縛る言葉
「あなたは、彼に何を、言ったんですか?」
医師が苦虫を潰すような顔で、時々ため息をついたりしている。
何度言われても、心当たりはない。
「すみません」
初めの頃は、心当たりがないとか、「何でしょうね…」などと言いながら、考えていたが、今は考える事なく謝るばかり。
本当に心当たりがない。
「彼女がね、呪いを解いてやってくれって言うんだよ。呪いってなんだろうねぇ」
彼女とは看護師の
多分、待合室で彼と話し込んでいるのだろう。
笑い声が聞こえる。
やっぱり話してる。
彼が声を上げて笑うのはここだけだ。
楽しげな声を悲しいやら嬉しいやら、複雑な気分で聞いていた。
「うるさいかな。談話室に行くように言っとくよ」
表情が動いてしまっていたようだ。
医師が要らぬ気を回す。
やめないで欲しい。
「いえ、笑い声が聞けるから。このままで」
思わず、思ったままを口にしてしまった。
「ん? 彼、笑わないの?」
こう通っていると、医師との間が親密になってくるのだろうか。この医師が元々フレンドリーなだけか。
随分砕けた口調になってきていた。
「私といる時は、声を上げて笑う事は…無いですね」
「お笑い番組とか観ないの?」
「観てますよ。………ぼーっと画面を見てるだけ…ですね」
苦笑いだ。
以前は笑ってた気がする。
うん、ゲラゲラと何がおかしいのか笑っていた。俺はそれを楽しく眺めていた気がする。
よく話もしてくれていた。
『はぁー、おっかしい! これ見ろよ! なんでこんな事になんだろうな?』
一緒に笑ったりもしてたんだった。
今はどうだ?
ニッコリ笑って、こっちの話を聞いて頷いているだけ。
仕事中の彼を見た時は、違う笑顔だった。
あの笑顔は、なんだか懐かしくなるが、何故なのか。。。
「彼、ノート複数持ってるね」
「ノート?」
思い出に想いを馳せて、反応が鈍った。
何を言ってる?
「あの鞄の中。もう一つの脳みそなんだって」
「脳みそ?」
聞いててもさっぱりだ。
「タイトル書いてあるから、わかりやすいよ。今度見せてもらいなよ」
鞄? ああ、斜め掛けにしてるショルダーバッグの事か。
ノート……。そう言えば、仕事机にあったな。
やっと話が見えてきた。
「仕事用でしょ? 見ても…」
「ん? 普段の生活の事もだよ? 『仕事』『生活』『病院』の3冊。知らないの?」
指を立てながら話している。3本立てた指をこちらに向けた。
なんの事だ?
彼の机には、仕事用のとプライベート用の卓上カレンダーがある。
時々スケジュール管理の為に見せて貰ってる。
そうか…、ノートもあるのか。
『生活』?
見せてくれるだろうか…。
「呪いか……」
医師が頬杖をついて、医療とは程遠い単語をカルテを見ながら呟いている。
「次回は、一緒に診察しようか。別で話したい時は、『後で』と言って」
書き込み出した。今日の診察は終わったらしい。
俺から聞き出すのは無理と諦めたようだ。
「後、もう少し食べさせて。顕著になってきた。最初に連れ来たのは早かったんだね。数値にも出始めたよ」
血液検査の用紙を見ている。
「……はい」
月1回の診察。
体重が減って来てるのは、先生の目にも明らかになってきたか。
彼は、俺と一緒の時以外は食べていないようだ。
用意して行っても、そのままだったり。
指摘すると、冷蔵庫に入れ。それを指摘すると、捨てられていた。
こうなる以前の朝は、どうだったか……。
在宅勤務になってからは俺が出勤してから食べていたはずなんだが、今は、食べている様子がない。
朝の次に顔を合わせるのは、夜遅く。一緒に食事をする。
寝ている時もある。俺だけ食べてる。
彼がその時食べてないとすると、平日の5日間に俺と会う2回程の夜の食事のみ。
あとは、一緒にいる休日の食事で1週間分のエネルギーを賄ってるという事か。
ベッドで寝てるのを確認出来る時は安心だが、どうも、夜中に外を歩いてる時があるようだった。朝帰宅してるので気づくのが遅れた。
食べずに動き回る。何処かで倒れられたら…。
指摘すると、リビングのソファなどで、ぼんやりしている彼と朝出会す。
眠らないのだろうか。
そんな事を考えて、良い対処方法が思い付かず、夜そばに居てもらう事にした。今は、俺のベッドで寝て貰ってる。
抱き込んでいれば、夜中何処かに行くことはない。
……なんとかしなければ。
「帰ろうか?」
談笑してるところ悪いが、彼女の仕事は終わりだ。
「分かった。またね」
彼女に睨まれた。彼には笑顔で手を振っている。
俺は彼に何をしたんだ。
彼女が言うように、何か呪いをかけてしまったのだろうか。
「ごちそうさま」
消化のいいものでまとめてみたが、やはり食べる量が減っている。食べたくても身体の方が受け付けないのだろう。
間食などで休日は補ってるが……限界だな。
「先生からも言われたよ。平日も食べてくれないかな。……そうだ。朝食一緒に食べるかい?」
話の途中で徐々に曇る顔が、最後の言葉で明るくなる。
在宅勤務の前は、一緒に食べて、ほぼ一緒に家を出ていた。
お弁当を作ってくれていた時もあったな。
あまり上手じゃなかったが、嬉しかった。
仕事の形態が変わって慣れないのか、悩んでるのか、なんだか難しい顔をする事があったから、負担になるだろうと、お弁当は断った。
最後に食べたのは、、、あの時か……。
休日なのに、彼は仕事部屋に向かった。
不思議に思って、様子を見に行くと机に向かっている。
いつもなら仕事かと引き返すが、近づいてみた。
覗いても何も言われない。
ノートに書き込んでる。
『朝ごはんは一緒に食べる。』
ん?
