きっと、どこかで。

ろうでい

きっと、どこかで。


――


「…………」


 老眼鏡の奥から細い目を細くし、老人は一枚の紙に書かれた文章を読んでいた。

 数十秒して彼はふぅ、とため息をつくと老眼鏡を外して縁側の外に広がる景色に視線を移した。


「……梅の花が、咲き始めたな」


 雪がとけ、暖かな日差しに呼応するように咲き始める梅の花を、老人はじっと見つめる。

 その表情はどこか寂しげであり、そしてどこか微笑んでもいるようである。


「ご主人様、お茶が入りました」


 縁側へ続く襖が開き、一人の若い女性が老人の傍へ歩み寄ってきた。

 長い黒髪の美しい女性。見た目から年齢は二十代半ば程。ややつり目の大きな瞳が特徴的である。


 彼女は縁側に置いてある古びた木製の椅子に腰掛ける老人の傍に跪き、お盆から緑茶の入った湯呑みをガラスのテーブルに静かに置いた。

 それを見て、老人は彼女の方を向いてにっこりと微笑む。


「ありがとう、ホノカさん」


「いえ」


「少し、そこに座って話を聞いてくれるかい」


「はい」


 ホノカ、と呼ばれた女性は老人の優しい笑みに応えるように微笑み返し、テーブル越しに置いてある椅子にゆっくりと腰掛けた。


 彼女の美しく白い右手の甲には、刻印が押してある。

 それは彼女の製造年月日と製造メーカーの名前。彼女が人ではなく、人に仕える身――アンドロイドである証であった。


 老人は彼女の手の甲を横目で少し見ると、視線を庭の方へとまた移した。


「明日で、ちょうど五十年だ」


「……そんなに、経つんですね」


「ああ。……今まで、ありがとうホノカさん。結婚もできないようなこんな男に、長年連れ添ってくれて」


「そんな。私は、幸せです。私のような古い型式のアンドロイドを丁寧にメンテナンスしていただいてきたおかげで、私は今こうしていられるのです」


「ははは。機械弄りが好きだったからね。おかげで人間の女性には好かれなかったけれど、ホノカさんと連れ添って生きてこられた。俺も、幸せだったよ」


 老人は努めて朗らかに、優しく話しかけるがホノカはその言葉に少し不安そうな表情を浮かべる。


「……あの、ご主人様……」


「……。大分、進行してきているみたいだ。寿命でいえばあと半年もてばいいそうらしいよ」


「…………」


 ホノカは、瞳を薄く閉じ、俯いた。辛く、苦しそうな表情は人間のそれと全く変わりはない。そんな様子を見てか、老人は彼女の方を見てシワだらけの顔でくしゃっとした笑顔を見せた。


「人間にしちゃあ随分長生きさせてもらったし、ここらが潮時だ。生きてここまでこられたのも、ホノカさんがいてくれたおかげだ。農作業サポートアンドロイドなのに、家事の手伝いもしてくれて。俺にはもったいない美人さんなのにな」


「いえ、そんな」


「……死んじまった親父にもお袋にも、随分反対されたっけなあ。アンドロイド反対派だったし、ホノカさんがいたら嫁が貰えなくなるってさ。別にホノカさんがいなくても、俺みたいな貧乏農家に嫁さんなんて来ないなんてのにさ」


「そんなことは、ありません。ご主人様は……素敵な方です」


「いや、別に嫁がどうこうって話じゃないんだ。すまない、ホノカさん。ただ俺は……結婚やら子育てやら、そういうことに憧れていたわけじゃない、ってことを言いたいんだよ。制度や概念じゃなくて……単純に、ホノカさんとここまでこられて良かった。それだけなんだ」


「……」


「出会った時は俺の方が少し年上なくらいの見た目だったのに、こんなジイさんになっちまった。難儀なモンだよな、人間ってのは。歳をとって、病を患って……メンテナンスをしていても、いつか壊れちまう」


「……私は……悲しい、です。まるで私だけ時計の針が止まっていて……ご主人様だけ、人間だけが、時計の針に従って生きているのが。違う時間を生きている……そんな気がしてしまって」


 ホノカは、唇を噛みしめて呟くように言った。

 アンドロイドも、人間と同じような感情を抱き、悲しみ、苦しむ。文明が発達していることもあるであろうが、それだけではない。この老人と彼女の過ごしてきた年月が、そうさせているのだ。


 老人は、俯くホノカの頭に細い手をぽん、と優しく乗せた。


「ホノカさん。俺が死んだら……出来れば、どこかに隠れて生きて欲しい。所有者のいなくなったアンドロイドは、廃棄処分にされてしまう。幸いここは農村で、監視の目も行き届いちゃいない。目立ったことをしなければ普通に暮らしていけるさ」


「…………」


「自分が死ぬのなんざ、別にどうとも思わない。ただ……ホノカさんがこの世から消えちまうのは、どうしようもなく怖いんだ。だから……出来れば」


「いいえ。仮にそうなっても私は、ご主人様の傍に最後までいます」


 彼女は、しっかりとした意志をもつ目で老人を見た。


「ホノカさん……」


「私も、同じです。ご主人様がいない世界に暮らすことなど、耐えることはできません。最後の時までしっかりと寄り添って……そして、同じように、この世界から消えたいのです。……せめて、それだけは……同じ時の中で……」


