後編

 必死で探してみたものの、それらしき姿が見つからない。

 ここは大都会。

 おまけに人ごみに紛れてしまえば、人探しは困難だろう。

 そこでふと思い出した。


「ああ、そうだ。スマホ」


 俺はミルクのスマホに電話をかけてみた。

 しかし、何度コールしても電話には出ない。

 俺はスマホでミルクにメッセージを送った。

 しかし既読マークはいつになってもつかない。


 おかしい。

 ミルクは俺に迷惑をかけないように、と一人で出版社へ行った。

 俺の言葉にそれだけ怒っているということだろうか。

 もう俺に用はない、と。

 そう考えると胸がズキリとした。


 ミルクからの返事はない。

 スマホを見ながら出版社に向っているんじゃないのか。

 それとも、まだ待ち合わせには早いからどこか寄り道をしているのか。

 どちらにしてもスマホを手にしているのに、俺の連絡には完全無視。

 そこでふと気づく。


「まさか!」


 俺は急いで公園へと戻る。

 するとベンチには白いスマホが置いてあった。

 招き猫の根付もついているから、ミルクのだ。


 そういえば、この根付は俺が中学の修学旅行で買ってきたミルクそっくりの招き猫だ。

 当時、どこにつけようか迷った挙句、かわいくてもったいないからと引き出しの奥にしまった。

 それをまさか、ミルク本人にあげることになるとは。


「ドジだな」


 そう呟いて、ミルクのスマホを見る。

 すると、ロック画面が目に入った。


 ロック画面は、俺の赤ん坊の頃の写真。


 ついついロックを解除してみれば、待ち受けは家族写真だった。

 ミルクがまだ普通の猫だった頃の写真。


「これを見せたくなかったのか……」

  

