『ネタが切れたエッセイスト』
小田舵木
『ネタが切れたエッセイスト』
僕はパソコンのテキストエディタの前で
僕はしがないエッセイスト。しょうもないエッセイを紙面に載せて小銭を稼ぐのが生業なのだが。
うん。毎日エッセイを書いていると、自然とネタは尽きる。
かと言って。自分の知らない世界をエッセイのネタにしようとは思わない。
政治、芸能、学問…そう言った僕の向こうで起きている出来事をネタにするのはエッセイストとして負けだと思う。
まあ。負けを云々しようが。ネタが尽きているのは事実だ。
僕はしがない小市民であり。僕の人生はありふれた事しか起きない。
ありふれたネタで。読者に訴えるからこそ僕のエッセイに読者がつくのだ。
しかし。ありふれた日常はそうそうネタを寄越さない。
僕は。幾度も起きてもいない日常でエッセイを書こうかと思ったが。
それは作家の仕事であって。エッセイストの仕事ではない。
それをしたら。僕のエッセイストとしての看板に傷がつく。
僕はパソコンの前で
そこに猫がやってきて。僕の腕の隙間から顔の方に侵入しようとしてくる。
「うなあああああ」三毛猫の彼女は何かを訴えてくる。
僕は顔を上げて。パソコンのデスクの裏にある時計を見やる。
ああ。もう18時か。猫のエサの時間であり。エッセイの締め切りまで6時間を切ったという事でもある。
とにもかくにも。
僕は三毛猫女史のエサ皿に晩御飯を入れてやって。
そのついでにキッチンでコーヒーを淹れる。
そしてキッチンでコーヒーをゆっくりと飲むのだが。
カフェインで刺激された僕の脳みそはネタを思いつかない。
頭の中は真っ白だ。
いっそ。この事をネタにしてやろうかと思ったが―そうだ、前々回にそのネタはやってしまった。
エッセイを載せている新聞の編集女史に連絡を取ろうかと考える。
だが。連絡し辛いなあ。前回も泣きついたばかりだ。
僕は。一応、連載に際してストックを作って臨んできたが。
前回でストックを使い果たしてしまったのだ。
代原という手もなくはない。だが。連載に穴を空ければ僕の少ない稼ぎは減る…エッセイ1本で生活をしているので。それは避けたい事態である。
僕はマグカップを握りながら呆然としている。
その間にも勤勉な時計の針は進む。
もう18時15分。一時間の4分の1を浪費しちまった。
ああ。マジでネタが思い浮かばない。
僕はこのエッセイストとしての生活に限界を感じる。
そもそも。僕のような小市民のエッセイが注目を浴びた事が間違いだったのだ。
僕の日常は、ドラマチックじゃない。そこら辺の人と何ら変わりはない。
エッセイストを始めたばかりの頃は。いくらでもネタがあった。
…僕にもそれなりに過去があったからね。でも。そんな過去のネタも使い果たしてしまった。
エッセイストをやっていると。
そして自分やその周りの事をネタにしていると。
自分の体を切り売りしているような気分になる。
いや。実際、自分の体を切り売りしているようなモノだ。
僕は。僕自身をネタにして。それをギャラに変えている。
飯を食うために。自分の体を、自分の心を。売っているのだ。
…僕にはそれしか能がない。普通の人みたいに普通に働く事が出来ないのだ。
現在時刻は18時30分。
…無駄に考え込んでしまった。
もうキッチンに30分は滞在しているじゃないか。
なんでこう、締め切りに追われている時は時間の進みが早いのか…
ああもう。このネタも前々前回辺りで消化しちまっている。
僕はパソコンデスクの前に戻って。テキストエディタに向かい直す。
黒い画面には白い文字は一つもない。
僕はうんざりして煙草を吸う。
煙草…いやあ。これも散々ネタにしてきた。
なんて思いながら煙草を2、3本チェーンスモーク。
もう一本に手を伸ばしたトコロで気づく。ああ、煙草が尽きている。
しょうがない…コンビニに買い出しに行くか。
夕方18時45分。
空は茜色。世間は帰り支度気味。
僕は家路を急ぐサラリーマンに羨望の眼差しを向ける。
彼らはひと仕事終えた後なのだ、僕と違って。
…なんてネタも。過去にやったよなあ。
ああ、僕は何もかもをネタにしているのではなかろうか。
コンビニに入店して。
僕はパンコーナーに向かう。煙草のついでに晩飯を買うのだ。
…パンも晩飯も。ネタにし易いから。もう消費済みだ。
適当なおかずパンを持って僕はレジに行く。
レジには外国人…これもネタとして消費済み。
ああ、奇行の一つでもしてくれないだろうか?
