第二話 ここはどこ?あなたはだれ?


翌日、芙蓉和京の人々はまた目を覚まし、神堂から反射する青い光を浴びて今日も一日を始める。それは百々代も同じで、早速芙蓉神堂の顔である七重塔の最上階の応接室でまたもや悩んでいる。彼女の悩みの視線は、外の露台に出る襖の右隣の壁だ。少し濁った緑色をしていて、シミもなく綺麗に掃除されているというのに、何が問題なのか。百々代が思っているのは、そこに何もないという事実だ。応接室の入り口の壁は全て襖になっており、北を向いた壁には丸窓障子が、南を向く壁には生花や貴重な壺の置かれた床の間が、東の露台に出る襖の左は掛け軸がある。なのに右側だけ何もないというのはどうもバランスが悪い。そこで百々代は思いつく。「自分で掛け軸の絵を描けばいい」と。ここ数年間は月に一回のペースで掛け軸や紙に水墨の絵を描き出し、芙蓉神堂のさまざまなところに貼っている。その度に従者には理解されず撤去されているが。それに屈せず百々代はまた描き出すことにした。

しかし、先端が黒く濡れた筆を紙につける前に、稲妻が走り一瞬で紙は消し炭となった。その稲妻が放たれた源は、入り口に立っていた納古の指だった。納古は雷の神通力を操ることのできる形を成した死霊で、炊飯器を二十個併用できるほどの電圧を常に内蔵している。そんなものを紙にはなったら一瞬で焼けるに決まっているだろう。だが、なぜ紙を焼いたのかと、百々代は目を細め怪訝な顔をする。

「なんで焼くの?完璧なアイデアじゃ…」

そう言い放とうとする百々代に納古はバッサリと切る。

「百々代様の絵の才能は絶望的です。やめてください。」

それに百々代はびっくりする。「そんなにでもないだろう」と否定をしようとするが、そこをまた切られる。

「犬を知らない人が特徴だけで犬を書き出したような珍妙な絵、生命を否定するかのような冒涜的な構図、阿鼻叫喚の地獄絵図と同等の畜生の絵画を飾らないでください」

今度は一太刀どころではなく輪切りにしてきた。百々代は大きなショックを受けるがそれでも

「でもそれは納古たちが解ってくれてないだけじゃん!ほら、人間界のゴッホ?とか生きてる間は全然理解されなかったじゃん!」

と切り返すも、納古は最後に微塵切りでトドメを刺す。

「それ、暴論だと思います。百々代様はそもそも絵が下手じゃないですか。ゴッホだって絵が下手だったのではありません。ゴッホのような画家は否定されたでしょうが、『否定された』=『価値がある』ということにはなりません。」

そこに続けて、

「それにいろいろなところから苦情がきています。芙蓉和京の皆様はこの神堂を訪れる度にあちこちに貼られるちんけな絵があって雰囲気が壊れると言っています。近くの街からの画家さんも『これはひどい』と苦悶の表情を浮かべていました。」

要約すると「場違い」と同じことを言われていることを瞬時に理解した百々代は痺れをきらし、言い合いに完全に負ける前にある策を思いつく。即興で最強の戦法、それは「逃亡」。畳を強く足踏んでどんと大きな音を立て、露台の方に出る襖をあけ地上7階、そして芙蓉和京の街から見て80m上の階層から飛び降りたのだ。下からくる強い向かい風に煽られながら魔力で作った羽を出し、隼のごとき早さで芙蓉和京のみならず周辺の菩提樹の森の上空を通過してあっという間に外の世界に飛び出して行った。野晒しで暮らすわけにもいかないので周辺で街を探し、小さい村を全て無視しながら飛んで行った。

森を二つ、川を一つ、超えたのちに百々代は前から何か飛んできているのが見えた。この近辺では夏頃に提灯と風船を合わせて飛ばす「提灯祈祷」が盛んなため、最初はそれだと思った。しかし違う。明らかに見え方が違う。提灯の形をしておらず、尚且つ紺色で細い。それが生き物だと気づいた頃にはすでに遅く、百々代は避けられずにソレと正面衝突。情けない叫び声をあげながらぶつかった者同士、下の森に落ちて行く。幸い、百々代はぶつかる直前になんとか魔力の羽を自分の前に出し衝撃を軽減した。しかし相手方が生きているのかはわからなかった。百々代が混乱している中、多数の木の向こうから声が聞こえる。

