第三話 あたまがおかしい

  狂っている。つい数分前に出会ったばかりの人に「持ち帰ってもいいですか」というとは。距離感を間違えているだけでなく、単純に意味不明だ。距離の近い友人でもこんなに脈絡のないことは言わないだろう。

「…は?」

茈は当然困惑する。百々代はすぐに自分の行ったことの異常さに気づき、

「…すいません」

と謝る。百々代はまたもや茈の性格に救われた。茈はその文言の意味不明さ、脈絡のなさで笑い始めた。もし彼女がこれをせずにマイナスな反応をした場合、百々代は今後数ヶ月は外に出るのを拒否していただろう。

「すごいこと言うなぁ、でもちょっと面白い。百々代のことがもっと知りたくなってきた。芙蓉神堂のこととか教えてよ!」

桃境陵が平和を保ちつつある現状、百々代は正直芙蓉神堂のリーダーとしての役目をほぼしていない。事務仕事も従者・優輝に八割任せているため細かいことは語れない。とりあえず自分の持っている情報を出力してみる。

「芙蓉神堂は、うーん、まず大きいかな。いろんな建物とか植物があって、礼堂に入るとおびただしい量の仏像とか観音像があるの。」

ただ茈が聞きたいのはそういう部分ではなく、もっと百々代のパーソナルライフに関する情報、従者との関係やそこの暮らしの心地などが聞きたいようだ。

「あぁ、そういう意味なのね。まず芙蓉神堂を語る上で外せない人が二人いるんだ。平納古と宇志綺優輝。納古は料理とか洗濯とかをしてる親代わりみたいな人っていうか亡霊かな。優輝は事務仕事の八割をやってくれて、よく喧嘩を仲裁してくれるお母さんみたいな人。男なんだけどね。どっちも世話焼きですごい優しくてね、悪いことしちゃったらちゃんと叱ってくれるいい人たちなんだ。」

百々代は自信満々に語る。優輝には仕事をやってもらっているのではなくやらせているという事実からは目を背けているようだ。そこで茈が一本の質問を投げいれる。

「ちょっと繊細なところ触れちゃうかもだけど、本当のお母さんは?」

想像もせず、予想もしていなかった質問が飛んできた。百々代は生まれた時より納古や優輝以外で親となるような人間と話した覚えがなかった。芙蓉神堂のリーダーとして常に皆の上におり、上の方にいるからこそ重みを毎日毎日毎日痛感していた。彼女の母親である鳩世は芙蓉神堂にはいない。百々代が産まれてすぐにまた桃境陵のどこかへ旅に行き、今も戻ってきてはいない。

「本当のお母さん?あー…どこにいるんだろうなぁ」百々代は逆に思った。

「どういうことよそれ?」茈は聞き返した。

「私のお母さんね、私が産まれてすぐあたりにどっか旅に出ちゃって。昔っからちょくちょく会いにきてたんだけど最近あんまり見ないし顔も覚えてないんだよね。すごい明るくて社交的な人だったってのは覚えてんのになぁ」

茈はネグレクトかと思いながらも、泰葉奈公のことはよくわかっていないため、複雑な家庭環境として処理した。父親のことも聞きたかったが、流石に何かセンシティブなことに触れそうな気がし、思いとどまる。その代わりとして、百々代自身のことをもっと聞くことにした。