そうすれば。僕は一日生き延びる事ができるのだが。
だが。そんな思いは外国人のレジのお兄ちゃんには伝わらない。
僕はコンビニを後にする。
スマホを見てみれば19時。締め切りまで5時間を切ってしまった。
僕はその事実に打ち震える。もう1時間使っちまったのか。
僕は帰り道をキョロキョロしながら帰る。
ネタ…ネタは何処かに転がっていないものか?
しかし。こういう時に限って僕の家の近所は平和だ。
そもそも。ネタなんて。探している時には見つからない。
そう。探しものは探している時には見つからないモノで。探してない時にふと見つける…うん。このネタ。連載初期に消費済みだ。
僕は家に帰ってきて。
とりあえずパソコンのデスクに向かって。
パソコンのデスクの脇のノートを手に取る。
それは僕のネタ帳であり。過去にどんなネタを消化したか記録しておく帳面でもある。
ネタ帳のページは。✕印で一杯だ。
思いつくネタは全て消化済み…
過去のネタ消化のページは。色んな物事が載っている…
いい加減、パソコンにデータを移しておいた方が検索性が良くなるのだが…それは面倒くさい。
僕はノートから目を上げて。
天井を見やる。そこには煙草の脂で真っ黄色になった壁紙が。
…そういうネタもやったよな。煙草の脂で黄色くなった壁紙のネタ。
クソぅ。天井にすらネタはない。
しょうがないから僕はパソコンのテキストエディタとにらめっこしたり、インターネットブラウザを立ち上げて時事ネタを見たりするのだが。
目に入るモノ目に入るモノ全てネタとして消化済みだ。
時計を見やる。
無駄な抵抗をしている内に、20時を回っている。
後4時間。ここまで来ると拙い。書くのには1時間かかる。
後3時間でネタを捻り出さなくてはいけない。
…いっその事、印刷所の人に頭を下げて―時間を繰り下げてもらう事は可能かなあ、なんて考えたが。そう言えば締切と印刷所のネタはやっちまったぞ。
その際、印刷所の製版の人と顔を合わせてしまっている。
「小田さん。貴方の原稿のせいで。毎回ヒヤヒヤしてますよ」なんてお小言貰ったばかりだ。
タイムリミットは3時間。そして僕の頭は真っ白。
いい加減、エッセイストとしては失格ではなかろうか。
そろそろ連載を打ち切って、静かな生活に戻る頃合いではなかろうか?