なんだ、コレ……。
「コレは……何?」
「ん? オレの記憶を補って貰ってる。なんだか忘れっぽいんだ。コレはオレのもう一つの脳みそ」
「見せて貰っても?」
「……いいよ」
躊躇してたが、返事をしてくれて、渡されたノートは『生活』だった。
他のも見てみたい。
言ってみたら、渡してくれた。
先生が言った通り、3冊。
箇条書きで出来事の顛末、やる事リスト、進捗などが書いてある。
記憶の一部といったところだろうか。
ところどころに記号が書いてある。
急ぎとか?
これは、嬉しいマークか?
怒ってるのかな?
食事の事が書かれてるところがあった。
済んだ事なのだろう。四角く囲まれた上から斜めに線が大きくクロスして書かれていた。
バツで消された下には、俺の指摘が書かれて、個々に対処が書かれている。
食べるのを忘れてしまう。
記憶しないと、と書き込みがある。
お腹が空けば食べるだろうかとも書かれていたが、途中から、腐ると言われたから、冷蔵庫にしまった。
しまうと忘れる。
いつのか分からないので、捨てる。これの方がスッキリする。
箇条書きでポツポツ書かれて、俺が何も言わないので、コレで終了となったらしい。
確かに、呪いだ。
デスクのイスに座って、キョトンと見上げてる彼と目が合う。
ニッコリ笑った。
嗚呼、思い出した。
出会った頃、付き合い出した頃だよ、その笑顔。
彼はあの頃に帰ってしまったのだろうか。
確かに何かを言ったんだ。
俺が何か言ったんだ。
ーーーー何を言ったんだ?
彼は、思い出を無くせたと言っていた。
子供の頃はもう無くなったと言っていた。
彼の左の薬指には指輪が嵌ってる。
俺はサイズが合わなくなって、する事が出来ない。
痩せた彼の指にはピッタリだった。今は緩いぐらいだ。
作った頃は二人とも細かったよな。
俺は首から下げている。
彼が見ると幸せそうに笑うから、肌身離さず持っている。
家では見えるように下げている。
思い出と記憶は違うようで同じなのかも知れない。
消えていく思い出と一緒に記憶も無くなっているのか?
