13.悪魔たちの祝福

 不思議と、この弾丸は痛くない。


 ただ、入ってきた途端に体が沸騰する。


 あまりの熱さに、汗が出る前に体がおかしくなって震え出すんだ。力を発動する前に、この時点でもう吐いちゃいそうになる。


 そして、わたしの中でなにかが目を覚ます。それはわたしを突き破って表に出てきて、全部を壊そうとする。先生も含めた、なにもかも全部だ。


 その、負の念としか言いようがないものを、わたしの感呪性が拾っていた。


 させない。


 わたしが先生を守る──いや、先生とわたしで一緒に勝つための力だ。誰にも邪魔させない。わたしの中に居る奴だとしても、勝手だけは許さない。


 ねじ伏せる。

 震えが止まる。

 加熱された状態で体が安定する。



「天宮ルリ、あくまでJK。よろしく……!」



「それこのタイミング用のセリフなのね」

「決めゼリフは大事ってお父ちゃんが……」


 おっと、こんな話をしてる場合じゃない。もう戦いは始まるんだ。


「おいおい君ら、こんな時までコントしt」


 肉薄──一撃。


 黒子さんは吹っ飛んで、ガードレールに当たって道路に転がる。


 距離が離れたので離脱の必要はなかった。その間に先生が撃ったドンッ弾丸が地面の黒子さんを狙う。


 黒子さんは曲芸じみた動きで立ち上がり、銃弾を回避した。


「はっや。マジかいルリちゃん」


 話に応じる気はもうない。構えを取って、呼吸を見ながら肉薄。そのまま拳を叩き込む。


 が、黒子さんはスルリと回避してみせる。流石に速いし、戦い慣れてる。

 けど、回避した先には──


貰ったドンッ


 先生の撃った弾丸が待っている。


 弾道に入り込むようにして、黒子さんは肩に弾を受けた。

 先生はわたしのヒットアンドアウェイの戦い方をよく理解している。だから、わたしが殴って離脱と同時に先生が撃つ、という流れは鉄板だ。


 今回はわたしのパンチこそ避けられたけど、黒子さんがわたしの速さに適応し切れていなかったに違いない。


 結果、パンチを打たれて仰け反るのと同じコースに回避してくれて、先生の弾丸が入った。


「っ、二人になった途端これかい」

「まだだよ」


 先生がダメ押しにもう一発ドンッ。けど、黒子さんはさらりと避けてしまう。


 その避けた先に、わたしのパンチが待っている。


 わたしと先生は常にお互いの動きを確認し合っている。それは視界に入れるのもそうだけど、感呪性を通してお互いを感覚し合うことでも繋がっている。


 過ごした時間が長いほど、互いの手触りはよくわかる。


 わたしの拳が黒子さんの顔面を捉え、先生の弾丸ドンッが腹に突き刺さった。


 しっかり入ったコンボでのけぞった黒子さんは、道路標識に掴まった。もしかして、なにかに掴まらなきゃいけないくらい弱ってる?


 けど、黒子さんは「フン」と一息でその道路標識を抜き取り、槍みたいに振り回してきた。振るわれる度にゴウと風の音が立ち、それが猛スピードで乱舞する。


 ──当たったらスッパリ斬られちゃう!


 簡単には近づけなくなった。わたしは一旦距離を取る。


 すると、黒子さんは振り回すのをやめて標識を担ぎ上げ、槍投げの要領でそれをブン投げた。


 風を切ってまっすぐに飛ぶそれを、わたしはサイドステップで回避しようとした。

 けど、避けたら後ろに立ってる先生に当たっちゃう! 


 それを感覚したわたしは、飛んできた標識をブン殴って叩き落とした。止まれの標識がくの字になって転がり落ちる。


 黒子さんは矢継ぎ早に辺りの物を投げつけて来た。石ころ、自転車、ガードレール。すべて拳で叩き落とす。看板、街路樹、自販機、そして自動車。投げて来るのが速すぎる!


 車は流石に叩き落とせない。体全体で受け止めて、その辺に放り捨てた。


「ルリ! 前!」


 先生の声を受けて黒子の方へ向き直ると、わたし目掛けて六人の黒子さんが駆けてきていた。


 ──分身して投げてたんだ!


 黒子さんの分身能力。さっき袋叩きにされたのに、すっかり考えの外だった。


 モタついているわたしに気づいてくれたのか、先生が撃ってドンドンッ援護してくれる。けど、弾丸は二発とも回避されてしまった。


 さっき殴られた時にわかったこと──分身は本体ほどじゃないけれど、かなり強い。一体一体相手にするのは簡単じゃない。それが、六体。


「それだけやないで」


 互いの距離が一メートルぐらいになり、もう殴らなきゃ始まらない──となった矢先に、黒子さんの顔がドロリと溶ける。


 そして、そこに先生の顔が表れた。


 顔から体の体格まで、まるで先生と同じ姿に変貌した。それが、六人。


 ⇔


 黒子が他人に化ける力を持つのは、先程ルリに化けたのを見て知っていた。それをルリに教えておくべきだった、と気づいた時にはもう遅い。


 私のリロードも随分こなれたものだ。懐から、弾を詰めたスピードローダーを取り出して装填。三秒で終わる。


 しかし、三秒すら待ってくれない有事が目の前で起きている。


 ルリに化けた黒子を前にして、わたしは撃つことが出来なかった。ルリではないとわかっていたのに。では、ルリは?