だが。僕は普通の生活が出来ない男で。エッセイを書くしか能はない…
要するに。後3時間でネタを上げるしかない。
…良い加減、でっち上げのネタを使う事も考える。
それは僕のプライドに反する行為だが。
そうも言ってられない。
僕はパソコンのテキストエディタに向かって考えてみるのだが…
ああ、僕はフィクションを考える脳みそがないらしい。
適当に書き出してみるのだが。最初の数行から先が続かない。
僕は再び、パソコンデスクの前に項垂れる。
ああ、これじゃ振り出しに戻ったようなモノである。
時計を見てみれば21時。でっち上げのネタを考えている内に1時間浪費しちまったらしい。
項垂れた僕の腕の隙間に。
またもや三毛猫女史が。
「なーんなーん」と鳴く彼女はどうやら遊んでほしいらしい。
僕はネタを考えるのを放棄して、三毛猫女史と遊ぶ。
…猫、飼い猫。
うん、これも散々ネタにしてきた。
僕は猫馬鹿なので。猫への愛ならいくらでも語る事は出来る。
だが。その猫への愛も。様々な角度でネタにし尽くしているので、今さらネタにし辛いトコロがある。
しかし。なんでこうネタに詰まっている時、締め切りに追われている時の気分転換は捗るのか。
…これもまたネタとして消化済み。
まったく。僕は何をしても、『ネタとして消化済み』という札が付いてくる。
「スッポコペンペンポン…ポンポポ」猫と遊び倒している僕のスマホが着信を告げる。
画面を見てみれば…想定するまでもなく編集女史からの電話である。
「おう、小田、エッセイが上がって来てないんだが」電話口の声は苛ついている。
「おう、編集女史。エッセイが仕上がらないんだが」僕はそっくり言い返す。
「なあ。小田、もう22時だぜ。いい加減ネタを上げないと―私が編集長から怒られる」
「んな事言われましてもね…日常のあらゆるネタをやり尽くした僕はすっからかんですよ」
「そこをどうにかするのがプロだろうが」
「いくらプロでも。ネタ切れはいかんともし難い」
「私が案出しするか?」
「いんや。それも大概やってしまっている。つまり。無駄だぜ、編集女史」
「おいおいおい。今から代原探すのは難しいぜ」
「代原にストック作ってないのかい?」
「ああ。まさかお前が穴を空けるとは思ってもないからな」
「僕もそういうつもりはなかったからねえ」
「からねえ…じゃねえんだよ。私をネタにしていいから原稿を捻り出せ、馬鹿野郎」
「編集女史…君の事も大概ネタにしちまってる。いい加減、君のエピソードは使い切ったぜ」
「…ああもう。考えろ、考えろ。喋りながら」
「考えてはいる。だが。僕の頭は真っ白けさ」
「プロのエッセイストなんだろ?ネタ帳は?」
「ネタ帳には✕が一杯。つまりネタ切れ」
「それさえネタにしろ」
「それさえネタにしたじゃんか。昔に」
「…そう言えばそうだな」
「…どうする?」
「どうするもこうするも。最悪は紙面に穴が空く。事故だなこりゃ」
「僕もエッセイストとして廃業の危機にある訳か」
「小田、短い付き合いだったが、うまくやれよ」
「死亡宣告をするじゃない。編集だろ。ケツ引っ
「いくら私が有能な編集でも。エッセイのネタ切れはいかんともし難い」
「こういう事を見越して。さっさと僕の連載を終わらせておくべきだったな」
「まったくだ。お前に温情かけて連載を1年伸ばしたのが運の尽きだったな」
「悪いね、編集女史。迷惑かけちまった」
「謝るくらいなら。ネタを出せ馬鹿野郎。話している内に22時30分だ」
「マジか。ヤバイぞ。原稿上げるのに1時間と考えて。30分しかない」
「…切るぞ。あと30分でどうにかしろ」
「…期待しないでくれよ。原稿の穴埋め考えておいてくれ」
「…健闘を祈る」
「じゃあね」
僕はスマホをそこら辺に放り出す。
追い詰められた週間漫画家は締切の直前に幻覚を見ると言うが―
僕には幻覚が訪れない。
意識はクリアなままだ。
こりゃあ。困ったぞ。
30分でネタを絞り出す以外、僕には選択の余地はない。
とりあえず。僕はベッドに寝転がってしまう。
…いい加減、ネタが浮ぶプロセスさえ浮かばなくなってしまっているのだ。
天井を眺めても。ネタは浮かんでこない。
目を
僕は追い詰められている。
そしてネタは浮かばない。時計を見れば22時45分。
15分を無駄に使った訳だ…
…しょうがないなあ。
僕は完全なる諦めの境地に至る。
そして。パソコンのテキストエディタに向かう。
…もうネタが被っても良い。
これまでのプロセスをネタにするしか方法はない…
◆
「んで。出来たのがこの原稿なんだけど」僕は電話口で編集女史に告げる。
「…何時もならボツだが。この時間だ」時計は23時55分を指している。
「あーあ。これで。僕もネタがなくなったエッセイストで。廃業するしかないか」
「ま、そういうこったな」
かくして。
僕のプロのエッセイストとしての生活は終わりを告げる。
連載期間、2年…まあ、保った方ではなかろうか。
『ネタが切れたエッセイスト』 小田舵木 @odakajiki
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