後編
「どうじゃ、進捗の方は」
15日目、俺はご主人様の前に居た。
15日ぶりである。つまり会うのは2回目である。
「はい、同族達の健康状況はかなり改善しております。必要な処置として、食事と風呂、収監施設の改善などを行わせて頂きました。主人のご温情に心より感謝致します」
会うまでの間にご主人様が実はめちゃくちゃ偉い人だということが分かってきていたので、俺は精一杯に敬意を込めて言葉遣いに気をつける。
最初はアルシン達にも敬語を使うようにしていたが、風呂で裸の付き合いをするようになってからはそれもぐだぐだになっていた。
打ち解けてもらったと思えば嬉しいが、その調子で2人の他の魔族に接すると俺の命は桜の花より儚く散ってしまうので、本気で気をつけなければならない。
「血は美味くなったのか?」
「昨日レダン様にご賞味頂き、かなり良くなっているとお言葉を頂けました。味見程度にはなりますが、人間の血の気も増えており、健康に影響はありません」
「ふむ……」
ご主人様は今日も可愛い。なんか真剣に考えてるけど、餌箱覗き込むうさぎさんみたいな愛くるしさがある。
まあ別に、俺の価値をわかってくれるグルメであれば、可愛くなかろうがおっさんだろうがなんでも良かったのだが……可愛いことに越した事は無い。
「約束の一月が経つ日に、その人間共で饗宴を行うとしよう。お前も血もその時に頂くか。ツカサ、味を落とすなよ」
そして、可愛い見た目と中身の残酷さには全く関連性が無い。
俺は何も言えなかった。
同族の
食糧難だと思っていたのは俺の勘違いだったのだろうか?
いや、よく考えれば人間はかなりの数がいる。不味くても構わないなら食糧難ってほどでもないのか……?
そこから先はよく覚えてない。
気がついたら俺は与えられた部屋の、馬鹿みたいに広い天蓋付きのベットの隅で寝ていた。
あー、なんか流石に落ち着いたかも。
明日からまた頑張ろう。
地下牢の人たちスゲー美味しくして、魔族達に全部食べたら勿体無いと思わせればいい。
そんで俺を殺すのも思いとどまってもらえればいい。
俺の仕事は変わってない。
ここ数日が楽しすぎて、魔界の辛さをちょっと忘れていただけだ。
◆
「はいイーチ! ニーイ! 腹から声出してェ!! サーン」
健康には適度な運動も欠かせない。
ご主人様主催の血祭りパーティまで残りあと10日、すっかり血色の良くなった人間達には俺'sブートキャンプに強制参加してもらう。
「この珍妙な動きは何をさせてるんだ?」
「背筋……ッ運動!」
もちろん俺もやっている。味落とすなって言われたからな。
俺は吸血種のための美食の王座を譲る気はないぜ。俺が一番美味いんだい。
「……エビみたいだな」
「えっ? 魔界ってエビいんの?」
見たことないそんなの。海辺は隠れどころが無いから行ったことがないのである。
「いるぞ。結構栄養価も高いらしくて人狼種などが食っている」
「
「おっ、人狼種の真似か? ハハハ似てるな」
えっまじ? この世界の狼人間オデなん? トロールとかじゃなくて?
そういうことで、エビ料理を作ることになった。
仕入れてもらったエビもやっぱりデカい。俺くらいある。こわ。
見た目は伊勢海老っぽい。クソデカ伊勢海老こわ。
「おい、これ結構硬いぞ。人間に噛み砕けるのか?」
殻をガンガン殴りながらレダンが言った。無理に決まってますがな。
「いくつか料理を作ろうと思います」
「りょう……り?」
何で初めて聞いたみたいな反応なんだよ。
人間の血の代わり普段飲んでる魔獣の血は、大した魔力がこもってないからと普通に料理しているだろうに。
ちなみに人間は殆ど料理をしない。
文明を削りに削った人間よりも、こいつら魔族の方がよっぽど文化的な生活をしているのが魔界だ。
……あれ?
なんで魔獣の血なんか飲んでるんだろ?
