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創作論(ちょっと真面目に書かせてください)

 こんにちは。割箸ひよこです。表題の通り、ここまで小説を書いてきた感想、のようなものをここに残しておきたいと思います。
 私は入末のぞみのように何か憧れがあって小説を書き始めたわけではありませんでした。『踊り場にスカートが鳴る』という作品にどどどどハマりした(この百合漫画本当におすすめです)ものの、誰も二次創作を書いてなかったので「ほな自分で書くか……」から、私の小説は始まりました。去年の春です。
 そこからは孤独との戦いでもありました。入末のぞみでも書き出した部分でもある「孤独」は、私の経験でもあります。誰も二次創作を書いていないということは、そこには同志が全くいないということです。書いても誰からも反応がこないのが当たり前でした。自分が好きだから書き続けている、だから無反応でも続けられましたが、流石に思うところはなかったわけではありませんでした。Twitterの通知欄を嬉々として開いたらおすすめのツイートで落胆する、みたいなことは死ぬほど経験しました(たまにスパム垢からいいねされて叫ぶなどもしてました)ね笑もろのぞみじゃないか……。
 それから冬になって、『星空が溶けてしまう前に』の執筆を始めました。始めた経緯はあとがきの通りです。ほしとけはつむぎと瀬梨香が大好きなので大好きです。たまに自分で二次創作書いて気持ち良くなってます。
 いや、何の話? とそろそろ読んでくださっているあなたが思い始めたと思うので本題に入ります。私の二面性についてです。
 私は書いてるうちにつむぎと瀬梨香が思った以上に好きになってしまい、元から決めていたエピローグを改変して今のエピローグにしました。二次創作はキャラクターが大切なのでキャラクターを大事に大事に書きました。
 そこで、私にある変化が訪れます。一次創作を重ねていくたびに、私はストーリーを優先し始めるようになりました。時にキャラクターを犠牲にしてまで、ストーリーの美しさを重視するようになったのです。
 ほしとけはがっつり二次創作やってた時だったので全く大丈夫でした。恋嘘もです。でも今回の短編の酷いこと。どうした?
 元々私の創作論として、キャラは物語全体の駒でしかないと思ってます。『進撃の巨人』なんかはそうだと思います。酷い目に遭わされる役割が割り当てられたキャラが存在したり、「このキャラはここで死ぬって決まってるんだな」のようなものは必要で、むしろ肯定されるべきものです。
 この考えがあるからか、キャラクターの動きに細心の注意を払う、その上で物語が進む二次創作よりも自由度の高い一次創作で、私の中でキャラ<ストーリーが顕著に現れ始めました。なんか別人格に乗っ取られてる感覚ですね。は?
 その上元々二次創作で培ったキャラ大事精神が邪魔をして、私の主観からはわけわかんない小説ができるようになってしまいました。いわゆるキャラ崩壊です。かといって中途半端なのでストーリーもつまらないです。今回の短編ではそれが酷くて、うわー! って感じです。この物語単体としては妥当なんですよ。でも本編と合わせて見た時の「星空瀬梨香」って120%そんなことしない! と自分と自分で解釈違いを起こしてました。星空瀬梨香を別人にすり替えることすら考えましたよ。私星空瀬梨香の重度のオタクなので。
 つむぎと瀬梨香の物語書いてくださいはいどうぞ! と手を叩かれたら気持ちよく書けます。二人の物語は終わっているので二次創作になるからです。他方で、これを恋嘘の続きでされると自信がありません。自分が触ることで私の可愛いキャラ達をめちゃくちゃにしてしまいそうで怖いです。
 ……今はこんな感じです。原因は白黒思考なのでプロットを書くと「決めた通りにやらなきゃ!」が働いて上記のようになることにあります。とはいえ、元々のプロットを書かないで舞台だけ用意し、その箱庭(シーン)にキャラクターを入れて、どんなことをするのか観察する、そしてそれを文字に起こす方式に限界を感じているので、悩ましいです……。
 という感じでスランプじゃないですけど、うまく小説書けねーなーの時期でした。これからも怪文書を投稿するかもしれませんが、生温かい目で見てやってください。よろしくお願いします……。

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