殺意を消す針治療

西しまこ

芽生えた殺意の行方

 時々、夫に殺意が芽生える。


 床に落ちた脱いだ靴下を見つけたとき。朝起こしてもなかなか起きず、「どうして起こしてくれなかったんだ!」と怒りながら会社に行く姿を見るとき。お弁当の中身がそのまま残されていて、「お弁当っていう気分じゃなくてさ。いつも似たような中身だし」と言われたとき。家事を一切やらないのに「君、家事苦手だよね。どうしてもっとてきぱき出来ないの?」と言われたとき。

 わたしは殺意が芽生えたとき、いつも曖昧な笑みを浮かべてしまう。


「ねえ、君さ。ほんとうに出来ない人間だね。自分でそうは思わない?」

「え?」

「僕と結婚してよかっただろ? 働かなくて済むし。子どもの世話と家のことやっていればいいんだから」

 わたしはやっぱり曖昧に微笑む。


 息子の勇樹はまだ二歳で、一番手がかかる時期だった。二歳の男の子との外出は、わたしには大変だった。勇樹がいなくならないか、急に叫び出したりしないか、常に緊張していた。日常の買い物をするだけでも、ぐったりした。


「勇樹はいい子だから、君も楽だろう?」

 曖昧に微笑む。

 休日の数時間、遊びにつきあうだけの人には分からない苦しみがあるのだ。

 曖昧に微笑む。とりあえず、微笑みを浮かべておけばいい。

 勇樹はいい子かもしれないけれど、今のわたしにはいい子かどうかなんて、さっぱり分からなかった。走らないで。叫ばないで。泣き喚かないで。いったい、何がしたいの? 分からないよ。さっぱり分からない。

 このままでは駄目だ。勇樹に手を出してしまう。


 そう思った瞬間、勇樹といっしょに行ったおもちゃ売り場で、ある人形が目に入った。その人形は、有名な女の子の人形のお父さんというポジションだった。こんなの、誰も買わないだろう、どうして作ったんだろう? 


 でもわたしはその人形を買った。勇樹が欲しがったおもちゃといっしょに、こっそりと。


 夫に殺意が芽生えたとき、わたしはその人形に針を刺す。最初は一本と決めていたけど、殺意の色が濃いときは複数本を刺した。一番最初に刺したのは、おでこだ。次に心臓。その次は目に刺した。口にも刺した。ぶす。ぶす。ぶすぶすぶす。

「今日のごはん、おいしくないよ。君、もっと料理をきちんとしたら?」

 ぶすぶす。

「ちょっと! 勇樹がうんちしたみたいだよ。おむつ替えて。そもそも、いつになったらおむつ外れるんだよ。トイレトレーニングしているの?」

 ぶすぶすぶす。

「君、幸せだよね? みんなに羨ましがられるでしょ?」

 ぶすぶすぶすぶす!


 その人形は夫そっくりに見えたのだ。

 でも、もうどんな顔していたかなんて、まるで分からない。針山になってしまったから。


 殺意を消すために、また人形を買ってこなくちゃ。




     了 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺意を消す針治療 西しまこ @nishi-shima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