話がしたい
アキノナツ
出会いは春風と共に
1ー1.春風
雲ひとつない晴天の朝。
天気に恵まれたので、傘などの余分な荷物が無くて更に気分は上々。
高校三年生の春。
高校での最後の年が始まる。
とは言え、実感は皆無に近い。
というのも、クラス替えがあるようで無いこの状況では、なんとなく移行された感じで「さて頑張るぞ」と気合いが入らないのは、致し方ないところである。
この高校には、理系のクラスが1クラスしかない。
理数しか取り柄がない俺にとって、必然的にそこのクラスに入ることになる訳で。いや、残りたい訳で。
このクラスを追われて、文理に回される可能性が皆無ではないのだが、テストも課題もまずまずだったし、学年末に呼び出しもなかったから大丈夫だろうと……。
でも、心配性の俺としては、不安が無い訳ではないので、落ち着かない訳で。
春のポカポカした日差しと澄んだ空気の中、緩やかな坂道を登っていく。
足が多少重く感じるのは、気の小さい人間なのだと自覚する訳で。
坂の上の高台に学校はある。
そろそろ校門が見えてくる。
薄らとピンクに染まっている高台。
今年も桜舞い散るいい景色だ。
この高校に関わった造園業者か校長かは、桜が好きだったのだろうか。
この高校に来るまでは、桜はパッと咲いて散るものだから、入学式とか卒業式とか人間の都合に植物が合わせてくれるなんてないものだと思っていた。
漫画や映画の中だけの風景なんだと。
しかし、種類を上手く揃えると卒業式から入学式まで、桜が咲いているという事になるから不思議だ。
近所の人も学校の中には入れないが、花見に来ているようだ。
桜は遠目に見ても綺麗だからね。
いい散歩コースだと思うよ。
来る度に少しずつ変わる色合いは見てて楽しいだろう。
さて、校門入ってすぐの特別棟校舎にずらりと名前が書かれた模造紙が貼り出されていた。
今年も書道の先生頑張りましたね。
そろそろ、でっかいプリンターあるんだから、文明の利器に後進を譲ったらいいのにさ。
異字体とかは、彼ら(機械)は苦手ですけどね。
クラス名簿の貼り出しを眺めている集団の後ろからぼんやりと眺める。
ハイ、ありました。おめでとう、俺。
理系クラスには、なんとか滑り込めたようで、目標は達成ということかな。
クラスの名簿の顔ぶれもやっぱりほぼ変わらず。当たり前だけど。
やっぱり、受験生の実感が湧きにくい。
のんびりしてしまうのが俺の性格。
エンジンが掛かるのが遅いんだよな。
集団がバラけていくと、こちらに気づいた面子が片手を挙げて、「また1年よろしくな!」と声を掛けてくる。
トンと肩を叩いてくる奴もいる。
始まった感じがしてきたかな。
ハイタッチで応じたりしながら昇降口へ。
下駄箱で会ったメンバーと合流して雑談しながら教室。
「
元気いっぱい。
声大きい。
近い。
耳痛い。
満面の笑みで俺の背中をバシバシッ叩くし。
痛いわ!
幼馴染みの
コイツとの付き合いはホントに長い。
幼稚園から小中高と一緒。
ついでにクラスも一緒。
何年だ?ーーー15年か。
高校も3年間もクラスが一緒となったよ。
ほんとずっと一緒だよ。
こうなるとどこまで一緒かと思わなくも無いが、多分ここで最後だろう。
多分。
担任はたぶん
というか、ずっとこの先生。
担当教科は数学。1年で問題なかったから、固定ってやつかもしれない。
いつの間にか教室に居たわ、下沢先生。
いつ入ってきたんだ。
教卓に出席簿とチョーク入れなどを几帳面に並べている。これがいつものスタイル。
コツン。カチャ。と小さな音。
騒がしい教室では教卓前の生徒にしか聞こえないだろう。
騒がしかった教室も波紋が広がるように静けさと秩序が瞬く間に整う。
カチャッとズレたメガネを整え、教室を見回し、
「最後の1年だ。よろしく」
と、力の抜けた平坦な声色で、下沢先生の挨拶が終わった。
「また先生かよ」と声が上がるが、嫌な感じの響きはない。
この教師、好かれている。
他のクラスの人間にはどうかは知らないが、このクラスに嫌ってるやつはいない。
担任なんて気が合う合わないはあるものだと思っていたんだが、そんな次元の感覚ではない、不思議な空気感がある教師だ。
