第四話 芙蓉の咲く日常

百々代と郁は芙蓉神堂の正門から入り本殿の大きな扉を開け入った。いつものことだが、入り口の廊下には誰もおらず、誰も迎えてこない。主人の帰還なのに誰もいないとは何事かと言ったが、郁からはすぐに

「慕われてないからだろ。それに今は居間にいるしな」

と答えがかえってきた。

「今のダジャレ?」

と細かいツッコミをする百々代。無視された。

しばらく廊下を右折左折して居間の方へ向かうと、台所から食べ物を運んでいる納古とばったり出会った。先のことを謝ってもらおうと声をかけようとするが、納古は

「ああ。お帰りになられたんですね。どうぞ居間に」

とだけ言い放ちそのまま居間に入って行った。謝るんじゃないのかよと思いながら居間に入ると、そこには鮮やかな桃色の鮭の刺身と澄んだ色の青紫蘇、加えて食卓の中央には餃子が円状に皿の上に敷いてあった。美味しそうな香りにつられ食卓に座る。百々代の帰還が慮外なタイミングで、

「百々代様帰ってきたんだ。こんなに早く帰ってくるなんて珍しい。」

頂きますも言わずにすでに刺身を何枚かつまみ取っていた牧浦も、

「そうじゃな。郁殿がこんなに早く説得できるとは思ってなかったぞ。」

百々代は自信満々に

「納古が今朝絵に関して言ったことで謝りたいらしいからね」

と言う。さっきから台所と居間を行き来し配膳をしていた納古の耳がピクつく。他の二人もお前は何を言っているんだと言わんばかりの顔で百々代を見つめる。百々代はよくわからず首を傾げていたが、納古が緑茶の急須を持ってきたタイミングで

「…?私はそんなこと一言も言っていませんよ?どこで得た情報ですか?それ?」

と言い放つ。百々代は郁の言っていたこととの食い違いに困惑したが、ここで異変に気づき、険しい顔でさっと郁の方を向く。郁は悪びれもせず

「納古が謝りたいって言ってるって伝えたな。あれはウソだ。」

と言い放った。騙されていたという事実に気がついた百々代は憤慨し郁に殴りかかろうとするが瞬きするよりも早く一瞬で大した力も要さず羽交い締めにされた。189cmの筋肉まみれの大男に勝てるわけないというのは目に見えていたはずだった。百々代は暴れながら

「郁!騙したでしょ!ふざけないでよ!こんなことなら信じなきゃよかったー!」

と叫ぶ。それに郁は

「騙されたお前のせいだろ。唐突に納古が謝るとかいう話出したのにウソだって気づかないとか鈍感すぎだ」

ともっともらしい反論をし、百々代はそれで沈黙した。魂が抜けるような無力感だった。羽交い締めはそれほど強固なものではなかったが百々代は抜け出す気力さえ起きていないようだった。

郁は百々代を解放し食卓につかせ、自室から酒を取ってきてから戻った。納古は郁の戦略に対して

「結構卑怯な手ですね。結果として短時間で連れて帰れたのでよかったですけど。」

と評す。

落ち着いたところでちぃも居間にやってきて、全員で頂きますで初め、食卓にある鮮やかな食材を食べ始めた。全員で雑談をしながら話題が話題へと変わり、ごくごく自然な食卓の様子だった。そこで百々代の家出の話になった頃、優輝が少し百々代に対する注意を始めた。

「今度からはさ、無理にいきなり家出しないようにして欲しいんだよ。郁も探すの大変だっただろうし、変なことしちゃダメだよ。」

本当に母親のような言い分だ。牧浦からも

「まあ…確かにじゃな。わしも幼子の頃はよく親と喧嘩し外に出ては怖くなって逃げ帰ってきてた記憶があるな。百々代殿は今回『3回目』の家出でなにか収穫はありましたかの?」

百々代は最後の一文に一瞬はズーンと気持ちが沈んだが、そこで茈のことを思い出した。サラッとした金髪に綺麗に整えられた三つ編み、そして矢車菊のように綺麗な瞳は写真のように脳に焼きついていた。茈のことを語るチャンスだと思い、

