チョコの行方
ながる
立場は明確に
バレンタイン前の週末。催事場はさながら戦場だ。
数量限定品など、すでに手に入らない。
そこまで気合も入ってないけど、カラフルだったり形に凝ってたり、甘い匂いの中ショーケースの中を覗いているだけでも確かにウキウキする。あちこち目移りしながらお目当てのお店に辿り着き、いざ注文しようとショーケースの中を指差しながら顔を上げて……絶句した。
「いらっしゃいませ」
営業用スマイルよりは、もう少しだけ喜色の滲んだ笑顔で、東雲さんが注文を待っている。
そうだ。忘れてた。売れっ子作家のこの人(
だけど、よりによってこの時期にバレンタインの催事場とは、どういう神経?!
いくらメディアに顔出ししてないからって……
眉を顰めた私の顔を見て、東雲さんは少しだけ首を傾げた。それから、ああ、と納得したような顔をして何やら頷いている。
え。違うから。勝手に納得しないで。
これが目当てで買いに来たのに、買わないで帰るのもまた悔しい。
私は5個入りのアソートをひとつテンション駄々下がりで注文して、父や友人に配る分も他の店で物色してから、深々とため息をついたのだった。
◆
バレンタイン当日、あらかじめくるみさんに東雲さんに用事を言いつけてもらって、彼のいない時間に某ビルの缶詰部屋へと赴いた。
くるみさんと、こちらは偶然非番だという
お二人は東雲さんのいとこで、よくここで顔を合わせている。担当編集者のくるみさんと、バイトを転々として怪しまれやすい(実際、何度か通報されているらしい)東雲さんをフォローすることが多い刑事の
まず、お二人の労をねぎらうために、私は週末に東雲さんから買った、ちょっとお高いアソートチョコを差し出した。
「あら。高級品!」
嬉しそうなくるみさんの声に、ちょっと申し訳ないなと思いつつ、包装を開けていく。
「全部ってわけにはいかないんですけど、あの、私も食べたかったので。せっかくだからご一緒にと」
「嬉しいわー!」
「……俺もいいのかい?」
さすがに遠慮がちな
「よく奢ってもらってますし、日ごろの感謝の気持ちですので!」
いそいそとコーヒーを淹れて(インスタントだけど)、みんなで一つずつ口に入れる。
滑らかにとろけたそれは、甘みの奥から思った以上のピスタチオの香りがした。全部味が違うはずなので他のも気になるけど、残りはお二人に。
わいわいと感想を言い合っているうちに東雲さんが戻ってきた。
「ほら、くるみ。これでいいのか? ったく、なんでその辺で売ってるのじゃだめ……テリちゃん、来てたのか」
ぱっと笑顔になった東雲さんは、次の瞬間テーブルの上の見覚えのあるチョコの箱に視線を落として、それが空だってことを確認すると笑顔をひきつらせた。
「……え? ちょっと、なんで? 空だし? 俺のは?」
私はすっと手を持ち上げて、東雲さんのデスクの陰にある段ボールを指差す。
「東雲さんのは山ほどあるじゃないですか。あれにも同じもの入ってましたよ」
「いや、同じだけど、同じじゃないだろ!?」
「同じですよ。味が変わるわけじゃあるまいし」
「いや、でも、ほら……」
未練がましく私の荷物が他にないのか視線で探す浅ましさに、これ見よがしなため息をついておく。
「くるみさんたちには日頃お世話になってますけど、東雲さんには特にお世話にはなってませんし。どちらかというとお世話してますし。あんなにあるんですから、しばらくはファンからの愛のこもったおやつをたくさん食べればいいと思います」
「……そんな殺生な……」
いい大人の涙目に若干良心が痛んだけど、そもそも私たちはそんな関係では全然ないのだ。作家と、その作品のファンだ。甘えないでほしい。
啖呵をきった手前、そわそわと落ち着かなくなったので、私はコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「じゃあ、またそのうちに」
「ごちそうさま」
「気を付けて帰るんだぞ」
くるみさんも
漫画みたいに肩を落とす東雲さんの背中をちょっとだけ振り返ってから、ドアを閉めた。
……実は、段ボールの中に私の作ったチョコブラウニーも混ぜてある。
高級チョコの方が良かったなんて言われたくないし、ファンとして西雲先生に贈るのだ。
そこのところを間違えてほしくない。
とはいえ……同じじゃないと肩を落とす東雲さんの姿を思い出すと、ちょっとだけ口元がほころぶ。いやいや。私も、間違ってはいけないんだけどね。
ホワイトデーのお返しはSSでいいですよって、言う準備だけしておこう。
おわり
チョコの行方 ながる @nagal
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