第4話(最終話)

 プレオープンの時間をずらすことはできないのか、アスは瀬川さんに質問してみた。ミシルのスケジュールと開店時間が被っている、という事情はとりあえず伏せて、果たして可能なのかどうかを探ってみる。……だって、火星に一番近い日本人が、故郷とまで言ってくれたのだ。おのずと使命感というか、やってやらねばならない、みたいな気持ちになるじゃないか。


「ま、無理ですかね」


 明賀の思いは、ものの二秒で砕かれた。瀬川さんはいつもの無表情で「まず、定期運輸便の時間は固定されてるから、今より品出しを早くできない」と、人差し指を立ててみせる。


「しょうもない誤発注で欠品が出るくらい、宇宙の物流はシビアなんですよ」

「ぐううぅ」

「……ま、それに、プレオープンって言わば実験ですからね。この時間帯、この場所で、どれだけお客様が捌けるか。シミュレーション中は、問題設定を固定しておかないといけないので」


 見るからにヘコんだ明賀を見て、流石の瀬川さんも多少気まずそうな顔をする。とはいえ結論は揺るぎなかった――知多ミシルのスケジュールに丸々被る、十時から十三時というプレオープン時間は、一分一秒とてずらすことを許されなかった。


 かわりに、十七時ごろ。


 ほっとスペース本社との定時連絡が終わった時間帯、知多ミシルがふらりと訪れるようになった。この時間になると、他のオープニングスタッフは休憩に入っているので、店舗回りにいるのは明賀だけである。なんか、誰かに見られたら誤解を受けそうな関係だよね――と思いながら、明賀は「店員さーん」と呼びつつやってくるミシルに手を振り返す。


「ごめんなさい。遅くなりました。会議が延びちゃって」

「宇宙開発機構でも会議って延びるんですね」

「そりゃあそうですよお。延びない会議なんてこの世にないんじゃないですか?」

「どうですかね。こっちも今日の会議はなかなか悲惨でした……あ、これ、頼まれてたものです」


 ほとスペのロゴが印字されたビニール袋を、明賀は差し出した。中身はすべてミシルのオーダーである――国内メーカーのリップクリーム、海苔味の煎餅、ロックバンドについて特集している音楽系雑誌。お代は朝、前払いでもらっている。正確な値段は買ってみないと分からないからと、いつも多めに渡されているので、いつも明賀は商品と一緒にお釣りを返していた。


「良いですよ、そのくらい、手間賃ってことで」


「収賄とか言われそうで嫌なんです。それに……」知多さんもこんな、一の位がゼロじゃない商品を買うんだなと思うと、お釣りの数字にもなんだか親しみが持てるんですよね、という言葉を、明賀は飲み込んだ。「いえ。まあとにかく、受け取って下さい」


「はあい」


 お行儀良く返事をして、ミシルは煎餅の袋をぺりぺりと開ける。個包装の煎餅を、ひとつどうですかと差し出される。明賀は少し迷ってから受け取り、ぱりんという感触を前歯で砕いた。ほっとスペースのプライベートブランドなので、慣れ親しんだ醤油の味だ。ぱりぱりという軽い音が、しばらく、会話の代わりに続いた。


「――あれ」


 ぱりん、という音に被せて、ミシルが呟いた。


「ほとスペ……正式オープンするんですか?」


「ああ」店舗正面の張り紙を、ミシルは読んだようだ。「そうなんです、四月から。……もう来週ですね」


 アース・リングには四季がないが、地表ではもうすぐ春がやってくる。四月というのは日本ではキリの良いタイミングだから、ほっとスペースアース・リング軌道アリエス店も、ここに合わせて正式オープンを予定している。ミシルは煎餅を飲み込んで「良かったですね、知多さん」と視線を向けた。


「十時から十三時なんていう、役所より短い開店時間が改善されますよ。業務前でも業務後でも、いつでもコンビニに行けます」

「……それは。嬉しいですが。あれ、店員さんは、どうされるんですか?」

「私ですか? 私は地球に戻りますよ」


 もともと明賀の業務は期間限定である。クリエイティブ企画本部からの異動は、あくまで一時追放。オープニングスタッフとして与えられた任務は、アース・リングでも店舗運営が可能なことをプレオープン期間を通じて確認することであり、永久的にアリエス店に残ることではない。開店を確認したらすみやかに本社に戻る予定だ。――そう説明すると、ミシルは「そうだったんですか」と俯いた。


