生きてさえいれば?

芝川愀

第1話

 お金が溜まった。なんのお金かというとそれはつまり死ぬためのお金で、もう少し詳しく言えば、それはつまり安楽死するためのお金だ。安楽死―薬剤などを用いて対象に「苦痛のない死」をもたらすこと―は、今や先進国のほとんどで合法化され、一般的になっている。それはまず一部の国で末期患者の苦痛を取り除く目的で始まり、次第に老人、精神病患者へと適用範囲が拡大されていった。多少遅れはしたが日本もその流れのなかにあり、尊厳死―患者に対し延命治療を施さず、自然な死を迎えさせること―と合わせて法整備がなされた。「治る見込みのない病気であること」が条件ならそれは老化だってそう言えなくはないし、精神疾患なんてほとんど自己申告みたいなものだ。死にたいと思った時点でそんなの普通の人からすれば病気なのだ。希死念慮なんて生物的本能に反すること、病と判断されて当然だ。

 ともかく今現在、この国では、その気になれば誰でも安楽死することができる。末期患者は安楽死を望んだ時点で担当医を外れ、安楽死を専門とする「安楽死クリニック」へ紹介状を書いてもらう。これは身体的な理由での終末医療として保険適用となる。その他の志願者は直接クリニックを探し、幾度かのカウンセリングを経てその日を迎えることとなる。これは前述した通り老化及び精神疾患による絶え間ない苦痛からの解放というていをとっており、費用は解禁当初で数百万円ほど、美容整形と同じく一般に浸透していくにつれて安価になっていき、今では最低数十万程度で可能になっている。これまた、その気になれば誰でも貯められる金額である。

 なかには「ハッピーエンド終末プラン」として、麻薬成分やVR(バーチャルリアリティ)を用いて対象を絶頂の幸福に導いてから死なせるクリニックもあり、これはもう冒涜的というか、人道的なのか非人道的なのかわからないところである。大切な恋人に、友人に、家族に看取られて死ぬ「ハッピーエンド(虚構の終末)」。あるいは轢かれそうな仔猫や子ども、多くの人を自己犠牲の末に救うヒーローの「ハッピーエンド(虚構の終末)」。それらを望む人は決して少なくない。薬漬けでバグった脳に与えられる完璧なほどの視覚情報は、疑いの余地なく患者に幸せな夢を見せるだろう。幸福などしょせん脳の快楽物質の分泌に過ぎないのだと思わされる。「終わりよければすべてよし」なんて、なんて便利な言葉だろうか。どんな人生を送ってこようと、あなたの今までがどんなに苦しかろうと、むしろ苦しかったからこそ、最期には誰より幸せな臨死体験を。安楽死クリニックのよくある宣伝文句だ。これじゃあまるで三秋縋と星新一の小説を合わせたような感じじゃないか。まったく、現実は小説よりも奇なりとは、これまたよくいったものだ。

 もちろん、安楽死に対し否定的な声も少なくない。人が人の命を奪うというのは安易におこなわれていいものではないし、宗教倫理的な理由もあるだろう。アンチ安楽死派は、安楽死を盤をひっくり返すようなルール違反の「逃げ」とし、クリニックを「白い死神」「キリコ」(ブラック・ジャックのドクター・キリコより)と呼び、安楽死で死んだものは天国にも地獄にも行けない(厳密には異なるがDEATH NOTEより)と喧伝した。論争は社会問題に発展し、ニュースでは初め「簡単に人生を投げ出す軟弱な若者」とやけに批判的に報道されたが、法整備から2年も経つ頃には安楽死プランの利用者の多くが四、五十代の男性(続いて女性)だと判明し、「老いる前に人生を終わらせる中年男女―桜や花火、武士のような日本人の美徳―」として語られることが多くなる。二千万だかの安くない貯金をしてまで衰えた身体、醜い見た目の老後を過ごすより、いいタイミングを見つけて終わらせた方がいいと考える人が増えた。配偶者や子どもに財産を残すため自分は人生を降りるというどこか悲しい行為も決して珍しいものではなくなった。結局のところ、人が生きる理由なんて死の痛みが怖いから程度のものだったのかもしれない。当然といえば当然だが、利用者内訳はそれまでの自殺者内訳とほとんど合致し、また、国内における自殺者は半分以下に激減した。高齢化は改善傾向にあり、「人生100年時代」なんて言われていた頃が懐かしい。医療費も、年金のための支出も減少している。少なくとも私には、社会が健全な方向に向かっているように思える。

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生きてさえいれば? 芝川愀 @sbkwsyu

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