墓場の優しさ
鈴ノ木 鈴ノ子
はかばのやさしさ
何十回目かの法要が曇り一つない青空の下で終わった。
騒がしい蝉たちの声、眩しいほどの陽の光がエアコンで快適な温度になっている本堂の窓から響き、差し込みをみせている。
祭壇にいる2人を、見たことも聞いたことも、ましてや会ったことすらない姪っ子や甥っ子が長い読経に疲れてしまったのだろう、少しぐずっていたが、今では母親にもたれ掛かりながら、すやすやと寝息を立ていた。
可愛らしい寝顔に視線を向けて微笑みながらも、胸の奥底が締め付けられるように軋みを見せる。
「皆様、この度はお集まり頂きまして、誠にありがとうございました。細やかではございますが、食事をご用意しております。ご案内を致しますので、よろしくお付き合いください」
喪主である高橋洋三が居並ぶ皆の前に出て、そう言って妻の麻里子と共に深々と頭を下げた。恰幅が良く柔らかな面持ちの洋三、可愛らしい笑窪を見せていた麻里子の姿が思い浮かび、視線の先には別人のように思えてしまうほど歳を経て辛苦を身に刻むかのような深い皺が刻まれ、痩せ細り衰えを見せていた。
『弓子くん…。その、なんだ、悪いのだけれど…今回で法要を終えようと思うんだ。私達も歳をとってしまった。体も無理も効かなくなってきた。すまない、理解してほしい…』
法要の連絡を受けた際に、辛そうに、寂しそうに伝えてきた洋三に対して、弓子は歯痒さのような思いと悔しさに胸を締め付けられて思わず呼吸が乱れた。
[私が一緒になれていたのなら、こんな思いを2人にさせなかったのだろうか…、いや、継ぐことすらできたのだろうか…]
そう弓子が自問自答をしたとしても、答えが導き出されることはなく、ただ、永劫の虚無の思いのみが、凍てついた心を僅かに揺らす。
「結末はハッピーエンドでなきゃ」
不意に故人の懐かしい声が聞こえてくる。未来永劫、叶うことのない結末をどう思っているのだろう。この言葉を思い出す度、何度も、何度も、衝動に駆られて、同じところへと旅立とうとしては失敗ばかりを繰り返した。長袖の下、叶うことのなかった無数の傷が幻想の痛み出して、耳に当てていたスマホを落としそうになった。
「いえ、声をかけて頂けるだけでも…」
そう返事をして二言三言ほど言葉を交わせばやがて会話は途切れたのだった。
移動してゆく人々に逆らう様に弓子は洋三と麻里子にぎこちない挨拶をして、引き留めの言葉を丁重に断って本堂を後にした。筋違いではあるが親族には弓子を疎ましく思う人々もいる、最後の最後までわだかまりのような存在が居座るわけには行かない。
喪服姿の弓子は茹だる様な暑さが陽炎となって漂うアスファルトの上を歩きながら、駐車場に停めてある思い出の車ではなく、数多くの人々が眠る墓地へと向かう。
墓跡の間を縫う様な細い道を弓子は何度となく踏みしめていた。
冷たい雨に全身を蝕まれながら、月夜の晩の冷たい光に身を映しながら、身を刺すほどの寒風が吹き荒ぶ中を、深々と積もりゆく雪の中を…。
山の中腹にある墓跡の前に辿り着くと、少し色褪せた大理石の墓石が変わらぬ姿のままで、陽の光を弾いては輝きを見せていた。
「ただいま」
何故だかあの頃の暮らしで帰る度の言葉が口を付いた。だが『おかえり』も『おかえりなさい』も二度と聞こえてくることはない。蝉の鳴き声だけが辺りに忙しなく響くのみだ。
弓子は両手を合わせ、愛しいそうに墓石を眺めてから、ゆっくりと目を瞑り、流るる清流のような気持ちで冥福を祈った。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか、やがて、弓子は故人の2人ともが素敵だと言ってくれていた、太陽の様に輝かんばかりの笑みを向けて、2、3度ほど焼けるほどに熱せられている石肌を撫でる。
「耕助さん、ゆっくん。また、来るね」
そう言って弓子は名残惜しそうに何度か振り返らながら炎天下の道を帰っていった。
蝉の声だけが響いている。
それ以外の音は一切聞こえてこない。
それが弓子には救いだった。
誰も彼も物言わぬ場が言葉で苦しめられることのない、弓子にとっても安息の地でもあった。憐れみも憎しみも、全ての喜怒哀楽の投げかけられる言葉は消え去り、ただ、自らと向き合った。
一種の静寂の優しさが弓子を包んだ。
何度でも、何度でも、この優しい墓場を訪れるだろう。
再会とそして自らと向き合うために。
懐かしい恋人とその子と暮らした時を思い。
沢山の思い出を過ごした時を思い。
命の燈が消えた時を思い。
1人取り残された悲しみの時を思い。
苦しみを抱えて過ごした時を思い。
明日へ進む時を思い。
失われた未来の時を思い。
希望も絶望もない日々を健気に儚く生きてゆく。
墓場の優しさ 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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