魔界人はつらいよ

けいぜんともゆき/関村イムヤ

前編

 やべぇ死ぬ。

 せっかく生まれ変わったのに、死ぬ。


「殺さないでください! 俺めっちゃ、その、役に立つと思うんでェ‼︎」


 俺は恥も外聞もプライドもかなぐり捨て、地面に額を擦り付ける勢いの土下座で命乞いをしていた。


 目の前には他の人間の血を啜り尽くしては死体を犬(※魔狼・クソデカ)にくれてやっている吸血種魔族──まあ、いわゆる、吸血鬼。


 対する俺、宮内ツカサ。魔族の支配する異世界、つまり『魔界』に転生して多分15年。

 チートなし、貧弱魔力、健康だけは非常に良好


 転生前と同じ名前を名乗っているのは、こっちの名前を貰う前に一族郎党死んでるからだ。


「なんだこいつ? 見苦しい」

「イキがいいなー」

「うるさいから早く殺しましょ」

「土まみれになって汚い」


 ああああああ〜俺の渾身の命乞いが裏目っているぅ〜!


 人間をジビエかなんかとだ思っている魔族達は、俺という人格なぞ果物についてくる邪魔なヘタくらいにしか思っていない。買う時は真っ先に生ゴミとして切除されるアレだ。


 そんなことは百も承知だが、こうして彼等のの獲物になってしまった以上、命乞いするくらいしか助かる可能性がないわけで。


「いや、でも、美味しそうじゃぞ?」


 俺は聞こえてきたその声に、電光石火の速さで顔を上げた。

 待ってたんだよその言葉をよ! 食い意地の張ったグルメ吸血鬼めが!!


「そうでしょ!! 俺ってかなりウマそうに見えるでしょ!?」

「ウワッなんじゃこいつ急に」


美味そうと言ってくれた魔族にざざっと詰め寄って──ここで殺されたらもう諦めるしかない──俺は一世一代の命乞いセールストークを捲し立てた。


「いやそうなんですよ実際のところ。俺っていうのは人間基準でかなり品質が良くてですね。A5ランク牛もびっくりの栄養管理行き届いてますよマジで。血なんて生きてる限りぽこじゃかぽかじゃか作られるんだから一回でポイは勿体無いですよ本当!!!!」

「はあ……?」


 詰め寄られた魔族はぽかんと俺を見上げている。

 女の子だった──あれ、めっちゃ可愛いなこの子。


 白い髪と赤い目は間違いなく吸血種の特徴だ。

 それが残忍で冷酷な表情以外を浮かべるところは、初めて見た。

 きっとそのちょっと人間臭い表情に俺は好感を抱いたに過ぎない。


「だからさ、俺のこと飼ってみない?」


 血の滲む手のひらをその子の口元へと差し出して、俺は最後の売り込みを掛ける。


 目の前の吸血鬼の目が眩んだ。そうだろう。俺の血はたぶん豊潤な香りがする筈だ。


 ぺろりと舌が傷口を這う。くそ染みて痛い。


「……美味しい。ふむ、確かにこれは極上じゃ」


 ほうっと顔を蕩けさせて、吸血鬼は笑った。

 それはなんだかめちゃくちゃあどけない表情で、吸血鬼相手だというのに不覚にもドキッとした。顔が可愛いのがいけない。


「これほど美味な人間はいつぶりかのう。魔界が地上より閉じてからというもの、味わった覚えが無い。確かにこれは、一度で捨てるには惜しい……」

「姫様、人間などの口車に乗せられては」

「ちなみに今ならさらにお得な事にですねェ!!俺ならなんと、他の人間も美味しくすることができます!!!!」


 せっかくうまくいきそうなんだから邪魔するんじゃねえ!!