 銃を構えたとて間に合わない。その上、ルリを撃ってしまうリスクから援護射撃も一筋縄ではいかない。


 このままではルリが囲んで叩かれる。

 そして時間を稼がれれば、ルリは行動不能になる。


 私に化けた黒子を前にして、ルリの勢いは確実に緩んでいた。普段の何倍も鋭敏に感覚しているからか、彼女の微細な行動から意思が読み取れてしまう。


 ──ルリ、私に構わず殴って!


 祈りながら、リロードを終えた銃を構え直す。



「バカにすんな!」



 ルリの拳が私の顔面に突き刺さっていた。

 いや、正確には私ではないのだが。


 あの子の口ぶりからして、私の分身が私でないことを即座に見て取り本気で殴ったのだ。


 なんていい子なんだろう……私はそれに報いるため、顔面を凹ませた私を即座に撃ち抜いた。


「先生はな……」


 うんうん。先生は?



「もっと眠そうだし、髪のツヤもないし、煙草吸いすぎで元気に走ったりできないんだからな!」



 ルリの鋭い一撃が分身を吹き飛ばす。私はそいつに狙いを定めて一発ドンッ。完全に狙いを誤っていたが、呪いがカバーして当ててくれた。どうしようあの子。


「私の先生をこれ以上!」

「ルリ! もういいから!」

「え? なに?」

「黙ってぶっ飛ばしなさい!」

「りょ~~~かい!」


 ルリを囲む分身がゲラゲラ笑いだし、その顔が黒子の物へドロリと戻る。


「あんたら最高やで」

「「うっさい!」」


 ⇔


 先生に化けるなんて許さね~~~~!


 と思ったら、黒子さんの顔に戻ってしまった。さっきの顔の方が本気で殴れるから良かったんだけど。


 そして、黒子さんの顔に戻った途端、分身の動きが素早くなった。


 化けるのにも力を使うみたいだ。先生に撃たれて消えた分身もいつの間にか補充されて、今度は六人に囲まれる形になる。


「一対多はやりにくいやろ」

「そうかもね」


 構えはそのまま、わたしは周囲を囲む黒子さんたちを感覚する。

 だけど、攻めて来るのを待ってるわけにはいかない。わたしには時間がないのだ。


「でも、たくさんの人相手ならさ」


 わたしはその場でビュンと跳躍し、黒子さんの顔面に蹴りを叩き込んだ。


「最近やってんだよね──喧嘩」


 その顔面を踏み台に、ジャンプ! 蹴り飛ばした黒子さんに先生の弾丸ドンッが突き刺さり、分身が消えた。


「正々堂々やってみろ! クソ悪魔!」


 そのまま空中で、蹴り! 回し蹴り! そのままパンチに、キックに、とにかく叩き込みまくり! わたしの拳と足蹴にが、竜巻のように悪魔どもをブッ飛ばす! そして弾丸の雨が降る! おりゃドンッおりゃドンッおりゃドンッおりゃドンッ〜〜〜っ!!!!


「君の言う通りやわ」


 分身をすべて消し飛ばしたところで、背後から声が立つ。気配がしない──隠形術で身を隠していたんだ。振り向いた瞬間、猛烈な蹴りが顔面に叩き込まれた。


 今までにない威力に、一瞬視界がまっ白になる。もしかして、今まで手抜いてた?


「正々堂々、一対一でやらんと」


 意識を取り戻すまでに一瞬。バタバタと立つ足音に振り向くと、黒子さんが先生目掛けてすさまじい速度で駆けている。


「先生逃げて!」


 先生は半身だけ体を黒子さんの方に向けて、撃ちながら逃げる。


 けど、撃っても撃っても黒子さんは避けてしまう。回避のために走るスピードは緩んでいるけれど、リロードの間に追いつかれてしまう。


 わたしはくの字に曲がった止まれの標識を拾って、投げやすいよう真ん中で叩き折る。


 でも、このまま投げても避けられちゃう。


 ──先生、どうしよう!


