんだけど」

「いや、分かるでしょう。自然に囲まれた中で、川のせせらぎや鳥の鳴き声を聴きながら、ときおり柔らかなそよ風が頬を撫でるのが気持ち良いじゃない」

「そういうのを感じたかったとしても、もっと別のことをすれば良いと思う」

「確かに私たちにはちょっとレベル高いかもな」

 珍しく一花からも距離を感じさせられることを言われて、私は動揺する。

「で、でも、少し前にはキャンプとか流行っていたじゃない。そういう人たちはご飯を食べた後には焚き火やカンテラの明かりで読書に耽るのでしょう」

「普通にスマホ見るんじゃないの」

「それだと風情がないじゃない。それに、アウトドアってスマホとかそういうのを避けるために行くものじゃないの」

「あれか、デジタルデトックスってやつか」

「そう、それよ」

「正直、一般的な女子高生からは最も遠い言葉に思えるな」

「灯ちゃんは普通じゃないからね」

「人を変人みたいに言わないで」

「自慢しているんだよ、私は」

 そんなやりとりをしながら、私たちは山中を通る道路脇を上がっていく。

「探すと言っても、どうやって探すつもりなの。まさか気合いでどうにかするとか言わないわよね」

「ちっちっち。こっちは準備万端だと言ったはずだよ」

 人差し指を振りながら薫は言う。

「言ったかしら」

「ツチノコの目撃証言とその後の主な捜索範囲について、SNSであげている人が何人かいたからそれを参考にしながら地図と照らし合わせて、探索位置を絞っておいたよ」

「その努力をもっと他のことに活かしたら良いのに」

「そうだな、勉強とかな」

「もう試験は終わったんだよ。勉強の話はもう一生しないで」

「まだ終わったのは一年生の一学期の中間試験だけじゃない。それもまだ結果は返ってきないし」

 そうは言っても、薫以外の三人も勉強の話がしたいわけではなかったので、話は自然と戻される。

「でも、絞っておいてくれたのは助かるよね。いくら小高い丘ぐらいの山とはいえ、闇雲に探すには広すぎるもの」

「そもそもの話、仮に何かがいたとして、それが今もいるのか。発見報告があってからもう二日近く経っているわけだろ。しかもあらかた捜索された後で、昨日までは多少賑わっていたが、今日になったらもうほとんど見かけないし」

 実際こうして歩いていても、ときどき車や人とすれ違うぐらいである。

「ちっちっち、だから言っているじゃない。私の素晴らしい情報収集能力とこの天才的な頭脳を駆使して範囲を絞っていったんだって。そういったことまで踏まえた上で、いくつかの場所に目星をつけてあるのさ」

 薫はスマホを取り出してメモ帳のアプリを開き、私たちに見せる。

「リスト化しているのはなんとか分かるけど、ぐっちゃぐちゃね」

 何やら乱雑にごちゃごちゃと大量の文字が入力されており、一応写真もいくつか添付してある。

「私の優秀な頭脳が留まってくれないからね」

「まあ何でもいいけど、それの通りに行く薫についていけばいいのね」

 下にスクロールしていくと山の地図もあって、そこにも書き込みがされているのだが、奇跡的な汚さでどの場所を指しているのか全く分からない。

「でも地図だけ見てよく分かるね」

「もちろん、私の頭脳明晰な頭を持ってすればね」

「頭痛が痛いみたいなこと言うな。道が分かっているのは、入学して間もない頃にソフト部の引退した三年の先輩たちと一緒にこの山に入ったことがあったんだとさ」

「何のために入ったの」

「秘密基地を教えてもらうためだよ。学校から近いのに人目を気にしないで良い景色を楽しみながらお菓子とか食べられて楽しかったよ」

「小学生みたいなことをしているのね」

「二人だって山に入って似たようなことしていたんでしょ。まあ、見てなって。きっと感動して涙ちょちょ切れちゃうからね」

「いや、景色じゃなくてツチノコを探すんだろ」

「はっ、そうだった。ありがとう、一花」

「さっそく帰りたくなってきたな」

 一花はため息をつく。



 

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