 さらに購買意欲を掻き立てるべくねじ込んだオマケは、少々誇張表現だったかもしれない。


「……なに? それは本当か?」


 だがそれを聞いた他の吸血鬼たちも目の色を変えた。

 これはやばい。優良誤認とは言い出せなくなったかもしれん。


「ふむ……よかろう。望み通りお前を飼うとしよう。おい、まだ生きている人間を城へ運べ。本当に他の人間を美味しくできるか、一月程度は遊んでやろう」


 目の前の吸血鬼は、めちゃくちゃ偉そうにそう宣言した。

 え、この食いしん坊、そんな偉い立場なの。そういや姫様ってさっき呼ばれてたな。


 当たりだったのかハズレだったのか。どうにか首の皮ならぬ、血の川は干上がらずに済んだようだが。

 でも一月て。俺の余命、あと一月て……。


「お前、名はなんという?」

「ツカサっす」

「ではツカサ、お前は今宵より私のペットじゃ。楽しませろよ」

「ハイご主人様」


 脊髄反射で頷いた。ともかく、チャンスは与えられたのだ。


 首根っこを掴まれて空中散歩に引きずられながら、俺は必死に考える。

 やるしかねえ。人間美味しく品質改善。それしか生きる術が無い。


 魔界においては、人間はただの魔族の食材なのだ。

 たった15年間で、嫌というほどその事実は理解させられている。



 ともかく、一月しかないので、やれる事をやるしかない。


「人間が美味しくなる方法を知っていますか」


 俺はまず、そこから切り出す事にした。

 吸血鬼たちが俺が品質管理する人間たちを城の地下牢にブチ込みやがったからだ。


 俺の言葉が聞こえた牢屋の人達が悲鳴をあげて奥へと引っ込んでいったが、そんなに怯えないでほしい。別に俺は食った事は無い。


 ただ、魔界で生きていく上で、自分の身体の価値を把握していただけだ。


「美味しさの秘訣は──健康な生活! 何よりこれが一番です!!」

「何だお前。人間風情が生意気な口をききよって」

「おい、姫様のペットだ。勝手に殺すな」


 ノータイムで殺されかけた。


「ちょっと!! あんたら、人間美味しくしたいんじゃないんですか!? 品質管理ちゃんとさせてくれよ!! 遊びじゃねえんだぞこっちは!!」


 焦って叫んだら、牢屋から引き攣った悲鳴があがった。

 やべ。ストレス与えてんの俺だわ。これ以上味が落ちるといけない。


 俺は咳払いして落ち着きを取り戻すと、いいですか、と目の前の吸血鬼二人に向けて腕まくりをする。


「俺の腕、どうですか。美味しそうですか?」

「……まあ、そうだな。素晴らしいハリと血色だ。くそ。姫様が飼うと言わなければ今すぐにでも血を啜りつくしてやるものを」


 思ったよりも危険な感想が飛び出てきて、俺も牢の中の人と同じように震える事になった。

 プルプル具合はチワワもかくやだ。


 だがどうやら俺のご主人様あの食いしん坊はかなり立場が強いらしい。吸血鬼達の中で、俺に手を出したらまずいという事になっているというのは分かった。


 俺ご主人様に一生忠誠尽くすわ! 一月で死ぬかもだけど。


「……その姫様がもっと美味しい人間の血を求めているんだから、俺の話もう少しちゃんと聞いてくださいよ。俺だって必死なんすから」


 こっちも真剣なんだぞと伝えようとしたら、腹の底から地を這うような声が出た。


