ただ言って欲しい言葉がある。

アキノナツ

ただ言って欲しい言葉がある。

オレは何してるんだろう。


雨です。


雨の日の外は好きになれない。

人それぞれだが、オレは好きになれない。

足元が濡れるのが特に嫌い。


なのに、この雨の中外にいるのかというと、顔を合わせるのが嫌になって、ちょっと頭を冷やす為に、雨の中歩いてる。


頭の上でパツパツと軽やかな音が踊っている。この音は嫌いじゃないんだが……。


『その話は、やめてくれって言ったよな?』


まただ。

頭から消えてくれない。

コレが治ったら、帰ろうと思ったのに、なかなか帰れない。

そもそも帰るったって、今のオレは居候みたいなものだ。アイツだって出てって欲しいんじゃないのか?


パツパツ……


暗い。街灯に光るアスファルトの黒い道。

水溜りを避けて歩く。


会社が規模縮小って事で、オレは別部署に異動。その部署でも在宅を言い渡された。これってリストラ対象って事だろ? 転職活動も始めてみたが、なかなかに難しい。


収入も減った。

在宅の今、光熱費や食費の消費率はオレの方が高いだろうから、折半で出してる金額が心苦しくなってる。

だからという訳ではないが、家事をこなして埋め合わせをしてるつもりでいたが、無意味だったか。


ひとりで家事をし仕事をこなしてると、リモート会議がなければ、一言も喋らない事もザラだ。

鬱々してたのかもしれない。

テレビで家族連れで行けるレジャー施設の紹介がされていた。よくある番組だった。

洗濯物を片付けながら、口をついて出た言葉は怨詛だったようだ。


気持ちがざわざわと気持ち悪く蠢いて溢れて漏れ出てたのだろう。


言い方の問題なのか。

気持ちの問題なのか。


分かってる。

思い出が悪いのだ。


思い出した気持ちのままに言葉にすれば、言葉に気持ちが乗って、聞いた者を不愉快にさせるのだ。


解決方法は、思い出さない事。


忘れてしまえばいいのだ。


そう……忘れてしまえばいいんだ……よ。


脚が疲れた。

濡れて、冷えて、痺れて……草臥れた。


暗い街並みの中で光りでいっぱいの建物があった。

ふらっと入る。

入る時に足をしっかり拭いたのだか、高い音が足元で上がる。


深夜の店内に響く。


客はオレひとり。音の被害は店員だけ。詫びをと視線を向ければ、スマホを弄ってる。

耳にはイヤフォン。害は無かったようだ。


雑誌コーナーを冷やかして、ぐるっと回って、レジ横のホットドリンクを購入する事にして、財布を持ってない事に気づいた。


ポケットには、家の鍵とスマホ。

あっ、ICカードがあったな。

スマホのケースに入れてるカードで支払って、外に出た。


また歩く。


スマホに着歴はない。オレが外に出てるのは分かってるけど、帰ってくるだろうからと放って置いてくれてるのか、関心もないのか。


オレって構ってちゃんだったか?

