ハンドラー0年生(3)

 その日を境に、私とオスカーは距離が少しずつ近くなった。排便も外でしてくれるようになり、散歩やシャンプーも楽しんでくれているようだった。少しずつ大きく振られる尾を見た職員さんや、同期は驚愕していたけど。そして、私の指示も聞いてくれるようになった。

 それと同時に、最初の登竜門である中間評価が同時に近づいていた。

 オスカーと過ごし始めて約二ヶ月が経ち、中間評価が明日へと迫っていた。そんな中だったため、私たち訓練生の間では試験の話で持ち来りである。

 この中間評価で落とされた場合、相棒は麻薬探知犬になることはできない。

「小野木さん凄いね。オスカー君と仲良くなるなんて」

 同期の言葉に、私は首を横に振る。

「オスカーが私の言葉を感じてくれたから、少しずつ距離を近づけられた。だから……絶対に試験に落ちるわけにはいかない」

 オスカーは私を信用してくれる。まだ少しずつだけど、それでもオスカーは私と向き合おうとしてくれた。それに答える必要がある。

 でもね。正直――オスカーなら大丈夫だと、謎の自信を持っていたんだ。


 中間評価は成田空港で行われる。内容は、旅客や荷物の中から、麻薬の臭いを嗅ぎ分けるというものだ。私たちは、夏子たちの後だった。ウラニアはその黒い体を荷物の色に紛れさせながらも、ちゃんと夏子の指示を聞き、麻薬の臭いを嗅ぎ分けていた。

 緊張は相棒にも届いてしまうものだ。彼らは、人が思っているよりも感情に敏感だから。私は緊張していないと自身に言い聞かせると、オスカーの手綱を握り締めた。

「五番、小野木美鶴!」

 私は返事をすると、オスカーと共に歩き出した。基本はオスカーが主体で試験は動く。そのため、オスカーの一挙一動を見逃してはならないのだ。私はオスカーを大きな声で褒めながら、オスカーの動きについて行く。

 オスカーはすぐに黒いスーツケースの前で立ち止まった。それにも麻薬の臭いはあった。しかし私は、オスカーがその前の黄色のスーツケースに反応していたのを見逃してはいなかった。すぐにその黄色のスーツケースの前に連れて行く。

 オスカーの勘は間違っていなかったようだった。オスカーはスーツケースの臭いを嗅ぐと、その場に座り込む。グッドボーイと私の声が響き、オスカーは自慢げに尾を振った。その金色の毛並みが、たくましさを感じさせる。

 次にオスカーは、遠くに立っていた旅客役の人の前に座った。その横にいた旅客役の人の前にも座り込む。

 私は大袈裟なぐらい、グッドボーイを連発する。そして、ダミーをオスカーに見せた。

 オスカーは私の持つダミーに嬉しそうに飛びついた。しばらく一緒に走り回っていた。

 数日後、結果が石川監視官の口から伝えられた。

「訓練生はみんな合格。おめでとう! 次は最終評価だ!」

 安堵の息を吐く。これが、私とオスカーの自信につながっていった。


 中間評価に全員合格した私たちは、同期たちと海鮮丼を食べに行くことになった。酒に酔って色々起こしたくないために、ランチになったのは当然のことだった。夜は勉強したいし。

 休日でも、オスカーのことを考えてしまうのは、もはや一種の洗脳だろう。

 それはみんなも同じだった。店に全員集まった瞬間、相棒の話で持ちきりである。他の人の相棒の話も面白くて微笑ましいが、全員きっと思っていた。自分の相棒がやっぱり一番だと。

 そんな中で、なぜ税関職員になろうとしたのか、という話が出た。

「僕は大学の先輩に勧められてなろうとしたんです」

「私は犬と働く仕事がしたいと思って」

「僕は税関って何してるんだろう、から始まったんです」

「テレビで番組やってて、それに釣られた感じですかね」

 色んな理由が出てくる中、私はそれを聞いているだけだった。しかし、それに気がついた同期の一人が、私に話しかける。私は少し考えると、口を開いた。

「その、暗い話になるんですけど」

 私は同期たちを見た。同期たちは顔を見合わせる。

「中学の時、クラスメイトが逮捕されたんです。麻薬で。その子優しかったんですけど、どんどん変わっていくんです。最終的には、学校来なくなってました。……それで麻薬が許せなくなって、税関職員になろうと思ったんです。今はその子、社会復帰できたみたいです」