 吸血鬼二人にそれが伝わったのかは知らないが、引き気味に「分かった分かった……」と返事をされる。


「で、腕がなんだって」

「他の人間の腕見た事あります?」

「あるに決まっているだろう。こう、枯れ木のように細くて汚く、今にも折れそうな見窄らしい……」

「そうですね。みんなそんな感じです」


 魔界の人間は俺以外皆だいたいそんなである。隠れ住んでいる上に、魔界が人にとって厳しすぎる環境だからだ。


 魔族の人狩りだの、魔族同士の領域争いだの、跳梁跋扈する魔物どもだの、見つかればほとんど即死の毎日を怯えて過ごすのが魔界の人間の生活だ。


 一日中雷鳴がなってる赤い暗雲に空が覆われていて、日も差さないからビタミンDも足りなけりゃ、楽に作物も作れないので満足な食事も取れずに過ごす。


 火を焚けば煙で魔族に見つかるので、料理もままならないず虫をそのまま食っては寄生虫にやられて死ぬ。

 水浴びをすれば魔族に見つかるので、碌に体も洗えず不衛生になって病気やちょっとした怪我にやられて死ぬ。

 ともかくなんかすれば魔族に見つかって死ぬ。


 何世代もそんな生活なので、健康に生きるための知識が発達するはずもなく。

 魔界人の健康意識はほとんど野良犬以下である。

 俺が隔絶して健康的なのは、ただただ前世の知識があるからだ。


 煙を出したく無いなら高温の石(※魔界ではその辺に転がっている)を土中に埋めて蒸し焼きにすりゃいいし、身体を洗いたいなら安全な場所まで桶を作って汲んでくればいい。

 肥料を使って土壌改良を根気良くすれば畑も多少はマシになるし、魔力で異様発達した魔界の植物は上手く使えば物理法則も軽々超える薬効を発揮する。


 まあひとまず何が言いたいかというと。


「飯食わせなさすぎなんですよ。あんたらだって、さっきペットのお犬(※魔狼・バカ強)にはたっぷり死体食わせてたでしょ」

「そっちの方が狩りでよく動くからな」

「それです。それが健康ってやつです。人間もそっちの方が血が美味くなるんです」


 吸血鬼2人はフームと頷いた。まだまだ半信半疑らしい。


「……飯か。試してみるか」


 よし。とりあえず最初の一歩はクリアだな。



 飯の世話をさせたら3日で人間が俊敏に動くようになった。


 吸血鬼達はそう言って、少し俺の言う事を信じるつもりになったらしかった。


「だがまだツヤが悪いぞ。不味そうだ」

「魔力も臭く澱んだままだぞ」


 俺は牢前で絡んだ吸血鬼二人とつるむようになっていた。


 気が短い方がレダン、姫様姫様言う方がアルシンといい、なんだかんだ言いつつ俺の人間品質向上計画を手伝ってくれるツンデレである。


 美形魔族男のツンデレは普通人間男の俺には全然需要がないけども。普通に協力してくれたりせんかな。


「じゃあそろそろ風呂に入れますか。死んじゃったら困るし」

「なに? 人間は風呂に入らんだけで死ぬのか?」

「なんと貧弱な……」


 死ぬ死ぬ全然死ぬ。なんたってあの人たちまだ牢屋にいるからね。


「寒過ぎても弱って死ぬから、全身お湯に浸かってあったまれる方がいいですね」

「なに? 人間は寒いだけでも死ぬのか?」

「なんと貧弱な……」


 真面目に驚くアルシンはともかく、レダンは確実に分かって天丼ネタを繰り出してくるのでタチが悪い。俺まだ笑ってはいけない吸血鬼城(※一月後に死ぬ)の真っ最中やからね。


