結末の赤
「空ってさぁ、信号機みたいだよな」
「……は?」
そうやって見上げる空の色は茜色。部活の帰り、汗だくの状態で湿った鞄を肩にかけながら帰路に着く。さっき信号待ちの間に購入した、薄い素材のペットボトルに入った水はあっというまに半分よりも減ってしまった。
帰る方向が一緒だから、そうやって仲良くなった。友達、なのだろうけれど、正直自分はそう思っている自信も、そう思われている自信もない。
「そうやってすぐ否定する〜」
「……ごめんって」
ああ、またやってしまった。自分のものすごく悪い癖。別に否定する意図はないのだけれど、相手の言うことの意図がわからないと自分はどこか否定するような声を出してしまう。
「あやまんなよな。それも悪い癖じゃん」
「……」
そんなこと言われてしまったら、今度はだまることしかできなくなってしまう。自分はどうにも不器用で、上手く言葉を紡げない。
昔からそんな経験ばかり積んできてしまったせいで、なんだか一つ一つ、きっと他の人がどうも思わないようなことにまで不安になってしまう。ああ、これもきっと悪い癖だ。気にしいのくせに、こうやってすぐ人を傷つけるようなことばかり繰り返してしまう。というか、今のようにぐるぐると、人の話も聞かないで思考を巡らせているだけで、かなり彼にも失礼だ。チリチリ、と心臓が痛い。
「こうやって今黄色い空から赤い空になるわけじゃないか。で、夜が明けたら青。信号みたいだろ、青と黄色と赤がある」
「信号の青って、ぶっちゃけ緑じゃん」
「それは〜言葉のあやだよ」
彼は自分と全く異なる人間だった。大雑把で細かいことは考えない。そういうところが気楽で、おれは彼とよくつるむようになった。悪く言えば利用していて……正直、嫉妬心もある。
「で、おまえはさ、どう思うよ」
「まあ、それでいいんじゃない?」
「適当だなぁ。俺はお前が頭いいからどう思う?って聞いてるんだけど」
「そんなことないでしょ」
頭がいいわけじゃない。ただただ、思考を巡らせていないと怖いから、ずっと考えてばかりいるだけの頭でっかちだ。これを誇ったことは正直ないし、ずっと罪悪感ばかり募っていく。自分のこの思考は、きっと目の前の男は絶対に理解できないのだろう。
こうやって、おおらかになれたらいいのに。どうにかこうにか彼を理解しようとするが、どんどんとおれの憧れの気持ちと自分の思考が乖離していく。ああ、ほら痛い。自分のこう言うところが嫌いだ。考えては考えては、結局繰り返して出てくる結論は自己嫌悪だ。
「お前はどの空の色が好き?」
「そんなこと考えて空を見たことないよ」
「まあ意識的に見るもんじゃないけどさ」
「しいて言えば、入道雲がくっきりとしてる真っ青な空」
空気を遮るものが少なくて、空の青がどこまでも続くように広がって澄み渡って。そこにこんもりと白い雲。そういうコントラストの対比が綺麗だな、とまあ思うことはある。想像しているのは、パソコンのデフォルトで設定されている壁紙のような風景だ。
「あ〜綺麗だよな。なんかいかにも空〜っていうかさ」
「おまえはさ、どうなの」
「俺?星一つない空」
帰ってきた答えは想像していないものだった。彼の人間性と、出てきた空がどうにもつながらなくて、おれの中で考えが宙ぶらりんになっている。晴天、って答えるものだと思っていた。
「なんで?」
「だってさ、そんな真っ暗な空でも次の日はちゃんとくるんだぜ?」
「……」
「確かに星が満点の空もすっごい綺麗だと思うしさ、ああいうのって自然豊かなところでしか見られないし。でもさ、真っ暗な空ってそれもそれでレアじゃないか。ここみたいなそこそこ都会の空か、雲が全面にかかっている時くらいしかそういうのって見られない。雲がかってると微妙に白いしな。……でもどんなに暗くても、明日はやってくるわけ。なんかちょっと明るい話みたいで良くないか?」
「信号機、ってそういうこと?」
「言いたいこと、わかった?」
悔しかった。自分は考えてばかりのあたまでっかちだ。こいつはおれなんかとちがって、気取らない。繕わない。それなのに、どこまでも綺麗だった。お前といるとなんだかおれはとっても惨めになるんだ。
「赤信号も好きだよ。確かに待ってる間はイライラすることもあるけど、待ってる間にスマホみたり、さっきみたいに飲み物買ったりすることができるし」
なんでお前はそうやって、何事も明るく捉えられるんだよ。おれはそんなに楽しく、次の日も迎えられないし、赤信号にだってイライラするよ。
「……」
嫌いになってしまいたい。だけれど、おれは彼という人間のこういう、普段は自分よりも何にも考えてなさそうなのに、おれのことを直線で刺してくるようなことを言うところが、どこか気に入っていた。結局おれは、自分自身のことしか考えていない。
「おまえはさ」
「?」
「なんでもない」
おれのこと、好き?
そう口にしかけて、また噤んだ。
それを聞くのは、ちゃんとおれが彼と対等な友人として、自信が持てるようになってからだ。別に、いまここで結論を出さなくてもいい。……まだ、少し怖い。自分が彼にとって必要な人間なのか、いや、必要だとか不要だとか、そういう考え方がどこか利害的なのだ。そうじゃなくて、そうじゃなくて。
「青信号を見ると、渡らなきゃいけないような気持ちになる」
「……」
「いいよ、って言われるには、おれにはまだちょっとはやいから」
どうか、少しだけ結論を出すのを長引かせてくれないか。まだ、自分にはそれだけの自信を持つには時間が必要なんだ。
「止まってても別にいいんだよ。歩きつかれる時もあるし」
「おれはもうヘロヘロだよ」
赤は、立ち止まることを肯定してくれるようで、なんだか少しだけ好きになった。
結局は赤も青も、立ち止まってしまえば一緒だ。だけど、おれたちは普段それを異なるものだと認知している。認知こそしていても、歩くことをやめたって、別になんら間違いではない。
空は真っ赤だった。まるで、いまの自分が思考を停滞させ、放棄しているのをどこか肯定してくれているような、赤信号の空だった。
いつか、その空が青くなる朝が来る。でもまだ、結末の感情を急がなくてもいいんだ。
ほら、まだ、赤い。
トラフィックライト 籾ヶ谷榴萩 @ruhagi_momi
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