そんな気はないが、そうなんだって言われたら、そうなのかもと思ってしまう。


随分歩いた。

電車で最寄りの駅まで戻る手は使えない。終電が出てしまったから。

歩いて帰るしか無いのか。


記憶は幼い頃の方が強く残ってるのだろうか。消えてくれないな。有り得ない楽しい事に書き換えてみるか? 出来たら楽しいだろうな。


ーーーダメだ。もう歩けない。


しゃがんだ目の先に田んぼが広がっていた。

農道を歩いてたようだ。道理で街灯が極端に減った訳だ。


温くなったホットドリンクのペットボトルの蓋を開けて、チビチビ飲み始める。


パツパツと鳴ってた傘は、パツン、パツンと音が少なくなっていた。


消えたい。。。。


飲み終わる頃、雨が止んだ。


空のペットボトルと傘を下げて、ぶらぶら歩いてる内に、夜が明けて来た。


あっ、朝ごはん作らないと……。


起きる時間に帰って来られた。

炊飯器はセットしてたから……。段取りを考えながら、そっと音を立てないように鍵を開けてドアを開く。

身体を滑り込ませると、これまた音を立てずに閉める。


濡れたズボンを脱いで着替えたり、手を洗ったりしてると、炊飯器が出来上がりのお知らせメロディーを流し出した。


台所に立って朝食の準備をする。

出来上がる頃に、彼が起きてくる。


「おはよう」

無言だ。

眠いのだろう。


食卓に着くと、無言で食べ始め、無言で食べ、無言で食べ終わる。


洗面所に向かったところで、食器を片付ける。


食器を洗い終わる頃に、出掛ける準備が出来る。お弁当を作ってた事もあるが、断られてから作ってない。余程不味かったのだろう。


忘れ物がないか、ぐるりと見廻すと、ローテーブルにスマホが転がっている。

いつも充電器に置いてるのに、珍しい。


玄関で物音がする。

忘れ物という事か。


スイッと掴むと、玄関に向かう。

驚いた顔をしてる。


オレの顔に何か?

どうでもいいか。


スッとスマホを差し出す。


ポケットを叩いてる。

アンタのだよ。と心の中で呟く。


受け取るとポケットへ。

鞄を手にすると、ドアノブを回す。

用は済んだのだから、離れても良いのだが。

気まぐれかな。見送りに立っていた。


振り返る事なく、ドアが閉まって、オレがいるのに、鍵が回って、足音が遠ざかっていく。

寂しさが押し寄せて来た。


ーーー寂しい?


仕事しよう。




昼、朝結局食べなかった朝食を口に運んでた。


身体がだるい。

熱があるようだ。

風邪を引いたか。


午後の仕事をこなしながら、明日休めるか打診。熱があるのでと告げると、二つ返事でOKが出た。必要じゃない人間だからね。定時に上がらせて貰った。


家事を終わらせて、寝室に引っ込んだ。

薬は飲んだ。

寝れば、治るさ。

昨晩寝てなかったからだろう、横になるとすぐに寝てしまった。



額が冷たい。

雨は嫌いだ。


目を開けると、男が額に手を当ててた。


「誰?」

覚えてない。知らない人だ。

知らない人がなんでオレの部屋にいるんだろう?


ふいっと出てった。

安心して眠った。




いつもの時間に目を覚ます。

朝ごはんを支度しないと。


身支度を整え、台所に立つ。

食卓に並べる頃に、誰かが起きてくる。


「おはよう」

なんで知らない人に挨拶してるんだろう。


無言で食卓に着くと、無言で食べ始め、無言で食べ、無言で食べ終わる。


洗面所に向かったところで、食器を片付ける。


お弁当が出来た。

誰のお弁当だろう?

オレのかな?


これを渡すとして、いつ渡せばいいのだろう。


玄関で音がする。

部屋をぐるりと見廻す。

引っかかる物はない。

忘れ物無し。

ーーー忘れ物?


お弁当……。


玄関に向かうと鍵が締まるところだった。


お弁当を冷蔵庫に入れた。


コーヒーを啜る。

食欲がない。

あ、仕事……。

パソコン前にくると、今日は休みをもらったと卓上カレンダーに書かれてる。


そっか。休みか。病欠か。


熱を測ったら、平熱だった。

用心にトドメの薬を飲んで、家事を終わらせて、ソファで横になる。


スーッと眠りに落ちていく。


ふわっと身体が浮いた。

熱が上がって来たか。

ちゃんとベッドで寝れば良かった。


目覚ましたら、ベッドだった。


時計を見る。

夕飯の支度をしないと。


台所に立つと水切り籠に弁当箱があった。

ん?

お弁当?