「……残念です。仲良くなれたと思ったので」

「はえ」

「わたしが聞かなかったら、だまって来週、地球に帰ってたんですか?」


 明賀が思わず高い声を跳ねさせる一方、ミシルは黒目にうっすら涙さえ滲ませてこちらを見上げている。今どき幼稚園児でも、こんな、絵に描いたような泣き顔をするだろうか。あんた、火星に一番近い日本人なんでしょ、というツッコミを入れそうになるが、ミシルはいたって真剣な口調で「冷たいです」と唇を尖らせた。


「言ってくださいよお……いなくなるなら……」

「はあ……すみません……」


 パブリックイメージの知多ミシルとはかけ離れた弱々しい声に、明賀も困りつつ、でも、だよな、とも思った。明賀とミシルがU市立工科大学に入学したのは同時、つまり同い年なのである。何も拠りどころがない場所で、同じ日本の、年齢が近い相手と運良く出会えたら、そりゃあ縋りたくもなる。……なんて言い方をすると一方的だけど、明賀のほうだって無意識にミシルを求めていたのだと思う。地表から一万キロ離れた無国境地帯で、通信も物流も制限されたなかで生きるのは、それが望んだ旅出かどうかに関わらず、すごく寂しくて、孤独なことだった。


 ――だけど。


 今にも泣きそうな顔をしているミシルを見て、明賀は思う。この人は結局、そうは言っても揺蕩たゆたうのだ。学位を取ってから海外に飛び出したことや、宇宙開発機構にスカウトされたことや、アース・リングのプロジェクトにアサインされたことが、どれだけミシルの本意だったのかは分からない。確固たる意志を持っていたのか、流されたのか、そのどちらでも関係ないと思う。望むと望まざるとに関わらず、これからもミシルは、宇宙時代の最先端を飛びつづける。ひとところに留まれない人なのだ。明賀はそれを確信していた。だから。


「……じゃあ」


 明賀は制服のポケットに手を突っ込んで、名刺入れを取り出した。濡れた目を瞬かせているミシルに、「これ」と差し出す。


「私の名刺です。もらっておいてください」

「はえ」

「それで、いつか知多さんが火星についたら。そこでも、アース・リングくらい人口が増えたら。……是非、ほっとスペースのことを思い出してください。私たちほっとスペースのコンセプトは、街ゆく人……いえ、宇宙そらゆく人にほっと息をつける憩いのスペースを、ですから……」


 言いながら、だんだん顔が熱くなってくる。なぜ私はこんな営業の真似事を、という照れを押し切って、明賀は「だから」と名刺を握る指に力を込めた。


「あなたがどこに行っても、きっと大丈夫です。かならず私たちが追いついて、そこを、あなたの故郷にします!」

「……店員さん」


 言い切って、ようやく顔を上げると、ぽかんとした表情のミシルと目が合った。その頬にだんだんピンク色が差してきて、瞬きをすると、涙がひと筋だけ伝う。ミシルはふふ、と笑って、ありがとうございます、と言った。


「すみません。わたし、こんな、子どもみたいですよね」

「あー……すみません、今だから言いますけど、それはマジで思います」

「ひ、ひどい。店員さん……いえ、ライさん?」


 名刺を眺めて、ミシルは初めて明賀の名前を呼んだ。そういえば「店員さん」としか呼ばれたことがなかったな、などと明賀が思っていると、ミシルの顔色が今度はどんどん白くなっていく。どうしたのかと顔を覗きこむと、今度は、やけに据わった黒目と目が合った。


「賀来明賀さんって、U市工大ですよね」

「……え。マジか、知ってたんですか?」

「在学当時お会いしたことはないと思いますけど、賀の字がふたつ入ってるなんて、縁起の良い御名前だなって、覚えてて……もうっ、なんで貴方って、そういう、言ってないことばっかりなんですか!」


 地上一万キロで見つけた友人は、頭から湯気が出そうな勢いでぷんぷんと怒っている。このエネルギーでタービンを回したら、きっと火星でもどこにでも行けるだろう、なんて思いながら、明賀は「すみません言うタイミング逃したんです」と、お客様と店員という関係に求められるよりもさらに深く、頭を下げたのだった。




 了

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ほとスペ火星一号店 織野 帆里 @hosato

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