本編 ステージ2

__サアッー(小雨が降る音)


夜雨の中、柳が立ち並ぶ濠川の畔を、番傘を差した男女が寄り添いながら歩いています。

竜馬殿と恋人のお龍殿です。

二人は薩摩藩伏見屋敷に呼ばれた帰り道、少し寄り道をしながら寺田屋に向かっている最中でした。

土産も貰い、酒も入った竜馬殿は上機嫌でしたが、お龍殿は夜道の辻に刺客が待ち伏せてないかと、気が気でない様子。

着物が濡れるのも気にせず、提灯片手に前に出ようとするお龍殿を、竜馬殿は笑いながらその肩を抱き、一つしかない番傘の中に引き寄せるのでした。


そしてそれは、二人が蒸米の香りが漂う一軒の酒蔵さかぐらの前に差し掛かった時の事です。

何処からか妙な歌声が聞こえて来たのです。

その歌声は、賑やかで有りながらも、まるで地の底から這い出て来るような籠もった歌声でありました。


「トプトプ、コンコン、トプ、コンコン♪ 昼飲み、晩酌、迎え酒♬」


耳に届いた竜馬殿とお龍殿は立ち止まり、顔を見合せます。

どうもその声は、まだ子供の声のように思えたのです。

当たりを見回しますが、月も隠れた雨空の晩。

例え賑やかな城下町でも、こんな時に出歩く人なぞ居りません。

ましてや子供の声なぞ、場違いも甚だしい。

二人が耳を澄ませて声のする方を探すと、どうやら歌声は酒蔵の中から聞こえて来るようです。

ですが酒蔵内は明かりが灯っておらず、人の気配なぞ感じられません。


「トプトプ、コンコン、トプ、コンコン♪ 熱燗、冷や酒、濁り酒♬」


「ちょっと覗いて来るぜよ」


お龍殿が止めるのを制し、竜馬殿は番傘を預けて蔵の中へと入ります。

俗な方なら尻込みするところ、いやはや好奇心の強い御方で有ります。

お龍殿も仕方なしに竜馬殿の後を追いました。


「失礼。誰かるのかぁ?」


__ぴちゃん……ぴちゃん(雫が落ちる音)


竜馬殿が声をかけると、先程まで聞こえていた歌声はピタリと止まり、水が滴る音しか聞こえなく成りました。

暗闇の玄関先を提灯で照らすと、酒が入った四斗樽が積まれて有るのが目に入ります。

声は確かに奥からしたと思い、竜馬殿はそのまま中へと……。


杉の香りが立ち込む酒蔵の中は、ピンとした冷気が漂い、二人は神秘的な感覚に包まれます。

酒槽さかふねと呼ばれるお酒を絞る大きな箱や、人の背丈の倍ほどある仕込み樽など、酒造りに必要な様々な道具が、頼りない提灯明かりに照らされて浮かび上がりました。

二人は見回して探しますが、やはり人は居ないようです。

ですが……。


__ササッ(箒で掃くような音)


何かが蠢く気配を感じ、お龍殿は息を呑みます。

そして、二人に緊張感が走る中、何処からか先程の声が……。


「ああ、これは良い。ちょうど酒の肴が欲しかったところだ」

「酒の肴は人間だあ♪」

「食べてやるぞー。キャハハハハ」


お龍殿はその声を聞き、慌てて竜馬殿の手を引いて逃げようとします。

ですが次の瞬間――


__パンッ!(手を叩く音)


「きゃああぁぁぁ」(子供の叫び声)


