エピローグ、プロローグ



 冷や水を顔に浴びせられたように、意識が急覚醒する。

 勇者は自らの左手に付けられた指輪を見る。

 五本の指全てに付けられた、“再起の神輪リンクリング”。

 死を否定する力を持つ、この世界にたった五つしかない神話級の魔術道具マジックアイテムの内、すでに四つがその役目を果たして黒く錆びついている。


「予備残機、一か。いいね。ヒリついてきた」


 手元の絶剣デュランダルを握り直しながら、勇者はいまだに視線の先で仁王立ちする魔王の姿を見据える。


 “全知の魔王”ギルオデオン・ダークグレイス。


 これまで出会ってきた魔族の中でも、明らかに頭一つ以上飛び抜けた圧倒的な力。

 その魔王の首を、確かに一度切り飛ばしたはず。

 しかし魔王は健在で、なぜか前回の戦闘時に切り飛ばしたはずの右腕も復活している。


「回復型の魔術、か。相手は魔王だ。ありえなくはないか。外見も若干変化しているのは気になるが」


 痩身の若い青年のような姿だったにも関わらず、今では筋骨隆々とした体格に変わってしまっている。

 退屈そうな赤い瞳は変化していないが、どこかこれまでと比べても超然とした雰囲気を感じさせる。


「【神曲:地獄篇ダンテズ・インフェルノ】」


 即死の黒炎が舞う。

 勇者はそれを避けることはせず、真っ直ぐと突っ込んでいく。


「もうそれ、効かないよ」


 視界が黒く塗り潰される。

 しかし、痛みはない。

 一瞬、魔王の姿を見失うが、止まる理由はない。

 首を切っても死なないのは、自分も同じ。

 死ぬまで、切り飛ばし続けるだけ。


「知ってるよ。それ、ただの目眩しだから。突っ込んでくると思ったんだ。【神曲:煉獄篇ダンテズ・プルガトリオ】」


「なるほど。そうきたか」


 今度は黒い雷が、空間を貫く。

 すでに予備動作は黒炎で一瞬見失ったタイミングで済まされている。

 避けることは叶わない。

 勇者はそれを甘んじて受ける。


「それは効く。けど、死ぬほどじゃない。麻痺状態はこの鎧で対策済み。僕は君を殺すためだけにここにいるんだ。想定内だよ」


 稲妻に胸を貫かれ、全身に激痛が走るが、それでも勇者は止まらない。

 逆に魔術発動直後の隙を狙って、さらに加速する。

 もう一度、首を取る。

 唇を舐め、デュランダルを握る手に力を込める。

 勇者は、再び一閃を魔王に刻む。



「“もうそれ、効かないよ”」



 ついさっき自分が放った言葉を、魔王が皮肉にも口にする。

 この世の全てを切断すると言われたデュランダルが、無防備な魔王の首に触れた瞬間、弾き飛ばされた。


「形態変化した後は、能力が変わるんだ。今の俺は“物理無効”だよ。魔術しか効かない」


 完全な隙。

 魔王が冷徹に勇者の膝を蹴り砕き、右膝が反対方向に曲がる。

 立つことすらままならず、崩れ落ちる勇者に合わせるように、今度は右のアッパーで顎を撃ち抜く。


「……あがっ」


「まあ、その代わりに、“状態異常無効化”がなくなっちゃうから、貰うよ、君の“自刎の耳飾り”」


 視界が明滅し、方向感覚を失った勇者の耳に手を伸ばし、魔王はブチリと耳ごと耳飾りを引き千切る。

 痛み、痛み、痛み。

 ありとあらゆる痛みが、頭を埋め尽くし、勇者の思考が止まる。

 

