劣等感のようなもの
三生七生(みみななみ)
ふと湧き上がる何か
「いらっしゃいませー。こちら温めますか?568円ちょうどいただきました。ありがとうございましたー。」
「おい、もう20時だからあがっていいぞ」
「はーい、お疲れさまでした」
コンビニの仕事も楽じゃない、なんて言うがうちの店に関してはそれは当てはまらない。うちはローカルコンビニだから客の流れも穏やかだし、清掃が面倒だと噂に聞くコーヒーマシンもない。レジだって半セルフだ。私の仕事は商品のバーコードを読み取って定型の言葉を発し、合間合間に商品を棚に並べる。これだけだ。そりゃあ真っ先にAIに取られる仕事だろう。なんなら半セルフの時点でもはや取られかけている。
単純作業はAIに任せて、知的生命体の我々は頭脳労働に従事すべきなのだろうが、逆ではないかと思う。ほとんど完璧に計算できるAIに頭脳労働をさせたほうが、良いものが生まれるのではないだろうか。AIには新しいものは作れないとは言うが、本当だろうか。難しいことはよくわからない。頭脳労働ができない、もしくはしたくないから単純作業をしているというのに。
「お先失礼します、お疲れ様でした~」
*
バイト用のトートバッグを左肩に掛け、期限間近で廃棄予定の弁当が入ったレジ袋を右手に下げて、私は帰路に着いた。
「…弁当はタダでもらえても、レジ袋代はとられるんだ」
バイト先のコンビニから家まで徒歩15分。微妙な距離だが、今日来た変わった客のことを思い出していれば案外すぐ家に着く。
……夕方に来た、キャビンの8ミリを全部買い占めてったあのおじさんは何者だったのだろうか。
サラダを温めてくれと言われたから温めたが、熱いサラダの何が美味いのだろうか。
20時過ぎという時間帯もあってか、帰り道はいつも穏やかな音しか聞こえない。人工的な音がしないこの空間が、好ましいとさえ思える。
*
バイト先から家までの途中には小さな駅がある。路線も1つしか通っていないし、駅員がいない時間帯だってある。
だから、そんな駅にたくさん人がいたら、誰だって気に留める。朝や夕方なら通勤通学で説明がつくが、もうイッテQが始まっている時間帯である。
丸刈りの男子生徒が十数人、大人も複数。
そうか、もう甲子園の時期か。夜遅くまでご苦労さん。
野球部の男子生徒のうしろに、青の生地に黄色のラインが入ったチア服を着た女子生徒を数人見つけた。キャピキャピという効果音が聞こえそうだった。
………くだらない。
大して話したこともない男子を応援して何が楽しいのだろうか。あんなに肌を露出させて、笑顔を安売りで振りまいて。
どうせ蝶よ花よと愛でられたいがためにやっているのだろう。本当にくだらない。
………さっさと帰ろう。嫌なものを見た。
*
「…ただいま」
帰ってくる声はない。そりゃそうだ。ここにはもとから自分しかいないのだから。
トートバッグが肩からずり落ちて両手が塞がっていたので、足で器用に靴を脱ぐ。脱ぎ方が器用なだけで、綺麗に脱げるわけじゃない。どうせ誰かを招く予定も訪ねられる予定もないので、裏返った靴はそのままにしておく。
手洗い着替えを済ませて、リビングの床に座る。リビングといってもここはワンルームなのでリビングでもあり寝室でもあるのだが。
着替えなどの間にレンジで温めておいた廃棄予定弁当を頬張る。
「最近のコンビニ弁当はおいしいな。こんなにおいしいのに廃棄されるなんてもったいない」
右手で箸を持ちながら左手でスマホをいじる。ソシャゲのログインボーナスをもらったあと、TwitterとインスタグラムとTikTokの三角食べをする。これがいつもの私のバイト後ルーティーンだ。
「……ん」
インスタのおすすめユーザーに、見覚えのある面と名前が出てきた。派手なメイクは派手な顔立ちを一層強調させる。 高校の同級生だ。
同じクラスだったことはあるが、文化祭の準備で話したことがある、くらいの関係性だ。
ひとつまみの興味が、その子のインスタページへ私を誘う。
全体的に画面がカラフルだ。志茂田景樹か?