 俺はそう呟いた。


 ミルクが自分を落ち着かせていたのは、家族の写真だったんだ。

 つまり、好奇心が暴走にいしそうになった時に、ブレーキになるのは家族の笑顔。

 ミルクにとって、家族こそが一番の癒しということなんだ。


 それなのに俺は、ミルクには浮いた話はしない、だなんてひどいことを。

 しかも、俺が世話をしてやった、なんて偉そうなことまで言ってしまった。

 本当はミルクの世話ができて、俺自身が幸せだったのに。

 今、ミルクは身の回りのことは自分でできている。

 それが俺には寂しかったのかもしれない。

 手のかかる姉が、自分から離れていってしまうようで。


 姉。


 その言葉にふと違和感を覚える。

 ミルクは俺にとって家族であることには違いない。

 だけど、姉という存在はしっくりこなかった。


 その時、大通りのほうで車のクラクションの音が聞こえる。

 我に返り、「とりあえずミルクを探すのが先決だ」と走り出す。


 しかし、やみくもに探しても疲れるだけだ。

 ミルクが行くのは出版社。

 それじゃあ先に出版社に行っているということだろうか。

 寄り道をするという危険をおかすよりも、何時間待ってでも出版社に行く、というほうがミルクらしい。

 そう判断を下して俺は出版社へと急いだ。


 受付で聞いてみても、それらしき人物は来ていないと言われた。

 そもそもいくら早く着いたからって二時間も前から出版社の中で待っているわけないか。

 俺は出版社を出て、ため息をつく。


 どこへ行ったんだ。

 事前にミルクは出版社までの道を調べて印刷までしていたから、ここにはたどり着けるはず。

 じゃあ、この近くで時間をつぶしているのだろうか。

 人の多いところは刺激が多いからいかないだろう。


 とりあえずミルクが好きそうな細い路地を通り、きょろきょろと辺りを見回す。

 すると、自販機がずらりと並ぶスペースがあり、そこにはベンチが一つ。

 ちょうどそこに隠れようにしてミルクが座っていた。


「ミルク!」


 俺の言葉に、ミルクは大きな目を丸くした。


「心配したんだぞ! 一人で行くな!」

「……心配してくれるの?」

「当たり前だろ!」

「私、まだ健太にとって家族なの?」

「当然だろ!」

「妖怪なのに?」


 ミルクが悲しそうな声でそう聞いてきた。


「妖怪……。まあ、そうかもしれないけれど」

「私、もう前のミルクじゃないのよ。健太が世話をしてくれていた頃とは違うの」

「それは、そうだけど」

「私これから人間でいる時間、どんどん長くなるよ。猫に戻れなくなるよ」

「そうか」


 俺はそう言うと大きくうなずく。


「俺にとって、ミルクはミルクだ。猫のミルクも人間のミルクも同じ」

「本当に? 嫌じゃないの?」

「嫌だなんて言ったことないだろ」

「それはそうだけど……」

「さっきは、ごめん。俺、恋バナとか、その、慣れてないからつい」

「うん。しつこく聞いてごめんね」

「俺、ミルクの世話、すげえ楽しかった」


 俺の言葉に、ミルクが驚いたような顔をする。

 勢いをつけるかのように続けた。


「だからさ、ミルク。これからも俺を頼ってくれよ」


 ミルクはホッとしたような笑顔を見せてこう言った。


「ありがとう、健太」



 それから俺たちは、その狭い休憩スペースで話し込んだ。

 俺はカフェオレ、ミルクはコーんスープを飲みながら、思い出話をする。

 人間になったミルクとこうして二人きりで話すのは初めてだった。

 俺のことを赤ん坊の頃からよく見ていたミルクは、まるで母親のように俺のことを語る。


「健太はママがいないと、すぐ泣いちゃってね。かわいかったなあ」


 ミルクはそう言うと、自分のスマホを操作して画面を見せてきた。

 そこには、俺の赤ん坊の頃の写真が大量にある。


「健太ママからもらったものとか、写真をそのまま撮ったものとか、色々とあるのよ」


 うれしそうに言うミルクに、俺は聞いてみる。


「こんなの見てどうするんだよ」

「落ち着くのよ。この無邪気な健太を見ると。私が守ってあげなきゃ、って思えるの」


 ミルクは目を細めてほほ笑む。


「まさか。いつも気持ちを落ち着かせるために見ていたのって、俺の赤ん坊の頃の写真!」

「ちがう」


 ミルクはそう言ってから、こう付け加える。


「幼稚園とか小学校の頃の写真もあるよ」

「親戚かよ……」

「まあ、確かにそういう感覚かもね」


 ミルクはそう言うと満足そうに笑った。


 なんだ、ミルクも俺のことをちゃんと家族だと思っていてくれたんだな。

 うれしいけれど、どこか寂しい気もする。

 なんでだろう。

 


 そうこうしているうちに、十五時近くなり出版社へ向かった。

 俺は出版社の外で待っているつもりだったが、ミルクがどうしても、と聞かなかったのだ。

「私の弟なんですけれど、目を離すとすぐに迷子になるんで」とか言ったら、ミルクの担当だという編集者の女性は快く迎えてくれた。

 おいおいおい。迷子になるのはどっちだよ。


「二屋さんの作品、編集部でもとても評判が良いんですよ」


 編集者の白井しらいさんは、そう言って原稿をローテーブルの上に置いた。

 すらりとした体型の美人で、なんとなくシャムネコを連想させる人だな、と思った。


「ありがとうございます。『フードコート連続殺人事件』は私も大変気に入っています」


 ミルクはそう言ってにっこり笑う。

 フードコート連続殺人事件ってなんだよ……。

 ちょっと気になるじゃねーか。


 まあ、今一番気になるのはミルクの猫化だけれど。

 でも今のところ、ミルクも落ち着いているから大丈夫そうかな。

 そう思っていると、白井さんがこんな言葉を口にした。


「それで、ぜひ書籍化を進めていきたいと思いますので――」

「本当ですか?」

「ええ。はい。シリーズ化もしていきたいと私は思っています」

「シリーズ化……」


 ミルクがそう呟いたところで、ぴょこんと猫耳が生える。

 俺はすかさずミルクにフードをかぶせた。

 ミルクの原稿に視線を落としていた白井さんは、猫耳には気づいていないようだ。


「はい。『フードコート連続殺人事件』は、ストーリーの中で『スマホゲーム殺人事件』にも触れていますので、そちらにつなげていけそうですよね」

「『スマホゲーム殺人事件』で続編が書けたらいいなあって思っていたんです!」


 ミルクのハイテンションが伝わり、慌てて彼女の横顔を見る。

 その瞬間、にょきっとひげが生えてきた。

 あああああああああああ。

 でも、白井さんは見ていないかもしれない。

 そう思って、そちらを見れば、白井さんはさっとローテーブルに視線を落とした。

 見られたああああああ。

 絶対にこれ見られたああああ。


 ミルクも自分の異変に気付き、頬を触ってひげを確認。

 深呼吸をすると、猫耳もひげもなくなっていた。


  