彼は事ある毎に指輪を見るのは、何かを確認してるみたいだ。
彼の柔らかい表情にほっとしていたが。
胸の奥がざわつく。
仕事のノートは簡潔だった。
TODO。
課題。提案。
やるべき事。関連の人名。
病院は、先生の話。水野さんの話。
行く前に確認でもするのか。
ーーー呪いを解くのは俺か。
朝食は一緒に食べる。
昼食用に軽食をダイニングテーブルに置いた。こっちに来たら、一つは食べてとお願いした。
メモも書いて、テーブルに貼った。
帰宅して確認した。
ゴミ箱に食べ物はない。包んであったラップのみが捨てられてる。食べてるようだった。
ホッとした。
暫くして、試しに何か作って食べてとお願いしたら、作って食べていた。
ついでだろうか、俺の分がテーブルに置いてあった。
元に戻ったかと彼を見たが、ぼんやりしてる彼だった。
味は変わりなく最近の味だった。
この味が変わる時が、何かが終わる時だと思った。
休日、ドライブに誘った。
隣に座る彼の指に指輪が無い。
出掛ける時はいつも外す。
いつだったか問われた時に答えられずに困ってから、出掛ける時はしまうようになった。
今は決まった動きのような動作で行っている。
思い出の場所に連れて行こう。
あの場所。
告白した場所。
きっと思い出が強いはず。そう願いたい。
海風が強い。
季節違いはまずったか。
「綺麗ですね」
波頭がいくつも連なり、水平線が伸びて広がっている。
このままイッテしまおうか……。
握る手に力が篭る。
「痛いですよ?」
海に吸い込まれそうな気持ちを引き戻された。
「ここ、覚えてる?」
言葉を絞り出す。
彼は、きょろーんと辺りを見てる。
どうか、どうか、と何かに縋るように祈って見守っていた。
「いい場所ですね。なんだかここがポカポカします」
胸元を手で押さえてる。
嗚呼、欠片があるのかも。
「指輪持ってる?」
「指輪?」
困った顔。
左手をとって、薬指を摩る。
ハッとして、財布を出した。
大事なモノがいっぱいだな、そこは。
カード入れの中から銀の輪を摘み出す。
「はい」
躊躇なく渡してくる。屈託ない笑顔。
まるで子供に飴玉でもあげるようだ。
受け取ると恭しく彼に手をとって、指に指輪を嵌めた。
「君と一緒にいたい。二人で思い出を作っていきたいんだ」
あの時と同じ言葉だと思う。俺だってもう忘れたに等しい。あの時指輪は無かったが。
彼に届けと、願った。
『生活』のノートを繰った。
遡って、繰った。
繰った。
バツ印がいっぱい。
波線でぐちゃぐちゃに消されたところもあった。
どれもこれも、終わった事。
忘れていい事。
何もされてないところは記録する事柄。
繰っていく。
一枚目にたどり着く。目を通す。
病院に通い出してから暫くした頃の事が書かれてた。この先があるはず。どこだ?
「このノートの前のは?」
キョトンとしてる。
「それだけですよ」
そうなのか…。
何かが引っかかる。
「ちょっと本棚見ていいか?」
「いいですよ」
アルバムを探した。
ーーーーーない。
正確には、中身が無かった。
いつ捨てた?
「……コレ」
やっとの事で、絞り出した声は掠れていた。
「なんですか、それ」
俺の手のアルバムを見ている。
ココにあるのに知らない物のように。
一枚も写真のないアルバム。
このノートに写真の処分の事は書かれてなかった。それ以前の行動。
この時はまだ、何かを覚えてたのだろうか。
ーーーーもう、遅いのか?
指輪が嵌った掌を空に向けて翳してる。
目を細めて、見上げてる。
頬に一筋の滴。
「思い出は嫌い」
こちらを見る目は強い海風が掻き乱す髪でよく見えない。
「あなたと一緒にいたいから」
ガラス玉のような目が現れた。
「忘れる努力をしないと、嫌な気分になる」
目を細めて笑う。
「今の記憶が有ればいい。オレはここにいるし、あなたも居る」
やっと俺を見てくれてる気がした。
「お、俺が居なくなったらどうするんだ? 俺が、あの時のって話をしたらどうするんだ?」
「居なくなったら、オレも居なくなるかなぁ。記憶はノートがあるから、大丈夫だよ。話は出来る。仕事も出来てるし、記録はあるから」
「思い出はないんだな……」
「ない方がいいでしょ?」
背中を冷たいものが伝う。次々と滝のように流れていった。
俺は、彼に、何を、言ったんだ?
思い出を忘れろなんて言ってない。そんな荒唐無稽な事。
「無くなれば、辛くない」
彼が呟く。
海風に攫われる事なく、俺の耳に届く。
嗚呼、コレには「大丈夫。辛かったんだな」と抱きしめてやればいい。
幼子のように背中を優しく摩って、トントンと振動を与えてやれば、良い。
良いはずなのに!
痩せて細くなった両手は易々と俺の両手に包まれ掴めた。
もう出来ない。辛いんだ。もう戻ってくれよ。
抱きしめられなかった。
「もう! もう! やめてくれ! 思い出を忘れるなんてするな! 俺たちの思い出まで忘れないでくれ! 忘れないで! やめてくれよぉぉぉ……」
なんの罰なのだろう。
彼に訴えたところでなんとなるのだろうか。
彼が何かの病気で、病気の所為で、起こってる事なら、受け入れられただろうか。
コレは確かに俺が彼に課した事らしい。
彼はいつも努力家だった。
俺の要求をなんとか形にしようと努力してるのが垣間見えるのは、嬉しかった。
俺の為に、俺の為だけに、彼は心を砕いて頑張ってる。
俺が………壊した?
「やめるの? 何を?」
戸惑ってる。
笑顔以外の表情がうろうろ。
表情が動いてる。
????