カレーでいいかな。


鍋に切った具材をドンドン入れていく。

時間があるから、炒めず水からコトコト煮込んでいく。


野菜が煮上がるまで放って置いて大丈夫なので、他の家事を済ませようか。


洗濯物が乾いてる。

取り込んで、畳む。

テレビをつけていた。


家族連れで行けるレジャー施設の紹介がされていた。よくある番組だった。

洗濯物を片付けながら、気持ちがザワッとして治った。

口から何の言葉も出ない。浮かびもしない。

気持ちも気持ち良いぐらい、平坦で静かだ。


ーーーこれで、『やめてくれ』と吐き捨てるように言われずに済む。


カチャンとリビングのドアが開いた。


「お帰り」

誰か知らないけど、同居人だと思う。


そろそろ煮えるだろう。

ブイヨンを入れて、肉を切ったら、入れて…ルーの準備しよう。


同居人が買い物袋を下げている。


オレは、余計な事をしたのだろうか?


「すみません」


台所に立って、準備を始める。


彼は冷蔵庫に買ってきた物を入れている。

余分な事をしたのか、させたのか。


あとは、ルーを入れるだけ。


額に手が当てられる。

びっくりした。

払い除けそうになったけど、我慢した。


手がどけられ、彼は、風呂場に向かう。

もう準備は終わってるんだが、洗ってるようだ。


別に良いさ。


綺麗になると思えば、腹も立たない。

何故、腹を立てる?

もしかすると、オレが当番か何かを無視したのだろう。謝るべきか?





知らない人と一緒の空間にいるのが嫌で、外に出た。


靴の中が湿ってた。


ひたすら歩いた。


コンビニがあった。


「いらっしゃいませぇ」

定番の声掛け。


雑誌コーナーを冷やかして、ぐるっと回って、レジ横のホットドリンクを購入する事にして、財布を持ってない事に気づいた。


ポケットには、家の鍵とスマホ。

あっ、ICカード。

スマホのケースに入れてるカードで支払って、外に出た。


傘立てに手が伸びて、何もない空間で手が止まる。


掌をじっと見て、何か浮かんだが、何も形を結ばず、歩き出す。


農道を抜けて、ズンズン歩いて、駅に着いた。

始発が出る時刻。

ここは最寄りの駅じゃない。隣りの駅だ。


改札を抜けて、電車に乗って、駅から自宅に帰ると、朝ごはんの支度を始める。


「おはよう」


じっと見られている気配。


振り返ると、じっと立ってる。

驚いた顔だ。

同居人とはこんなものなんだろうか。


食卓を整える。


いつものルーティン。


今日は仕事。

リモート会議が入ってる。


「よろしくお願いします」


画面の向こうの同僚が驚いる。

余計な言葉だったのだろうか。


「どうしたの顔。マスク? 画像? 顔貼り付けてないで、顔合わせて、会議しようや」


???

言ってる意味が分からない。


「昨日はお休みありがとうございます」

とりあえず、お礼は言おう。


「まだ、体調悪いの? いい加減能面みたいなの貼り付けやめようぜ」

そろそろ会議の時間だ。

おかしな事を言う。


自分の進捗を報告。これからの抱負と方針を提案と了承。

会議が終わって、時間いっぱいまで雑談。


「画像じゃないんだ。表情筋死んでるよ」


「オレ?」


「遊んでるのかと思ったら、キモイからどうにかしとけよ」


???

時間になって解散になった。


洗面台に立つ。

鏡の中にいつものオレ。

頬をくるくる回して、口角を上げる。

要は笑えばいいんだろう。


笑顔は気分を上げてくれる。


今日も日常が過ぎていく。


テレビは消してる。

見るものがない。


「ただいま」

声がした。

「おかえり」

笑顔。

固まってる。

おや? この顔も違うようだ。


今日も早く寝よう。


夜、靴を履く。


コンビニがある。

前に来た気がするが忘れた。


駅にいる。

電車に乗る。

降りた駅は、たぶん最寄りの駅。


自宅。


食卓が整ってた。


「おかえり」


「ただいま」


抱きしめられてた。

「外の匂いがするな」


この同居人は、スキンシップが激しいらしい。


「仮眠とった方がいいんじゃないか? 今日は仕事休みか?」

質問ばかりだ。

カレンダーを確認。仕事はある。有難い事である。


「休みではありませんが、あなたに関係あるのですか?」

あー、もしかしたら、約束してたのだろうか。

プライベート用のカレンダーを見る。

真っ白だった。

他にカレンダーはあったのだろうか?


