後編

「はい?」


 瑛理は内心面倒くさいなと思いながら、振り向くと、紙袋に入った大荷物を持ち、いかにも「運動ができます」というようなスポーツウェアを着た青年が、彼女を見上げていた。


「あ、いえ……その、足をどうされたのかなと思って……」


 そう言って彼は、瑛理の足元を指さす。

 瑛理は新手の詐欺さぎか何かだろうかと思い、「ヒールが折れただけですので、お気になさらず」と言ってさっさと立ち去ろうとした。だが、青年は紙袋をかかげめげずに言う。


「あの! それなら、俺が持っている靴をいてみませんか?」

「は?」


 瑛理は眉間に眉を寄せ、怪訝けげんな顔で青年を見る。どう見てもあやしい。


「結構です」

「いやでも、その状態で歩いていくのは危ないと思います」

「……」


 それはその通りである。そのためどう言い訳しようか悩んで黙っている瑛理に、青年は言葉を続けた。


「駅は掃除をされている方がいるので大丈夫かと思いますが、外に行ったら何が落ちているかも分かりません。怪我けがをしてはいけないので、履いたほうが良いと思います。あの、俺、こういうものでして――」


 そう言うと、青年は瑛理に名刺を両手で差し出した。


「『Tabigutuたびぐつ営業担当、青山隆樹りゅうき』……さん?」

「はい。靴屋のメーカーに勤めています。大手ではないですけど……。えっと、それで俺、今日靴のサンプルを持っていまして、よかったら履きませんかって思ったんです。あ! ちゃんと新品ですから! 安心してください」

「つまり……セールスってことですか?」


 瑛理の問いに、青山は一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。だが、意味を理解すると「違います! 違います!」と手のひらを大きく横に振った。


「そうではなくて、本当に人助けをしたくて言っているだけです。ですから、代金もいりません」

「代金も……って。どうしてそんなことをおっしゃるのか、私にはよく分からないのですが。見ず知らずの人間ですよ? どうしてそんな人間に親切をするのですか?」


 瑛理がいぶかしげな顔でそう言うと、青年はしょんぼりとした表情は浮かべたものの、だからと言って慌てる様子もなく、言葉を選びながら彼女に説明した。


「あ、その……、確かに急に他人に親切にされるって、怖いですよね。このご時世、優しさにつけ込んだ事件とかもありますし……。でも、俺は靴屋に勤めている者として、片っぽの足が素足すあしのような状態で、しかも気だるげに歩いている人を見たら放っておけないです」


 素足のように見えたのは、薄いストッキングを履いていたからだろう。

 瑛理は、気だるげだったのか、と内心思いつつ、彼に尋ねた。


「だから、靴をくれようとしていると?」

「そうです」


 青山の目は真剣そのものである。

 瑛理は自分が靴が壊れて困っているのも確かなので、小さくため息をつくと「分かりました」と言って、上りかけた階段を下りホームまで戻り、彼を見上げた。


「では、あなたが持っている靴というのを履かせていただけないでしょうか。仕事に行かないといけないので、時間もないですし」


 青山はぱっと表情を明るくしてうなずいた。


「分かりました!」


 すると青山はしゃがんで、持っていた紙袋から靴が入っているとおぼしき箱を取り出す。


「足のサイズはいくつですか?」

「23.5センチですけど」

「よかった。サンプルにありました」


 ほっとして言う青山に、瑛理はあきれた様子で言った。


「もし私の足に合うサイズがなかったら、どうしたんですか?」

「いや、どうしても声を掛けずにいられなくて、そこまで考えていませんでした……。すみません」

「……」


 青山は小さくなりながらも、手早く箱から靴を出してくれる。この際、コンビニまで歩ければ何でもいいと思っていたので、ランニングシューズでも構わないと思っていたのだが、箱から出てきたのは足のこうまで隠れる黒色のオフィスシューズだった。


 ひもで幅を調節できるようになっているが、穴には通してあるので、すぐに履けそうである。

 青山は靴の中に入っていた紙の緩衝材かんしょうざいを手早く取ると、軽くはばを広げて、瑛理のほうへ向けた。


「どうぞ、履いてみてください」

「はい……」


 瑛理は、青山が押さえていてくれる靴に、慎重に右足を入れた。ぴったりである。

 まるで、王子様がシンデレラにガラスの靴を履かせたときのように、自分に丁度良いサイズだった。


 さらに驚いたことに、足に解放感がある。

 普通、履いていないほうが解放感があるはずなのに、何故かこの靴を履くと、伸び伸びとした心地よさを感じるのだ。


「痛くないですか?」

「……え? あ、大丈夫です」


 驚くような履き心地に、瑛理は反応が遅れてしまった。だが、青山は気にした風もなく笑う。程よく焼けた彼の肌は健康そのもので、笑ったときに目の下あたりのほほにできるきれいなしわが、彼の人柄を表しているかのようでもあった。


「良かった。では、こちらもどうぞ」


 そう言って、青山は左足も差し出す。今度は躊躇ためらうことなく、どこか期待感すら持って足を入れた。


「どうですか?」

「履きやすい、です」

「それなら良かった。ではひもむすびましたら、試しに歩いてみてください」

「分かりました」


 瑛理は手早く両方の足の靴紐を結ぶと、軽く歩いてみる。

 信じられないくらい歩きやすく、足の裏もふわりとした心地で優しい。だからと言って、踏ん張りにくいというわけでもなく、地面にしっかり足がついている感じがする。また、足の幅も丁度いい。


「どうです?」

「大丈夫そうです。それに……とても歩きやすいです。こんなの初めて……」


 すると青山は無邪気に笑った。


「でしょう⁉ それがうちの商品のウリなんです! そうだ、靴が入っていた箱持って行きます? あ、でも、仕事場に行くとかさばるか……」


 これが本当に人をだまそうとしているのだったら、相当演技が上手いなと思いながら、瑛理は「いえ、良かったらください」と言っていた。


「大丈夫ですか?」

「壊れたヒールも入れていきたいですし」

「それもそうですね。分かりました。では、ハイヒールはこちらに入れておきますね」


 青山はそう言うと、てきぱきとしながらも、丁寧に壊れたハイヒールを箱に入れてくれる。そして使っていない紙袋を取り出して箱を入れると、「どうぞ」と太陽の光のような笑みを浮かべて渡された。


「ありがとうございます……」


 瑛理が紙袋を受け取ると、青山は軽く手を上げて言った。


「それじゃあ、俺はこれで。よい一日を過ごせるといいですね!」


 そして階段を軽々と登っていく。瑛理はその背を見ながら、気持ちが晴れやかになっていくのを感じた。


 その日の夕方、彼女が青山が勤めている店に行って、靴の代金を支払うついでにお礼を言いに行ったのは、また別の話である。


(完)

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☆KAC20243☆ シンデレラの靴 彩霞 @Pleiades_Yuri

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