「…………そうか」


 老人は残念そうな。しかし、それでいてどこか安心したようなため息をついて、着ているジャケットのポケットに右手を入れた。

 そこからなにかを取り出すと、掌にのせてホノカの前にゆっくりと突き出す。


「……これは?」


 俯いた彼女の視線に、老人の開いた手の中にあるものが目に入った。


 それは金色に光る、指輪だった。


「ホノカさんがきて、五十年。人間でいえば、金婚式だ。だから……贈り物をさせてもらおうと思ってさ」


「……私に?」


「ああ。もっとも、結婚していないからおかしな話かもしれないけどな。でもまあ……受け取ってくれると、嬉しいな」


 その金で出来た指輪は、途中で半回転し元に戻る――メビウスの輪のデザインの指輪であった。終わりがなく、裏表もないその指輪を彼女はそっと手にとって自分の目の前に持ってきて眺める。


 老人は頬をかいて苦笑いをして言葉を続けた。


「永遠の愛、なんてジュエリーショップの店員は言っていたけれど……俺もあの世にいっちまうし、少し似つかわしくないかもしれないな。でもなんとなく、そのデザインが気に入っちまってさ。……受け取ってくれるかい」


「…………」


 ホノカは、椅子から立ち上がってその指輪を人差し指と親指で摘まむように持つ。

 金の光が、縁側へ差し込む太陽の光でキラキラと輝いた。その輝きに目を細めたのは、眩しいからだけではない。彼女が、微笑んだからだ。


「メビウスの輪。限りのない輪。無限の可能性を持つ輪。……私にとっては、最高のプレゼントです」


「……良かった」


「人間のご主人様と、アンドロイドの私。この世界で一緒に暮らすことができて、私はとっても幸せでした。……でも、出来るならば……もっと、幸せになりたい。そんなことを、不躾ながら私は思っていました。ずっと、ずっと……」


「もっと?」


「……いつか、どこかの世界で。ご主人様と私が、別の姿、別の立場……別の形で出会うことができたら。私がアンドロイドではなく、一人の女性であり……ご主人様と出会うことができたのなら。そうして……ご主人様が、私を選んでくれていたら。そんな世界を、夢見ているのです」


「……素敵な夢だね」


 縁側から見る梅の花。

 陽光に照らされた白く美しい花々を見る彼女と同じ方向を老人も見つめる。


「ご主人様がいなくなるのは、辛くて、悲しくて……どうしようもなく、苦しくて。……でも私、信じています。この指輪がきっと私をどこか違う世界に導いてくれて……私を、ご主人様ともう一度出会わせてくれることを」


「……ああ。俺もだよ」


「……ご主人様」


 ホノカは、白く美しい左手の薬指にその指輪をはめた。

 庭を向いていた身体を老人の方へと向け、左手の甲を彼の方へと向ける。煌めく金の指輪と彼女の笑顔が老人の目に眩しく映る。


「出来るのなら、人間の姿で。……でも、アンドロイドのままでもいい。もしも次の世界というものが存在するのならば……。もう一度、私のことを……選んでくださいますか?」


 機械である彼女の頬を、涙が伝う。

 それは、プログラムによるものであるかもしれない。

 でもそれは、紛れもなく彼にとっても彼女にとっても『本物』の涙であった。


 老人は微笑んだまま、彼女と同じように涙を一筋流し、そして大きく頷いた。


「俺なんかで、良ければ」


「約束ですよ」


「また農作業、続けることになるよ」


「私、畑仕事大好きです」


「春は忙しいよ。山菜採りに、種まきに、収穫に」


「ご主人様とお話しながらお仕事をする時間が、一番、一番大好きです」


「このオンボロの家にまた住むことになるよ」


「私にとっては、世界一の豪邸です」


 涙を流しながら、老人と若い女性は会話を続けた。

 まるで子ども同士が約束を交わすように。冗談を言い合うように。涙を流しながら、二人は笑っていた。


 そして最後に、老人は言った。


「ホノカさん。……ありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとうございました」



――


 梅の花は満開になり、そして、いつの間にか消えた。

 再び古びた枝だけの梅の木が庭に寂しそうに佇むようになった時。


 老人の墓前に、喪服を着た若い女性がいた。


 墓石に手を合わせる彼女の後ろには、二人の男性。彼女の最後の時を見送るように、同じように手を合わせて彼女の後ろ姿を見ている。


 そしてそれが終わると、女性はゆっくりと彼らの方へ歩んできた。


 一人の男性が、少し申し訳なさそうに彼女に言う。


「……それでは、いきましょうか」


「はい」


「申し訳ありません。規則ですから」


「存じております」


「なにか、シャットダウン前にこちらからしてほしいことはございますか?できる限りのことは致します」


 もう一人の男性が手元の書類にボールペンで書く準備をした。


 彼女は瞳を閉じて少し微笑み……そして、彼らに言った。



「この指輪だけは、このままで眠らせてください。ご主人様と私の……かけがえのない、約束の品なのです」



 彼女の指の金の指輪がまた、日の光に眩く煌めいた。


――

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きっと、どこかで。 ろうでい @rord1985

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