一章 東の国⑦

 翠蘭は美しい娘だ。

 草原の民の特徴たる藍がかった髪とあおひとみを継承しているが、大きな瞳にはそうめいな光を宿しており、勤勉で人あたりも良い。滅多に怒ることはなく、ここ数年は宗哲のお気に入りとして数えられ、そのちようあいも絶えないと言われている。

 二人を見ていた典医がいらちを隠しきれずに切りだした。

「蓮妃。お加減がよくなりましたなら、そちらの娘めは早く追い出しなさりませ。水は手元に届きました。かように醜い者を傍におかれましては……」

 ただし、翠蘭が万人に優しくいられるのも時と場合による。

 幼馴染みをろうする発言に、翠蘭の目は鋭く細められる。主の意を受け取った妃付きの侍女が典医の肩に手を置き耳元でささやけば、典医はそうはくになり引き下がる。

 これに暁蕾はやり過ぎた、と頭を下げる。

「私としたことが長居しすぎてしまいました。蓮妃さまがお元気であれば、宗哲さまがいらっしゃるかもしれません。これにておいとまさせていただきます」

 複雑な微笑を浮かべる翠蘭は寂しがった。

「ばかね。十日おきにしか会えないのに、もう帰ってしまうなんて寂しいことを言わないで。……外の世界がどんな風だったか、どうかわたしに教えてちょうだい、暁蕾?」

 透き通るような笑みに昔を思い出す。

 翠蘭は特別な娘だ。そのぼうも王に望まれた理由のひとつだが、もっとも大事なのは、彼女が草原の民のおさの娘であった点だ。

 この国にはりゆうの伝承が残っている。

 それが涙龍だ。

 れいげんあらたかなる偉大な龍だと霞国では信じられており、その信仰は門に彫られ、国旗にも龍が縫い取られる形で残っている。だが力の象徴として龍を奉じていても、実在を信じていたわけではない。

 しかし草原の民は違った。彼らは龍の存在を身近に感じ、共に生きる民だった。

 そのかんなぎたる娘は涙龍の神秘を繰り出し、いかなる怪我や病気もやし、人に生命力を与える『なみだいし』なる霊薬を作ることができたが、彼らはこれを秘匿した。

 独占したかったのではない、と聞いている。万物に効く霊薬など、人々を混乱に陥れるだけだ。これは草原の民のみならず、東の地を守るための選択だったが、隠された側はそうは考えなかった。

 霞国は草原の民の秘密を知った道士の存在によって、霊薬に気付いてしまった。彼らは、彼らの君主たる宗哲こそ、龍の力を所有するに相応ふさわしいと考えた。そして神秘を独占するために草原の民を皆殺しにしたのだ。

 暁蕾も殺される寸前だった。

 焼き尽くされた数々の天幕。知った顔の無数のざんがいは、いまでも脳裏に焼き付いている。老若男女を問わず次々と殺され、暁蕾の番だというときに翠蘭が助けてくれた。

「涙石を作るには涙の泉から水を得る必要があるわ!」

 叫び、皆が最期まで隠していた秘密を打ち明けた。

「けれど泉から水をめるのは草原の民だけ。もうここに残ってる、わたしかその子だけしか汲めない!」

 彼女は恐怖に震えながら、隠し持っていた小刀を自らののどに向けた。

「霊薬の製法はわたししか知らない。その子を殺したら、いまここで死んでやる!」

 草原の民の血を指すのであれば、部族を抜けた者でもよかったはずだ。しかし不思議なことに、一度でも『草原の民』から去った者は水を汲めない。

 霞国は翠蘭の言葉が真実だと知ると二人を生かした。

 こうして翠蘭は宮廷にとらわれ、暁蕾が水を運ぶ役を得た。涙石の力によって、病弱で、本来ならとっくに命を失くしていたとされる宗哲は、いまも生き長らえている。

 暁蕾が今日訪ねたどうくつ、あれこそが『涙の泉』だが、草原の民以外が水を汲もうとしても、容器に入らない。手でもすくえない。従って飲むことすらできないのである。

 これが暁蕾が生かされつつも、身を小さくして暮らしている理由だ。

 十日に一度、友人に会えることだけが暁蕾の幸せだった。



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この続きは2024年2月22日ごろ発売予定の

『涙龍復古伝 暁と泉の寵妃』(角川文庫刊)でお楽しみください!

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涙龍復古伝 暁と泉の寵妃 かみはら/KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko

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