天使のささやき

「せりかーー! 誕生日おめでとう〜〜!」

「うわっ」


 私がソファでくつろいでいると、つむぎに勢いよく後ろから抱きつかれた。私はびっくりしながらも、リビングの掛け時計を見た。


 0時0分。日付が変わって今は天使のささやきの日――2月17日。私の20歳の誕生日だ。


 そういえば今日だったか。

 春休みは日付の感覚がよく分からなくなる。


「ありがとう。つむぎ。嬉しい」


 私は振り返ってつむぎにお礼を言うと、何故か祝ってくれたつむぎが照れくさそうに笑った。可愛い。


「せりか、これ、私からの誕生日プレゼント」


 つむぎは少し小さな、立方体の箱を私に手渡した。


「え! いいの?」

「もちろん!」

「あ、ありが、とう……」


 私は嬉しさが込み上げると同時に、不安も覚えた。

 箱の手触りはすべすべしていて気持ちがいい感じで、どこか高級な感じがする。


 もしかして、すごく高価なものなのではないだろうか。

 

 つむぎからのプレゼントだから泣いて喜ぶくらい嬉しいのだけれど、次私がつむぎにあげるものも、対等にそれと同じくらいの値段がいいから、私は少し……場合によってはかなり頑張る必要がありそうだった。


「……つむぎ、開けてもいい?」

「うん。どうぞ」


 私はおそるおそる箱を開ける。


「あっ」

「つむぎ、これって」

「うん。腕時計! 前にせりかが私に選んでくれたものと同じ」


 つむぎは自分の手首に巻かれているピンクゴールドの腕時計をしたり顔で見せた。箱に収まっている時計は、そのつむぎの手首にあるものと同じ型、そして同じピンクゴールドのものだ。


「あ、あ、ありがとう……」


 私は不安なんてどこかに行ってしまって、嬉しさと喜びと愛おしさだけが残った。


「すごく、すごく嬉しい。つむぎとお揃いなんて、私ちょっと、嬉しすぎる」

「えへへ、喜んでくれて私も嬉しいな」


 つむぎは両方のほっぺたにえくぼを作った。いちいち可愛いがすぎると思う。


「ほんとはね、せりかはシルバーの方が似合うかな? って思ったんだけど、色も私とおんなじがいいなーって思って、それにした!」

「ううん。私もこの色、つむぎと同じ色がよかった。本当にありがとう。大事にする」

「うん。そうしてくれたら嬉しいな」


 つむぎは腕時計を箱から取り出して、私の左の手首に腕時計を巻いてくれた。

 私にも、つむぎと同じピンクゴールドの輝きが灯った。


「ありがとう。お揃いだ……」


 私は自分の腕時計をつむぎのと見比べる。

 私の体につむぎと同じものがあるという事実だけで、どうしてもにやけてしまう。


「ふふ。でも、プレゼントはまだあるよ」

「え!? まだ用意してくれたの?」

「うん。ちょっと待ってて」


 つむぎは冷蔵庫を開けて、何かを手にして、こっちに持ってきた。食べ物とか、飲み物だろうか。ケーキは夜ごはんの後に食べるって約束してあるし、見当がつかない。


「はい」


 つむぎは私に持ってきたそれを差し出した。


「これは、お酒?」

「うん。せりかも晴れて二十歳になったから、一緒に飲もうと思って」

「おお〜……」


 自分で言ったものの、何が「おお〜……」だったのかは分からない。

 つむぎが私にプレゼントしてくれたものは、どこにでも売ってある、アルコール度数が低いことが商品名で分かるお酒だった。味はカシスオレンジ、通称カシオレ。いかにも大学生って感じのフレーバーだ。


「つむぎは一足先に二十歳になってたけど、お酒飲んだことある?」

「ないよ。私も初めて。どんな味かな?」

「ね、どんな味なんだろうね? 苦いって言うけど」


 私たちが缶のリングプルを引き上げると、カシュッと子気味いい音が鳴った。


「それじゃあ改めて。せりか、二十歳おめでとう」

「ありがとう。つむぎ。いただきます」


 こつ、とお互いアルミ缶をぶつけて、口につける。

 カシスオレンジはカクテルだ。カシスとオレンジのシロップの、大げさな甘みが舌をざらつかせる。それを喉に通すと、炭酸の刺激に隠れてわずかに苦味がした。これがアルコールの味なのだと思う。


 これが大人の味、というものだろうか。


 私は缶をくるくる回しながら、成分表示を見る。アルコール度数は3%らしい。


「なんだか苦くて、大人な味がするね……。今はその苦味が雑味に感じてあんまりおいしいとは思えないかも」

「……それにしても、私の人生でまさかもう一度つむぎと誕生日会をやって、そして一緒にお酒を飲む日がくるなんて思ってなかったな」


 私は缶の淵にたまった赤色を舐める。


「またつむぎと出会えることができて本当によかったって思えることばかりだよ。ありがとうつむぎ」


 私はつむぎの方を見る。


「大好きだよ……って、え?」

「ふぇ……」

「つむぎ!?」


 つむぎは机にぐったりとしている。顔は見たことがないくらい茹で上がっていて、目もうつろだ。

 そういえば私が話している間、相槌も全くなかったし、成分表示を見るのに夢中でつむぎの方を全く見ていなかったけれど、まさか完全に出来上がっているとは思っていなかった。