「絶対に見られた……もう私の人生詰んだ……人間二年目で詰んだ……」


 打ち合わせを終え、廊下を歩くミルクはぶつぶつとそんなことを呟く。


「いや、人生終わったわけじゃねえよ」

「でも、少なくとも白井さんは変に思った……。今後の作家人生は詰んだ……」

「なんでそうなるんだ。猫だってバレたわけじゃないだろ」

「だってひげ見られたもん。少なくとも変な人だと思われたよ」


 そう言ってため息をつくミルクに、俺は何とか励ましの言葉をかけようとする。

 ふと、廊下の隅に自動販売機があり、そこにミルクティーが売っているのが見えた。


「ミルクティー買ってやるから元気出せ」


 俺がそう言って自動販売機に近づいたその時。

 自動販売機の横に誰かがいた。


「はい。白井です。お世話になっております」


 白井さんだった。

 しかも電話中。

 俺とミルクは電話の邪魔をしないように(ミルクは気まずそうだし)そそくさとその場を去ろうとする。


「そうなんですよ。あの二屋くるみさんが来てくださって」


 ミルクのペンネームが出て、思わず俺たちは立ち止まる。


「ええ。『フードコート連続殺人事件』の作者の。ええ。そうなんです!」


 興奮状態で話す白井さんの頭に、茶色の何かが見えた。


 猫耳だった。


 俺とミルクは顔を見合わせる。

 すると、今度は白井さんの横顔になにかがにょきっと伸びた。


 あれは、ひげだ。


 白井さんは俺たちの視線に気づき、早々と電話を切った。


「あの、もしかして」


 ミルクがそこまで言うと、白井さんは「見られてしまいましたね」と息をつく。

 それから顔を上げた彼女は人間に戻っていて、それからこう続ける。


「ええ。そうです。私もあなたと同じです」


 白井さんはそう言うと、右手を差し出す。


「これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ミルクは白井さんとがっちりと握手を交わした。

 俺はその光景を見て、ホッとする。

 うれしそうなミルクを見ていると、俺まで幸せな気分になってくるな。


 

 出版社を出ると、ミルクは踊るように歩きながら言う。


「ねえねえ、せっかくだし東京土産でも買っていこうよ」

「ああ、それいいな」


 俺がそう言うと、ミルクがうれしそうに笑った。

 風でフードが取れ、彼女のふわふわの毛が揺れる。

 にっこりと笑ったミルクは、とてもかわいくてきれいだ。

 誰よりもかわいい。

 クラスの女子どころか学校の女子みんなミルクのかわいさには敵わない。


 それは、ミルクがとてもかわいいということもあるが。

 俺自身がミルクのことを……。

 そこまで考えた時にカバンをがさがさやっていたミルクがふと言う。


「あっ。お財布忘れた……」

「おいおい」

「ねえ。ちょっとお金貸してー。家に帰ったら返すから」


 ミルクは俺に泣きついてきた。

 やれやれ世話のかかる姉だ。

 俺はこれからもミルクにこうして頼られていたい。


「しょーがねえなあ」


 俺はそう言いながら財布の中身を見る。

 それから静かに財布をしめ、ミルクにこう告げた。


「帰りの切符は二人分先に買ってある。だから帰ろう」

「え? あ、そうなの?」

「土産は、ミルクがこうして出版社にこれたことにしてくれ」

「今日、こうして健太と東京に来られたことが最高の思い出よ」


 そう言って笑ったミルクは、胸がドキドキするほどにかわいかった。

 ミルクがご機嫌で俺の前を歩き出す。


「初恋の相手が猫又ってどうよ」


 俺は小さく呟いて、はしゃぐミルクを追いかけた。 


 了

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くるみ先生、東京へ行く。 花 千世子 @hanachoco

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