「おい、鍋とか持ってきてやったぞ。ボケっとするな」
「ん? ああ、すんません」
アルシンが調理器具を持ってきてくれた。
やっぱ専門の器具があるあたり全然文化進んでんな魔族。
レダンはカトラリーと皿を持ってきていた。自分の。
食う気満々なんかエビ。こいつ人間の血の味にはそこまでうるさくないくせに、食い意地は張ってんな。
◆
人間生活は衣・食・住が基本である。
それはそうなんだけど、食と住が危急に処すべき絶望具合だったので、なんだかんだ衣服が後回しになってしまった。
まああったかい住居と風呂があれば衣類なんてボロ布のままでも平気平気。何せ元々、それが普段着だったからな。
流石に宴会のメインディッシュの盛り付けとしては最悪だったので、服を用意してもらった。
なんか吸血種は皆貴族っぽい豪華な服を着ているので、俺含め人間に与えられたのもそういう感じになった。柑橘系の風呂に毎日漬け込まれていたので香りもいい。
うーん。美味しく召し上がれって感じ。
これで牢屋にぶち込まれてなければ、もうちっといい気分だったのになぁ。
30日目。俺は地下牢にぶち込まれていた。
俺が一月の間、アルシンとレダンを言いくるめて世話をしてきた人間達は、俺を遠巻きにしてしくしく泣いている。
最初は俺を怖がったり罵ったりしてた彼らだったが、ここ最近はそんな雰囲気も無くなっていた。
俺になんかやらされると健康になってることには気づいたらしい。人間かしこい。この数日はかなり大人しく健康ライフを送ってさえいた。
でもねえ。知らん魔族が俺を牢に放り込んで、明日の饗宴まで大人しくしておけ! とか言ったらねえ。
そらね。泣くでしょうよね。俺だって泣きそうだもん。
そんで俺は何で閉じ込められたのかしら。
やっぱりどんだけ美味くなっても、魔族にとっては人はジビエ、家畜はいらんしペットなんてもってのほかっつうことなんかしら。
何時間か経って、牢の入り口が開いた。
見知らぬ魔族に全員緊張したが、その人は食事をどさどさ置くと、無言で去っていこうとする。
「待ってください! アルシン様か、レダン様はどうなさったのですか? お願いです、それだけ教えて下さいませんか!!」
俺は牢の格子に縋り付いてそう喚いたけど、その魔族は少し驚いたように俺をちらっと見ただけで、そのまま出ていってしまった。
えっ、どうしよう本当に。明日本気で俺食われるのかな?
いや吸血種だから取って食われることはない。血を啜られるだけだ。
なんて、自分に言い聞かせても泣けてくるほど、俺は打ちのめされている。
「…………あの……大丈夫?」
気遣わしげな声がした。優しい声だった。
のろのろと振り返ると、人間の、俺と同じくらいの年頃の女の子が俺の様子を覗き込んでいた。
「こっちおいで。ご飯食べようよ」
人間達は何故だかみんな泣き止んで、運ばれてきた食事を静かに食べ始めている。
その輪の中へ、女の子に手を引かれて入った。
はい、と渡されたのはクソデカ木の実をくり抜いて作った弁当箱。俺がアルシン達と最初の頃に作ったやつだ。
「大丈夫だよ、こうしてご飯が届いたんだから」
「そんなの、分からないだろ……明日俺たちの血を美味しく啜るためにやってるのかもしれないじゃん……」
ボソボソと呟いて、それから俺は視線を感じて顔を上げた。
なんかみんながこっち見てた。
……ああ、そうだった。
魔族にそれを教えたのは、他ならぬ俺だ。
俺は即座に土下座した。
「ごめんなさい。許して下さい。死にたくなかったんです」
それはもう、木の床の塗料をそこだけ剥がしてツルッツルにする勢いで額を擦り付けながら謝った。
「……なあ兄ちゃん」
ぽん、と肩を叩かれる。血の通った温かい手だった。
人間の手だ……生きている俺の同族の手だ。
俺は、この人達をただの取引材料としか見てなかった。
生きている人間だったのに。
この生きてるだけで厳しい魔界で、どこの馬の骨ともしれないはぐれものの俺を受け入れようとしてくれた、隠れ集落の人達だったのに。
「大丈夫だよ。飯が来たんだから、そんなに悲観する事ないさ。アヴァリス様達はきっと戦に勝つからね」
人の温かさと自分の馬鹿さ加減にとうとう溢れそうになった涙が──その言葉に引っ込んでいった。
「え?」
なに? 何の話? アヴァリス様って誰よ?