 私はつむぎのお酒を持つ。中身はまだまだたくさんあった。


「もしかしてつむぎ、お酒めちゃくちゃ弱い?」

「んーん、よわくないよ? よわくない」

「いや絶対弱いよね!? 今かなり酔ってるでしょ。水持ってくるから待ってて」

「えぇ? まってよせりかぁ」


 私はつむぎに引き止められる。私はまたソファに座った。


「ちょっと、水飲んだ方がいいと思うよ……」

「引き止めたのはね、疲れてるときの、せりかのまね」

「うぐっ」


 私はつむぎに痛すぎるところを的確に突かれた。私がいつもしていることだから動くことも、反論することもできなくなった。


 そこから、つむぎは私の腕にしがみついて、顔を私のふとももに顔を埋めている。これは流石に私の真似ではないはず……はずだ。


「あ……。そういえば、ティッシュもうなかった。あ、あと寝室のルームフレグランスも切れてた、かも」

「え、えぇ? どうしたのさ急に」


 つむぎは突然、これまでの会話の流れと全く関係のないことを言った。

 きっと、つむぎは酔っているから、発言がめちゃくちゃになっていると思う。


 私は飲み会にも行ったことがなければ、親族が泥酔しているところだって見たことがない。こうして人がお酒に酔っているところを初めて目の当たりにした。しかもそれを初めて見たのがつむぎになるとは思ってもいなかった。


「んん? ……なんでだと思う? せりか」


 つむぎのとろとろした瞳にじいっと射止められた。いつも綺麗に整えられているつむぎの前髪は乱れていて、顔がすごく紅潮していて、つむぎの手が熱くて。


「っ、」


 体が、熱い。

 心臓がじくじくして、私の最低でどろどろした感情が滲み出る。


 勘違いしそうになる。つむぎはまるで、私を誘っ――。


「……」


 最低だ。


 あまりに最低すぎる。最低で、最悪だ。


「せりか、だいじょうぶ?」

「うっっ」


 つむぎの声が、とても熱っぽい。いちいちドキドキしてしまう。


「……大丈夫じゃない。つむぎ変だよ。酔いすぎだってば。とりあえず水、飲も?」


 私がまたソファから立ち上がろうと試みる。


「ん、」


 それを、つむぎのキスで妨害された。カシスオレンジの甘ったるさと、アルコールのかすかな苦味が口の中に広がる。私は動けなくなって、ソファにもたれた。


 キスが、いつもしているキスと全く違ったからだ。


「やっ、つむぎっ、んんっ」

「ん、せりかのこえ、かわいい」

「かわいく、なっ、い……」


 つむぎのキスがいつもより、熱い。

 つむぎは私の唇に、はむように何度もキスを重ねていく。そのせいで、「ちゅ」という音が強く鳴って、心臓が耐えられないほど苦しくなる。

 それに、つむぎのいつもと違うキスで私の体が変に勝手に反応してしまう。


 どろどろした、甘くて苦い感情がつむぎによって暴かれていく。


「やめてっ、変だってば、つむぎ」


 私は息を切らしながら、なんとかつむぎを引き剥がす。けれど、流れ星は止まることを知らない。つむぎはまた私にキスを続ける。


 こんなに体が熱いのは、きっと私も酔っているからだ。

 こんなにだめな感情をつむぎに抱いてしまいそうになるのも、お酒のせいだ。


 こんな状態でこれ以上こんなキスをされたら、おかしくなってしまう。


「せりか」


 つむぎはキスを止めた。今度はつむぎに抱きしめられる。つむぎの体がすごく熱いのか、私が熱くなっているのか、もう分からない。


「せりか。私たち、付き合ってからどれくらい経ったっけ」


 耳に、つむぎの吐息がかかる。くすぐったさとは違う感じが耳からぞわぞわと伝わった。


「ひぅ、い、一回別れたし、まだ、一ヶ月経ってない……かな」

「確かに。でも、付き合いは結構長いよね」

「そう……だね?」

「それに、せりかももう、おとな、だもんね」

「〜〜……」


 つむぎは私を抱きしめたままで、触れるか触れないかぎりぎりの強さで、私のうちももを撫でていく。ぴりぴりとした甘い刺激に、体が意図せずぴくりと跳ねる。


 うちももを撫でながら、ゆっくり私のだめな所へと向かう手に巻かれたピンクゴールドが、あやしく光っていた。


「や、めて、つむぎ」


 つむぎは私の制止を全く気にせず私の鎖骨にキスを落とす。


「そう口では言うけど、抵抗しないね?」

「うぅ、」


 私の勘違いが膨らんで、大きくなっていく。


 もしも、これが勘違いじゃなかったとしたら、私たちはこれから――。


「せりか」


 つむぎは耳たぶをはむっと食べてから、ささやいた。


「勘違い、してもいいよ」

「え"っっっっ」


 つむぎは確かに、私の心を透かして見たように、そう言った。


 天使のささやきの日は、日本で史上最低気温が観測された日のことらしい。


 私はそれとは全く逆に、天使のささやきで顔が私史上一番熱くなって、爆発して、脳が完全にショートした。


「あ、ああぁ〜〜……」

「あれ? せりか?」


 私はフローリングにばったり倒れた。視界が、ぐるぐる回る。


「む、無理…………」


 つむぎ。私はまだ、大人にはなれないみたいだ。



 ……そんな私の二十歳の誕生日から数日。つむぎの口数が明らかに減った。私も気まずかった。


 つむぎいわく、もうお酒は飲まないそうだ。

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星空が溶けてしまう前に 割箸ひよこ @Wrbs145

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