2.御霊
何を言っているのかと彰浩の顔を見ても、彼はやはり笑っているだけで、何を考えているのか読めそうもなかった。
「あー……志津利、その、な……」
「はい」
「役に立たない、とは言わない。むしろ本人の言う通り、彰浩は役に立つ。役には立つんだが、その……見ての、通りでな」
一応の助け舟を出すつもりだった三砂の言葉は、どうにも歯切れが悪い。ただその歯切れの悪さも、彼の言いたいことも、何となくここまでの彰浩の様子を見ていて納得がいくものではある。
役に立つかどうかを茅が判断することはできない。できないが、諸手を挙げて歓迎することもできそうにはない。
ただ、それでも、ひたひたと近付くような悪寒に、そして奇妙な殺人事件とその疑惑に対して何かできるとすれば、彰浩の申し出を受けることくらいか。
「じゃあ、先輩が僕を少しくらい役に立つと判断できるように、今分かっていることをお伝えしましょうか」
「今分かっていること? 藤江菜摘の事件について?」
「まさか。そっちは僕、今でも興味はありませんからね。協力するならそっちも考えますけど。僕が今分かっているのは、スイゼンサマの方です」
確かに彰浩が調べているのは藤江菜摘の事件ではなく、スイゼンサマの殺人事件と彼が称するものだ。それがいつの、どのような内容であるのかは茅にはさっぱり分からないのだが、彼はそれを伝えたいのか。
スイゼンサマが来るぞ。
その声の、ひたりと首に当てられたものの、その正体を探ることを考えれば、彰浩の今まで調べたことは聞いておいた方が良いのかもしれない。
「スイゼンサマ……」
そのことばに、馴染みがあるはずもない。
この知至咲神社に祀られているというスイゼンサマは、そもそも何であるのか。
「まずひとつ。スイゼンサマは間違いなく
「御霊?」
聞き慣れないことばに、つい茅はそのまま聞き返す。
「あ、ええとですね。御霊というのは
菅原道真は、さすがに茅も知っている。学問の神であり、そしてかつては祟ったという通り一遍のことでしかないが、祟りをもたらしたというのに神になるというのも、よく分からない話ではある。
彰浩はスイゼンサマを御霊と言った。彼の言うことをそのまま信じるのであれば、つまりスイゼンサマも祟るようなものであるということになる。
首が落ちる。
それがスイゼンサマの祟りということなのか。ならば彰浩が言うスイゼンサマの殺人事件というのは、スイゼンサマが祟った結果ということになるのだろうか。
ひたりと首に何か冷たいものが当たった気がして、また首を押さえる。ごろりと落ちたりすることはない。首が裂けていくこともない。ただこのひたりと当てられた冷たいものは、刃物の感触にも似ている気がした。
「御霊であるということは、この神社の造りからして明白でしょう?」
「……明白?」
ざあ、と風が吹き抜けていく。蝉は鳴き騒ぎ、森の中に社が佇んでいる。鐘を鳴らすための縄と賽銭箱と、それから手前の手水舎と。別に他の神社となんら変わったところはない。
社の左右に小さな祠のようなものがあるのも、珍しい話ではないだろう。鳥居のところにいた狛犬だって、阿と吽とで、何か特別なところはない。
「だって参道、曲がってるじゃないですか」
確かに知至咲神社の鳥居から社への参道は、直角に折れ曲がっている。
「参道って、何だと思います?」
「え……神様にお参りするために通る、道?」
問われたところで、そんなことを詳しく考えたことはない。鳥居をくぐり、そこから先は白い石が敷き詰められた参道がある。前にふらふらとこの神社へ上がってきた時、茅はこの参道の真ん中を通って社へと向かった。
鳥居と、社と、参道はそこを繋いでいる。
「鳥居とは、結界です」
「結界?」
「あ、別にファンタジーめいたものじゃないですからね。結界なんてどこにでもありますから。
神社の鳥居の向こうは神の領域、ということなのだろう。ただそれでも、結界という言葉はやはり馴染みがない。
そういう言葉はすべて物語の中だけで、現実味がないのだ。茅は元々、それほど物語を嗜むわけでもないが。
「ただ、参道というのは……神の通り道でもあるんです。社から、神の領域から、外へ」
白い石の上を、神が歩くのか。参道とは、神が参じる道でもあるのか。
ならば人は、どのようにそこを歩くべきなのだろう。こうして参道の途中で、三人顔を突き合わせて喋っている今の状況は、何と言えばいいのだろうか。
「でも御霊は、外に出すわけにはいかないんですよ。だって祟る存在ですよ? そんなものが外に出たら困るじゃないですか。特にまだ祟りをなしていないものは、どうか祟らないでくださいと願うしかない存在です。神なんて人間がどうこうできるものではないですし、自然災害みたいなものですから」