 まあ、そんなふうに茶化しはするけども、姫様命のアルシンは普通に手伝ってくれて、裏山の大岩を割ってくり抜いてクソデカ石窯風呂を作ってくれた。

 なんだかんだ美味い血に飢えているレダンも魔術でお湯を張ってくれたので、その日のうちに地下牢の人にお風呂を提供することができた。


「ギャーッ!! 茹でないで、茹でないでぇ!!」


 全力で泣き叫ばれた。

 魔界人に暮らしに風呂など無い。そうか。そりゃそうだわな。


「こら、暴れるな人間風情が! 殺すぞ!」

「ええい姫様の遊びでなければこんな面倒な事は絶対に……!」


 なんかぶつぶつ聞こえてきたけど、魔族にとってもストレスは健康に悪そうなので、少しくらいはそっとしておく。

 言いつつ犬でも洗うように両足で挟んでどんどん頭洗ってるし、多分ペットの犬(※魔狼・メチャこわ)でも普段から洗ってやってるんだろう。


「大丈夫大丈夫、乱暴しないし怖くないよー。綺麗にするだけ」

「そうやって俺たちを魔族に食わせるつもりだろう!!」

「まあだいたいそう」


 別に取って食われやしないけど。血は啜られるけど。


 とはいえ、この人達にも別に悪い話ではない。ちゃんと美味しく品質改善されれば、俺みたいに飲み干してポイを免れるかもしれないのだ。


 この城に来て3日。吸血種が抱える問題を、俺は認識しつつあった。


 ふつうに食料問題である。


 吸血種は単に血を啜って生きてるわけではなく、血を媒介に人間の魔力を啜る事で生きているらしい。

 つまり、その辺の魔獣や動物の血ではダメらしいのだが……なぜか分からんが、狩りでそれを賄っている。


 いや、理由は分かる。

 人間はめちゃくちゃ魔族怖がってるし、見かけたら逃げて死ぬか戦って死ぬかなの2択しかない。

 えー、つまり、言葉は悪いが、家畜化とかは考えたこともないんだろうって事だ。


 そして、狩られる人間は狩られないようにどんどん生活を切り崩して不健康になり、血も少なけりゃ魔力も少ない、さらに不味いのトリプルコンボを決めていく。

 吸血種は満足できずに人間をもっと狩る。狩られる人間はさらに不味くなる。以下悪化ループ。


 俺のご主人様姫様はこの問題を認識していたのだろうか。

 レダンはともかく、側近ぽいことをやっていそうなアルシンは分かって協力してくれていそうな感じはあるが。


「まあ嫌がってもしゃーないんで大人しく健康になりましょうねー」

「ワアアア! 鬼! 悪魔! お前それでも人間かー!!」


 アルシン達を見習って、足で拘束して人間おにいさんやおじさんの頭をサクサク洗う。


 助かるかもとは言わない。それは魔族の都合次第でしかない。

 勿論、その時が来たら俺は全力で助命嘆願セールストークを炸裂させるつもりだけども。


「ワアア……ウッ……」


 あっ、泣いちゃった。



 10日目。俺は地下牢の中にいた。


 別にブチ込まれたわけではない。

 トンカチ片手に、木の板の中でひたすら組み立てている。

 つまり建築中である。


「城に何匹も人間を飼ってはおけんからな……」


 城の慢性的に吸血種は飢えている。

 ちょっと美味しそうになりつつある人間達を前に、魔族がどれだけ俺のご主人様の権威を思い出して本能を留めることができるかという話だ。


 そういう訳で、俺とアルシンとレダンは地下牢の中を改築してしまうことにした。

 ちょっと床を高くして、寒いので火を炊けるようにして、地下なので換気には気をつけて、ついでに風呂もつけて……。


「おいツカサ、床はどうやって作るのだ」

「今張ってもらった根太にこの板を敷いていってですね……」


 10年近く大工スキルを磨いておいて助かった。

 魔界で健康に生きていこうと思うと必然的に逃亡生活となり、無限に住居を建築する必要があるのである。


 最初と比べると小綺麗になった人間達は、ビッチリと牢の岩壁に張り付いている。

 全然警戒がとける様子はない。俺も人間なのにな。




 たっぷり労働に体力を使ったあとは、風呂でさっぱりする。

 人間用に用意した風呂は城の裏手に安置され、意外と凝り性なレダンの手ですっかり露天風呂のように改装されている。


 魔族達は城の中に普通の猫足バスタブ浴場があるので人間の残り湯なんぞに興味は示さないが、俺とアルシンとレダンは製作者の権利を存分に行使していた。


「みてみてこれ。今日温室からこれ貰ってきたんですよ」

「なんだ? 果実か? そういえば人間も果実を食うんだったか。それは確か苦くて食えん観賞用だぞ」


 知っている。俺がじゃじゃーんと取りだしたのは、魔界の柑橘類の実だ。

 俺の顔くらいの大きさで、黄色い皮に赤い斑点がある。魔界はなんでも無駄にでかい。南国でもあるまいに。


「食べない食べない。お湯にこうして入れて、香りを楽しむんですよ」


 でかいので三つに割ったからお湯に放り込んだ。

 途端にほのかに広がる爽やかな香りに、吸血種2人は揃って鼻をヒクヒクとさせる。


「おおお……悪くない。なんだこれは」

「なんだか胸がスーッとする匂いだな……」

「待てよ。人間からこの匂いがするようになったら、もっと美味そうに思わないか?」

「それは……悪くないかもしれん。明日からこれに漬けるか」


 そんな漬物みたいに。だがいい発想かもしれない。


 魔界にも季節はあって、少しずつ冬が近くなってきていて最近肌寒い。

 柑橘湯でポカポカにあったまってもらった方が人間の健康にはいいだろう。


「そういえば、魔界の外の人間、自分たちの食べる魚にこういう実を餌に混ぜて食わせて臭みを少なくしてたらしいっすよ」


 ふと思いついてかぼすブリの話をしてみると、2人はカッと目を見開いた。


「明日から果実も食わせよう」

「あの臭みが減るやもしれんならやる価値はあるな」


 クライアントが実に乗り気で良いことだ。


 ちなみに俺の前世知識は、地上の書物から得た知識ということにしてある。

 魔界が地上から閉じてから2000年くらいが経っているらしく、長寿な魔族も流石に世代交代して、地上の人間についての知識はほとんど失われている。

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