 槍投げの姿勢を取りながら、先生の方へ視線を投る。


 ──大丈夫。


 先生の目が、そう告げていた。


 撃ったドンッ。顔面を狙った弾丸は難なく右に回避される。


 それをわかっていたようなスムーズな動きで、先生は黒子さんの足元を狙って撃つドンッ


 黒子さんは跳んで回避し──そのまま、先生の顔面に前蹴りを叩き込む。靴が顔にめりこみそうな威力の一撃に、先生はあえなく吹っ飛ばされた。


 今だ。先生を心配してる暇はない。心配の前に、今は信じる。


 構えた槍を、まっすぐに投げた。


 先生を蹴り飛ばした姿勢で滞空する黒子さんの腹を鉄の棒が貫いて、そのままビルの壁に突き刺さった。


 黒子さんは空中にぶら下がり、完全に動けない状態になっている。


「先生! 今だよ!」

「ありがと、ルリ」


 寝転がったまま射撃姿勢を取っている先生は、今の蹴りで折られた歯を吐き出しながら引き金を引いた。


 リロード直後、放たれた六発の銃弾ドドドドドドッが無防備な黒子さんに突き刺さる。


 苦しげな黒子さんが、ビルに刺さる鉄棒を叩き折って地面に降りて来る。


「ルリ、やっちゃって」


 先生が撃っている間に、わたしは黒子さんの元まで駆けつけている──肉薄。


「ぶっ、飛べ~っ!!!」


 一撃。


 全力全開のアッパーを腹に叩き込み、その威力で黒子さんを空までぶっ飛ばす。

 そして打ち上がった黒子さんを、リロードを終えた先生の弾丸たちが貫いた。


 ⇔


 顔が痛すぎる。


 空中に浮かぶ黒子を眺めながら、私は涙と鼻血を垂れ流していた。


 黒子に蹴られた顔面が割れるように痛い。たぶん割れてる。でも実際に割られたっぽいルリの前でそんな冗談を言えるわけもなく、私は折れた歯を残さず吐き出す。ペッペッ。


 凄まじい衝撃だったし、正直死を覚悟した。黒子をジャンプさせてルリにどうにかしてもらう作戦ではあったが、飛び蹴りをもらう想定はしていなかった。


 悪魔があまり武器を使わない理由を体で理解させられた。凄まじい膂力を有する体の方が、そこらの武器より有用なのだ。あどみに体を書き換えてもらっていなければ、アレでお陀仏だっただろう。


 しかしなんといっても──黒子を誘ってジャンプさせるというテクニックだ。

 もちろんあんなの、私のスキルとアイデアにはあるわけがない。あるのはルリとのコンビネーションだけだ。


 黒子が向かい来る最中、誰かが囁いたような気がした。そして、それを実行するだけの力もどこからか備わって来た。これがあどみの言う「呪いが支える」ということなのか。


 とにもかくにも……なんとか生きている。それがなにより肝要だった。


 既に用意したスピードローダーは使い切ってしまった。弾丸は持って来ているので、それを装填すれば使えるが。


「危なかったわ」


 感覚──本能に任せて半歩下がる。


 鉄の棒が飛来して、ドでかい音と共に私の足元に突き立てられた。黒子の腹に刺さっていたものだ。回避できたのは奇跡と言える。


 不意に、視界を何かが駆け抜け、異物感を覚えた。


「……なに、これ」


 私の腹に、黒子の手が突き刺さっていた。


 見上げれば、空中で黒子が四人に増えていた。

 一体は片腕がない。千切って私に投擲したんだ。

 そして、黒子が黒子を掴み、私目掛けて投げつけてきた。


 私は急いで懐から弾丸を取り出し、詰められるだけ詰めて上を向く──が、既に分身が目の前に着地している。


 足元へ撃つドンッ。しかし転がって回避された上、さらなる分身が降ってきて銃を構えた腕を掴み上げられた。思わず引き金を引いてドンッしまい、せっかく入れた弾が宙を撃つ。


