3.隠れ唄
茅に聞こえてくる言葉が真実であるのならば、藤江菜摘はスイゼンサマに首を落とされたのだろうか。茅が見る夢と同じようにして、頭を垂れなかったから、ごろりと首が落ちることになったのか。
けれどそれならばどうして、藤江菜摘の遺体はトランクケースに入れられていたのか。茅の財布は、そこにあったのか。それがどうにも『スイゼンサマ』という得体の知れないものの仕業ではなく、人間の所業のように思えてしまう。
もしも藤江菜摘の殺害がスイゼンサマによるものだとしたら、わざわざトランクケースに入れたりはしないだろう。茅の財布を一緒に置いたりしないだろう。祟り神による祟りであるのならば、見付からないようにすることはむしろ不自然とも言える。他人に罪を擦り付けようとするようなことも、不自然に思える。
「スイゼンサマの歌、ご存知ですか?」
「いや……自分は本当に、何も詳しくなくて」
聞こえてくるものはある。スイゼンサマが来るぞと、誰かが言う。聞こえてきたそれは歌なのか、それとも囃し立てる声なのか。
茅はそもそも、出身地もここからは遠い。ただ自分がこの辺りのことを知らないように、周囲の皆が茅のことを知らないというのは、茅にとってはむしろありがたいことでもある。
「この辺の老人は、知ってるんですよね。みなみなはよう頭を垂れよって」
その土地にだけ伝わるものは、日本各地どこにでもある。その土地の人だけは知っている言い伝えは、案外馬鹿にはできない。
そこには教訓がある。忘れてはいけないものがある。スイゼンサマのことを忘れれば、封が解けて外に出られるのだとすれば。彼らは忘れないために、その歌を歌い継いできたということなのか。
「頭を垂れるって、なんか植物みたいですよね。百合とか、水仙とか、俯いて咲く。
彰浩の言うように、百合や水仙は俯いて咲く。太陽を追うようにして空に向かって咲く向日葵とは、その花の趣が違っている。
百合や水仙は、向日葵を羨ましがることがあるのだろうか。頭を垂れた自分に、思うところはあるのだろうか。
「スイゼンサマのお通りじゃ。スイゼンサマは
みこにつき、みなころす。前半はともかくとして、後半は響きがなんとも物騒だ。
するりと歌われたそれに反応したのは、三砂だった。
「何だそれ、俺もそれは知らないぞ」
「ミサちゃんが知らないのも無理はないですよ。これは隠れ唄だと聞きました」
「隠れ唄……」
「スイゼンサマの歌の最初と最後の部分は、破棄されたそうですよ。この隠れ唄は最初の部分だそうです。最後の部分は、残念ながら僕も知っている人にまだ出会えていません」
どうして最初と最後を、彼らは隠してしまったのだろう。どうしてそこを歌うことをやめてしまったのだろう。
何かそこに、彼らにとっては覚えていたくないものでもあったのか。後の世の人に、知られてはならないことでもあったのか。
「ただきっと、今の歌も歌われはじめた当初のころのものではないんでしょうね」
「……どうしてそう思うんだ」
「嫌だなミサちゃん、そんなの簡単ですよ。情報とは、伝わる間に変質するものです。真実を覆い隠したいのならば、尚更。だから伝言ゲームなんてものが成り立つんじゃないですか」
人から人へ伝えるたびに、情報とは、言葉とは、変わっていく。結果誰かがこう言っていたと、誰も言っていないはずの話が流布することもある。
三砂は彰浩の言葉に「それもそうだな」と納得して頷いていた。
「だからこそ、捻じ曲げるのは簡単なんです。都合が悪い部分を誰かの都合が良いように覆い隠して作り替えるなんて、造作もないことでしょう?」
言葉というものは、重くて軽い。ひとたび口から出たものを消し去ることはできず、誰かに聞かれたその言葉は、聞いた相手の中に刻み込まれる。
忘れてくれと言って、忘れられるものでもない。嘘をつくことは簡単で、それが真実でないことを証明する方が難しい。
「例えば、とても財を持っている、命令に従わない人が山に住んでいました。この人は里で酷い扱いをされている女性を保護して、大切にしていました。さて、これが気に入らない場合、財を奪いたい場合、人はどうすると大義名分を得られるでしょう?」
おどけるように、彰浩が両手を広げた。
蝉の声が降り注ぐ舞台の上で、彰浩ひとりが道化のようだ。はたから彼を見ている茅と三砂は、どのような役名を与えられているのだろう。
「あの男は、実は鬼である。里から連れて行かれた女性は誘拐され、既に喰われて殺されてしまった。そうして喰った相手の財も奪っているから、あの男は財を持っているのである。さてこれを討伐するのは、善行ですか? 悪行ですか?」
「そんなものは……」
「悪行だ、と、真実を知っていたら言いたくなりますか? けれど、この捻じ曲げたものしか知らないのならば、これを討つことが善行にすり替わる。殺して財を自分の懐に入れたとしても、奪われたものを奪い返した形ですから、褒め称えられることはあれども、誰も糾弾なんてしないんですよ」
昔話の鬼退治譚を、思い出す。
どうしてだか鬼を退治した後に必ず語られるのは、金銀財宝を持って帰りました、という締めくくり。桃太郎もそう、一寸法師もそう。一寸法師など願いが叶うという打ち出の小槌まで手に入れて、晴れておとなの大きさになって「めでたしめでたし」だ。
「気になりますよね、スイゼンサマの隠れ唄。そもそもスイゼンサマも何がどうして祟り神なのか。人々はスイゼンサマにどんなひどいことをしたのか」
「ひどいこと……」
「まだ祟っていないものを御霊という扱いをするということは、封じた側に『悪いことをした』という意識があるからでしょう? つまりそれは相手に落ち度はなく、ただ自分たちの利益のために嘘を吐き、その人を殺したりした、と、そういうわけではありませんか」
ただそこにいるだけの人に、どのような悪行があるだろう。命令に従わないことを悪としたとて、それは決して殺してしまうようなことではない。
何も悪いことをしていないのに、殺した。何の罪もない人を、殺した。それはつまり殺した人に恨まれるという、そういう後ろめたさが残るものだろう。
「菅原道真は、何故祟ったのか。
茅ですら知っているその名前は、必ず祟りと共に語られる。
「別にその後の
何も後ろめたいことがないのならば、きっと祟りだ怨霊のせいだと騒ぐことはなかった。後ろめたいことがあるからこそ、人はそれを『祟り』と恐れる。
どうか赦してくださいと、そういうことなのだろうか。それとも決して真実を明らかにせずに、けれど恨まないでくださいと、虫の良いことを思っているのだろうか。
「ならばスイゼンサマも、同様でしょう。そもそも何も恨まないのに、祟るようなことはありません。恨まれている自覚があるからこそ、後ろめたいことがあるからこそ、こんな風に神社を作り、参道で封じ、四拍子で殺し続けるんです」
スイゼンサマが来るぞ。首が落ちるぞ。
どこか囃し立てるようなあの声は、スイゼンサマを嘲っているのだろうか。誰かがスイゼンサマが邪魔であるとして、偽りによって命を奪ったのか。
ならば隠れ唄には、何が隠れているのだろう。彰浩も知らないという最後の部分には、一体何が歌われていたのだろうか。
ぞくりと、背筋を冷たいものが滑り落ちていく。汗ばむほどに暑いはずなのに、夏の盛りのはずなのに、やはり茅は寒さを感じていた。
ラッパ水仙の沈黙 千崎 翔鶴 @tsuruumedo
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