一章 東の国⑥

 宮廷に行くには西門を経由し、使用人通用口を通って入城する必要があった。

 正規の入り口は別にある。こちらはりゆうもんと呼ばれ親しまれており、市街地からうかがえる長く高い階段を上った先の大門だ。大層見栄えのする門だが、この道を使えるのは正規の手続きで入城を許された者だけだ。

 火竜門を通る意味合いは、有り体に述べれば民衆に対し、己が選ばれた者であると見せつける興行だ。従って宮廷勤めが長い者は火竜門を利用しない。

 暁蕾も昔は草原の民を下した見せつけを兼ね、火竜門の利用を義務づけられていたが、それも一季節が過ぎる頃には終わった。以降はずっと裏口を使用している。

 入城後、丁と別れると早足になるのは、これから向かう先にわびしい日々を潤してくれる人がいるためだ。しかし慌てすぎたせいか、身体の重心を崩して前のめりになった。

 つまずいてしまったのだ。

 自らのヘマに、一瞬の間に血の気が引いた。とつに瓶を守ろうとしたら、誰かに支えられる。見知らぬ男性が倒れかけた暁蕾を助けてくれていた。

「あ、ありがとう」

 いや、と答えた人は、年の頃は二十半ばほどか。名高い武人と勘違いしたが、そのかつこうに気取ったがいとうや凝った帯飾りはなく、どうやら丁より少し身分が上の士官らしい。ただの士官にしてはふうさいが立派であり、奇妙なかんろくが備わっていた。

 これほどのようぼうなら官女の噂に上りそうだが、ついぞ聞いたことのない人である。

 妙に貫禄があるし配属替えか、それとも降格でもされたか。疑問が頭をよぎったが、本来の目的を思い出し、物言いたげな男には頭を下げ背を向けた。天音閣への通用門はすぐそこだ。

 天音閣に入れるのは女とかんがん、そして一握りの兵だけとなる。

 一歩足を踏み入れれば天上の世界とうたわれる通り、外の世界とは一線を画している。一寸の狂いもなく手入れされた木々に、目を楽しませるためだけの池と小橋。王と妃を迎えるための建物は装飾がなされ、かれた香がこうをくすぐる。汚れは許さぬと言わんばかりに磨かれた床はちり一つ落ちておらず、そんな中を暁蕾はおくさず進む。

 ある新人官女が暁蕾をとがめようとして、年長の官女に𠮟られた。

「あの子はいいんだ。蓮妃様のところの娘だから、覚えておくんだよ」

「でも、あんな汚い娘を許しても良いのでしょうか。見た目だってあんなに……」

「いいんだ。それより覚えておきな、あの子……しやおやんいじめてはならないよ」

 意外な言葉に新人は首を傾げ、年かさの官女は重苦しく言い含める。

「あの子は重要なお役目を負ってる。なにかあって怪我でもさせたら、家族も無事じゃ済まないよ。子義様や道士様に睨まれたくなかったら、関わるのはおやめ」

「そんな……たかが異民におおげさではありませぬか」

「むかし、それで処刑された官女がいたんだよ、子義様の機嫌を損ねてしまったのさ」

 官女達の会話など知る由もない暁蕾は先を急ぐ。

 天音閣内でも妃によって与えられている住まいは異なる。彼女が真っ直ぐに向かったのは妃の一人、蓮妃に与えられた御殿だ。れんろうといい、うん殿でんの中にありながら三階建ての建造物である。霞雲殿の屋根の高さを超えぬよう地面を削り、堀で囲って水を流していた。入り口はひとつのみで、その先も三人並んで歩ける程度の橋しかない。

 宮廷でも異質なこの建物、はじめてこの蓮華楼を見た者は、蓮妃の特別扱いにしつを覚えるらしい。しかし暁蕾にしてみれば、まるでお門違いだと言わざるを得ない。

 これは霞国が蓮妃を逃さぬための特別なろうごく

 見た目だけをきれいに飾った悪趣味な監獄だが、すべて妃の身分を賜っただけで名誉と片付けられる。考えればうつうつとした気分になるが、悲しいかな心は浮き立っている。

 蓮華楼ではすぐさま案内がなされ、彼女はあるじたる蓮妃に目通りがかなった。

 その人を見た途端、暁蕾は我慢できず名を呼んでしまう。

「蓮妃さま!」

「いらっしゃい、暁蕾。待っていたわ」

 たおやかに微笑むその人は、自ら席を立ち彼女を出迎える。貴人にあるまじき歓待ぶりで、自らひざを折り暁蕾の手を取った。

「十日目はいつも落ち着かないわ。貴女あなたが来てくれると思うと、いても立ってもいられなくなってしまいます」

 友人の頰をそっと撫でる蓮妃……もとい草原の民のもう一人の生き残り、翠蘭には化粧っ気もないのにどきりと胸を高鳴らせる魅力がある。

 暁蕾の手が冷たいと気付くと、すぐに表情を曇らせた。

「そんな薄着で寒くなかったかしら。ごめんなさいね、わたしが直接出向けたらよいのでしょうに、後宮の外に行くのを禁じられているから……」

「あの泉に入れるのは私だけなのですから、どうぞお気になさらないでください。私は蓮妃さまのお顔を拝見できるだけで幸せなんです」

 手を握り返す行為も、蓮華楼でなら許される。十日前と変わりない元気な姿にあんした。普段は表情が硬いといわれる暁蕾も、幼馴染みの前では感情が豊かになる。

「暁蕾ったら、変な顔をしてどうしたの。わたしの顔になにかついていますか?」

「いいえ、なにも。相変わらずおれいだかられてしまったんです」

「いつの間にお世辞を覚えたのかしら。わたしを褒めてもなにも出ませんよ?」

 急に小役人がやってきたから心配していたのだが、この様子ならいつも通りだ。

 咄嗟に誤魔化すも不安は見抜かれており、彼女はなにも言わず背をでてくれる。

 暁蕾よりふたつ年上の彼女は、草原の民が滅ぼされる前から、こうして何かあるごとにおさなみの背を撫でた。それは霞国に族長の娘だからと目をつけられ、妃として捕らえられたあとも変わらない。

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