「知らん魔族に兄ちゃんが牢に放り込まれたから、負けちまったのかと思って絶望したけどねぇ」
「飯が来たってことは、アヴァリス様はまだ負けちゃいないってことだからね」
え、何の話か全然分からん。飯が来たら絶望しなくていいってどういうことだ。
「……あのっ、ごめんなさい。俺、ちょっと状況分かってなくて。それどういう話なんですか?」
皆は一斉にキョトンと俺を見た。俺もキョトンとした顔で見返した。
「隣領の魔族に美味い人間がいるって情報が漏れて、戦になるって話、聞いてないのかい?」
聞いてないよ全然。
ていうか、逆に何で城をそれなりに自由に歩ける俺が知らなくてこの人達は聞いてんだよ。
肩ポンしてくれたおじさん(※隠れ集落の長老)の話によれば、まずアヴァリス様というのは、この城の主人である偉い魔族らしい。
アヴァリス様は少し前の夜に突然牢を訪ねてきて、何人かの人間の血を舐めて味を確かめた。
そうして、この城に住み続ける意思はあるかと尋ねたという。
住み続けるなら血を貰う。健康を保って生きてもらい、殺しはしないと誓いを立てる。そんな事を言ったらしい。
そんなの信じられないと震える人間に、アヴァリス様は提案の理由も説明してくれたそうだ。
曰く、配下の友人が必死になってお前達の血を美味しくしようと頑張っているから──つまり、俺がなんか頑張っているからという事だった。
それから何日かここに通って、味見したり、これまでの暮らしぶりとここに来てからの変化を聞き取りしたりもしたらしい。
その間に、明日は城の住民の前で誓いを立てる日だと聞かされて、人間側にも健康を誓って血を捧げる要求があると話をしたりとか。
隣領が今日攻め込んで来ていて、全力は尽くすが負けるかもしれない、負けなくても食事が出せずに健康を損ねるかもしれないと説明したりだとかをしたそうだ。
ええと、つまりだ。
全部俺の勘違いってこと………………。
その時、俺の脳裏に最初の夜の記憶が蘇った。
『よかろう。望み通りお前を飼うとしよう。おい、まだ生きている人間を城へ運べ。本当に他の人間を美味しくできるか、一月程度は遊んでやろう』
よかろう(※殺さない)。望み通りお前を飼うとしよう(※まんまの意)。
本当に他の人間を美味しくできるか、一月程度は遊んでやろう(※血が美味くなるなら同族も生かしておいてやろうの意)。
…………えっと…………。
ウワァアアアアアアアア!!! 恥ずかしい!!!!!!!
勘違いで泣いたりなんか魔族の方に喚いたり、俺ほんとに恥ずかしいやつ!!!!!!!
俺はビタンと両手で顔を覆った。
そんで木張の床をゴロンゴロン転がった。
あまりの恥ずかしさに悶絶したのである。完全に恥の上塗り。顔から火が出る一秒前よ。
あーもうほんと。
俺ご主人様に一生忠誠尽くすわ。
それからほんの少し経つと、牢の扉がもう一度空いて。
「主人自らペットの迎えに来てやったぞ、喜べツカサ」
返り血まみれのご主人様が、同じく酷い格好のアルシンとレダンを引き連れて、俺の迎えにやってきた。
なんか誇らしげに胸を張るご主人様は、そんな状態でもやっぱりめっちゃ可愛かった。
◆
隣領との戦は遅かれ早かれ起こった。理由なんてものはない。ここは魔界だ。
あえていうなら、吸血種が弱った事が理由だ。
魔族と一口に言えど、その生態は多種多様。
魔界が地上から閉じられて、最初に起こった種族間の争いは、残された人間の取り合いだった。
人間を食うもの。番うもの。甚振るもの。殺すもの。
様々な種がこぞって人間を狩るようになり、人間はその姿を隠して生きるようになった。
高貴で強力な種だった筈の吸血種は、力の源である人間の血と魔力を得られず、弱っていく一方だった。
互いの利益のために保護しようとした頃には時遅く、人間は魔族とみれば激しく拒絶するようになり、無理に捕らえれば衰弱して死ぬばかり。
命を繋ぐために、血を飲み干して殺すような狩りが増えた。それに比例して、人間はますます弱く、血は不味くなっていく。
「魔神の気まぐれに感謝しよう。我々はやっと、我らの思いと人の血を満たす杯を得た」
悲観的に待つばかりだった戦に勝利できたのは、気まぐれに城の主人たるアヴァリスが飼うことにした人間の功績だった。
どんな魔術をつかったのか、わずか半月で人間達の血を美味に、魔力を豊富に変えてみせたのだ。
ほんの味見程度に舐めた血と魔力はアヴァリスの魔力を満たし、それによって仕掛けられた戦を凌ぎ、撤退まで追い込むに至った。
「我が種よ。我々は今夜より、人と共に魔界を生きるを誓いとする。我らは人との共存を、人は己の血と魔力を、その誓いに差し出さん」
宣誓を終えると共に、アヴァリスは目の前の人間の白い首に牙を突き立てた。
芳醇な香りと濃厚な味わい。魔力の方はまあまあ程度だが、本当に味が抜群に良い。
「俺のこと、
「うむ。美味しい。役にも立って文句なしじゃ」
◆
こうして俺と元隠れ集落の人々は吸血種の城で生きていくことになった。
領内にもお触れを出して、人間は保護していく方針らしい。
それで、改めてご主人様ことアヴァリス様のペットとなった俺はというと──
「ツカサ、お前を保護した人間の品質向上係に任命する。はようあの枝っきれのような者たちをなんとかするのじゃ……! 血を啜ったら殺してしまうぞ」
どうやらこれからも、人を
まあいいけどね。アルシンとレダンという友人との労働は楽しいからね。
でも身体能力が根本から違う魔族の2人と遊びながら仕事をするのは、わりとハードな運動でもある。
はあ。魔界人はつらいよ(※筋肉痛)
魔界人はつらいよ けいぜんともゆき/関村イムヤ @keizentomoyuki
★で称える
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