 そして、もう一人の分身に腹を蹴り上げられる。体が浮き、腹が飛び散ったような錯覚と共に吐血した。


「ありゃ、貫いたんやけどな」


 私はもう人間じゃない。あどみのおかげで人間をやめ、その力が私を守ってくれている。


 それでもなお、交通事故を凝縮したような一撃。いっそ穴を開けられて死んでいたほうがマシだったとすら思ってしまう、悪魔の親玉の本領。


 あまりの痛みと恐怖に、その場に蹲る。立ち上がって戦わねばと思っているのに、本能が脚を震わせていた。


 立て、立て私。立って戦え。撃て。


 その時、手にあるべき感覚がないことに気づいた。


 銃を奪われていた。


 ルリはこちらに向かって駆けてきており、途中降ってきた分身を捻り潰して見せた。やっぱり強い子だ。


 それでも、間に合わない。


 黒子は奪った銃を握り直すと、素早く銃口を向けて私を撃ったカチッ


「なんや、弾入っとらんやん」


 一瞬だった。黒子が、本気で殺そうと動いているのだ。

 今撃ち切ってなかったら、殺されていた。


「弾がなけりゃ、ただのゴミやんな」


 黒子は銃を両手で掴む。握るその手が焼けたように煙を上げているのは、おそらく呪いのためだろう。悪魔にとって、やはり呪具は有害なのだ。


 有害だからなんだというのか。

 使えなければ意味がない。


「よっ」


 私のM66は、真っ二つに手折られた。


「なんやこれ……キモい銃やな。えんがちょ~」


 分身は銃を放り捨てると、半透明になりやがて消失する。


 そして、私の腹に刺さっていた手も消失し、傷口から血が溢れ出し始めた。


 刺し傷は刃物を抜くと出血が増える。その性質を逆手に取って、刺した分身を消すことで出血量を増やしたのだ。心臓や太い血管を抜かれていたら確実に失血で死んでいた。


 傷が深い上、銃は失われた。万全に戦えるのは最早ルリだけだ──そう考えて顔を上げたとき、私はこの戦いの終わりを悟った。


 これまで八面六臂の活躍をしていたルリは、四つん這いのまま動けなくなっていた。


「そろそろ一分超ってとこやな」


 ⇔


 先生を守らなきゃ、と走っていた矢先。意識が朦朧として、いきなり視界が白くなる。


 戻った時には、四つん這いになって胃液を吐いていた。

 わたしが吐いたってことは──


「おつかれちゃん」


 腹を蹴り上げられて地面に転がされる。


 そして、黒子さんは寝転がったわたしをサッカーボールみたいに何度も蹴りつけて転がした。完全悪魔モードの反動で体がまったく動かない。されるがままに蹴られ続ける。


 わたしと同じ様に転がされていた先生がよろよろ立ち上がるのが見える。でも、先生は銃を壊されてしまった。アレがないと悪魔には攻撃出来ない。


 それでも、先生は立とうとしている。


 なら、わたしだって。


「あ、その印」


 黒子さんの視線は、わたしの胸元に向かっている。さんざん殴られたり蹴られたりしている内にセーラー服が破けていて、胸に刻まれた術の印が露わになっていた。


「ルリちゃん、たしかお父ちゃんもお母ちゃんも死んだ言うとったな」


 そう言って、黒子さんがケタケタ笑う。嫌な予感がした。まだ体に力は入らない。


「なるほどなあ。産まれてすぐに隠形が使えるとも限らんし……お父ちゃんは悪魔上がりやったか」

「やめて」

「その印がお父ちゃんか」



 誰にも言ってなかったし、誰にも言いたくなかった。

 いつか先生になら、話してもいいと思っていた。


 そもそも、悪魔と人間のハーフなんて生まれるはずじゃなかったんだ。悪魔上がりは普通の人間とほぼほぼ変わらないから、人の子供が生まれるはずなんだってお父ちゃんは書いてた。


 でも、わたしは生まれた。お母ちゃんの命を奪って。


 悪魔上がりのお父ちゃんには感呪の力なんて備わっていなくて、隠形術をかけることは出来なかった。


 でも、闇祓いが使う術は世界中の〈魔法マジック〉とか〈呪詛カース〉が基礎になっていて、呪いと祝福の巡りに感応できる闇祓いじゃなくても使うことはできた……って書いてあった。


 なにかを生贄にすれば、だけど。


 お父ちゃんは、自分を犠牲にして術を作った。


 わたしは物心もつかない頃には天涯孤独になっていて、師匠の家で暮らすことになった。


 この事実を知ったのは、ほんのちょっぴり前のことだった。ルリが大人になった時に開くようにって渡されてた手紙に書かれてた。


 もう高校生は大人だろうって、手紙を開封したんだ。手紙の最後には、ルリの未来にたくさんの祝福を、って書かれていた。


 お父ちゃんはたしかにもう居ない。

 でも、わたしはお父ちゃんを知っている。


 お父ちゃんが残してくれた虎の巻もそうだけど、わたしの中に流れる何かの中にお父ちゃんを感じるんだ。それに、お父ちゃんがよく知っているお母ちゃんのことも。

 でも、それは誰にも言うことが出来なかった。


 わたしの生まれのこと、悪魔のことは誰にも明かせない。言ったところで信じてもらえるわけもない。


 だからわたしは、わたしの中に流れるこのぬくもりを、一人で抱きしめて過ごしてきた。生まれてきたことを嫌にならないために、悪魔でJKなんだと、自分の生まれを大事にしようと言葉にしてきた。


 誰にも言ってなかったし、誰にも言いたくなかった。

 先生になら、話してもいいと思っていた。



「なあソフィちゃん、この印見たことあるか? イマドキ珍しいからじっくり見とき! あ、ラブラブな二人やさかい、もう見とるか!」


 ちゃんと、わたしの口から話したかった。

 お父ちゃんとお母ちゃんが、わたしを大事に生かしてくれた、証だったから。


「なに笑ってんだ」


 先生はいつのまにか立ち上がり、黒子の真後ろまでやって来ていた。


「なんやソフィちゃん、顔こわ──ぶぼ」


 先生の拳が、黒子の顔面を捉える。


「なに笑ってんだって、訊いてんだよ!」


 今までに見たことがないくらい怖い顔の先生が、黒子さんを何度も、何度も殴りつける。


 ああ、あんな顔じゃ悪魔先生って呼ばれちゃうのも仕方ないよ。悪魔より怖いもん。パンチもなんか、普通に効いてそうだし。


 やっぱり先生はすごいなあ。最初はかわいい人だなって思ったのに、どんどん違う顔が見えてきて、どんどん好きになる。


 嬉しくてたまらなくて、わたしの中を流れる二人も一緒になって喜んでくれてる気がする。


 先生のためなら、わたしは何度バカにされても、倒されても、立ち上がれる。


 ⇔


 武器がなくても戦える方法を、早急に見つけなくてはならなかった。


 そこで想起したのは、初めてあどみと会った時の言葉だった。


『先生の手と一体化したそれは、呪具に力を込めるための手袋です。あなたの持つエネルギーを変換してくれる上に、呪いから守ってくれます』


 それはおそらく、カロリーを呪いに変換し、銃弾に込めて撃ち出すということ。

 そこで私は考えた。つまり、カロリーを変換した呪いを込めて、この拳で殴ることも出来るのではないか、と。


 もしそれが可能だとして、あどみが教えてくれなかった理由も推測できる。絞りカスみたいな感呪性しかない私が悪魔とステゴロやったってどうしようもない。サラッと殺されて終わり。助けた命が無駄になりましたね、というわけだ。


