心臓握りのエピローグ

 知らない天井。


 いや、もう知ってる天井って言った方がいいかもしれない。だって昨日もこの病室の天井見て目覚めたし。


 自分が今どうなってるかは、まあわかるつもりだ。


 点滴で栄養が入ってるから栄養失調で死ぬことはない。体は全身筋肉痛と、山盛りの打撲傷に頭蓋骨、肋骨、あと鼻も折れてるかも。あー、こういうのを感覚できるのって最悪かも。


 そしてなにより、心が寂しい。


「あー……お腹すいた。煙草吸いたい」


 欲望を空中に垂れ流していたら、スッともっさり頭が視界に入り込んできた。


「ルリちゃんの前でもいつもそんな感じなんですか?」


 呆れ顔の矢白が、枕元で見下ろしていた。この子にはこういう顔をさせてばっかりだ。


「どうだろ……どう思う?」

「そう言われても困りますよ」


 矢白は枕元に置かれた椅子に腰掛ける。彼女と話すために起き上がろうとしたが、あまりにも痛くて「ンギッ」と声を漏らして動くのを諦めた。


「そのままでいいですから。ルリちゃんも一緒に入院してますけど、ピンピンしてますよ」

「ウソ。だってあんなメチャクチャされてたのに」

「たしかに酷い状態でしたけど、そこは悪魔です。まあハーフなので、入院が必要な程度には怪我人ですよ」


 悪魔恐るべし。やっぱり呪い以外のダメージはかすり傷なのだ。


「色々伝えることがあるので、ちゃんと聞いてくださいね」


 まるで私が話を聞けないダメな大人みたいではないか。もしやあどみが何か吹き込んだか? でもあどみは更迭されてるし……まあいいか。


「親玉を討ったことで、ここの反界は安定しました。先生が動けるようになるまでもう少しかかるでしょうから、その間なにかあれば私が片付けます。安心して寝ててください」

「矢白さんは大丈夫なの? たくさん怪我してたでしょ」

「私はほとんど親玉と戦ってませんから」


 矢白はきっぱりと言う。


 けれど、本当のところはどうだろう。彼女だって黒子の──いや、親玉の徒手格闘をモロに食らっていた。服の上から見えないところは青アザだらけ、というか歴戦の傷だらけなのでは。


「無理しないでね」

「それはこっちのセリフです。ルリちゃんを悲しませないでくださいね」


 この子ルリのこと好きすぎじゃない? まあ女子高生の濃い友情なんてこんなもんだよね。この子なんとなく重そうだし。


「それと。先生はあどみと合わさったことで、祝福の側に立ちました」

「祝福?」

「あなたの所の管理人アドミニストレータは説明というものを知らない?」

「いや、私が訊いてなかっただけかも」

「余計ダメじゃないですか」


 不味い、私の大人としての威厳が猛スピードで消失している。命がけで戦ったから結構威厳ポイントも溜まってたはずなのに!


「悪魔が呪いの概念体であるように、あどみたち管理人アドミニストレータは祝福の概念体なんです。それと合わさった先生は、もう宿命的に闇祓いとして生きていく他ありません」

「養護教諭をやめろってこと?」

「そうは言ってませんが。先生の体調のことを思えば、続けるのはおすすめできませんね。出張を求められることもあるでしょうから」


 そんな事実を突きつけられたとて、どうしようもないのが現実だった。ため息を吐くだけで体が痛い。喧嘩で肋骨が折れた生徒に共感できる経験を手に入れてしまった。


 この四ヶ月、とてもメチャクチャな時間を過ごしてきた。それは闇祓いとしても、養護教諭としてもだ。刺激と刺激の間を行き来して、確かに私の体はぶっ壊れた。今も色んな意味で壊れまくっている。


 でも、楽しかった。


「まあ、いいんじゃないかな」

「わざわざ茨の道を行くんですか?」


 矢白の言い分は的を得ている。祝福とやらの力を手に入れたとて、私が激務にすり潰されるのは変わらないだろう。


「この世の呪いと向き合って、祝福にひっくり返して送り出す……これってさ、なんか私の思う養護教諭と似てるなって思ったんだよね。思わない?」

「……なるほど。あの学校のことを思えば、そういう見方もあるかもしれませんね」


 水乱はむしろ、わかりやすくていい方だ。この世界にはもっとたくさん、多様な形で呪いと呼べるようなものを抱えて生きる子供たちが居る。


 そうしたものと向き合うのも、教師の一つの仕事だ。とりわけ、子供たちの逃げ場所として機能する保健室の先生は、そうあるべきなんじゃないか──と、私は勝手に思っている。