「辛いのはイヤ。穏やかに過ごしたい」
ブツブツ呟いてる。
抱きしめてた。
どうして良いか分からない。
なにかが動いてる。
「何をやめるの?」
「思い出を忘れるのをやめる」
「やめたら、思い出して、話したら、また、やめろって言われる。ーーー思い出は要らない」
「記憶……。そう! 記憶を覚えてくれ! 俺との事。それを覚えてくれ。記憶してくれ。記録をしてくれ。日々の事を忘れずに記録してくれ」
無茶苦茶だ。
俺は何を言ってる?
全てを忘れずに記録するなんて、機械的な事だ。
ノートじゃなくて彼に覚えて欲しい。
パソコンだってなんだって、メモリがいっぱいになったと言って、どこかに移すかもっと容量の大きいものに変える。
人は機械じゃない。
記憶は思い出に変わって、記憶されていく。
記録だって。
詭弁だ。
俺は詭弁を言ってる。
無茶苦茶だ。
「記録。そうだね。あなたが言った事だけを記録を見たらいいね。勝手に思い出さなくていいね」
ストンと彼が落ち着いた。嬉しそうにさえかんじる。
全然ダメな気がする。
ノートじゃないんだ。
呪いが深くなった気がした。
君に記憶して欲しい。
新たな呪いを上掛けしてしまった気がする。
もう解けないのか、この呪いは……。
「ここは、君に付き合ってくれって、好きだって、告白した場所なんだ」
俺は力が抜けるのを感じていた。
無茶苦茶過ぎて、どうにもならなくなって混乱していた。
脚に力が入らなくなってきた。
ズルズルと彼の身体を滑って、座り込んでいた。
そう言えば、思い出話をした事ってあっただろうか。
あの雨の中、夜中に飛び出して行ったあの時だって、思い出の話なんてしていなかった。
今の生活をこなして、目の前の話をして、、、思い出は……あっ!
言った。確かに、言った。あの時言ったんだ。
その話は、やめろって。
時々彼が吐き出すように呟くのだ。とっても嫌な気分にさせる思い出話。いつも途中でやめさせるから、途中で話してても聞いてないから内容はよく分からない。
たぶん辛かった思い出なんだろう。
笑い飛ばすように言ってる時もあるが、吐き出す響きは変わらない。
今は、わかる。
辛かったんだなって一言、言えば良かったんだ。
そうか。
子どもの頃の思い出だったんだ。
記憶。
それを忘れようとしたら、彼の根底がおかしくなってしまうのではないのか?
封じただけでは?
一縷の望みをかけて彼を見上げた。
ハラハラと泣いている。
あの時なんと言った?
子供の時の記憶は、……無いと言った。
無くなったと言い切った。出来たと…。あの時。
でも、指輪やここはなんとなく感情を覚えてくれている。
「大事な事も、オレは、忘れたんですね…」
「俺、俺、ちゃんと聴く! 思い出、聴く! 聴かせてくれ。コレから思い出を作って、話そう。嫌な事も耳を塞がない。いや、塞いだら、指摘してくれ。もう少し。もう少し、俺の為に、頑張ってくれ」
「あなたの…為? 頑張れるかなぁ」
ぎこちない笑顔。泣き笑いだな。
「二人で頑張ろう……」
しっかりした眼差しが返される。
見つめ合っていた。
どれだけ時が過ぎただろう。
ぐぅぅぅ……
彼の腹の虫。随分聞いてない気がする。
「……ご飯食べに行こうか?」
昔にこんな風に言った事があった気がする。
何かが動き出した気がする。
コレに縋ってみても、、、否、掴むんだ。
コクンと頷いてくれた。
はにかむ笑顔。
手が差し出されている。
手を掴んで、立ち上がった。
パンパンと汚れを叩く。
脚に力が入ってきた。
もう離さない。
彼の顔が年相応の表情だった。
涙でぐちゃぐちゃだったが、確かに彼だ。
嗚呼、彼だ。
「何か思い出の食べ物ってありますか?」
戻ってきたと思える彼がそこに居た。しっかりした声。
彼だという確証はない。
消えてしまったものが戻ってくる確証もない。
ただ、未来が。
未知の空間がそこにある。
共に拓いて行ければ……。何かが変わるかも知れない。
変わってくれ……。
俺は狡い。
また呪いをかけてしまった。
彼の手をしっかり握った。
握り返してくれる温もりに縋った。
===========
先は考えてるのですが、なかなか纏まりません。
文字に出来れば、公開します。
纏まるまで長くなりそうなので、完結にします。
感想とか貰えると嬉しいです。
ただ言って欲しい言葉がある。 アキノナツ @akinonatu
★で称える
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