 でも、今の私は違う。いちかばちか、賭ける価値はある。


 そこで、黒子が語り、笑い出した。ルリの胸の印のことを。


 ルリの反応で、それが真実なのは一目瞭然だった。言いふらされて、笑われて、ルリは傷ついていた。


 気がついたら、殴っていた。


 そして、妙な手応え──効いている。


「そのくせえ口閉じやがれ、クソ悪魔ァ!」


 人を殴るのなんてもう長いことやってないが、怒りが沸点に届いた刹那、体にあの頃の感覚が戻って来た。


 それに、あの頃みたく制御できない怒りじゃない。私は私をコントロール出来るようになっている。ちゃんと考えられる頭でもって、こいつをメチャクチャにブッ殺してやると決意して拳を振るっている。


「もう閉じとるで」


 私の乱打に合わせたカウンターを顔面に貰った。たった一撃貰っただけで意識が飛び、もう一度殴られた衝撃で目が覚める。ちゃんと首から上が残ってるかどうか確認したくて顔を触っていたら、もう一撃貰って視界が白く染まった。


 痛い。腹の血も止まらない。せっかくあどみに頑丈な体を貰っても、強い悪魔相手じゃどうしようもない。


 だとしても、私が死ぬまでは殴り続けてやる。


 気合で意識を取り戻した瞬間、余裕を浮かべた顔の黒子が私の方へとよろけた。空かさず、差し出された頭に拳を叩き込む。


 黒子の後ろには、ピカピカの笑顔を浮かべるルリが立っていた。この子が殴って怯ませてくれたんだ。


「先生、手伝うよ!」

「ルリ、殺るよ!」

「よっしゃーーーーーーっ!」


 私とルリで黒子を挟み、交互にパンチを叩き込む。優れた技術を持つルリがリズムを取り、彼女の一撃が入るに合わせて私の拳を叩き込む。


 シンプルに強いルリの攻撃。呪いが乗った私の攻撃。互いの欠点を埋めて機能する乱打の応酬に、殴られ続ける黒子は対処を迷って視線を踊らせる。


 だが、対策方法は実にシンプル。黒子の隣に二体の分身が現れた。


 分身はそれぞれ私とルリを相手取るべく躍りかかり、本体はニタニタ笑いを浮かべて走り出した。逃げる気なのだ。


 ついに奴が背中を、弱みを見せた。

 とにかく分身を排除しないと──その時、身に覚えのある鋭い感覚が迫り来る。


「ルリ、止まって!」

「なんで⁉」

「いいから!」


 次の瞬間、私たちの前に立つ分身が細切れになった。


 本体はこの攻撃を察知していたのか、その場で跳躍して回避している。しかし間に合わなかったのか、左足がグチャグチャに刻まれていた。


 五十メートルほど先、私とルリが再会を果たした辺りに立つ影──折れた日本刀を抜き放って構える女子高生。


「ヤシロちゃ~~~~~ん!」


 ルリの上げる黄色い声に、矢白は微笑みだけ返してまた視線を鋭くした。戦いはまだ終わっていない。


 逃げた本体を、既にルリが追っている。脚を刻まれているおかげで黒子の走る姿勢はおぼつかず、ルリの俊足がすぐさま追いついて回り込んだ。


「出さないの? 分身」

「乙女は気まぐれやねん」


 常に笑いを絶やさない黒子に対し、ルリが素早いフットワークで肉薄する。


 黒子は立ち止まり、迎え撃つ構えだ。対するルリが躊躇なく距離を詰める。


 それに追従し、私も黒子に近づいた。矢白も走ってこちらに向かって来ている。


 追い詰められた形になった黒子は、ルリに躍りかかった。殴る蹴るの攻防ではなく、取っ組み合いに持ち込もうと言わんばかりのタックルだ。


 現状、この場で最も脅威になるのは矢白の飛ぶ斬撃だ。しかしルリや私に接近しておけば、一緒に斬ってしまうかもというリスクから技を出せない。妙案だ。


 しかし、その狙いをルリの方が上回った。


 一瞬掴み合いに移行した二人だが、ルリが黒子の腕を掴んで引き、組み付き、首に腕を回して締めかかる。そのまま共倒れになり、拘束する構え──寝技だ!


「どこが蜂や」

「実践するの初めてだから──殺しちゃっても許してねッ!」


 ルリの腕に力がこもるのが見て取れる。すると一気に黒子の首が締まり、顔が真っ赤に鬱血した。流石の彼女も弱っているのか、黒子の細い目が見開かれた。


 瞬間、ルリの頭のすぐそばに分身が現れた。


 分身は脚を振り上げ、ルリの頭を踏み潰そうとしていた。拘束を解かなくては回避できない!


 だが、分身は細切れになって霧散した。


 矢白がやってくれたのだ。分身はルリからある程度離れているので、ルリを巻き込んで斬ることもない。


「先生ッ! 後は頼みます!」


 背後から届く矢白の叫び。

 振り向くと、鋭い眼差しを維持したまま、地に倒れている矢白の姿が目に飛び込んで来た。


 矢白の技は凄まじい威力を有している。それはおそらく、使用するエネルギーの量も半端ではないということだ。大量の血を流して消耗していたのだから、尚の事だろう。


 矢白は動けず、ルリは闇祓いの力がない。


 やれるのは、私だけ。

 やるしか、ない。


 走り出そうとした時、足に固い物が当たった。視線を下ろすと、そこには破壊されたM66が転がっている。


 その時、私は初めてこの銃を──四ヶ月苦楽を共にしてきた相棒の、本当の姿を見た。


 この黒鉄の中を呪いが渦巻いていて、折れた先から溢れ出している。


 こんなものを使っていたのかという驚愕。そして、これは使えるのではないかという直感。


 折れた銃を拾い上げ、黒子とルリの方へ走り出す。


「先生! やっちゃって!」


 言われなくても! 