「まあ、私に先生の今後をどうこう言う権利はありません。言うべきことは言いましたから、帰ります。ついでにルリちゃん呼んできますね」


 去り際、矢白は憑き物が落ちたような微笑みを残していった。


「闇祓いの世界は狭いので、また会うこともあるでしょう。では、また」


 どうやら私たちは、あの子の呪いが祝福にひっくり返るお手伝いが出来たみたいだ。そう思うと、この体の痛みすらも甘んじて受け入れられる。


 そして──無性に〈私たち〉の片割れに会いたくなった。


 しばらく待っていると、おそるおそるといった具合に病室のドアが開かれる。


「ルリ、おはよう」


 目をパッと見開いて驚きを見せたルリは、唇を引き結んで俯いたまま枕元まで歩み寄ってきた。矢白が座っていた椅子に腰掛けても、その面持ちは変わらない。


「先生、おはよう。……もうお昼だね」

「そっか。こんにちは、にしとく?」


 くしゃりと歪んだ顔が沈む。こんな顔をさせたいわけじゃないのだけど。


「……もう、目覚めないかと思った」

「そんな大げさな……今日何日?」

「先生、まるまる三日寝てたんだよ」

「マジで言ってる?」


 どうやら寝込んでいたどころか、かなりヤバい状態だったらしい。


 病院に担ぎ込まれた私は、原因不明の高熱を出した。だが体にこれといった異常はなく、解熱剤を投与して様子を見るしかない状況だったとか。あどみに体をいじられた影響だろうか。


 ルリと矢白は意識もはっきりしているどころか動けてしまう状態だったので、いつポックリ逝くかもわからない私を見守っているしかなかったという。


 そう話してくれるルリの目元には、泣き腫らした痕があった。


「そっか。不安にさせちゃったね……」


 ルリの頭を撫でてやろうと手を伸ばしたけれど、寝転がっていたら届かなかった。ので、なんとか届く頬を撫でてあげる。


 すると、頬を撫でるその手をルリが撫で始めた。


 え、なんかこれ……え? これなんか、いいの? この雰囲気、大丈夫?


 なんだか恥ずかしくなってきたので、お茶を濁すためにも話題を振ることにした。


「あれから大丈夫だった? その、色々とあったわけだけど」


 私が頬を撫でるのをやめても、ルリは手を放さなかった。もう放さないと言わんばかりに両手で包み、太ももの上に置かれてしまう。


「うん。平和だった。学校も落ち着いたし、ヤクザの人たち挨拶に来たよ」

「え、挨拶ってどういう挨拶?」

「お菓子持って、ごめんなさいってしに来てくれたの。師匠の名前言ってたし……よくわかんないよね。あ、お菓子後で持ってくるから一緒に食べよ~」


 なにがどうなって挨拶に至っているのかまったく想像出来ない。そこらの人よりヤクザには詳しいつもりだけど、どんな論理が働けばそうなるのか。闇祓いの変なネットワークが干渉してる? それともこの子の師匠がヤバいのか?


 まあ、もうこの際どうでもいいや。なるようにしかならない。そうしてこの四ヶ月、生き残って来たんだし。


「ねえ。先生はさ、これからどうするの?」

「これから? ん~、まあ闇祓いは続けなきゃいけないみたいだし。養護教諭も出来るなら続けたいし。怪我が治ったら前と同じになるんじゃないかな」

「それじゃあ……」

「うん。大丈夫、ちゃんとルリのそばに居るから」


 この子は私が見ていないとダメだ。それは色んな意味で、と言えば簡単だろうが、上手く言葉にできずに居る。


 出会いはメチャクチャだった。でも、この子と一緒に戦って、一緒に過ごして、似たような苦しみを分かち合って──長いようで短い、素敵な時間たちだった。


 なによりこの子を失いたくなかったし、なによりこの子と並んで歩きたかった。


「そうだ。ルリ、私からも訊いていい?」

「なあに?」

「初めて会ったとき、どうして私を助けようと思ったの?」


 そういえば訊いていなかったのが、ふと気になった。この子から言い出さなかったのは、もしかしたら言いづらい考えがあったからかもしれない。


 喋り出さないようなら訊くのをやめようかと思ったが、声が発される前に、顔を赤くしたルリの手が動いた。


 ルリの手は私の手を包んだままだ。その手が持ち上げられて、ルリの胸に当てられた。


 心臓の音。速い。とても、速い。


 私の手がベッドの上に置き直される。シーツの冷たい感触。けど、体は熱を持ち始めている。感じたルリの鼓動に合わせて、私の胸も早鐘を打ち出す。


 視線が合わさる。逸らせなくなる。ルリが身を乗り出すのを、ただ見つめていることしか出来なかった。


 唇に、唇が重ねられた。


 すぐに唇は離れていった。そして、ルリは耳元で囁いた。


「本当に信頼してる人には、唇にしてもいいんだって」


 それだけ言うと、ルリは立ち上がって病室を離れようとする。


 私は体中の痛みも構わず起き上がり、ルリの背中に向かってはっきりと告げた。


「初めて! だったんだ、けど……」


 ルリは真っ赤にした顔を振り向かせる。


「わたしも」


 ふひひ、と笑ってルリは病室を後にした。


 パタパタと聞こえていたルリの足音を、鼓動の音が塗りつぶした。

 感覚を反芻すると、世界に不思議な光が満ち始める。ルリのことを考えるだけで、私の全部がぐるりと変わり出す。


 どうやら私の心臓ハートは、あの悪魔に握られてしまったようだ。

                                

 〈おわり〉

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デビ×デビ→放課後デビルハント いかろす @ikarosu000

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