「友達ができた」

と真面目な顔で言い放った。しかし、場が凍りつく。普段深く考えないちぃでさえ、「は?」と言いたそうな顔をする。百々代に友達ができるなど、前代未聞・空前絶後・未曾有の大事件だ。こんなモンスターに友達ができるのが可能だったのか、という考えが牧浦と郁の頭をよぎる。何よりショックを受けていたのは納古だ。しかし他の二人とは違う理由のよう。納古は思わず涙がこぼれ、嬉し泣きをしてしまった。長らくの間、人前で見せることのなかった涙が急に出てきて、百々代及び他の三人は仰天した。牧浦は納古の涙というものを見て、一体何が彼女にそうさせたのかと聞いた。すると納古は、

「いえ…百々代様に御友人ができるというのが、嬉しくて嬉しくて…。こんなに狭い、小さな神堂で暮らしている以上、鳩世様と同じように旅をしない限り、対等の存在なんて人ができないのではないかと、毎日毎日心配で…」

納古は、元々壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の一族の一人で、平時子の口車に乗せられ、かの有名な七歳の天皇の後に次いで入水し自害した経緯を持つ。桃境陵にきてからは百々代の母の鳩世に拾われ、芙蓉神堂で仕えながら百々代の世話役そして家事を担ってきた。百々代をその小さな皇に重ね実の子供のように大切に思ってきた。生まれた時から見守っている子に友達ができないのでは毎日気がかりだったが、そこでその子に友達ができたとなったら、涙もろくなる理由もわかるだろう。

百々代と優輝は突然泣き出し食卓に突っ伏して、肩を震わせる納古を落ち着かせ、優しく抱擁した。普段は生真面目で、几帳面でしっかりした性格の納古の泣く様子を見るのはとても複雑な気持ちで、もう絵のことに関して謝って欲しいという気持ちは起きなくなった。ようやく納古が落ち着いた頃、泣いて赤くなった目元と顔を擦って食事を再開し、納古は茈のことに関して聞いた。

「で、その御友人というのはどういう方なんですか?」

「名前が『九十九木 茈』って言って、逆縞の郊外で農家やってるんだってさ。すごく可愛くて明るくて、それに好きな食べ物も同じで、すぐに仲良くなってさ。」

純粋な嬉しさで話を聞く納古と楽しそうに百々代が友達の話を語る様子は、まるで人間の世界での親子のようだった。暖かい黄色い空気に包まれたまま時計の針は動いた。昼食が終わった後、百々代はまた茈に会いに行こうと思ったが、海沿いから内陸まで放射状に都市を展開する逆縞の「郊外」の定義はかなり広く、農場なんてそこらじゅうにあるため、特定は難しいと思ったため断念した。その日はそのまま芙蓉神堂で散歩や市民への配給、相談などの仕事をこなし、他の四人と花札や蹴鞠をして一日を過ごした。

紺色の布がかかったように空が暗くなってきて、時計の単身が丁度左を向く頃、風呂場の方から何やら面白い音が聞こえてきた。

「オフロガワキマシタ」

聞いたことのない不自然な声で一同が困惑している中、優輝がはっとしたように席を立った。

「そうだ。この前、人間界から自動で沸いてくれるお風呂を仕入れて融合させといたんだった。」

優輝は物の輪郭をいじって繋げたり切り離したりする神通力を使うことができ、それで人間界から持ってきた風呂場を下の石窯の風呂と取り替えてくっつけたようだ。蓋を窯の底に沈めて入らなければいけない狭い石窯とは違い、温度調節が可能で、広く休みやすい快適な風呂になった。優輝は度々このような便利なもの、例えば炊飯器やドライヤー、髭剃りなどの人間界の電化製品を買って持ってきては、芙蓉和京内で配給したり

神堂の建物に組み込んだりしているようだ。一人一人順に風呂に入り、暖かい気分になった後も夕食を食べ花札をして生花をしたりと、穏やかな時間を過ごし、その日は皆ぐっすり寝れたようだ。百々代もいつかまた、茈と出会えるかもしれない可能性を信じて、深い眠りについた。

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桃源の旅 かおまじん @Kaomazin

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