忘れた。


「一緒に暮らしてるんだから…」

ポツリと溢すように言われた。

そうですね。笑顔だ。

嫌に思われる事は忘れよう。


「食べる?」

「自分でするので、お構いなく」

悲しい顔をしてる。ツキンと胸が痛んだ。


「食べます。ありがとうございます」

微妙な顔。何か間違えただろうか?


今日の彼は、会社をお休みしたらしい。

家事は彼がするらしいので、オレは仕事をこなす。


早く終わった。

転職活動をする。



夕飯が出来てた。

昼も作ってくれてた。


器用な人らしい。たぶんオレより上手だ。


「これ、好きだっただろ?」

好きだったのか?

忘れた。


「同棲し始めの頃、こればっかり作ってたの覚えてる?」


同棲? 覚えて?


ーーー思い出せない。


「思い出せません。ごめんなさい。同棲してるんですか? あなたは同居人だと思ってました。ーーーあなたは誰ですか?」


「ーーーー明日、病院に一緒に行こう」





「身体的には問題ないです」

「ほとんど寝てませんよ? あまり食べてないし」

「でも、数値的には問題ないです。……ただ、何かを忘れる努力をしてるらしいです。聞き上手の看護師が聞き出しました。ーーー今、待合室で笑ってる声は、たぶん彼ですね。看護師の笑い声もする」





横に彼が立ってた。

「同居人です。彼が心配してくれたんです」

看護師に紹介した。

看護師が怖い顔をして彼を見た気がしたが、笑顔でオレを見て、またねと手を振って去っていった。


「ウチに帰ろうか」

ウチに帰るのか。

同棲と言われたから、それ風に喋ってみてる。何も言われないので、コレで正解なのだろう。

「先生はなんて?」

「さっき二人で聞いた内容と同じ」

そうなんだ。




食後にコーヒーを飲んでると、神妙な顔で、彼が尋ねた。

「最近の思い出って何かある? 昔でもいい」

「思い出……。忘れた」

「忘れた?」

「思い出は、相手を不愉快にさせるから、忘れた方がいい。思い出さなかったら、不愉快にさせる事もない。ーーー生活は出来るし。そうだ。ココは出てった方が良いよね? そんな話をした気がする」


「してないから、このまま一緒に暮らそう」

そうか。知らない人との同居はしんどいな。

「思う事があるのなら、話した方がいい」

いいのか?


「知らない人と暮らすのはしんどいと思った」

「知らない…。恋人なんだけど?」

「男の人ですよね?」

「そうだ。だけど、恋人だ」

「そうなんですか……」

「他人事みたいに言わないでくれないか?」


『やめてくれないか』


「すみません。やめます。努力します」

身体の奥底が冷える。


「努力はしなくていい。ーーーーちょっと、ここにいてくれ。何処にも行かないでくれ」

慌てて彼の部屋に入って行った。

出てきた手に宝飾店の指輪ケースを持ってる。

「これ、覚えてる?」

銀色のシンプルなリングが並んでる。

「買ったはいいが、照れ臭くて、してないけど」


暫く見たけど、

「嬉しい気分は思い出すけど。それ知りません」

思い出せないので、思った事を伝えた。


「ーーー小さい頃の楽しい思い出は?」

「ありません」

「辛い思い出は?」

「ありません」

「私たちの思い出は?」


「ありません。ーーーー無くなりました。出来ました」


ニッコリ笑えた。

清々しい気分だ。

達成感?


「これで、不愉快になりませんよ。良かったですね。オレも辛くならない」


頬を何かが流れた。


「ーーー辛かったんだな」

彼が顔をクシャっとさせて笑っている。泣きそうだ。


手が伸びていた。

「辛かったんだね。ヨシヨシ。辛かったんだね」

頭を撫でてやる。

胸の支えが無くなる気がした。


彼の顔が明るくなった。


気づいたら、抱きしめられて

「辛かったんだな。大変だったな。ーーーーもう大丈夫だからな」

背中をトントンされていた。


トントン…トントン…


温かい……。


オレは……この人知ってる…気がする。


顔が見たいと思った。


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