「ま、待ってくれ。僕は、もっとあなたと戦いたい。もっと、もっと、あなたと一緒に——」


「もう遅い。待たないよ」


 完全に身体の制御を失った勇者の右手首を捻りながらねじ切り、魔王は絶剣デュランダルを手に取る。

 そして残り一つの“再起の神輪”がついた左手首を切り飛ばす。

 これでもう、復活はない。

 手首を刎ねることで、強制的に魔術道具の解除を行なった。



「一生一人でシコってろ。自己満足オナニー勇者くん」



 ——勇者の首が、刎ね飛ぶ。


 聖鎧を纏った身体が、ぐにゃりと力なく地面に落ちる。


 勇者は、ピクリとも動かない。


 再起の時は、来ない。


 人類最後の男は、勇者は、死んだ。



 そして足元に転がってきた頭を迷わず踏み抜き、そこでやっと勇者の右手がついたままのデュランダルを、魔王は滅び切った世界の地面に放り捨てた。





————




 灰色の、雪が降り続けている。

 崩れ去った、魔王城。

 壁も床も、火砕流に飲み込まれたせいで、原型を整えていない。


 そんな空っぽの城で、一人の魔王が人を待っていた。


 旅は終えた。

 後は待つだけ。

 日が何度沈み、何度昇ろうと、その待ち人が来るまでは、生き延びる。


「がは……っ!」


 咳き込みながら、地面に大きく吐血する。

 状態異常のダメージが、蓄積され続けている

 限界が、近い。



「……まさか、魔王の俺が“延焼状態”で死にかけてるなんてな」



 たった一つの、想定外。

 勇者から奪った自刎の首飾りを揺らしながら、魔王は自らの浅慮を恨む。

 世界を滅亡させた猛毒以外にも、絶えず降り続ける火山灰が肺に入り込み、内側から延焼と呼ばれる状態異常を引き起こしていた。

 体力の全回復と耐性変化を起こす“神曲:天国篇ダンテズ・パラディーゾ”は一回切りの魔術。

 体力の続く限り、じわじわと蝕まれていく痛みに耐え続けること以外、今の彼にできることはない。


「……ああ、やっと来たか。全く、魔王を待たせるなんて、大物だな」


 そんな空っぽの魔王城に、旅人が一人。

 月の光に似た輝きを秘めた銀髪。

 魔族の象徴である赤い瞳。

 灰を被ったほつれだらけのスリーピースを着た、妙齢の女性。

 顔にはほうれい線が刻まれ、皺だらけの顔。

 近くで見ると、銀髪に老いを感じさせる白髪が混ざっている。

 それでも、魔王にはわかった。

 彼女こそが、彼の唯一の待ち人だと。



「お久しぶりです。ギル様」


「もうー、遅いよ、アリシア」


 

 アリシア・ルナエンド。

 魔王ギルオデオンの思い出を彩る、唯一無二の側近。

 旅が、終わる。

 やっと、長い、長い旅が、終わりを迎えようとしていた。


「なんだかギル様、イメチェンしました? それに、今にも死にそうです」


「それ、こっちの台詞なんだけど。アリシア、ちょっと老けてない? 老衰しそうじゃん」


「女性に対して老けたとか、最低です」


「ごめんごめん」


「許しません」


「じゃあ、許してもらうまで、傍にいるよ」


「……はい。その命尽きるまで、傍にいてください。嫌だと言っても、離れないでくださいね」


 アリシアは、少しだけ悲しそうに笑う。

 彼女も自覚していた。

 寿命は、遠くない。

 確かに“自刎の首飾り”で猛毒は無効化していた。

 しかし延焼状態によるダメージを回復させるために、全身の細胞を活性化させ体力を回復させる“活性化”のスキルを常時発動させっぱなしのため、肉体時間が実際の体感時間の数倍の速さで老化が進行してしまっていたのだ。


「……ギル様、ヘスペリデスの花園、燃やしました?」


「……ああ、なんか危ない輩がいたからさ」


 アリシアは、寄り添うように魔王の横に腰を下ろす。

 少し、疲れていた。

 一人で思い出を辿る旅は、彼女にとってはあまりに長かった。


「……エンシーに会ったよ」


「……あのスケベドラゴンですか。元気そうでしたか?」


「……うん。まあね。今はもう、寝てるけどね」


「……そう、ですか」


 魔王が時々、咳き込む。

 その度に、赤黒い血が飛び散る。

 本来ならつける必要がないはずの耳飾りを見ても、アリシアは何も言わない。


「……変わった魔女にも、会ったな」


「……どんな人でしたか?」


「……俺の魔法を喰らって、喜んでた」


「……それは変わり者というより、変態ですね」


「……でも、面白いやつだったよ」


「……私も、会ってみたかったですね」


 寂しそうに、過去形で魔王が語る。

 互いの思い出を重ね合わせながら、灰の降り続ける世界を二人で肩を寄り添いながら眺め続ける。

 

「……もし、俺たちが死んだら、この世界はどうなるんだろうね」


「……きっとまたいつか、新しい物語が始まるだけです」


「……魔王の物語の次か」


「……主人公気取りですか」


「……俺目線だとね。だけど魔王の次は、なんだろうな。剣と魔法ってよく言うし、逆に剣王とか?」


「……それか、剣聖とかじゃないですか?」


「……聖って字にあんまいい印象ないんだよな。まあでも、なんでもいいか。どっちみち、ろくな物語にはならなそうだし」


「……言えてますね」


 この物語は、誰にも語り継がれない。


 だけど、それでいい気もしていた。


 これは、魔王と自分だけの、たった二人の思い出。


 アリシアは隣りの魔王に、視線を注ぐ。


 彼女の視線に気づいた魔王が、視線を返す。



「アリシア、俺は十分、幸せだったよ」


「私も、幸せでした。ギル様」



 穏やかな風が通り抜け、降り積もった灰を空に運ぶ。


 分厚い雲の狭間から、眩しい陽の光が差し込む。


 二人は瞳を閉じ、頭をお互いに寄り掛からせる。


 それは、長い、長い、旅の終わり。


 積み上げてきた小さな日常の延長線が、そのまま優しい走馬灯につながっていく。


 二人の吐息が、やがて寝息に変わる。



 後悔はなく、穏やかな思い出だけがあり、それは確かに幸せと呼べたのだった。


 


 

 


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人類最後の日に魔王を倒しても 谷川人鳥 @penguindaisuki

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