星空瀬梨香は笑わない

 大学はありとあらゆる人がいる。


 浪人、留年、再受験、レアだけど飛び級。同じ学年でも年齢が異なる場合が珍しくない。タメ口で話しかけたら歳が二個上だった、なんてこともある。

 そして、出身地も多岐に渡る。それこそ日本とは限らない。


 そんな多様な人間関係を築くことのできる大学で、あたしはそこそこ友達のいる方だと自負している。


 その中でもこいつ、星空瀬梨香はかなり変わっている。


「なー瀬梨香ー」

「なに、相澤さん」


 学食の喧騒の中、あたしは瀬梨香に自分の携帯画面を突き出す。


「見ろよこれ! この新作の服! かわいくなーい?」

「え、あーうん。そうだね」


 瀬梨香は眉一つ動かさず、あたしに対して明らかに適当に反応した。


「……おん」


 あたしはそのせりかの様子を見て、携帯を下げた。

 瀬梨香は別に機嫌が悪いわけでも具合が悪いわけでも、たぶんあたしが嫌いなわけでもない。


 これが瀬梨香の平常運転なのだ。


 そう。一年のときの全学部共通でたまたま仲良くなったこいつ、星空瀬梨香のどこが変わっているのかと言えば、感情だ。

 瀬梨香はプラスの感情を人に全く見せない。知り合って一年が経った今、付き合いはそこまで深くないとはいえ、笑っているところを一度も見たことがない。嬉しいとか楽しいという感情を親に教えてもらわなかったのか? と心配さえしてしまう。


 皮肉なことに、そのプラスの感情を映さない、憂いを帯びたその顔は恐ろしいほど整っている。

 本人がこだわっていなさそうというのもあって、メイクはナチュラルだが、素材があまりに良すぎて「これ以上のメイクは必要ありません」と顔面が物語っている。あたしも別にブスじゃないけどこういうのを見ると差を感じる。

 別に、差を感じたからって分かりきってることだし絶望なんてしないが。


「……なあ、瀬梨香」

「ん?」

「人生楽しいか?」

「普通」


 そう言うものの、「なんだこいつ急に」みたいに思っていそうで、怪訝そうに眉をひそめている。こういう「疑い」のようなマイナスの感情だけはよく顔に出す。


「じゃあ笑ったことあんの?」

「私をなんだと思ってるのさ……。あるよ。数えきれないほど」

「……それ、嘘じゃないな」

「え? うん」


 瀬梨香は表情を変えずに頷いた。


 その日から、あたしによるせりかを笑わせようとする試みが始まった。



 あたしの渾身の変顔。


「え、なにその顔」


 面白い動画。


「へー、面白いじゃん」

「真顔で言うな」


 癒し系のもふもふの動物の動画。


「へー、可愛いじゃん。もふもふで」

「真顔で言うなって」



「はあ……。なあ」

「ん?」

「何したら笑うんだよ」


 瀬梨香は「最近なんか私にいろんなことしてきたのはそういうことか」と手を叩いた。


 結局、あたしは何をしたって瀬梨香を笑わせることができなかった。

 いつどんなことで笑うのか、どんな声で、どんな表情で笑うのかただ興味があっただけだ。それだけだったはずなのに、ここまで笑わないとさすがに悔しいというか、瀬梨香にとってあたしの存在とは、みたいなことまで考えて、凹む。


「いつかは笑うよ」

「それはいつだって聞いてんだよ!」


 あたしは声を荒げる。瀬梨香は「大声でそう言われるとその時は来ないかな〜」と皮肉にからかった。この女が憎い。その綺麗な顔面をボコボコにしたくなる。


 そして、あたしは確信する。


 このありとあらゆる人間のいる大学という場所にさえ、瀬梨香を笑顔にできる人間なんていない。存在しない。


「じゃあもう瀬梨香から笑顔になってや。それでツーショ撮ろ。今度学食奢るから」

「えぇ、あ、ちょっと待って。友だちから連絡来た」

「はあ?」


 いつもあたしに即レスしないのに。


 瀬梨香は携帯を手に持って、操作し始めた。瀬梨香はあたしの真横にいるから、覗き込まないと誰と何のやりとりをしているか分からない。

 あたしは瀬梨香の横顔を見る。


 いや、そもそもこいつ、大学に友達なんていた――。


「っけ…………?」


 あたしはつい、言葉を失った。同時に、瀬梨香の横顔から目が離せなくなる。


 笑った。


 瀬梨香が、あの瀬梨香が笑ったのだ。


 笑った、というよりかは、口元を少しだけ綻ばせた、口角を上げた程度だったけど、瀬梨香は友達とのやりとりを見て確かに笑った。


「ん? どうしたの相澤さん」


 瀬梨香はあたしの視線に気づいたのか、画面からあたしの方を見た。携帯の電源は落ちていて、画面は真っ暗だった。その瀬梨香の携帯のように、瀬梨香の笑顔も消えていた。


 あたしは頭をフル回転させる。


 瀬梨香に友達がいるという情報は少しも聞いていない。瀬梨香に関する情報は瀬梨香からは全く聞かないが、他学部の友達から入ってくる。それほど瀬梨香の顔は強い。

 そして、その情報によれば講義は一人で受けているらしい。だから瀬梨香に友達がいないことにほとんど相違はない。

 であるならば、友達はあたしだけ。そしてそのあたしが瀬梨香を笑わせることができなかった。


 では誰が? それは瀬梨香にとって友達よりも上位の存在だ。


 親友? それとも家族? 


 否。


 あたしはばちんと指を鳴らす。


 ――恋人。男。彼氏だ。


 そして、この女を落とす男なんて、どんな人間なのか気になりすぎる。


「ちょっとそのとやらをあたしに見せな。くまなく」

「えっ、顔怖……。絶対嫌なんだけど」

「いいから! 見せろ!」

「怖いって! またね!」

「待て!」


 あたしは逃げる瀬梨香を追いかける。

 そのときは絶対にの顔を見るまでは死ねないと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る