「百々代はどうなのさ?趣味とか、好きなものとか。」

「好きなものかあ、そうだね、たくあんとか餃子とかかな?あと青紫蘇と醤油と酒の刺身の組み合わせが大好きかも。それを言い終わってすぐに茈が顔を明るくして

「青紫蘇!すごいわかる!刺身に醤油つけてご飯に載せるとすごい美味しいんだ!たくあんも、あの柔らかすぎず硬すぎずの食感がご飯と相性がすごく良くてさ!」

見つかるとは思っていなかった仲間を突然見つけた二人は両手を繋いで縦にジャンプして喜び始める。そこからさらに話を広げる。茈は楽しそうに

「趣味は何?趣味は何?」

と聞く。百々代の回答は

「蹴鞠!」

だった。本でしか見たことのないような貴族の遊びに茈は笑ってしまった。

「私の趣味は編み物と木の実狩りかな。編み物は時間も練習もいるけど、木の実集めは特別な練習も必要ないし、森の中で自然もみれるからすごい楽しいぞ。」

百々代は自分の知らない世界に感動し、「外に出たい」「冒険したい」という欲がどんどん増幅してきていた。百々代は今まで持ったことのない、友達という存在へ大きな憧れを抱いていた。周りの人間は全て自分より下か上の地位に居て、対等のように話すがそれでも主従関係がある。天秤を直そうと相手に触れようとしても相手から返ってくる敬語や丁寧な言葉が自分を上の方に傾ける。そんな環境の外の、一つの森の中、茈という少女と話しているこの時間だけは、天秤も敬語も主従関係もない、川の流れのように自然な対話だった。出会って一時間たらず、すでに茈への感情は沼地より湿ったものになっていた。

さらに話が膨らもうというところで、空から赤色の炎が降ってきて川に直撃した。あまりの衝撃に川から水が引き、地面が割れ、粉塵があがった。何事かと思い二人がその方を振り返ると、そこにいたのは…郁だった。芙蓉神堂においての百々代の実質的な従者で、泰葉奈公とともに桃境陵の基盤を作った大公たちの一人。粉塵から姿を見せたその180cmを超える身長は化け物のようだった。出会うなり、郁は淡々と言い放つ。

「おい百々代、帰るぞ。」

先の出来事から、家に帰りたくないなと考えた百々代は即座にそっぽを向き

「嫌だね。連れ返そうたって無駄だよ。」

茈は何が起きてるのかわからず、

「誰?あれ。」

と百々代に耳元で小声で喋る。百々代は栄誉ある桃境陵を作った大公の一人の紹介としては失礼極まりない説明を行った。

「芙蓉神堂の私の従者の一人。2000年くらいは生きてる仙人のオッサンだよ。」

「誰がおっさんだ。お前も人間基準じゃババアだろこの200歳が」

郁も郁でそれなりに失礼なことを行って反論している。

百々代の実年齢に茈は驚き、仙人という人間の高みに達した者の凄さを実感した。否、それ以上に従者と主の関係とは思えないほどのカジュアルな言葉遣いにさらに驚いていた。

「で。なんで帰ってきて欲しいのさ。追い出したのはそっちじゃん」

百々代は不貞腐れながら聞く。

「昼飯が出来たんだよ。早くしねえとちぃがお前の飯消し炭にするぞ」

「いいよ別に。どうせここで魚釣って木の実食べるし」

過去に野晒し生活の経験がある郁は、百々代のことをバカを見るかのように見つめる。そこで正攻法では連れて帰れないなと確信した郁は、咄嗟にぴったりな説明を思いついた。

「納古が『言いすぎた、謝りたい』とか言ってたぞ。百々代の好きなもの作れば帰ってくるかなと思ったらしくてな、今日は青紫蘇付きの鮭の刺身だ。」

それを聞いた百々代はビビッときた。

「マジ?」

と事実確認をし、郁からは

「アア。マジダゾ。」

という答えが返ってきた。百々代は考えを決め、

「よーし!帰るか!」

と意気揚々に、高らかに宣言する。茈は百々代がいきなり帰ることになった上に自分にとって未知の世界にかなり困惑している様子だった。しかも郁が嘘をついて百々代を引き戻そうとしているという事実は第三者である茈にも明らかなのに、それに気づかない彼女の鈍臭さに驚いた。百々代は茈に歩み寄り、

「茈、ありがとう!今日はこれくらいになっちゃうけど、これからも…その…友達…として、よろしくね」

と感謝を述べ、茈も緊張がほぐれ、優しい笑顔を見せながら

「ああ。じゃあまたな」

別れを言ってから百々代は魔力の羽を出し、郁は炎の法陣で飛ぶ準備をした。茈は人間技にではないこの神通力で飛び去っていく二人を見送った。気づいたら腹の虫が鳴っていた。

「今考えりゃ家出の理由しょうもないな…」

自分の家出の理由のくだらなさに気づき、親もご飯を用意している頃だろうと帰ることにした。箒を手にして風を起こし、帰路についた。

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