下沢は空気か? いや、確実に存在感はある。
あるのだが、無いともとれる。
不思議な空気を纏っている教師だ。
この下沢先生、存外に侮れない。
数学教師だから数学しか聞けないのかと思ったら、理系なら(いや、下手をしたら文系もいけると噂もあるからオールマイティーか)なんでも来いなところがある。
一年の後半、休み時間に物理の問題で唸り続けていた生徒がいた。
周りに何人か付き合ってたが、自分でやりたいのか『待った』をかけて頑張っていたのだ。
廊下を下沢が通りかかって、足止めたなとは思ったが、入って来るとは思わなかった。
接近してきて、周りはサッと道を開けて遠巻きに。俺はそれを自分の席でぼんやり見てたんだ。
唸ってるそいつは接近に気づかずノートを凝視してた。
暫く机の前で、生徒のノートを見てた下沢は、机に転がっていた鉛筆をつまみ上げた。サラサラと軽いタッチで何かを書き込んでる。
そこで初めて下沢の存在を認識した生徒は、先生を見上げて、直ぐにノートに視線が戻した。
いきなり「うぉーっ!」と吠えてた。
ノートを見つめていた生徒は、ニッコリ笑った下沢を見ることはなかった。
残念だったな。
吠えてる友達を解って良かったなと生暖かい眼差しで遠巻きにしてた仲間は見ていた。吠えている生徒以外は、しっかり目撃した。
下沢の笑顔は、破壊力というか衝撃だったと俺も含め折に触れ振り返る。
そして思う。もう一度見たい。
先生の去った後、周りの生徒がノートを覗きに込む。
簡単な線で図と矢印が書き込まれていた。
細かい書き込みもない。
そんな簡易なヒントみたいな書き込みだったと、後で教えて貰った。
それから、下沢は、数学以外の質問をされるようになった訳だが、解答は教えてくれない。
的確だが、ヒントのみをくれるちょっと変わった先生である。
専門外だからな。
でも、数学でも同じだけどさ。
ただ、問題が……。
話し方がちょっと………かなり癖がある。
平常心もここまで来たら、なんといっていいのやら。
気の抜けた話し方?
なんと言おうか、平坦な話し方なのだよ。
抑揚というか感情が言葉に乗ってない。
重要な事も冗談も同じ平坦な発音で話されてしまうので、ちょっと困る。
うっかり聞き逃してしまいそうになるのだ。
下沢先生、アレで冗談も言うんですよ。
微妙なジョークですけどねぇ。
「なんてね」とか言われて、ジョークだと分かる程度で、本人表情ほぼ変わらんから分からんって!
そんな先生は、聞き直しも対応してくれる。
有り難いが、く、苦しい。心が苦しい……。
怒ってる風でも、面倒くさくなってる風でもなく、只々平坦に返される言葉にこちらが居た堪れなくなるのである。
聞いてなかったのかと苦々しく言ってくれた方が気が楽だと、心底思うのだ。
表情もほぼ変わる事なく無表情に近い。
一瞬ロボットかアンドロイドかと思わされなくもないが、確実に人間である。
AI搭載の人間?
日本ってそんなに進歩してたか? してないって。
でも、もしかしたら……ないな。あの笑顔は作れない。
怒らせたらどうなるだろうと思う事もあるが、噂ではなんか大変な事になったらしいので、誰も試す勇者は居ない。
暇も無い。
高校生わりかし忙しい。
それに受験が迫って来る学年です。
もう試す勇者は出ないな。
受験か……まだ実感伴ってないけどねー。
周りはそうでもないのだろうか。
最高学年ってこれまでの人生で3度あった。これで4度目だ。
幼稚園、小学校、中学校の3回。
振り返ってみるか?
幼稚園の年長。
おいおい、そこは普通小学生から思い出すだろうってツッコミたくなるよな。
俺もそう思ってたよ。
なんで幼稚園の事が、スルッと出てくるかと言うと、ついこの前リビングが騒がしいなと思ったら、きゃっきゃ言ってる両親が、厳密に言うと母親だけがきゃっきゃ言ってたが、年長最後の発表会のDVDを観ていた訳ですよ。
映し出されてるのは、桃太郎の舞台だ。
ああ、覚えてるよ。
主役が何人いるんだよってね。お供のイヌもサルもキジも何匹いるのさてね。お遊戯あるあるだろ?