「自然災害みたいなもの……つまり、人間の手では捻じ曲げられないと?」
「当然です。台風の進行方向を人間が決めることなんてできないじゃないですか。それと同じで、神の祟りなんてただじっと祈りながら通り過ぎるのを待つくらいしか、人間にはできないんですから。どうかお鎮まりください、それしかできないでしょう?」
そう問われたところで、茅は答えを持たなかった。
確かに神という存在を何とかしようとしうのは、人間には難しいことなのだろう。人知を超えた存在というものは、文字通り。人が知ることができる範囲を超えているとなれば、人間はそれをどのように認識すれば良いのか。
「できることは、こうして封じ込めておく、それだけです。社の中に押し込めて、殺し続けることだけです」
殺し続けるとは、また何とも物騒な言葉である。けれど彰浩は、それをさも当たり前のこととして口にした。
封じ込めて、押し込めて、殺し続けて。それではまるで、罪人のようだ。神社と、神の社と、そう名前を付けているくせに。
「今はどうか知りませんが、知至咲神社もかつては四拍手だったのではないですかね。
「神社は、二回礼をして二回手を叩いて、一回礼をするのでは?」
「それが一般的ですが、四拍手という呪術が必要な場所もあるんですよ。四拍は即ち死拍、それだけでそこが黄泉の国であると、御霊に認識させられる」
呪術、と言葉を口の中で転がしてみた。なんとも信憑性がないというか、科学的根拠のない話である。
四は死に通じるというのは、よくある話ではある。マンションやホテルの部屋番号で「四」が飛ばされていたりとか、ナンバープレートには42や49を下二桁には使えないとか。
もちろんそれは言葉の響きが通じるというだけのことであって、「四」という数字そのものに何があるわけでもないだろう。
「出雲大社は言わずもがな。宇佐神宮は北九州の勢力、彌彦神社は北陸の交通の要所。
大和政権と彰浩は口にするが、彼は一体いつの話をしたいのだろうか。今となっては遠い昔の話であって、現在に何か影響を及ぼすものなのか。
日本という国は単一民族の国家であるという。けれど彰浩の言葉を考えるのならば、単一民族の国家というのはつまり、他をすべて排除したということになるのか。
「時代が移り変わり、忘れられて呪術の効果が薄れれば、スイゼンサマは外へ出られる」
封じ込め、押し込めて、殺し続けて。
それを行っている間はずっとそこにいるしかない。そこで殺され続けるしかない。けれどそれが忘れ去られて誰も行わなくなったとしたら、どうなるのだろう。
「今まで殺され続けたスイゼンサマの祟りの矛先は、どこに向くんでしょうね? とはいえ、今のところスイゼンサマがどこの誰を恨んでいるのか、僕も分かっていないんですけど」
彰浩が肩を竦めて、首を横に振った。茅の隣で、三砂が深々とため息をつく。
「お前はまたそういう、オカルトめいたことを……」
「嫌ですね、ミサちゃん。これはオカルトじゃないですよ」
茅はオカルトだと、笑うことはできなかった。
スイゼンサマが来るぞと声がする。スイゼンサマがあの社に祀られているのだとすれば、スイゼンサマはこの参道を通って、鳥居へ行くのか。そして鳥居の外、神の領域の外へ出たスイゼンサマは、何をするのか。
「古い時代の人間が実際にしたことを、なんとか捻じ曲げて伝えた結果、ということじゃないですか。忘れ去ることなど考えなかった人々は、それのしりぬぐいを誰がするかなんて考えてないんでしょうね。ああ、楽しいな!」
人は、忘れていく。
古い時代から伝わるものを伝統と言うが、もしもずっと続いていたのならば、それを保護しようなどと叫ぶ必要はない。
ひゅおうひゅおうと音を立てて風が通り過ぎる。蝉が鳴いている声が降り注ぐ。
スイゼンサマが来るぞ。
誰かがそう言って囃し立てているような気がした。誰かがそう言って、嗤っているような気がした。スイゼンサマが祟るというのならば、この囃し立てて嗤う声は何なのだろう。何を囃して、何を嗤うのだろう。
ひゅおうひゅおう、風が吹く。その音がどうしてだか、別のものの音のようにも聞こえてくる。
スイゼンサマが来るぞ。
ひたりと、茅の首筋に冷たいものが当たる。やはり何度そこを手でさすってみても、やはりそこに刃物はない。首が転がることもない。
どこかで、誰かが、嗤っている。ひたひたと裸足で何かを踏むような足音がする。
「藤江菜摘は、スイゼンサマに祟られたんですかね」
首が落ちるぞ。
頭を垂れねば、首が落ちるぞ。
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