 私は銃口部分を握り、折れて尖った銃床部分を刺すために振りかぶる。三メートル。二メートル。一メートル。


 絞められている黒子が、笑った。


 私は真後ろへ、即座に裏拳を叩き込んだ。


 手応えあり。背後に、分身が現れていた。


 私は確かに背後に現れる分身を感覚していたが、その前にヤマを張ってもいた。

 黒子は自身の周囲にしか分身を出せない。絶対にもう弱っている。


 だからこそ、ここで絶対に仕掛けて来る。


 私の信頼に応えてくれた黒子へ、裏拳は見事に決まった。だが私の実力では、殴るだけでは分身は消せない。折れた銃身を振りかぶり、突き刺さんとした。


 次の瞬間、分身の腹からもの凄い勢いで刀が生えてきた。


「先生! 力を無駄遣いすんな!」


 消耗し切っているはずの矢白さんが投擲してくれたのだ。


「ありがとう矢白さん!」


 分身はすべて消失した。残るは本体のみ。


「この街でたっぷり育った呪いらしいから。あんたに返すよ!」


 今度こそ、振りかぶった銃床を黒子の胸に突き立てた。


 刺した傷が光を放ち、やがて煙を上げ始めた。きっと効いている。黒子が声にならない声を上げながら暴れるが、ルリの拘束が効いている。


 叫ぶ黒子の体は形を失いながら変形を繰り返し、私やルリ、その他様々な人の姿に変貌していく。だが、最終的には黒子の姿に戻っていった。


「っ……いつか地獄で会う時が楽しみやなあ、ソフィちゃん?」

「残念だけど、私天国行くから。あんたとはもうこれっきりだよ」

「はっはっは! 先生、あんたもうこっち側や。天国とか地獄とかしょーもないこと言うてる暇ないで」

「先に言ったのはそっちでしょ!」

「悪魔ジョークや」


 黒子は徐々にうなだれていき、完全に脱力した。それでもルリは拘束を解かず、私は胸に突き刺した銃床を握り続けている。


「あんたが苦しんで死ぬことを祈っとるで。それまでせーぜー楽しむことや、先生」


 やがてその体が霧散する。綿抜黒子を名乗る悪魔。そして、かつて羽鳥黒子としてこの世界を守るために戦った闇祓いの肉体が。


 そして持ち主の消失に呼応するように、M66も塵となって消えた。


 風に乗って塵は赤褐色の空に上っていく。それをぼんやりと眺めていた。

 静かだ。今の今まであんなにも音で溢れていた世界に、平和な静寂が──


「先生!」


 静寂をぶっ壊し、ルリがすさまじい勢いで抱きついてきた。

 私も腕を回してきつく抱き締める。ずっとこうしたかったし、ずっとこうしてあげたかった。


「先生……よかったぁ」

「ルリは大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫!」

「そっか」


 私はそっと、ルリの頬に口をつけた。


 ルリもまだまだこれに慣れないようで、すぐに顔が真っ赤に染まる。最初は自分からやってきたというのに。


「私のために命がけで戦ってくれたんだから。これぐらいの感謝は必要でしょ」

「先生、教え子にキスはキモすぎ」


 ルリは返事ができる状態じゃなかったので、代わりに矢白の野次が飛んできた。

 先程まで倒れていた矢白だったけれど、ゆっくり足を引きずるようにして近づいて来たのだ。しかし立っているのも辛いのか、その場に腰を下ろした。


「悪魔流の挨拶なんだって。素敵じゃない?」

「挨拶……は~ん。ルリちゃん、やるねえ」

「ヤシロちゃん言わないで!」


 二人はなにを話しているのやら。まあ、子供たちの間に割って入る必要もないだろう。


「それはそうと。先生、ありがとうございました。お姉ちゃんを祝福の巡りに導いてくれて」


 矢白が今までにないような優しい笑みと共に頭を下げる。

 しかし、私は彼女の言い分もなにもまるで理解が出来ていない。


「矢白さん、顔を上げて。で……祝福とか巡りって、なに?」

「はいぃ?」


 これはまたごめんなさい案件の気がしてきた。てか説明事項多すぎるし、仮にあどみが初日からこれ教えてたとしても覚えてらんないっての!


