一章 東の国⑤

 都に連れて来られる前、暁蕾は草原に住んでいた。

 霞国とは友好関係にあった、草原の民と呼ばれていた移動民だ。周辺の遊牧民族との仲も良好で、霞国との関係を取り持つ橋渡し役だったが、霞国君主・宗哲に裏切られ、子供二人を残し他は皆殺しにされた。

 景色が緑のじゆうたんに移ろいだせば、丁がぽつりとつぶやく。

「いつ見ても草原ってのはぞっとするね。よくもまぁ塀もない場所に住めるもんだ」

「……たしかに守ってくれる壁はなかったけど、悪いものじゃないよ。どこにいっても邪魔するものなんてなかったし、走り放題なんだから」

 生け捕りにされた子供の一人が暁蕾であり、いまは奴隷として生かされている。

 草原を抜けた先には小高い丘がある。

 近付くにつれわかるのだが、不思議とその周辺だけは木々が生えていなかった。本来あるべき動植物は見あたらず、周囲はもくさくで仕切られ、現在は禁足地になっている。王族所有の土地だから、立ち入ろうとする者はいかなる者であろうと斬り伏せても良いと定められている場所だ。そのため柵門には常に見張りが立っているはずだが……。

「……誰もいないね」

「詰所へ行ってみるか。なにやってんだ、あいつら」

 詰所を訪ねれば兵達が酒盛りをしている。顔を見せるとなじみだけあって、かぎは放り投げられ、あっけなく通行許可が下りてしまった。

 酔っ払い共はげらげらと笑い声を上げる。

しやおやんや、ここいらは寂しすぎて女っ気がねえんだ。かかあのところに帰れるのもまだ先だし、ひとつ酌をしてくれねえか。みんな寂しいんだよ。なぁ?」

「酒の供としちゃあ器量が問題だが、いねえよりはましだからな」

 兵達はじろじろと彼女を上から下まで値踏みする。品定めの視線が不愉快だったが、ここで弱気を見せれば調子に乗る。暁蕾は威圧するようににらみ付けていた。

いちれんたくしようで子義さまに𠮟られても良いなら付き合うけど?……勝手に入るからね」

「好きにしてくれや。どのみちあんなところに好んで入りたがるのはお前だけさ」

 勝手に盛り上がる兵にあきれ、詰所を後にする。

 男達の野次に背を向けると、丁が「不安なんだ」と彼らを擁護した。

「ここんとこやたら冷えちまってるし、不作で食いもんも高くなってるからな」

「だからって私が酌をする理由はない」

「だとしても、もうちょっと愛想よくしとけ。ただでさえ器量が……アレなんだから、あいきようがなかったらおしまいだぞ?」

「それこそ余計なお世話」

 さらに口を曲げそうになるも、いつまでも反発したところで仕方がない。

 兵達の仕事が疎かになっているのは、こんな場所をわざわざ訪ねる物好きはいない、と考えているせいかもしれない。なぜならここはかつて草原の民の聖地、いまや霞国への恨みが募ったえんの地として恐れられている。

「おお、寒々としていつまでも好かねえ場所だ。さっさと済ませてこい」

 柵門を開くと丁は牛車に横になり、先へは暁蕾一人だけが進んだ。丁が付いてこないのは、中に入るのを許されていないからだ。

 小高くなった丘……はよく見れば巧妙に隠されたどうくつになっている。入り口は一つであり、彼女の足は躊躇ためらいなく硬い地面を踏みしめた。中はひんやりとしており、外とは違う澄んだ空気が漂っている。あかりひとつなかったが、暁蕾が入った途端、ところどころが青白く光り出す原理は不明だ。

 すこし下れば目的地はすぐそこだ。

 岩場の中に直径十五尺ほどの泉がある。蝙蝠こうもりや虫のたぐいはおらず、まるで人工的に管理された水場だが、れっきとした自然の産物だ。水はいささかの濁りもなく、魚といった生物のぶきも感じられない。ただただ静寂に水が湧き上がる音だけが響き、他には何もなかった。

 岩からあふれる光を何と呼ぶのか暁蕾は知らない。

 ただみなに反射する己の顔を凝視し、ぎゅっと目を細めて頰をでる。

 そこにいたのは、もう少しで十六になる少女だ。せ気味なので年齢よりはいくらか幼く見えるが、草原の民の特徴たる星空のように奥深くて静かなあいがかった黒髪に、みどりひとみりようも通っている……はずなのだが、周囲からは例外なく容姿をおとしめられる。

 何度繰り返したかわからない、答えの出ない自問を投げた。

 ──そんなに変な顔?

 都では美醜の基準が違うのだろうか。問いたくとも、なぜかいつも話がみ合わない。良識ある大人は何も言わないけれど、雰囲気で察せられるし、同年代の少年少女達は残酷で思ったことを口にする。彼らが噓をついているとは思えないが、暁蕾の所感としては、彼女は極めて普通の容姿だ。

 けれども何度も何度も言われるから、せめて不快感を与えないよう努めている。

 つまはじきにされないために身なりを整え、もくよくを行い、体をいて清潔さを保つのだ。

 しやおやんという呼び方も、はじめはさげすみを込めたトンだったから、これでも改善した方だ。周囲にむために頼み事を引き受け、笑顔で振る舞うようになってから、大人達は『小羊』と呼ぶようになった。髪がボサボサで盛り上がり、絡まっていたから羊らしい。

「私は、普通だよね?」

 水面に向かって問いかけるが、当然答えはない。

 不安そうな面差しは、やがてあきらめてかぶりを振る。

 悩んでも仕方がないし、いつだって解決したためしはない。

 大事に抱えていた包みをほどき、みずがめを取り出す。ふたきの細長い品物で、本体はすいで作られている逸品だ。相当な価値があるものの、暁蕾にはただの瓶に過ぎない。

 瓶を抱えた腕を沈め水をみ、終わると自らものどを潤した。

 洞窟を出ると再び牛車で都へ帰還するが、次に向かうのは自宅ではない。

 霞国は王の住まううん殿でんの奥、王のきさき達が住まうてんおんかくがこの短い旅程の目標だ。

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