最新の投稿を見てみると、夢の国ランドに行ったことを投稿しているようだ。
他人の幸せは、どこからともなく知ることができる。それを助長しているのがこのインスタグラムというツールだ。
インスタは好きなアニメのイラストを見るためだけに使っている。それがこんな気持ちにさせられるなんて、不合理極まりない。
インスタグラムが嫌いになりそうだ。
不愉快な気持ちになったので次のSNSへ移ろうとしたとき、LINEの通知音が鳴る。
中学の同級生であり、友人からのLINEだった。気の置けない唯一の友人と言ってもいいかもしれない。ただ遠方に住んでいるため、なかなか会うことができない。
「ねえ、中学のときうちらと同じクラスだった、麗奈ちゃんて覚えてる?学級委員長とかやってた子。今度の市議会選に立候補するらしいよ!すごいよね…」
覚えている。なんでもできたあの子。一般的には非の打ち所のないあの子。
一般的と言ったのは、私にとっては無害ではなかったからだ。
そういった完璧な子は、存在するだけで私のような特筆すべき長所のない人間のことを無意識に傷つける。
自分には何もないことを、嫌でも再認識させてくる。
世の中には様々な格差が存在するが、精神的なポテンシャルにすらそれがあるのだということを、知らしめてくる。
そんなあの子が、選挙に出馬するという。
やりそうなことだ。就職先も公務員と聞いていたし。
地元の国立大学を出て、地元の役場かどこかに就職した。さしずめキャッチコピーは『地元を元気に』といったところか。
どうやら、いたく田舎がお気に入りのようだ。
…何やら疲れた。バイトの疲れもあるが、精神的にも疲れた。
泥のように布団に入り、泥のように天井に目をやる。
「…くだらない」
ほんとうは、ちがう。
インスタグラムが嫌いなんじゃない。
羨ましいのだ。
夢の国に行ったことをぽんと投稿して、数百件のいいねをもらえて喜べる単純さが。
大して話したこともない、同じ学校だったというだけで人をフォローできる身軽さが。
チアガールが嫌いなんじゃない。
妬ましいのだ。
生まれ持った美貌とともに育てられてきた自尊心が。
自分の外見が間接的にでも、何らかの生産性に寄与できると信じてやまない誇大な芯が。
委員長が嫌いなんじゃない。
欲しいのだ。
人前に立てる度胸が。
それをものともしない積極性が。
今日本当に見た嫌なものは、自分自身だった。
努力できることも才能というが、努力できないことも才能ではないのか。努力できる人間は、努力せずにはいられないから努力するしかないのだ。
努力できない人間は、自分が怠惰でも気にせず生き続けられるという才能ではないのか。
この世が努力できる人間しかいないのなら、現在上位層と呼ばれる人間の地位が脅かされることになる。
現在彼らが上位層という立場を守っていられるのは、努力できない人間のおかげだということを忘れないでほしい。
そもそも彼らは、本当に努力をしていたんだろうか。
努力でさえ才能ならば、本当の努力とは何なのだろうか。
単純さも身軽さも誇大な芯も自尊心も度胸も積極性も、つまるところは自分の心の問題。そんなことはわかっている。
だが、心の問題をすべて「心の持ちよう」「気のせい」という言葉で片付けられれば、この世に精神科医もカウンセラーもいらないのだ。
我が国における自殺者は、約2万人。
不安定な精神を気のせいと一蹴するには、あまりにも数が多すぎる。
「…もう寝よう」
明日も朝からバイトだ。明日はうるさいマネージャーもいるから、絶対に遅刻できない。
「…おやすみ」
劣等感のようなもの 三生七生(みみななみ) @miminanami
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