「んなことも知らんで闇祓いを……あんたなんなんですか、本当に」


 もう矢白も呆れて笑ってしまっている始末だ。私はなにも知らないし、教えてくれるあどみもそばに居ない。矢白先生のレクチャーを大人しく受けることにする。


「呪いで呪いを相殺する。ひっくり返って祝福に変わるそれを、この世界の流れに乗せる。呪いと祝福の巡りはそうして保たれているんです。で、保ってるのが、闇祓いってわけで」

「マイナスとマイナスをかけてプラスを作ってるってことね」


 矢白はあまり納得行っていない様子だった。言い返したいのはこっちの方だ。常識外れはいつも闇祓いの専売特許だろってね。


「それでいいですこの際。で……先生が使ってた銃は、お姉ちゃんが使ってた銃でした。そこにはきっと、お姉ちゃんの呪いも混じってたことでしょう。人は無自覚に呪いを振りまくものです」


 それは、なんとなくわかる。人が生きている限り、負の念とは無縁でいられない。


 黒子は戦争や貧困を例に挙げていたが、それよりもっと小さな負もこの世には溢れている。そして、一見その小さな負がトリガーとなり、悲劇を起こすことも少なくはない。


「あの銃で、お姉ちゃんに化けた悪魔を倒した。きっと、これでお姉ちゃんは祝福の巡りに乗ったと思います。だから、ありがとう。私一人じゃ、きっと叶わなかった」


 この子はずっと自分の正体を隠して、姉の仇を討つためこの街に留まっていた。


 なるほど、あの不良高校に似つかわしくないわけだ。これほど決然とした意思を持って生きられる子は、あの学校じゃ受け止め切れまい。


 そして、そんな強い子が、たった十五年の人生で生まれるまでの苦節を想う。


 この子がこの街に来て、ルリに出会えてよかった。その強い心を支えてくれる友人に出会えて、本当に良かった。


「私とルリだけでもどうにもならなかったよ。こちらこそ、ありがとう、ね……」


 喋っていると、急に眠気がやって来る。体の力が抜けていき、ルリを抱き留めることすらままならなくなった。


 ああ、そういえば私、腹から大量出血してたんだった。


 抗えないままに倒れると、ルリが受け止めてくれた。ああ、前にもこんなことがあったような。あの時は私がルリを受け止めたんだっけ。


 意識がスッと抜けていく。殴られて気絶するよりは気分が良かった。ルリが揺さぶったり頬をものすごい勢いでひっぱたいて起こそうとしていたけれど、流石に無理そうだ。てか痛いからやめてやめて。顔腫れるって。


 顔のヒリヒリを感覚しながら、私は意識を落っことした。


 ⇔


「先生! 先生起きて! 死んじゃやだ~~~~っ!」


 いきなりコロッと倒れた先生をぶん回したり叩きのめしたりしてみるけれど、起きる気配がまったくない。


 ヤシロちゃんに「逆に死んじゃうって」と止められるまで続けたけれど、先生はまったく動かなくなってしまった。やばいやばい!


「ルリちゃん、先生横にして」


 言われた通り先生を横たえさせると、ヤシロちゃんが先生のそばへ。

 そして、先生の服を千切って血まみれのお腹を広げてしまった!


「すごい出血。普通なら死んでるよ」

「ヤシロちゃんえっち!」

「グロいの好き?」

「や、服破るのってなんか……ね」

「なるほど、先生に言っとくね」

「やめてよ〜っ!!」


 そうこう言ってるうちに、ヤシロちゃんがちょちょいと処置を済ませてしまう。先生のお腹の傷は、呪いをまとった黒い糸で縫い留められた……らしい。


「ほんとに大丈夫? 先生死なない?」

「大丈夫。この人もう人間じゃないから」

「でも、苦しそうだし……」



「大丈夫ですよ。死にはしません」



 舌足らずなかわいい声がかかると、それに習うみたいに先生のお腹が「グウ……」と唸りを上げた。お腹が空いてるってことは、生きてるってことだ!


 振り向くと、ピンク髪のおかっぱ頭ちゃんがぽつんと立っている。


「あどみちゃん……先生を助けてくれたんだよね?」

「助けたかどうかでいえば、命は助けたと言えるでしょう」


 あどみちゃんは地面でぐっすり眠っている先生の元に近づくと、ちょっとだけ微笑んだような気がした。


「また会えましたね、先生」


 カチッとした敬語が、いつもより穏やかに聞こえた。

 あどみちゃんはスッと表情を戻すと、わたしの方を向き直る。そして、頭を下げた。つむじが見えて、ピンクの髪が地毛なのが見て取れた。


「ルリちゃん、申し訳ありません。あなたの命を危険に曝すようなことをしました」

「……なにをしたの?」

「矢白さんに、あなたが姉の仇であると嘘をつきました」


 あどみちゃんの言葉に、ヤシロちゃんも顔を俯かせてしまう。


「矢白さんはなにも悪くありません。彼女を咎めないであげてください」


 どうすればいいんだろう。どんな言葉をかけたらいいんだろう。

 二人とも、わたしのことを傷つけたくなかったんだ。でも、仕方がなくてそうした。だから、悲しくて俯いているんだ。


「咎める気なんて、ないよ」


 心から思ってることを伝える。わたしに出来るのは、それだけだ。


「……色んな人を守るため、だったんだよね。それに、ヤシロちゃんはお姉ちゃんのため。あどみちゃんは、きっと先生を守りたかったんだよね?」


 あどみちゃんが小さく頷いた。こんな態度を見せるなんて、意外とかわいいところあるじゃん。いつもかわいいけど!


