四枚目:有紗と私
「ほら、撮るぞ」
私は彼女に向かってピントを合わせると、カメラのセルフタイマーを起動した。
結論から言うと、あの夜、私は写真を撮ることができなかった。
いや写真を撮ることはできた。しかし、どの角度から、どのような光度で撮っても自分が納得できる写真は一枚もできなかった。
燦然と輝く満月と、力無げに光る玉の岩。このコントラストこそ私が表現したいものであった。それなのに、どれだけシャッターを切っても、その景色を切り取ることはできなかった。
もちろん技術的に、光の強い満月と暗いものを並べて撮るのが難しいというのはある。でも、明らかにそれだけではなかった。
そのとき私が撮った写真には現実にあるはずの「何か」が欠落していた。
いや、その時だけではない。写真には常に現実が持つ「何か」が欠けているのだ。私は「撮れない」という経験を通して、初めてそれに気が付いたのだ。
現実には写真では絶対に表現しえない「汲み尽くせなさ」がある。それは彼女の写真でも同じだと思う。
写真の中の彼女は美しい。だけれど美しいだけで、それ以上のものはない。現実に潜む「汲み尽くせなさ」に気付いた今、私は彼女の写真を見ても言い知れぬ物足りなさを感じていた。
この経験は私に生きている有紗の価値を思い出させたが、それは同時に私と写真の間に大きな溝を作ってしまった。カメラは私の欲する美しさを捉えられない。私はもうカメラを持つつもりはなかった。
実際、尾道から帰って私は一度もカメラを触っていなかった。
私は写真を撮らないだけで、普段通り生活していたつもりだったのだが、どうも有紗は私の微妙な変化に気が付いたらしかった。
「ねえ、二人で写真を撮ろうよ」
ある時、突然彼女がそんなことを言い始めた。彼女からこんなことを言うのは初めてのことだった。
初めはカメラを持つ手が震えた。久しぶりに持つとやけに重たいような気がした。
だが、三脚を建て始めてしばらく経つと、何も気にならなくなった。
撮影場所はアパートの前。映えるものは何もなかったが、日常を表現する写真としては十分だった。
セルフタイマーの音が早くなる。私は走って彼女の横に並ぶ。シャッター音が鳴った。
撮られるってこんな感じなんだと思った。
二人で出来上がった写真を確かめる。
灰色のアパートをバックに私と有紗が笑っていた。だが、私の笑顔はどことなくぎこちなかった。
「何か違うね。本当の凜ちゃんはもっと……、可愛いっていうか……。なんか違うね?」
「ええ?」
可愛いと言われて思わず照れてしまう。
「もっかい撮ってよ」
「ああ、オッケー」
私はもう一度タイマーをセットして走り出す。
そのときふと気が付いた。
ああ、現実を捉え尽くせないから写真なんだと思った。
写真は現実を捉えきれない。だからこそ、写真家は何度もシャッターを切って、目の前の美しい光景に接近しようとするのだ。そして、あるとき現実を超越した写真に辿り着く。それが写真という活動なのかもしれない。
もう一度、有紗の隣に立って笑顔を作る。さっきよりも幾分かマシな笑顔になっていると思う。
ファインダーと芸術 秋山善哉 @zenzai0501
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