「いってぇ〜…風起こして止めてなかったら死んでた〜」

相手は人で、声は百々代と身体的には同じ17歳、さらに女だ。百々代はギョッとし、「妖怪ならいいけど人となるとめんどくさそうだな…」と思いながらついに邂逅した。そこにいたのは、暗い紺色のオーバーオールの下に白いシャツをきて、黒色のメトロハットを首にかける、金髪の女の子だった。

当然お互い面識なんてあるわけがなく、ちょっと距離感がありながら、金髪の女の子は百々代の首の大きな比礼に着いた二つのバッジに目をやる。芙蓉和京の住人であることを意味する二つの紋章が一つずつ描かれている。

「もしかして、芙蓉和京からきた?バッジからわかったけど」

と話しかけ、百々代は

「うん、そうだね…そっちはどこから?」

と返す。どうやら芙蓉和京の東側にある海岸沿いの大都会・逆縞の郊外からきたそうだ。おたがい名前を知らないと会話にならず、自己紹介をすることにした。

「私は鷺渕屋 百々代。芙蓉和京から逃げだしてきたんだ。」

「家出!?奇遇だな、私も同じだ!私は九十九木 茈(つくもき むらさき)。逆縞の郊外に住んでて農家の娘だ。」

お互い逃げてきてここにいるということもあって波長が合い、すぐに流れるように会話が始まった。

「私は箒で風を起こして飛行できるけど、じつは乗り物として効率もいいし早いし疲れないしで馬が欲しかったんだけど、ソレを親に言ったんだよ。でもお金がないとか世話が大変とか、拒否されて軽い喧嘩になって、都会の方で乗馬の資格取得とか言ってきた上に友達にもいろいろ言われた結果家出してきたんだ。畑でずっと稲の世話はしてるのになんだよって思って。」

一風変わった家出理由に笑ってしまい、百々代も自分のエピソードを語った。

「私も屋敷の中に彩を持たせようとして墨で絵を描くんだけど、それが従者に理解されなくて撤去されて、今朝も従者に絵のことボロクソにいわれたから逃げてきたの。」

茈も従者という単語が出てきたりで珍しい話に笑ってしまい、

「どんなこと言われたんだ?」と興味本位で聞く。

「珍妙、ちんけ、生命を否定、冒涜的、情報だけで描いた犬、阿鼻叫喚の地獄絵図、そして畜生の絵画って…」

茈はとても従者に言われるようなものではない言葉の羅列に驚き口大きく開いて笑った。笑いながら今度は、

「そういえば、従者ってどういうことだ?」

と聞いた。ソレについて話していなかったことにきがついた百々代は即座に自分の住んでいるところを説明した。しかし百々代は芙蓉神堂の重要度をハコイリムスメであるが故に知らず、伝えた瞬間、茈は百々代の想像の百倍以上の大声を上げ驚いた。なにしろ桃境陵の基盤を作り上げたかの有名な泰葉奈公の作った堂で、尚且つその現リーダーとなればその孫娘ということになる。そんな存在が目の前にいるのだから驚かないわけがない。

「そんなにすごいことなの?」

百々代は首をかしげる。

「皮肉とかそういうのじゃなくて本当にお嬢様というわけか…」

と茈は独白した。そんな時、百々代は急に蒸し暑くなってきた。芙蓉神堂の中は風通しがいいためいつも涼しいが、今は森の中で白く輝く太陽の真下にいる。その暑さを凌ぐために百々代はこう提案した。

「ここ暑いし、あっちの方の川行かない?あそこは影っぽいし。」

茈も賛同し、大体40mほどの先の川辺へ移動した。砂利の上に座り込み、百々代は上に着る装束を脱ぎ単一枚の姿となる。

「茈…ちゃんは脱がないの?」

百々代は茈が分厚いオーバーオールを着たままでいることに気づき尋ねる。

「このオーバーオールの下はズボン履いてないから脱げないよ。それに私は暑いのに慣れてるし。あと、呼び方は『茈』って呼び捨てで大丈夫だよ。」

その一言から百々代は胸の小さな高鳴りを感じた。あまり感じたことのない、新鮮な瞬間。そんな感情が顔に出てしまい、隠すように顔を逸らした。

足のそばの川に指を浸してみた。川は新鮮な感情でポカポカしている自分と対になるようにひやっと冷たかった。百々代には、茈が神様に見えていた。「自分の知らない世界の子なんだ」と百々代は直感的に思った。芙蓉神堂のことが頭からふわっと消え、今目の中にあるのは彼女だけだった。そんな考えのうちに百々代の口から、

「持ち帰ってもいいですか?」

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