「嬉しいよ。わたしも先生を守りたかったもん。だから……これでチャラってことに、しない?」


 けど、あどみちゃんはまだ申し訳なさげに唇をすぼめていた。これじゃ子供泣かせてるみたいでなんかイヤだよ……。


 なので、わたしはあどみちゃんのおでこに手を持っていく。


「じゃあ、デコピン」


 あどみちゃんが首を傾げる。そのおでこに、デコピンの形を作って指を当てた。


「これで許したげる」

「謹んでお受けします」


 そんな気を引き締められても困るんだけど。ただのデコピンだっていうのに。



 ピンッ。

 ドゴッッッッッッッッッッッッ。



「あれ?」


 デコピンを受けたあどみちゃんはひっくり返りながら吹っ飛んで、頭で着地していた。


「……力加減間違えた!」


 疲れてたからか、いつもみたいに加減できなかったんだ。ヘッドスライディングどころじゃない着地で頭が削れていても不思議じゃなかった。


「あどみちゃん大丈夫⁉ ハゲてない⁉」


 頭から地面に突き刺さるみたいな姿勢のあどみちゃんに駆け寄って抱き上げると、髪の毛は全部無事だった。セーーーフ。


「大丈夫、です……あどみは、これくらいされても仕方ないことをしました。当然の報いです」

「ごめんごめん! どうしよ~~~植毛する?」

「髪の毛は抜けてませんから」

「よかった~~っ」


 ぼろぼろのあどみちゃんは「もう行くので下ろしてください」と言う。


 正直いつまででも抱いていたいキュートさなんだけど、また会えるんだから今日はもういいよね。みんな疲れてるし。


「では、今日のところはこれで。……それと、先生が目覚めたら伝えておいてください。今度ゆっくりお話をしましょう、と」


 言い残して、あどみちゃんはスッと消えてしまった。

 残ったのはわたしと、コンクリの地面に横たわってグースカ寝ている先生と、今ひとつ暗いままのヤシロちゃん。


「……ルリちゃん」

「……ヤシロちゃん!」


 お互いに声が重なっちゃう。言い出せなくなっちゃって、わたしたちはお互いに笑い合う。


 先に話し出したのは、ヤシロちゃんだった。


「ルリちゃん、ごめんね」

「やめようよ」

「……え?」

「ごめんって、やめよう。なんか、その……ヤシロちゃんなりに色々考えちゃうんだろうし、わたしには、わかんないけどさ。ごめんって、暗いじゃん」


 観覧車で先生と過ごした時間を思い出していた。

 わたしが告げた過去を先生は受け止めて、応えてくれた。そんな風に、今俯いているヤシロちゃんを受け止めてあげたかった。


「たしかに色々あったけど、わたしたちは今ここで、大丈夫だから。だから……なにがあっても、わたしはヤシロちゃんの親友だからさ。ごめんは、やめない?」


 ヤシロちゃんの手を取る。震えていた。あたためてあげたくなる冷たい手。

 重ねたわたしの手に、涙の雫が落ちてきた。


「ルリちゃん、ルリちゃん……」

「わ~~~~泣かせちゃった! ご、ごめん」

「ごめんはダメだよ」


 ヤシロちゃんは泣きながらだけど、笑って言ってくれた。


「嬉し泣きだから、大丈夫」


 それでもヤシロちゃんは、嬉し泣きとは思えないくらい大泣きしてしまった。


 お姉ちゃんのこともあったんだ。色んなことに決着がついて、安心できたんだね。わたしはヤシロちゃんが泣き止むまで、ぎゅっと抱き締めていた。


「私ね、もう行かなくちゃならないんだ」


 泣き止んだヤシロちゃんがぽつりと切り出した。さっきまでの嬉し泣きとは違う、寂しそうな口ぶりだった。


「闇祓いは本当に人手不足だから……本当は高校生やってる場合じゃなくいぐらい忙しいの。ここにも、お姉ちゃんのことがあったから、ワガママ言って来させてもらってた」

「転校しちゃうってこと?」

「転校っていうか、退学?」

「え~っ! だって、勉強は?」

「通信で。てか水乱行っててもマトモに勉強できないし」

「あ、確かに。でも……青春は⁉」

「すごい質問だね」


 離れ離れになっちゃうのが嫌だった。どうにかヤシロちゃんに残ってほしかった。


「青春は、ルリちゃんがくれたよ」


 でも、この言葉で、わたしはなにも言えなくなっちゃった。


「私、才能あったみたいでさ。悪魔は殺せってずっと教えられてきた。それは人が生きていくための尻拭いで、選ばれた人の運命で。それと、この世界システムに殺された人たちの無念を晴らすため」


 ヤシロちゃんはすごく強い。忙しいってことは、それくらい闇祓いのお仕事で引っ張りだこなんだ。きっと、小さい頃から修行してきたんだろう。


 それはきっと、私の蜂拳の修行とはまるで違うんだと思う。わたしを殺してもいいって考えられるくらいの、人が変わってしまうような修行なんだ。


「でも、ルリちゃんがいてくれてよかった。私、もう少しだけ、この世界のこと好きになれそうだよ」

「ヤシロちゃん…………好き~~~~!」


 今度はわたしが泣いちゃいそうだった。というか普通に泣いちゃって、ヤシロちゃんのセーラー服に涙と鼻水をつけてしまった。


「それに、ルリちゃんは先生と一緒に居るでしょ?」

「うん、そのつもり」

「なら大丈夫。また会えるよ」


 なにを根拠にしているのかわからないけれど、ヤシロちゃんの声はいつにない自信に溢れていた。なら大丈夫なんだと思う。


 結局目覚めてくれなかった先生を引きずって、わたしたちは反界を後にした。


〈つづく〉

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