「蛍ちゃん、可愛いわぁ」
「うんうん」
「健ちゃん元気よね! この衣装良かったわよね?」
「うんうん」
父さん……「うんうん」しか言ってねぇぞ。
この時の健一の衣装が凄かったんだよ。
だからはっきり俺も覚えてる。
ま、これ見るまで忘れてたけどねー。
ちなみに俺はイヌね。
耳とくるんと巻いたシッポつけてたよ。
ほら映った。
ハイテンションで騒いでる母さんの横で、終始ニコニコしてる父さん。この二人、仲が良い。
今もピッタリ寄り添って、DVD観てるし。
そんな両親を横目に水を飲みつつ、粗い画面を眺める。
なんか忘れた事、思い出す。
映像と記憶の繋がりって凄いな。
そうそう、衣装だったな。
健一のオカンが孔雀の衣装作ってきた時は、大騒ぎだった。
「健ちゃんカッコいい!」
「キレイ!」
の園児の大合唱。
先生達の「お母さん! これは孔雀です! 健一くんはキジです!」の声。
園児の声に対抗して声張ってるし。
「そもそも、桃太郎に孔雀は出ません」
悲壮感が漂う声。
先生たちにやんや言われてるその相手は、背中向けて終始笑顔で園児の相手してる。
「頑張っちゃったわぁ。綺麗でしょ? カッコイイでしょ?」
園児にニッコニコ。
健一のオカンの
俺は下駄箱に靴入れながら、その様子を見ていた。
教室入って、自分の物置スペースにカバンとか入れながら、なんかめちゃくちゃだなぁと思ってたら、園児に笑顔振り撒いてた華さんが、これまたとびっきりの笑顔で教室側に居た先生たちを振り返って、「キジ作ったわよ?」とあっけらかんと言い切った。言い切ってたな。
先生達にニッコリ。
別の先生が図鑑持ってきて、キジと孔雀の説明をし出して、その向こうでバッサバッサと羽ばたきながら、尾羽をヒラヒラさせてくるくる回りながら園庭を駆け回る健一。
それをマネしながら、年少年中も巻き込んでギャーギャー駆け回り大騒ぎだった。
頭の羽飾りもゆらゆら。
朝日を受けてキラキラ光ってたな。
あの日の朝は大変だったと思う。
通常の状態になるのに随分とかかった気がする。
なんか直ぐに弁当の時間になった気がしたからな。
先生達、元気かな。
今度覗きに行ってみるか。
小学校では、どうだったかな。
六年生ね。
一年生は可愛いなぁぐらいにしか思わず、お兄さんぶって、卒業が近づくと、中学の制服が気になって、なんとなく中学生になってたな。
いっつも側にいるニコニコの健一しか思い出せんが。
それなりの小学校生活だったとも思う。
中学校では、何してたかな……。
部活結構頑張ったな。
陸上でハードル跳んでたわ。
受験もそれなりに頑張ったと思う。
そして、高校も最後の学年になりましたね。
なんか勉強も部活もなんだかんだと楽しんだし頑張ったな、俺。
誰も褒めてくれないから、自分で褒めとこ。
基本褒めないんだよね、両親。
ん?
褒めてくれたはいるかな。
ああ、ヨイショ的なものが無いだけか。
もっと気分が上がるように褒めて欲しいんだよなぁ。
基本あんまりテンション上がる方じゃないから、両親も誉めどころが分からないのかもしれないな。
褒められるのは嬉しいんですよ?
今日は教室の移動が多いな。
だるい。
「蛍ちゃん! こっちぃ!」
声デカい。聞こえてるって。
「だ、か、らぁ、ちゃん付けは辞めてくれ」
ため息が出る。
それでなくても移動が多くて自分のクラスの席にゆっくり座れてなくて疲れてんだよ。
「いいじゃん。忘れ物ない?」
ニッコニコの健一。
華さんそっくりだな。さすが親子。
「お前は俺のオカンか」
「だって、蛍ちゃん、やる気ない時ヌケヌケじゃん」
また、ちゃん付け。幼馴染みってみんなこんな感じなのかね。知らんけど。
確かにこういう低空飛行の時の俺はヌケてますよ。
早く早くと手招きする健一にハイハイとついて行こうした時、ふわっと風が通り過ぎた。
教室を通過して廊下の窓に抜ける風に髪が乱れる。
ゴミが入ったか、目をしぱしぱしながらなんとなく教室の中を見た。
目的の教室でも自分のクラスでも無いただの通り過ぎるだけの教室だったのだが、視界の隅の何かに目を惹かれて止まった。
揺れる白いカーテン。
窓辺の席に座る彼は、自分と同じはずの黒の詰襟制服が誰よりも似合ってると思った。
ちょっと長めの黒髪の彼は椅子に座っていても背が高いのが分かった。
その長身を丸める事なく、文庫本を片手にスッと姿勢を正して座る姿は凛とした空気がそこにあった。
春風は白いカーテンをふわりと揺らし、彼の前髪を撫でていった。
「蛍ちゃん?」
すぐそばで呼ばれる声にハッとして見遣る。先を歩いてたはずの健一が側まできて、不思議そうに自分を見ていた。
「あ、ごめん。行こう」
それから、あの教室の前を通る時は、彼を視線が探していた。
通りすがりにチラリと見る彼は、いつもあの時と同じ姿勢で文庫本を読んでいた。
遠目に見てるのではっきりは分からないけど、まつ毛が長そうだ。
色白に入るだろうか。
艶のある黒髪の所為で色白に見えるのかもしれない。
鼻筋が通っていて、唇はちょっと薄いかな。
目は本を読んでるから伏せ目で分かりにくいけど、切長な気がする。
全体に凛として涼しげな姿は端正な顔立ちと相まって男前と言っていいと思う。
そんな事を続けて、気が付いたら卒業だった。
そしてもうひとつ気づいた。
今頃気づいた。
彼と一言も話してなく、目すら合わせてない事に。
俺たちはそれぞれに進路を決めて、桜の咲き乱れるこの高校を卒業した。
話がしたい アキノナツ @akinonatu
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