お龍殿は鉄砲を撃ったのかと思って慌てて竜馬殿の方を見ましたが、竜馬殿はどうやら柏手を打っただけのようです。


「あっちで何か転んだ音がしたぜよ」


二人がゆっくり音のした方に近づくと、そこには一尺ほどのけものらしき者が三匹倒れておりました。

一匹はさかずきを笠のように被り、別の一匹はお猪口ちょこを帽子のように被り、そしてもう一匹は頭をすっぽり隠すようにますを被っておりました。

声の主はこの三匹だと悟ったお龍殿は、これは妖怪に違いないと思い、「お祓いができる方を呼びに行きましょう」と言いますが、竜馬殿は首を横に振ります。


「わしの土佐の実家は酒造りもしちょる。そこの杜氏に聞いた事がある。これはまめだぬきぜよ」


まめ狸とは西日本では有名な妖怪で、特に酒処の灘では、美味いお酒の酒蔵には必ず住み着くと伝えられております。

ですから造り酒屋の間では、美酒の証と有難がられる妖怪なのです。


「きっとこの地の酒蔵を守って来た神様なんぜよ」


しかし、それを聞いたお龍殿は「はてな?」と思います。

何せ倒れてる三匹は赤みがった茶色。

顔も面長で、どう見ても狸というより……狐。


「あーなるほど。ここはお稲荷さんの本家の地。だから狸じゃなくて狐、まめぎつねなんぜよ。アハハハハハ!」


豪快な笑い声に、撃たれたと思って気絶していた三匹は飛び起きます。


この三匹、歳は人間より上ですが、妖怪としてはまだまだ子供。

妖術も人の声を出して驚かせる位しかできず、喧嘩をしても人間の子供にすら敵いません。

ですからさっきは「食べてやる」と大嘘を言い、竜馬殿達を驚かせて蔵から追い払うつもりだったのです。


もろみを酒袋に入れる時に使う道具に『きつね』という物が有るのですが、普段三匹は使われなく成った『きつね』を寝床にし、夜に成ったら米麹こめこうじを頂戴するという生活をして、人目には触れないようにしてたのですが、この日は間違えて酒粕を食べてしまい、酔っぱらって歌を歌ってしまった理由わけなのです。


三匹は自分達の方が食べられてしまうと思い、寄り添ってブルブル震えておりました。

ところが竜馬殿は……。


「驚かせてすまんかったぜよ。これは詫びじゃ」


そう言って、さっき土産に貰った『さつま揚げ』を懐から取り出し、三匹の前に差し出したのです。

最初警戒していた三匹ですが、そのうち恐る恐ると『さつま揚げ』を手に取り、仲良く口いっぱいに頬張ります。

そんな三匹の姿を見て、お龍殿は愛おしくなり、微笑みました。

竜馬殿はその光景を己の幼少期や、寺田屋の子供達の姿と重ねて思いにふけます。

そして神妙な面持ちで三匹に頼むのでした。


「これから大変な時代を迎えるかも知れん。けど、いつか必ず平和な時代がやって来る。それまでこの地を見守ってあげて欲しいぜよ」


そう言って頭を下げると、二人は酒蔵を後にしました。

三匹は自分達を見逃してくれたばかりか、頼りにしてくれた事を深く喜んだに違いありません。

何せそれから三匹は、竜馬殿がこの地を去るまで、ずっと側に居たのですから……。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


実は竜馬殿がこの地を去った後、本当に大変な事が起こりました。

幕府側と反幕府側との大きな争いが有ったのです。

この辺りは焼け野原に成り、沢山の酒蔵が消えました。

米の高騰なども有り、既に酒造りを営む人は減っていたのですが、その争いで拍車がかかり、全盛期は八十三軒有ったこの地の造り酒屋も、僅か二軒にまで成りました……。


住処である酒蔵は、もう戻って来ない。

嘗て日本一だった酒処の町は無くなるだろう。

私は別の地に移る決意を致します。

ですが三匹の子供達は、これを反対しました。


「竜馬が言ってた。必ず平和な時代が来るって」

「酒蔵は戻って来るよ。この地をちゃんと見守るんだ」

「竜馬との約束なの」


私はこれを聞いた時「ああ、これは良き人と大事な約束を交わしたんだな」と察し、子供達の意見を尊重する事にしました。

そうです。

この三匹は『サカ衛門』『チョコ麻呂』『おマス』と言って、私の子供達なのです。


えっ?

それからどうなったのかと?

その答えはソチラの世界、どうぞ貴方の周りを見渡して下さい。

もう、お解りですね。

そうです。

この地の方々の努力、そして、この地の酒を愛する方々の思いで、酒蔵は戻って参りました。

日本一の酒処の町は、見事復活したので有ります。

竜馬殿が言っていた平和な時代はやって来たのです。


古来より、私ども人ならざる者と共飲共食できるお酒は、平和を示す代物でも有りました。

語り合い、分かち合えるのがお酒の醍醐味なのです。

竜馬殿も色々な御方と盃を酌み交わしながら、平和を夢見て語り合っていたのでしょう。


さあさぁ大人の方はお酒を、まだ子供の方は甘酒を片手に耳を澄ませてみて下さい。

飲めば酒蔵から私共の歌声が聞こえて来るやも――。


「きゃああぁぁぁ」(子供の叫び声)


おや?

又、寺田屋から子供達の声が……。

これは竜馬殿の怪談話が再び始まりましたね。

どうやら私の子達に出会った話は、お登勢殿の子供達には信じてもらえなかったみたいです。

何せ柏手だけで気絶する妖怪の話ですから。

よもやその妖怪が自分達の真上に居て、一緒にキャアキャア騒いでいるとは夢にも思いますまい。

はい、そうなのです。

三匹は竜馬殿が気に入って、あれからずっと寺田屋の屋根裏に住み着いているのです。

お登勢殿だけが、それに気付いているのですが、人にバレたらまずいと思い、誰にも言わずに匿ってくれているのです。

本当に世話好きで優しいお方であります。


さてさて、私も三匹が気になるので戻る事に致しましょう。

では、これにて失礼。

コンッ!


〈完〉

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寺田屋怪談 【酒蔵のまめ狐】 押見五六三 @563

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