 よかった、と安堵の声が聞こえた。私は頷く。

「それまで他人事だったんですけど。近い所にあるんだと知って、驚いたんです」

 私の呟きに、同期は息を呑んだ。

「だから、私たちが遠ざけるしかないんだって、思ったんです」

 私は空になったコップを握った。


 訓練は難易度が高くなっていくものの、オスカーは無事についていけているようだった。オスカーはやはり優秀な相棒で、麻薬の臭いを決して嗅ぎ逃さない。まるで、麻薬探知犬になるために生まれてきたような存在だった。

 これが、オスカーに秘められた可能性の一つだったのだろう。それを引き出すことに、まだ成功したとは言えないけど。けれど――オスカーも私も、少しずつ何かが変わっている。

「みっつーって、だいぶ明るくなったよね、高校の時よりも」

 夏子の言葉に、私はオスカーを見た。

「オスカーのおかげだよ。でも、私の頑張りもちょっとあるかな」

 オスカーはその言葉を横で聞きながら、尾を振っていた。


 ようやく迎えた最終評価の日。これに落ちれば、オスカーと私は離れ離れになる。しかし、合格率は三割程度しかない。

 試験場所は中間と同じく、成田空港。そこで貨物と旅客同時の試験が行われる。麻薬に混じって様々な臭いがする上に、評価基準も厳しくなっている。ハンドラーの緊張が移って失敗したケースもあるため、気が抜けないが、緊張もできないという状況だった。

 私はオスカーを見る。オスカーの金色の背中は、大丈夫だと伝えてくれるようだった。私は頷き、前を見る。

「小野木美鶴!」

 私はオスカーと共に、前に歩いた。オスカーは自慢の鼻を使い、周りの雑音や臭いに目もくれず、青いスーツケースから麻薬の臭いを嗅ぎ取る。次に、白い鞄と赤いスーツケース、旅客役かは麻薬の臭いを嗅ぎ取った。前回と違い、その歩みに迷いはない。

 黒いスーツケースまで嗅いだ後、オスカーは手荷物から背を向けた。私はダミーを取り出すと、

「グッドボーイ! オスカー!」

 と叫んだ。その声は、今までないほどに明るかった。


 数日後、石川監視官が訓練生を集めた。今いる訓練生は私含めて六人。何人落ちるかは分からない。全員落ちていても、何の不思議はない。

「赤井幸太郎」

 名前を呼ばれた訓練生は立ち上がる。次呼ばれなければ、私は確実に落ちている。

 オスカーの顔が脳裏に浮かび、私は震える手を押さえた。

「小野木美鶴」

 私は勢いよく立ち上がった。

 結果は、訓練生は全員最終評価に合格。彼らは晴れて、相棒の相棒として選ばれたのである。

 犬を現す単語、「K9」のバッヂを石川監視官に付けてもらって、ようやく私は胸を撫で下ろした。これでようやく、オスカーのハンドラーとして選ばれたことになる。


 四月、成田空港の旅客ターミナルを担当された私とオスカー。夏子とウラニアは貨物の方へ行ってしまった。これから頻繁には会えないのは、少し悲しい。他の同期もいろんな空港へと行ってしまった。

 そんな慣れない環境の中、一ヶ月が経った。

 オスカーが一人の旅客の前で立ち止まる。少し背の高い女性の方だった。私は女性を待合室へ促す。

 少しして、女性が麻薬の密輸をしていたことを、告白した。

 オスカー初の手柄に、私は胸が熱くなった。そして、オスカーにとっての「真のハンドラー」に少しだけだけど、近づけた気がしたんだ。


 空港の麻薬密輸の最前線で戦う麻薬探知犬と、そのハンドラー。彼らは「相棒」と一心同体となって、今日もまた、麻薬の密輸を水面下で防いでいる。

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彼らの歩む道 夜間燈 @yasai-2023

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